愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第二章】

【第九話】回想〜目撃〜(エルナト・談)

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「——ふぅ」

 屋根から屋根へと飛び去って行く二人の背を見送り、僕はそっと小さく息を吐いた。ナナリーの前では見せない冷めた表情になってしまっているが、もう彼女に見られる心配はいらないから今更表情を取り繕う必要はないだろう。もっとも、が相手なら、身も心もボロボロだった僕の表情が自然と明るくなるのだから無用な配慮か。ホント、心境の変化とは恐ろしいものだ。

 髪をくしゃりとかきあげ、空っぽになった室内をゆっくりと見渡す。“ナナリー”が暮らしているという理由から土地ごと購入したボロアパートだったが、もうこの物件は予定よりも早く処分してもいいだろう。これからは、今のナナリーの帰る場所は僕の傍でなければいけないんだから。
 
「あぁーぁ。“ナナリー”との茶番劇はもうこれっきりで終わらせようとしていたのに、まさか君が“ヨミガエリ”になるだなんて…… 永い時を生きてきた僕でも、想像もしていませんでしたよ」

 そう呟き、顔の表情が自然と笑みを浮かべる。
 片膝を立てた状態でその場にしゃがみ、さっきまでベッドの置いてあった位置をそっと撫でると、感慨深い気持ちで胸の中がいっぱいになった。

「此処で…… “ナナリー”が手首を切って自殺した瞬間、僕はやっと“君”から解放されたと思っていたのに…… 。でも、、僕は——」

 そう呟いた瞬間、最後に“ナナリー”彼女を見た時の記憶が目の前に甦り始めた。


       ◇


 “ナナリー”が住む部屋の様子がよく見える位置で宙に浮かび、闇夜によく馴染む黒いローブに身を纏い、冷ややかな視線をボロアパートの一角へと向けた。あの子ともう自分からは関わるまいと思っているのに、悪習に骨の髄まで侵食されているのか、つい安否が気になってしまい毎晩の様に“ナナリー”の様子を見に来てしまっている。
 いつもならもうとっくに僕らは出会い、守り守られ、そして何らかの理由で死んで逝く君を見送る羽目になっている頃合いなのだが…… 今回はどうしたというんだ?
 不思議に思い、僕は口元に手を当てて考えあぐねたが何もそれらしい答えが思い浮かばない。そりゃそうだ、とはまだ一度も会話していないのだ、想像すら出来ないのは当然だろう。

 そんな僕に全く気が付かぬまま、酷く疲れ切った印象のある容姿をした“ナナリー”がベッドに横たわりブツブツと何かを呟いている。だがその言葉はエルフ型である僕の耳にまでは届かない。知りたいと思えば聞く手段はいくらでもあるけど、穏やかな状況では無いにも関わらず、そこまでの興味は持てなかった。今まで散々色々なモノを犠牲にしてきた代償なのか、そんな感情すらもう僕の中には残っていないみたいだ。

 …… 飽きたな、今夜はもう帰ろうか。

 普通に生活する様子を見ているだけならまだしも、ベッドに横たわった姿を遠くから観察しているだけでは変化の無さのせいですぐ退屈になってしまった。早々に踵を返そうとしたその時、急に“ナナリー”の様子に変化が起こった。着ている服の左袖を無造作に捲り上げ、右手にはナイフを握っていて、それを天井に向かって掲げだしたのだ。

『…… おいおい、君はこれから何をする気だ?』

 不思議に思いながら様子を伺っていると、彼女は自らの意思で、一切の躊躇無く手首を切ってしまった。迷いが無いからなのか、切り口が相当深かった様で血液の流れ出る勢いも量も半端なく、放置していれば確実に死を迎える事は誰が見ても明らかな状況だ。——だが、そんなシーンを目撃したというのに、心が一切動じない。そんな感情さえももう、とっくに枯れ果ててしまったみたいだ。

 何も考えていない。動揺どころか気持ちのブレすらも全く存在しない瞳で、ただただ彼女の死にゆく様子を見守る。
 ただ淡々と“ナナリー”の命の灯火が消え去るという事実だけが、情報として脳内に記憶されていく。

 いつから自分はこんなに無感情な生き物になってしまったんだろうか。

 そうは思うが、その事を悲しいと考える事すらも出来やしない。
 もうどうでもいい。
 何をしたってどうせ、君は死ぬんだ。
 …… ただ、事だけが、今までとの違いか。
 あれだけ死を恐れ、散々僕に『私を助けろ』と庇護を求め続けてきた君が、何故だ?

 だが、その死を望んだのは君自身だ。
 ならば僕はもう、君を助けなくても良いという事か。

 “ナナリーの死”という結果を知っていても尚、償いの為だけに繰り返し続けるタイムループの輪をやっと断ち切れるのかという思いがじわじわと己の胸の中に湧き上がり、僕の口元が自然と弧を描いた。

『あぁ。やっと僕は、アステールの如く、傍観に徹する存在になれるんだ…… 』

 安堵が心を包み、ライトブルーの瞳に涙が溜まる。微量だったせいかその涙はこぼれ落ちる事はなく、強く吹いた風が攫っていく。
 今はこの気持ちに少しでも長く浸っていたい。彼女の遺体と部屋の処置は後日にしよう。どうせあのアパートには“ナナリー”以外の住人はもうほとんど住んでいないんだ、多少放置していても異臭騒ぎになったりする心配も季節的に無いだろう。
 そう考えた僕は刻一刻と緩やかに終わりへと向かっているナナリーを放置してまま、その場を去って行った。


 店の入り口がある表通りから、両サイドに細い竹が立ち並ぶ小道を通り建物の裏へと回る。玄関ドアに手をかけて居住スペース内に入ろうとしたその時——遠くから感嘆の声が聞こえ始め、僕は何の気無しに空を見上げて驚いた。

『——あ、天の川が…… 増えてる?』

 天の川を形成する無数に散らばる星々よりも一層明るい小さな光が、夜空に川を描いている。よくよく見るとそれらは星などでは無く、全て蝶々の様だ。羽ばたく度、青白い光を鱗粉みたいに撒き散らしているせいで、実際よりも多くの個体が空を舞っている様に見えた。それが何らかの魔法によるものであるとすぐにわかった。ここまでの状況を瞬時に創り出すには、今の錬金術のレベルではまだまだ不可能だからだ。だが、あれが魔法だとしても、ここまで大量の蝶を呼び出すにはとんでもない量の魔力を必要とする。という事は——

、“ヨミガエリ”が現れたのか』

 だが、僕にはもう関係の無い事だ。“ナナリー”は自分から死んだのだし、僕が“ヨミガエリ”と関わる必要も無いだろう。
 綺麗な夜空を見上げるのを止め、玄関から家の中に入る。この時の僕は、まさか“ヨミガエリ”となった者が、今さっき僕が放置してきた“ナナリー”であったとは思い付きもしなかったのだった。
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