愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第二章】

【第二話】朝食と用意

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 五人程度のヒト達がうろついても問題なさそうな広さのあるキッチンに、七音とクルスの二人が並び立つ。
 コの字型をしたキッチンの中央には大きな作業台があり、調理中に座れるような丸椅子が三脚並ぶ。科学的な分野が発展していないこの世界では流石に電子レンジは無かったが、四つ口もあるガス台やオーブンなどは完備してあり、使い勝手は良さそうだ。ニンニクや唐辛子などが紐で吊るされ、果物の入る大きな籠や大小様々なサイズの鍋が棚には並び、包丁などといった調理器具も多数置いてある。整理された食料保管庫やずらりと並ぶ香辛料の多い小さな棚を見て、七音は『出来る人のキッチンだ…… 』と思ったが、口には出さななかった。

 七音は作業台の側にある椅子に腰掛けてジャガイモやニンジンなどの皮剥きをし、クルスはベーコンを切ってフライパンにのせて焼き始めた。カリカリになるまでしっかりと炒め、香ばしい香りがキッチン内に立ち込める。
 空腹のお腹を軽くさすり、七音が皮を剥き終った野菜を水に浸した。今日は昨日と違ってちゃんと仕事をさせてはもらえているが、補助ばかりで調理自体は任せてはもらえていない。彼女がキッチンに入るなり調理の手伝いは断られ、また『危ないから』と言われるのかと思っていた七音だったが、ただ単に『俺の作った料理を食べて欲しいから』という理由だった為、補佐役しかやらせてもらえなくても気まずさは全く無かった。

 作業台の上にはクルスが手作りしたパンがずらりと並び、厚切りのベーコンやサラダだけではなく、野菜がたっぷり入ったコンソメスープなどといった色鮮やかな朝食が次々に手早く作り出されていく。自分が毎朝作っていた朝食との差を痛感し、彼女は家族達の顔を思い浮かべながら謝罪したい気持ちになった。

(あんな朝食でも文句一つ言わずに食べてくれていたなんて…… ウチの子達って、もしかして天使だった?)

 いくら家族の人数が多かったとはいえ、半額セールになっていた食パンを軽く焼いてジャムを塗り、あとは前日の残り物のおかずを数点並べただけの見窄らしい我が家の食卓を思い出し、今の食事の豪華さをより一層痛感する。
 だけど昨日のエルナトの朝ご飯は宅配のパンだった。もしかすると料理が得意はのはクルスだけで、エルナトは料理をしないのかもしれない。だがクルスは昨日まで仕事で外に出ていた事を思い出し、『ただ単に一人だったから手を抜いただけなのかな』と、七音は思った。

「おはようございます」

 キッチンから廊下へと続く扉側から不意に声が聞こえた。
「おはようございます」と答えながら七音が声のした方へ顔を向けると、そこには顔を洗い終えたばかりといった様子のエルナトが、ニコニコとした笑顔で立っていた。モノクルはまだしていないが、昨夜よりも随分と顔色は良さそうだ。目の下のクマも随分と改善されており、きちんと眠れた事がすぐに見て取れる。熟睡してしまったせいで結局七音は彼らと朝まで添い寝する羽目になったが、不眠が改善された様子を前にすると、異性と同衾に近い事をしてしまった恥ずかしさよりも達成感の方が大きかった。
「すぐに戻って来ますんで、三人で一緒に食べましょうか」
 まだちょっと眠いのか、エルナトは欠伸を何度も噛み殺し、クルスとは違う声のトーンになっている。そんな気安い感じがちょっと可愛く、七音は口元を緩ませた。
「はい。じゃあ私はダイニング方に料理を並べておきますね」
「あー…… お願い、します」と言ったエルナトはちょっと気まずそうだ。従業員が相手だと言うのに、『君に仕事をさせるなんて申し訳ない』と思っている本心を必死に隠している様に感じられた。クルスとは違って、まだ自分に何かを頼むのは抵抗があるんだなと七音は感じ、精一杯の笑顔を浮かべて、『仕事してる方が気が楽なんだから、邪魔すんな』と訴える様な顔をしてみる。
「気を付けながら運ぶんで、大丈夫ですよ」
 そんな彼女に対しエルナトは無言のまま頷き、洗面所にタオルを置きに行った。


       ◇


 ホテルで出る朝食並みの品数のあった食事を済ませ、三人が一息つく。
 食後のお茶を用意したのはエルナトで、彼が淹れている間に使った食器類はクルスが下げておいた為テーブルの上はすっかり片付いている。今は色々な動物をイメージしてデザインカットされた果物が盛られた皿が中央に置かれ、『こんな可愛い食べ物、逆に食べられないんですけど…… 』と七音は思った。クマ、ペンギン、キリン、蛇などといった者達がリンゴや梨などで器用に再現されており、撮影ボタンを連打した末にいいねボタンを探したくなってくる。
「ところで、此処への引っ越しは何時から始めますか?」
「えっと、このお茶を飲み終わったら、すぐにでも行って来ようかと思います。近くですし、荷物も多くはないので、今から始めれば午前で終われるかと」
「そうですか。箱の運搬などもしないといけませんし、外は物騒ですから、僕も一緒に行きますね」
「一段落する頃には俺も行く。大きな荷物を運ぶなら、断然俺の方が適任だからな」
「で、でも、片付けくらい一人でもやれますし、お気持ちだけで…… 」
 写真、手帳、まだちょっと残っている小さいサイズの服などが頭を過り、七音は動揺を隠せない。せめてあれらを隠すか、箱の中にしまってからでないと、とてもじゃないが手伝いなんて頼めない。写真などを手に取られ、『これは誰?』と訊かれたら上手い返しが全く浮かばず焦る姿が容易く想像出来る。
「…… 下着とか、見られたら恥ずかしい物も、あ、ありますから」
 顔面を真っ赤にし、そっと二人からの視線を回避するように七音が横を向く。
 そんな彼女の様子を見て、彼らは『今君が着ている愛らしい下着はこっちで用意した物なのに。今更下着程度で照れるなんて、可愛いなぁ』と思ったが、笑顔を浮かべるだけに留めた。
「わかりました。じゃあ、箱の運搬だけは玄関までさせて下さい。用事を済ませてからそちらの部屋に再び伺いますから、その間に見られては恥ずかしい物を片付けるという感じでどうでしょう?」
 エルナトの提案を聞き、七音が「あ、はい。それなら」と答え、安堵の息をつく。隠しておきたい物はそれ程多くない。十分、十五分程度時間を潰して来てくれるなら充分間に合うはずだ。

