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【第二章】
【第六話】説明
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「では僕と結婚する必然性よりも先に、まずは君を“ヨミガエリ”であると断定した理由からお話しましょうか」
「…… お願いします」
ゴクリと唾を飲み込んだ七音がエルナトの言葉を待つ。七音の胸の中は不安で一杯ではあるものの、“ヨミガエリ”なる意味不明な存在がどういったものかを知るにはいい機会であると前向きに考える事にした。
この世界へ来てしまったばかりで誰に気を許していいのか見極め切れていない為、出来れば自力で調べたかった事柄の一つだったのだが、今はひたすら目の前の彼が間違った知識を垂れ流す、害ある存在では無い事を願うばかりだ。
「第一に——」
(その出だしって事は、まさか複数の理由があるの?)
七音の額に冷たい汗が伝う。
並行世界ではあるものの、全く知らない世界と言っても過言ではないこの場所での無知は、足枷以外の何物でも無いなと改めて思った。
「獣人型は、魔法を使えません」
目を見張り、七音が一瞬言葉を失う。『そんなはずはない、だって』——などと、思うところがあり過ぎて心が乱れた。
「…… え。で、でも私は…… 」
七音には、クルスとは違ってどこをどう見ても疑いようが無い程に立派な獣耳と尻尾がある。時折宝石のキャッツアイの様に瞳孔が細くなる瞳からして、きっと彼女は猫タイプの獣人型で間違いないはずだ。実際に魔法を使った事だって何度もあるのに『獣人型は魔法が使えない』とエルナトに言われてもピンとこないのは当然だ。
彼女にとって魔法は生活の一部であり、優劣はあれども、誰だって魔法を使える世界から来た。なので、知らない場所で目覚めてしまったとなれば、非力な彼女では当然頼るものは魔法だけとなる。なのに『本来ならば魔法は使えないってどう言う事?最初から使えましたよ?しかも、かなり強力な魔力を有した状態で』としか思えず、その事を言うべきか言わざるべきかで迷い、七音は二の句を口に出来なかった。
「魔力を持たないはずの獣人型でも魔法が使えるのは、“ヨミガエリ”だけなんです。しかも、僕の様なエルフ型とはまた違う種類の魔力を有しているからか、魔力の香りが全然違います。強いフェロモンの混じったような…… 他の獣人達を誘惑する様な香りを持つという厄介な性質があるんです」
「んなっ…… (ゆ、誘惑?)」
タチの悪いワードのせいで余計に七音の口からまともな言葉が出なくなった。そんな彼女の様子を気にする事無く、エルナトは話を続ける。
「幸い、魔法を使った時にのみ香るものなので、使わなければ正体を隠す事は充分可能です」
ニコッとした笑顔を向けられ七音が少しだけほっとしたのも束の間、「でも、君がこの県に居る事は既に多くの者達にバレているので、危険は無いと安心は出来ませんけどね」と追い討ちをかけられた。
「——なっ!」
『何で?』
そう叫ぼうとした声が途中で止まった。
目覚めて早々魔法を使い、蝶の姿をした諜報員を大量に飛ばして少しでも多くこの世界の情報を集めようと、夜空に第二の天の川を作り上げてしまった事を思い出したからだ。
「異常な範囲に分散されたおかげで発生源が此処である事まではバレていないのが救いですが、『現れて早々、あんなに目立つ魔法を使った大馬鹿はどこのどいつだ』と、あの晩は思いましたよ」
「…… (うぐぅ)」
和やかな笑みで言われても嫌味が混じっている事が伝わり、七音が一層喋られなくなった。
「でも、君を一眼見た瞬間、あれは太陽の女神が地上に降りてきた証だったのだと思う事にしました。しかも内面は月の様に穏やかで、感情的にならずにまともな話し合いが出来るなんて、今ではそんな君を妻に迎えられるこの状況に感謝したいくらいです」
了承もしていないのに、既に二人は結婚すると確定している事に七音は驚きを隠せないが、何か正当な理由があっての話なのだろうから理由も聞かずに拒否するのは止めておこうと、ひとまず耐える。そんな彼女の姿勢が益々気に入り、エルナトはうっとりとした瞳を優しく細め、口元を緩ませた。
「あの豪快且つ優雅な魔法が原因で、この県全域に続々と獣人型のヒト達が“ヨミガエリ”を求めて集結しつつあります。なので、生きたまま彼らに食べられたくないなら、その力を、私が傍に居ない時には絶対に使わないでおきましょうね」
