愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第三章】

【第十三話】眠る前に②(雨宮七音・談)

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 カチッカチッカチッと時計の針の音とエルナトの作業音だけが作業部屋の中に響いている。たまに本のページを捲る音と共にクルスの吐息の音が…… 困った事に、私の膝と手に持つ本との間から聞こえてくる。彼は多分討伐のせいで酷く疲れていたのだろう。隣に座って数分後にはもう、私の方へバタンと倒れてきた。まるで糸の切れた操り人形みたいに。

 …… う、腕が疲れてきたっ。

 気持ち良さそうな顔でぐっすり眠っている人を起こす事が出来ず、少し重い本を両手で持って読んでいたせいか段々と腕に力が入らなくなってきた。
 こんな状態だというのにエルナトは作業に没頭していて、クルスが私の膝を枕にして寝ている事にすら気が付いていないみたいだ。だってこんなふうにクルスが寝ているなんて知ったら、普通は大激怒するはずだもの。どちらも揃って私にプロポースをしてきているくらいなんだから。
「んーっ」と、不意に声が聞こえて本から顔を上げると、エルナトが思いっきり腕を伸ばしながら背中を反らしていた。作業が一段落したのだろうか?
「…… 二十三時、か。流石にもう寝ておかないとな」
 首をさすりながらこちらに顔を向けられ、反射的に体がビクッと跳ねてしまう。

 だ、大丈夫だろうか?こんな状況を見られても。

 不安のせいか心臓の辺りが妙にざわつく。彼とは付き合っている訳でもプロポーズを受諾したワケでもないのに、何故だか『浮気したらこんな気分になっちゃうのかな』と思ってしまった。

「あ!すみません。結局、貴女を部屋に待機させておきながら何も頼まないまま、こんな時間になってしまいましたね」

 すまなそうな顔をしながらエルナトが席を立つ。位置的に絶対私の膝でクルスが寝ている姿は見えているはずなのに、一切その話題に触れようとしない。どうやらエルナトは、疲れているヒトの無意識の戯れなら気にならないタイプの様だ。
「そろそろ休みますか。っとその前にシャワーでも浴びますか?お風呂に入る程の時間はなさそうですし」
 お風呂、か。この様子だと、もう“絶対に溺れないお風呂場”への改造は終わったみたいだ。
 昨日もシャワーだけで済ませたし今日はお風呂に浸かりたいのが本心ではあるが、確かに今から入るには時間的にも遅過ぎる。仕方ない、今日もシャワーだけで済ませるとしよう。
「そうですね、そうさせてもらいます」と答えたものの、『さて…… この、膝枕で眠るクルスはどうしようか』と考えつつ本を閉じて、眠る彼の様子をそっと伺う。膝をちょっとだけ動かしてみたりしてみたが、完全に熟睡したままでちょっとの衝撃では起きる気配もなかった。
「あぁ、クルスは僕が寝室まで運んでおきますから、ご心配なく」
「いいんですか?」
「当然です」と和やかに笑っているが、彼の細腕でどうやって…… と思っている目の前で、エルナトは軽々とクルスの巨体を持ち上げ、米でも運ぶみたいに
自身の肩の上へと担ぎ上げた。魔装具を身に付けている訳でもないので、強化魔法でも自身にかけているのかもしれない。

「じゃあ僕らは先に寝室で待っていますから、洗い終わったらすぐに来て下さいね」

 あ…… 今日も添い寝しないと、ダメ?と思いつつ、「あ、あの…… 」と言って、異性と寝るのは恥ずかしいから一人で寝たいと伝えようとしたのに、「添い寝と読み聞かせはをするのは、契約した決め事ですよね?」と先に念を押されてしまった。どうやら彼は私が何を言いたかったのか表情だけで読み取ったみたいだ。
「そ、そうですよね。…… ははは」
 閉じた本をぎゅっと抱き、右手で軽く頬を掻く。
 今夜もまたイケメン二人に挟まれて眠るのかと思うとどうしたって緊張してしまうのだが、どうやら避ける手段は無さそうだ。学校の保健室か、椅子などに座ったままのうたた寝くらいでしか一人で眠った経験の無い私にはむしろ丁度良い事なのかもと思っておくとしよう。


       ◇


 シャワーを浴び終わり、着替えに袖を通した時、ふとセフィルの古書店から借りた本に目が止まった。着替えを取りに私室へ戻ったついでに棚の中にしまってきたはずなのに、どうやらそれは私の勘違いだったみたいで、何故か着替えを入れた籠の底にぽつんと入っている。寝室へ向かう前に私室へ置きに戻ろうかと思ったが、クルスにはただの写真集にしか見えていなかったみたいだし、このまま持ち歩いていても問題ないか。
 頭にタオルをかけて片手で水分を拭き取りつつ、籠の中の本を開き、パラパラと捲っていく。そういえば、散々言われて気になっていたクセにまだ“ヨミガエリ”に関して調べていなかった事に今更気が付いた。

「エルナトさんから何度も“ヨミガエリ”の話しをされたんだから、真っ先に調べるべきだったな」

 簡単な世界史や環境、人口や文化などに関してのページがつい面白くってすっかり忘れていた。
「えっと…… “ヨミガエリ”は…… あった。どれどれ?」

【ヨミガエリ】
 死神が趣味で創った歪な産物。無限にある並行世界とこの世界の、どちらにも存在している人物が完全に同一のタイミングで死亡した時、その魂をこの世界の肉体に無理矢理押し込むことで生成される。二つの魂を体に有している為か潜在能力値が高く、ヨミガエリの個体は全て傍に居るだけでも他者の能力を高める性質があるが、その効果は共感力に優れた獣人型のみに発揮される。だがヨミガエリを独占する為に捕食されてしまうパターンが大多数をしめているため、現存する個体は極度に少ない。ヨミガエリを捕食すると願いが叶うという噂まで広まっている為、個体数の減少を止める事は不可能だろう。尚、死神の趣味の餌食になった者が元の体に戻れた例は一切存在せず、そもそもこの行為自体が死体への悪戯である点からしてそもそも不可能かと思われる。
 より生きる意思の残っていた個体の性格が表面に出ている様だ。一度表面に出た性格が、もう一方の個体のものに入れ替わった例も存在しない。
 潜在能力の高さのおかげで魔法を使える個体が大多数をしめるのに獣人型の姿であるのは、ただ単に創造主である死神の好みであると本人が話していた為、確かな情報——…… 

 段々と目の前の文字が歪み始め読めなくなっていく。だけど本に問題があるんじゃない。これは…… 私の涙のせいだ。

 …… あ。
 私もう、帰れないんだ。

 その事実が、私の胸に深く刺さった。この傷はもう…… 一生抱えていかねばならぬ程に深いだろう。


【第三章・完】
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