「少しの間一人になりますが、その間に、部屋からは絶対に一人で出る事の無いようにして下さいね」
「それが約束出来ないのなら、引っ越しの作業は俺らでするからな」

 二人揃って和やかな笑顔でそう言ったが、まるで仮面を貼り付けたみたいな顔だ。エルナトが客の前で見せていたような、本心や考えを押し殺したような表情を真正面から見据え、七音はちょっと寂しさを感じた。『何故こうも、彼らは過保護なのだろう?』とも強く思う。そう言いたくなる様な経験を過去にしたのかもしれないが、従業員に対して向けるのは勘弁して欲しいものだ。
「わかりました。部屋の中以外に私物を預けている様な物置もありませんし、問題無いです」
 とは言ったものの、本当にそうなのかは正直確信が無い。ただ、アパートの敷地内にそういった感じの建物が無かったから、多分そうであろうという推測の範囲だ。もし存在していたら、その時は家主に土下座しよう、と七音は再び決意した。
「良かった。——あ、そうそう。ナナリーの着替えを部屋に置いておいたんで、今日はそちらを外出時に着て下さい。靴や装具もあるんで、必ず身につけて下さいね」
「この服のままでも別に…… 」
 そう言って、七音が自分の服装を確認する。
「だけど、パンツスタイルの方が動きやすいだろ?」とクルスに指摘され、七音は「あ、それもそうですね」と頷いた。
「靴には歩くたびに追尾不能になる魔法と存在感を消す魔法をかけておきました」
「イヤーカフスにはこちらに現在地を知らせるものと、俺達と会話の出来る効果も付与してあるから、絶対に外すなよ」
「ブレスレットには防御魔法と雷撃を発動させる魔法をかけておきましたので、もし万が一の事態があっても、僕らが対処するまでの時間を稼げるでしょう」

(ん?私はこれから、戦地にでも行くのかな?)

 今着ている様なロングスカートのワンピースから、パンツスタイルへの着替えを勧められたまでは理解出来たが、途中からはもう意味が分からず、理解に苦しむ。過保護の域すら超えた徹底ぶりにドン引きするばかりだ。だが、いらないと言った所できっと無駄だろう。何といっても彼らは七音の雇用主なのだから、不道徳だったり理不尽なものでは無い以上指示には従わねば。
「わ、わかりました」
 納得は出来ていないが、そう返答するしかない。すると今度はちゃんと嬉しそうに笑ってくれた二人の様子を見て、素直に従っておいて正解だったなと七音は思った。

「——そういえば」
 はっとした顔で七音がクルスの方を向く。
「今日は、仮面を着けていないんですね」
 昨日は風呂に入る直前まで着けていたので、外出の時のみ着けるという訳でもなさそうだ。なのに今朝はずっと仮面を装備している姿を一度も見ていなかったので、七音はどうにも気になった様だ。
「あぁ、ナナリーが着けていないからな」
 と言う事は、別に理由があっての装備ではなかったのか。初対面時には徹底的に肌を隠している様な印象だったが、『あの格好にこれといった深い理由はなかったのだな』と七音が考えていると、「所で君は、どっちの理由で仮面を着けていないんだ?」とクルスに訊かれ、ピタリと体が固まってしまった。

(…… どっち、とは?)

 どうやらこの問いの答えは二択っぽい。しかも、この程度の情報量だけで相手に問い掛けの意味が伝わる質問なのだとすると、よりにもよってこれは常識問題みたいだ。
「まさか、“ヨミガエリ”を探しているのか?」
「そうです!」と反射的に答え、「“ヨミガエリ”探しをする為に、です」と返答したはいいが、七音の背中には冷や汗が伝った。
 昨日行ったのパン屋でも、リゲルさんと似たような話をした事を思い出す。“ヨミガエリ”探しと仮面を装着しない事のつながりが全く想像つかないが、もう片方の答えを知らない以上、七音は少しでも聞いた事のある単語を口にする他無かった。
「…… そうか、それは残念だな」
 クルスが俯きながら渋い顔をし、ぽつりと呟く。
 だが即座に顔を上げ、気を取り直し、「じゃあ、諦めたら俺に声を掛けてくれ。俺の方は、いつでも大歓迎だから」と、真剣な眼差しを七音に向ける。
「…… あ、はい」と返事をしたはいいが、七音には選択肢のもう一つの答えは全く分からないままだった。
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