体感的に『今だったら世界征服だって一人でやり遂げられそうね』と勘違いしてしまいたくなるくらいのチート級の魔力量が体内に眠っている様な気がするせいで、七音は正直残念な気持ちで胸の中がいっぱいになった。でも魔法を使えば存在に気付かれて、果ては生きたまま食べられるとまで聞かされては、『いいや、それでも私は魔法を使う』だなんて言う程の度胸も無謀さも彼女は持ち合わせてはいない。どう考えてもここは、素直にエルナトの言葉を聞き入れるのが正解だろう。——流石に、“結婚”だけは別として。
「…… わかりました」
「よろしい。では次に、“ヨミガエリ”であると断定した第二の理由をお話しましょうか」
七音が素直に頷くと、エルナトが次の理由を語り始めた。
「それは、君が仮面をしていなかったからです」
「…… 仮面、ですか」
七音の脳裏に烏の様な仮面を着けたクルスの姿が浮かぶ。
まだ獣人型のヒトには彼しか会った事がないが、あの仮面が獣人型にとってとても重要な物だったっぽい事を聞かされ、『わかるかそんな事!』と七音は心の中だけで叫んだ。夜空に飛ばした蝶々達が集めた情報の中には『獣人型は仮面必須』だなんて無かった事が心底悔やまれる。
蝶々から得られた人々の噂話や愚痴や悩み、地域の雰囲気や看板などから得られた色々な商品の新作情報なんか、ほぼ見知らぬ世界で生きていく中ではクソの役にも立たないわ!という不満は必死に押し隠した。
「はい。クルスを見てわかる様に、獣人型のヒト達は日常的に仮面を着けていなければならないのです。なのに君は、最初から仮面をしていませんでした。獣人型の者達が仮面を外すのは『番を求めている時』か『“ヨミガエリ”を探している時』のいずれかだけしか認められていません」
「それは何故なんですか?」
不思議そうにそう訊く七音に対し、エルナトがスッと瞳を細めた。自身を“ヨミガエリ”であるとまだ納得出来ていない様子の七音だが、好奇心や知識欲に勝てない眼差しを向けられた事を嬉しく思う。
「“ヨミガエリ”を少しでも長く守れる様にです。仮面をしていないのは、ただ番を探しているだけの者かもしれないとなれば、イコールで捕食対象とはなりにくくなりますから」
「もしかして、何らかの理由で“ヨミガエリ”を捕食する事自体は禁止出来ないが、完全なる庇護対象外という訳でもないという感じですか」
「その通りです。獣人型にとって“ヨミガエリ”は伝説のアーティファクト以上に貴重な存在で、よっぽどの理由でもない限りはほぼ全獣人型達が血眼になって探し、我が者にしようと画策する存在です。それを『欲しがるな』とは…… 強者である彼等には、誰も言えませんから」
「では、クルスもエルナトの様に、私を“ヨミガエリ”であると思っているんでしょうか」
彼の様子は捕食者のそれではない。どちらかというと七音に対してとても好意的で、きちんと関係を築こうをしている様に見える。それ故彼女の疑問は当然のものだった。
「それは、“ヨミガエリ”を探し始めるよりも先に、君に出逢えた事に心を奪われているからでしょうね。目の前に居るナナリーが、今回の帰宅理由であった“ヨミガエリ”であるとは気が付いてもいません。そもそもそう簡単に見つかる存在ではない者なので、君が仮面をしていない姿を見たって、真っ先に『彼女は“ヨミガエリ”かもしれない』とは考えないでしょう。ナナリーの魔力から漂う香りを嗅いでいないおかげで、先程話した二つの理由のいずれかであると思っているのではないかと」
「では、クルスは危険な存在では無いのでは?その…… 私自身に心を奪われているのなら、普通に考えて、そんな相手を食べたりはしないですよね?」
「いいえ。“ヨミガエリ”であるとわかれば、クルスも確実に君を食べるでしょうね」
「な、何故なんですか?そもそも、“ヨミガエリ”がそれほど貴重な存在なのなら、むしろ生かしておくべきでは?」
「それは、生きている状態だと他の者に奪われるかもしれないからです。大事な大事な宝物は絶対に奪われる訳にはいかないでしょう?だから、手に入ったら即座に食べてしまうんです。確実に奪われない為に」
「そ、そんな…… 」
七音の顔が一気に青ざめ、エルナトから視線を逸らした。
