愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第一章 (雨宮七音・談)】

【第三話】実感

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 木造アパートの階段を降りて、小さなレンガの敷き詰められた街道を歩く。大きめの通りはまるでヨーロッパに古くからあるような雰囲気が広がっているが、狭い路地を奥の方に入って行くと和風の家屋も多く並んでいて、何だかもう世界観がめちゃくちゃだ。一体どういった選択の繰り返しでこんな並行世界に仕上がったのだと責任者に問い詰めたいレベルで街並みが和洋のごった煮になっている。だが、基本的には私の暮らしていた世界と地理的な面では大差が無いみたいなのが救いだ。地名は町の名称や区割りなども不思議とほぼほぼ同じだった。
 神社、寺、教会といった所謂神聖な場所といった類の建物も似通った場所にあったので、パワースポットはどこも変わらないのかもしれない。
 スーパーやコンビニといった便利な複合店舗はひとまず見当たらなかったが、昔祖母から『あの辺には昔、商店街があってね——』と聞かされた事のある方角へ行ってみると、八百屋や精肉店、服屋、防具店、古書店などといった店がずらりと並ぶ商店街に行き着く事が出来た。

 うん。やっぱり此処は“並行世界”だ、間違い無い。

 そういえば、実家のあった場所も元々は古いアパートが建っていた土地を破格の値段で買い取って解体し、家を建てたと父が話していた事も思い出した。多分私が目覚めたあのアパートが、それに該当する建物なのだろう。となると、こちらの世界の“私”の両親は、あの場所に家を建てるという選択をしなかったのか。
 あちこちに建っている建物のデザインは当然異なるが、公園や学校、交番や小さな工場といった施設も元の世界と似たような場所に点在している。見上げた空には飛行機や飛空艇も飛んでいないし、軌道エレベーターも存在しない世界だが、それでも此処は、全然違うようでいて、やっぱり基軸は同じ世界なのだなと改めて痛感した。


「あらぁ、獣人さんだなんて珍しいわね」
 年配の女性の声が不意に聞こえ、そちらの方へ顔を向けた。
 まだ早い時間なせいかこの辺りを歩いているのは自分しか居ないし、多分私の事を指して発した言葉だろう。
「どう?ちょっとウチの店に寄って行かない?焼きたてのパンがあるんだけど、朝食にどうかしら」
 小さくカットしたフランスパンを差し出しながら、小柄で人の良さそうな店員さんがニコニコと笑っている。私が空腹である事を見抜いての誘惑だろうか。美味しそうな匂いに刺激され、私の足が勝手にふらふらとパン屋の方へ向かってしまう。
「さぁどうぞ。ちょっと食べてみて、ウチのパンはどれも美味しいわよ」
 うふふっと笑いながら差し出されたパンを素直に受け取り、「ありがとうございます」と礼を言って早速一口食べてみた。

「…… 美味しいっ」

 空きっ腹を満たすにはこれぽっちも足りない量ではあるが、美味しさが身に染みてちょっと瞳が潤んでしまう。こんなに美味しいパンは今まで食べた事が無いとまで感じる。実際本当に美味しいパンなのだろうが、空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。
 安い野菜などの食材でも買って日持ちする料理でも作り、それでしばらくの間は細々と食い繋いでいこうと思っていたが、少しくらいはパンも買っておこうか。そのくらいの小さな贅沢は、ほぼ知らない世界へ来てしまった自分への慰めとしても必要だろう。そう思った私はあっさりと誘惑に負け、店内を見て回る事にした。
「あらぁ、気に入ってもらえて嬉しいわぁ」
 おばさんの優しい笑顔に対して微笑みだけを返し、店の上にずらりと並ぶパンを物色する。店の奥では忙しなくパンを焼く様子がチラリと見え、どれもこれもが美味しそうな匂いを漂わせていた。メロンパン、食パン、ツナマヨネーズを乗せて焼いた物やレーズンパンなどがあって、知っている食べ物に対し安堵を感じる。食材がゲテモノばかりの世界に来たわけじゃない事が堪らなく嬉しい。空腹なのに見た目が気持ち悪くて食べられないだとかが無くて、本当に良かった。

「貴女も昨日の現象を見て、慌ててこの町に来たのかい?」

 …… 昨日の現象?もしかして私の飛ばした蝶々の姿をした諜報員達の事だろうか。『知らない』と嘘を言うよりは、ここはひとまず話を合わせたほうが賢明だろう。
「えぇ、そうです」
 軽く頷き、トレーにフランスパンを一本乗せてレジ前に立つ店員の元に持って行く。昨日の行動は、自身に何が起きたのかわからず焦っていたとはいえ、軽率だったなと後悔した。

「じゃあ、貴女も“ヨミガエリ”を探すのねぇ」

 な、何それ?と思うが言えるはずがなく、「まぁ、そうなりますね」と冷静を装いながら無難に答えた。
「やっぱりそうなのねぇ…… 」
 紙袋にパンを詰め、そう呟く声はちょっと暗い。“ヨミガエリ”とは、そんなに気分を害するものなのだろうか。
「あ、あの」
「ん?何だい?」
 “ヨミガエリ”とは何ですか?と訊きたいのが本心なのだが、この流れでその質問はあまりにも不自然だ。なので私はもっと切実な悩みを、この人に訊いてみる事にした。

「この辺で仕事を探しているんですが、どこか募集している場所を知りませんか?」
 
「仕事、ねぇ…… 。獣人さんだし、貴女ほどの綺麗な子なら、アカデミーからもらっているんじゃないの?」
 そう言って首を傾げる店員さんに対し、言い訳じみた言葉を続ける。
「そうなんですけど、昨夜の現象を見て慌てて此処まで移動して来たせいで、手持ちのお金がほとんど消えてしまって。なので、次までの繋ぎに何か仕事がないかな、と…… 」

 “アカデミー”って、何⁉︎
 しかも、見た目の綺麗さと仕事に、何の関係があるのだろうか。

 “ヨミガエリ”に引き続き、またもや知らぬ言葉が出てきてしまった。だがこれらはきっと常識の範囲なのだろうから、適当に話を合わせるしかないのが辛い。
「そうなの。あ、もしかしたら、この近くにある魔装具店で、まだ人を募集しているかもしれないわ。この間会った時も『まだ決まっていない』とぼやいてもいたから、もしかしたら今も募集したままかもしれないわよ?」

 長々と決まっていないのか。もしかして条件が厳しいのかな?もしそうなら、私などでは到底無理なんじゃ。

 困り顔のまま黙っていると、「もし詳細が募集している条件に合わなかったとしても、きっと貴女なら大丈夫よぉ」と言って、おばさんに肩をぽんぽんと叩かれる。
「だって、こんなに愛らしい子なんですもの。年頃の男が、困っている美人を見捨てるはずがないでしょう?」

 自分でも今の姿は綺麗だなとは思うが、そんな理由で雇われるのは、それはそれでなんか嫌だなぁ…… 。
 だが現状では贅沢も言えないので、話くらいには聞きに行ってみようか。

「そうだわ!丁度配達の依頼もされていたし、お金が足りなくて困っているんだったら、一回だけウチでもアルバイトしてみないかい?」
「アルバイト、ですか?」と言って小首を傾げる。
「このパンのお代はタダでいいわよ。ついでに他にもいくつかサービスしてあげるから、カストルさんの魔装具店にパンを届けてもらえないかしら」
「やります」
 極度の空腹で、そのうえ金欠状態にある私は、真顔のまま当然の様にそう即答したのだった。
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