愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第二章】

【第三話】移動と疑問

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 それぞれの用意が終わり、住居側の方にもある玄関にエルナトとクルス、七音の三人が集まった。
 エルナトは白いシャツにグレーのスラックスを穿き、クルスは上下ともシンプルな見た目をした黒い服を着ていて、互いを象徴する様な色合いのコーディネートをしている。七音はエルナトが用意してくれた白いジャケットに黒いパンツスタイルで、貴族の御令嬢達が乗馬時に着ていそうなデザインの服に着替えた。魔法効果のある靴とイヤーカフスだけは装備して、ブレスレットまでは掃除の邪魔になりそうなので勘弁して欲しかったのだが、無駄な抵抗に終わってしまった。その代わりに、手首にピタリと触れるくらいまでサイズを直してもらったので、ぶらぶらしてイラッとする心配は無くなったので良しとしよう。『それにしても、両方の手首に着ける理由がいまいちわかんないけど…… まぁ護身具だと思うしかないのかな』と考えながら、七音は手首に巻かれた魔装具であるブレスレットをじっと見詰めた。

「それじゃあ、行きましょうか」

 エルナトはみかん箱くらいの大きさをした木箱を一つ小脇に抱えている。
 どう見ても引っ越しの荷物が全て入る様なサイズではないのだが、他に何かを持っていく様な様子は無い。だが昨日、彼らと引っ越しの話をした時に、インベントリの魔法がどうのと言っていた言葉を思い出し、七音は『これがその魔法の箱かな?』と興味深い眼差しを木箱へと向けた。

(こんなサイズの箱の中に色々大量に物を詰め込めるんだったら、流通業の人とか楽そうだよね)

 七音がそんな事を考えているだなんて彼らは分かっていないが、二人にとっては当たり前の物に対し、興味津々といった目を向ける彼女の姿がとても好ましく思える。生き生きと紅い瞳を輝かせ、細長い尻尾を揺らし、獣耳をピンッと立たる七音を今すぐにでも抱きしてめしまいたい衝動を揃って堪えに堪え、自身の前髪をくしゃりと掴んだ。
「ふふっ」
 小さく七音に笑われ、二人が髪から手を離して顔を上げる。
「すみません。二人同時に同じ仕草をしたんで、似た様な事を考えているんだなと思うと、ちょっと可笑しくって」
 クスクスと笑い続ける七音に対し、二人は揃って手を伸ばして彼女の頭を一緒に撫でた。左右両方の獣耳に彼らの手が当たり、ちょっとくすぐったい。だが逃げることも出来ずにじっとしていると、七音の喉からゴロゴロと猫の様な音が自然と鳴り始めた。

「おっと、やり過ぎましたね」
「す、すまん。今度から気を付ける」

 同時にパッと手を離し、二人が照れ臭そうに七音から顔を逸らした。彼女の気持ちよさそうにしている音を聞いたせいか、どちらも赤くなる顔を片手で覆う。撫でられて気持ちよかったのだという事実がエルナト達の心音をひたすら早めてしまう。
 一方七音の方は、不可解な音が喉から鳴ったのでフリーズ状態だ。自身がどうやら猫っぽい獣人型である事は鏡を見た時点で初日から自覚していたが、ここまで猫寄りだった事への驚きが隠しきれない。まさか背中も弱い?首も?腹とかどうなっちゃうの?と、ぐるぐる色々考えてしまった。

「い、行きましょうか」

 場の雰囲気を変える様に一度咳払いをし、エルナトがわざと明るい声で七音に言った。
「あ、はい。そうですね」
 合わせて七音も同じトーンで答えた。
 クルスの方はまだ照れくさいみたいで、顔を逸らしたまま「…… 気を付けて行けよ」と言い、心許ない足取りで家の中に戻って行ってしまう。何度も壁にぶつかりそうになっているクルスの様子を見て七音は少し心配になったが、「ささ、行きましょう」とエルナトに促され、二人は玄関を後にした。


       ◇


 さてと。
 問題は…… アパートの場所だ。
 エルナト達の自宅側玄関を出て、細い竹の生い茂った涼しそうな趣のある脇道を通り、商店街のメイン通りに出て七音がゴクリと唾を呑み込んだ。

(うん、さっぱり分からん!)

 アパートの住所は覚えている。それは自分の世界と同じだったので問題無い。だが、あの部屋を出て、ここまでの経路がきちんと思い出せない。限りなく『気ままに散歩していたらこんな場所に着いちゃった』みたいな流れに近かったせいだ。立ち並ぶ家々のほとんどが記憶とは違うせいで、地理的には同じ町であっても方向感覚まで狂ってしまう。遠くに見える山や太陽の位置などで方角は辛うじて掴んだが、最初の一歩を踏み出す方向からして迷ったままだ。
「じゃあ行きましょうか」
 手を差し出され、七音がきょとんとしながらエルナトの顔を見上げた。左側の小脇に大きな箱を抱えていてもなお、『まるでこれからダンスにでも誘うような手付きだわ』と七音に感じさせる雰囲気のせいで、彼女の胸の奥が少し騒ついた。