「慰めにもならない情報かもしれませんが、それでも一応はルールが定められてはいるんですよ?残念ながら、『そのおかげで、禁忌を犯す者がいない』とは…… 正直言い難い状況ですけどね」
「その一つが、仮面の着脱ですか。…… その程度では、“ヨミガエリ”を守る気持ちなんか微塵も感じられませんけどね」
木を隠すなら森の中という考えなのだろうが、七音の様に無知の塊である状態にある者では、その程度の気遣いではすぐに見付かってしまいそうだ。
「同感ですが、真っ先に保護する手段が無い以上、このくらいしか国としては対応出来ないのですよ」
苦笑するエルナトを責めても意味がない。そう思った七音は軽く息を吐き、真っ直ぐに彼の瞳を見上げた。
「…… わかりました。その二点の理由を教えて頂いても尚、私自身がそうであると確証を得られた訳ではありませんが、私がその“ヨミガエリ”とか言う存在である可能性を考慮するべきである点は理解出来たので、今後はもっと慎重に行動させて頂きます」
「ナナリーの冷静な判断には、惚れ惚れするものがありますね。もうこのまま、夫婦の営みに移りたいくらいです」
「じょ、冗談に聞こえない発言は控えて下さいっ」
声が震え、七音の顔と耳が真っ赤に染まる。相も変わらずベッドに押し倒されたままとあっては彼女の反応は真っ当なものだろう。
「冗談ではありませんよ?ほら、相性の確認の為の婚前交渉というものだと思えば…… 」
「わ、わ、私は結婚を了承していませんし、その必要性を感じていません。そもそもですよ、“ヨミガエリ”って、一体何者なんですか?宝物にも等しい程の希少種的な者である事は今の話でなんとなくわかりましたが、たったそれだけでの理由で血眼になってでも欲しがる理由にはならないはずです」
「流石です。ナナリーは賢いですね」
「説明不足を指摘した程度で、賢さの証明をしたとは到底言えないと思いますが」
ちょっと馬鹿にされた様な気分になり、七音が眉を顰めた。
「そうですか?気に障ったのなら申し訳ありません。でも確かに、当人なら当然知っておくべきです情報ですよね。まず、“ヨミガエリ”とはですねぇ——」と、エルナトが説明しようとした、その時だ。
「…… 何してんだ?二人して、んな所で」
突如クルスの低い声が七音の出現先であった小さなワンルームの中に響き、彼女は散々エルナトから『獣人に食べられる』と聞かされたせいか、全身が凍る様な錯覚を感じたのだった。
「…… お願いします」
ゴクリと唾を飲み込んだ七音がエルナトの言葉を待つ。七音の胸の中は不安で一杯ではあるものの、“ヨミガエリ”なる意味不明な存在がどういったものかを知るにはいい機会であると前向きに考える事にした。
この世界へ来てしまったばかりで誰に気を許していいのか見極め切れていない為、出来れば自力で調べたかった事柄の一つだったのだが、今はひたすら目の前の彼が間違った知識を垂れ流す、害ある存在では無い事を願うばかりだ。
「第一に——」
(その出だしって事は、まさか複数の理由があるの?)
七音の額に冷たい汗が伝う。
並行世界ではあるものの、全く知らない世界と言っても過言ではないこの場所での無知は、足枷以外の何物でも無いなと改めて思った。
「獣人型は、魔法を使えません」
目を見張り、七音が一瞬言葉を失う。『そんなはずはない、だって』——などと、思うところがあり過ぎて心が乱れた。
「…… え。で、でも私は…… 」
七音には、クルスとは違ってどこをどう見ても疑いようが無い程に立派な獣耳と尻尾がある。時折宝石のキャッツアイの様に瞳孔が細くなる瞳からして、きっと彼女は猫タイプの獣人型で間違いないはずだ。実際に魔法を使った事だって何度もあるのに『獣人型は魔法が使えない』とエルナトに言われてもピンとこないのは当然だ。
彼女にとって魔法は生活の一部であり、優劣はあれども、誰だって魔法を使える世界から来た。なので、知らない場所で目覚めてしまったとなれば、非力な彼女では当然頼るものは魔法だけとなる。なのに『本来ならば魔法は使えないってどう言う事?最初から使えましたよ?しかも、かなり強力な魔力を有した状態で』としか思えず、その事を言うべきか言わざるべきかで迷い、七音は二の句を口に出来なかった。
「魔力を持たないはずの獣人型でも魔法が使えるのは、“ヨミガエリ”だけなんです。しかも、僕の様なエルフ型とはまた違う種類の魔力を有しているからか、魔力の香りが全然違います。強いフェロモンの混じったような…… 他の獣人達を誘惑する様な香りを持つという厄介な性質があるんです」
「んなっ…… (ゆ、誘惑?)」
タチの悪いワードのせいで余計に七音の口からまともな言葉が出なくなった。そんな彼女の様子を気にする事無く、エルナトは話を続ける。
「幸い、魔法を使った時にのみ香るものなので、使わなければ正体を隠す事は充分可能です」
ニコッとした笑顔を向けられ七音が少しだけほっとしたのも束の間、「でも、君がこの県に居る事は既に多くの者達にバレているので、危険は無いと安心は出来ませんけどね」と追い討ちをかけられた。
「——なっ!」
『何で?』
そう叫ぼうとした声が途中で止まった。
目覚めて早々魔法を使い、蝶の姿をした諜報員を大量に飛ばして少しでも多くこの世界の情報を集めようと、夜空に第二の天の川を作り上げてしまった事を思い出したからだ。
「異常な範囲に分散されたおかげで発生源が此処である事まではバレていないのが救いですが、『現れて早々、あんなに目立つ魔法を使った大馬鹿はどこのどいつだ』と、あの晩は思いましたよ」
「…… (うぐぅ)」
和やかな笑みで言われても嫌味が混じっている事が伝わり、七音が一層喋られなくなった。
「でも、君を一眼見た瞬間、あれは太陽の女神が地上に降りてきた証だったのだと思う事にしました。しかも内面は月の様に穏やかで、感情的にならずにまともな話し合いが出来るなんて、今ではそんな君を妻に迎えられるこの状況に感謝したいくらいです」
了承もしていないのに、既に二人は結婚すると確定している事に七音は驚きを隠せないが、何か正当な理由があっての話なのだろうから理由も聞かずに拒否するのは止めておこうと、ひとまず耐える。そんな彼女の姿勢が益々気に入り、エルナトはうっとりとした瞳を優しく細め、口元を緩ませた。
「あの豪快且つ優雅な魔法が原因で、この県全域に続々と獣人型のヒト達が“ヨミガエリ”を求めて集結しつつあります。なので、生きたまま彼らに食べられたくないなら、その力を、私が傍に居ない時には絶対に使わないでおきましょうね」
体感的に『今だったら世界征服だって一人でやり遂げられそうね』と勘違いしてしまいたくなるくらいのチート級の魔力量が体内に眠っている様な気がするせいで、七音は正直残念な気持ちで胸の中がいっぱいになった。でも魔法を使えば存在に気付かれて、果ては生きたまま食べられるとまで聞かされては、『いいや、それでも私は魔法を使う』だなんて言う程の度胸も無謀さも彼女は持ち合わせてはいない。どう考えてもここは、素直にエルナトの言葉を聞き入れるのが正解だろう。——流石に、“結婚”だけは別として。
「…… わかりました」
「よろしい。では次に、“ヨミガエリ”であると断定した第二の理由をお話しましょうか」
七音が素直に頷くと、エルナトが次の理由を語り始めた。
「それは、君が仮面をしていなかったからです」
「…… 仮面、ですか」
七音の脳裏に烏の様な仮面を着けたクルスの姿が浮かぶ。
まだ獣人型のヒトには彼しか会った事がないが、あの仮面が獣人型にとってとても重要な物だったっぽい事を聞かされ、『わかるかそんな事!』と七音は心の中だけで叫んだ。夜空に飛ばした蝶々達が集めた情報の中には『獣人型は仮面必須』だなんて無かった事が心底悔やまれる。
蝶々から得られた人々の噂話や愚痴や悩み、地域の雰囲気や看板などから得られた色々な商品の新作情報なんか、ほぼ見知らぬ世界で生きていく中ではクソの役にも立たないわ!という不満は必死に押し隠した。
「はい。クルスを見てわかる様に、獣人型のヒト達は日常的に仮面を着けていなければならないのです。なのに君は、最初から仮面をしていませんでした。獣人型の者達が仮面を外すのは『番を求めている時』か『“ヨミガエリ”を探している時』のいずれかだけしか認められていません」
「それは何故なんですか?」
不思議そうにそう訊く七音に対し、エルナトがスッと瞳を細めた。自身を“ヨミガエリ”であるとまだ納得出来ていない様子の七音だが、好奇心や知識欲に勝てない眼差しを向けられた事を嬉しく思う。
「“ヨミガエリ”を少しでも長く守れる様にです。仮面をしていないのは、ただ番を探しているだけの者かもしれないとなれば、イコールで捕食対象とはなりにくくなりますから」
「もしかして、何らかの理由で“ヨミガエリ”を捕食する事自体は禁止出来ないが、完全なる庇護対象外という訳でもないという感じですか」