「僕と腕を組んで歩いていくのと、腕に座る様にしながら抱えられてアパートまで向かうのとでは、どちらがいいですか?」

 花が咲いた様な笑顔で二択を迫られる。『え、どっちも嫌ですが?』と思うせいか、七音の顔がすんっとした真顔になった。なのにエルナトは一切臆する事なく、「羽根の様に軽いナナリーなら僕は、お姫様抱っこでもいいですよ?その場合、箱は君に抱えてもらう事になりますけど」と提案してくる。その三つだったら比較的腕を組むのが一番無難な気がして、七音は仕方なく「…… 腕を組むでお願いします」と渋々答えた。

「じゃ、出発しましょう」
 そう言うエルナトの腕に腕を絡め、「…… はい」と七音が力無く返事をした。
 恥ずかしくって七音は顔を上げられない。高身長の二人が腕を組んで歩いているとどうしたって目立つし、どちらもかなり見目麗しい事もあってか周囲の視線が集中してしまっている。

『何かの撮影中かな』
『モデルさんみたいね』
『あらぁ、お似合いだわ』

 獣耳なせいか、離れていても周りの声が聴こえてしまう。そのせいで余計に前を向けないでいる七音の様子を見て、エルナトがクスッと笑った。
「気にする必要は無いですよ。獣人型はとても珍しいので、どうしたって人目を引きますからね、こればっかりは慣れるしかありません」

「…… エルナトさんは、慣れていそうですね」

「…… 」
「…… ?」
 彼からの返事が無い。
 その事を不思議に思った七音が顔を上げ、エルナトの顔を軽く覗き込むと、彼は顔を真っ赤にして口元を震わせていた。
 昨日からずっと、『あの』とか『すみません』『そちらは——』などと声を掛けられるばかりでちゃんとは名前を呼ばれてはいなかったせいか、『エルナトさん』と呼んでもらえた事が嬉しくって堪らず、彼は返事が即座に出来なかったのだ。
「どうかしましたか?」
「——え?あ、ごめんなさい!…… えっと、僕も全然慣れてなんかいませんよ。今でも人の視線はどうも苦手で、あまり店からも出ないくらいですから」

(どの面で、それを言うの?)

 作り笑顔を浮かべながら、七音がエルナトの接客中の様子を思い出す。適当に女性達をあしらって、仮面の様な笑顔で対応していた姿はどう見ても達人級、玄人技だったではないか。だが、引き籠り気味だと言う話の方はちょっと納得出来た。あれだけの魔装具を全て一人で作っているのだったら、そうなるのは自然な事だろうから。
「じゃあ、今度からはたくさん外出出来ますね」
「…… 何故ですか?」
 そう問い掛けるエルナトはきょとん顔だ。

「だって、私が居るじゃないですか」

 エルナトに対して七音が子供っぽい笑顔を向けると、彼は目を見開き、とても驚いた顔をしていた。頬は真っ赤で、耳までも同じ様に染まっており、名前を呼ばれた時以上の反応だ。

(あれ?どうしたんだろう、変な事は言っていないはずなのに)

 七音が不思議に思っていると、エルナトの眦に涙が溜まり始め、彼はサッと顔を逸らした。
「…… そ、そうですね。じゃあ、今度一緒に散歩でもしませんか?ハイキングに行くのも良いかもしれませんね」
「いいんですか?私が一緒でも。お店の事は私に任せてクルスさんとお二人で行くとか、もしくはプライベートな時間をお一人で楽しんで来てもいいんですよ?」
「そんな時間、僕には必要ありません」と言い、エルナトは目蓋を閉じてゆるゆると首を横に振った。

「…… 最近は、充分過ぎる程一人で過ごしてきましたから」

 硬い笑顔を向けられ、今度は七音が目を見張った。
 不可解な感情が胸の奥でモヤモヤとして、訳も分からずちょっと気持ち悪い。彼が何を考えているのかも気になるし、今まで何をしてきたのかまでもが気になってしょうがない。だが、『そんな事は別に私には関係無いし』と思う気持ちも同時にあって、自分の胸元をギュッと掴んだ。

(——あれ?)

 もう一つ、違う疑問が七音の頭に浮かぶ。
 ここまでもう随分と歩いた気がするが、七音はまだエルナトに向かう先の住所を伝えていない。昨日の面接時だって、一人暮らしである事しか話していないはずだ。だが、七音がちゃんと顔を上げて周囲を見渡すと、昨日見た記憶のある建物ばかりで、アパートの近所まで来ている事は間違いなさそうだった。

(…… どうして、エルナトは行き先を知ってるの?)

 ドクンッと七音の心臓が大きく跳ねた。
 顔色の悪い白い額には冷たい汗が伝い、じわりと手汗も出てきてしまう。そんな様子を悟られまいと、大人しくエルナトと共に歩き、七音がスッと下を向いた。

(まさか、エルナトはこっちの世界の“私”を知っているの?もしそうなら、なんで初対面みたいな態度をしているんだろう?)

 心臓の音が落ち着かず、組んだ腕から彼にその音が伝わってしまいやしないかと心配になってくるレベルだ。
 困った、どうしよう、私はどうしたら?——と、焦りながら悶々としていると、エルナトが「そういえば——」と口を開き、七音の顔を下から覗き込んだ。

「プロポーズに対して即答するなんて、クルスとはいつの間に仲良くなったんですか?」

「…… はい?」
 一体全体何の話だ?としか考えられなくなり、七音の頭の中からは、『何故エルナトはアパートの場所を知っているの?』という疑問は完全にぶっ飛んのでしまったのだった。
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