「その通りです。獣人型にとって“ヨミガエリ”は伝説のアーティファクト以上に貴重な存在で、よっぽどの理由でもない限りはほぼ全獣人型達が血眼になって探し、我が者にしようと画策する存在です。それを『欲しがるな』とは…… 強者である彼等には、誰も言えませんから」
「では、クルスもエルナトの様に、私を“ヨミガエリ”であると思っているんでしょうか」
彼の様子は捕食者のそれではない。どちらかというと七音に対してとても好意的で、きちんと関係を築こうをしている様に見える。それ故彼女の疑問は当然のものだった。
「それは、“ヨミガエリ”を探し始めるよりも先に、君に出逢えた事に心を奪われているからでしょうね。目の前に居るナナリーが、今回の帰宅理由であった“ヨミガエリ”であるとは気が付いてもいません。そもそもそう簡単に見つかる存在ではない者なので、君が仮面をしていない姿を見たって、真っ先に『彼女は“ヨミガエリ”かもしれない』とは考えないでしょう。ナナリーの魔力から漂う香りを嗅いでいないおかげで、先程話した二つの理由のいずれかであると思っているのではないかと」
「では、クルスは危険な存在では無いのでは?その…… 私自身に心を奪われているのなら、普通に考えて、そんな相手を食べたりはしないですよね?」
「いいえ。“ヨミガエリ”であるとわかれば、クルスも確実に君を食べるでしょうね」
「な、何故なんですか?そもそも、“ヨミガエリ”がそれほど貴重な存在なのなら、むしろ生かしておくべきでは?」
「それは、生きている状態だと他の者に奪われるかもしれないからです。大事な大事な宝物は絶対に奪われる訳にはいかないでしょう?だから、手に入ったら即座に食べてしまうんです。確実に奪われない為に」
「そ、そんな…… 」
七音の顔が一気に青ざめ、エルナトから視線を逸らした。
「慰めにもならない情報かもしれませんが、それでも一応はルールが定められてはいるんですよ?残念ながら、『そのおかげで、禁忌を犯す者がいない』とは…… 正直言い難い状況ですけどね」
「その一つが、仮面の着脱ですか。…… その程度では、“ヨミガエリ”を守る気持ちなんか微塵も感じられませんけどね」
木を隠すなら森の中という考えなのだろうが、七音の様に無知の塊である状態にある者では、その程度の気遣いではすぐに見付かってしまいそうだ。
「同感ですが、真っ先に保護する手段が無い以上、このくらいしか国としては対応出来ないのですよ」
苦笑するエルナトを責めても意味がない。そう思った七音は軽く息を吐き、真っ直ぐに彼の瞳を見上げた。
「…… わかりました。その二点の理由を教えて頂いても尚、私自身がそうであると確証を得られた訳ではありませんが、私がその“ヨミガエリ”とか言う存在である可能性を考慮するべきである点は理解出来たので、今後はもっと慎重に行動させて頂きます」
「ナナリーの冷静な判断には、惚れ惚れするものがありますね。もうこのまま、夫婦の営みに移りたいくらいです」
「じょ、冗談に聞こえない発言は控えて下さいっ」
声が震え、七音の顔と耳が真っ赤に染まる。相も変わらずベッドに押し倒されたままとあっては彼女の反応は真っ当なものだろう。
「冗談ではありませんよ?ほら、相性の確認の為の婚前交渉というものだと思えば…… 」
「わ、わ、私は結婚を了承していませんし、その必要性を感じていません。そもそもですよ、“ヨミガエリ”って、一体何者なんですか?宝物にも等しい程の希少種的な者である事は今の話でなんとなくわかりましたが、たったそれだけでの理由で血眼になってでも欲しがる理由にはならないはずです」
「流石です。ナナリーは賢いですね」
「説明不足を指摘した程度で、賢さの証明をしたとは到底言えないと思いますが」
ちょっと馬鹿にされた様な気分になり、七音が眉を顰めた。
「そうですか?気に障ったのなら申し訳ありません。でも確かに、当人なら当然知っておくべきです情報ですよね。まず、“ヨミガエリ”とはですねぇ——」と、エルナトが説明しようとした、その時だ。
「…… 何してんだ?二人して、んな所で」
突如クルスの低い声が七音の出現先であった小さなワンルームの中に響き、彼女は散々エルナトから『獣人に食べられる』と聞かされたせいか、全身が凍る様な錯覚を感じたのだった。
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