「僕が闇堕ちしたのは、君せいだよ」と言われても

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
8 / 41
【第1章】

【第7話】正体(弓ノ持棗・談)

しおりを挟む
 優しい風が頬を撫で、草木の匂いが鼻腔をくすぐった。そんな微々たる刺激を受けて、まだ少し朦朧とする意識のまま、ゆっくり瞼を開ける。すると目の前には綺麗な夕焼け空が広がった。

(…… 一階層目に戻って来た、のか?)

 虚な瞳のままそんな事を考えていると、「——おはよう、僕のお嫁さん」と言いながら、ボクの視界に突如、見覚えしかない男の顔が割り込んできた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
 周辺一体に響き渡りそうな程の大声をあげ、少しでも男から離れようと反射的に体を動かす。だがすぐに肩を掴まれ、元の位置に引き戻されてしまった。
「もう少し休んでいた方が良いよ。まだちょっと体が怠いだろう?」
 子供をあやすみたいにぽんぽんっと胸元を軽く叩かれる。どうやらもうスライムでの拘束はされていないが、それでも、あんなデカイ敵の首を難無く切断したと推察出来るこの男が相手では抵抗しても無駄そうだ。
 視線だけ彷徨わせて状況を確認すると、どうやらボクは今、この正体不明の男の膝枕で休んでいる状態にあるみたいだ。周囲の景色的にダンジョン『黄昏』の一階層目に戻って来ているっぽい。近くに敵のいない安全な地点の様だ。
「…… あのぉ」
「んー?」
 察するに一切ボクに対して敵意の無さそうな男に声を掛けると、同性だっていうのにドキッとさせられる程に穏やかな笑みが返ってきた。
「ボクは、その…… 死んだんですか?」
 通常の戦闘で死亡した時とは違い、『“下層転移”でラスボスに殺された場合にのみ一階層目に追い返される』と貰った冊子には書いてあった。あ、あんな目に遭ったせいで気を失ってしまったボクの場合はどれに該当したのかは不明だが、此処が一階層目である事を考えると、あのまま死んで強制的に此処へ戻されたのだとしか思えない。

「君が死んじゃうとか、あるはずが無いじゃないか。棗には、夫である僕が居るのに」

 自身の胸に軽く手を当てて男が優しく微笑む。前髪に一部黒いメッシュの入った銀色の髪に夕陽が当たり、八つもある黒い翼を大きく広げていようが妙に神々しかった。だけど——

(この男はどうして、ボクの名前を?)

 いくら記憶を遡っても名乗った覚えが無い。あの状況下ではそんな余裕は一切無かった。『なのに何故知っているんだ?』と疑問で頭の中が一杯になる。まるで前々からボクを知っているみたいに話し、初対面の男に『お嫁さん』扱いされている意味も、こうやって硬い膝を枕にして休んでいる理由もわからない。
「じゃあ、どうしてボクらは今此処に?」

「そりゃぁ、青姦もしたいなぁと思って」

「——は⁉︎」
 過去一低い声が出てしまった。だが男は悪びれる様子も無く、「やだなぁ、ちょっとだけ冗談だよ」と笑顔を返してくる。

(『ちょっとだけ冗談』って事は、ほぼ本気でヤル気だって事じゃないか)

 その為に今こうして休んでいるのかと思うと全身に悪寒が走り、ボクは慌てて体を起こした。
「もう充分休みました!お世話になりました、失礼します!」
 コイツが誰で、我が身に何が起きたといった一連の詳細などといった全ての流れが一瞬にしてどうでもよくなる。とにかく早くこの男から離れたい。その一心で地上に出る為階段の方に歩き始めたが、今回はさっきみたいに『休め』と止められたりはしなかった。

 一切合切の荷物は無くなったままだし、何も倒せていないから経験値も手に入れていない。このダンジョンの大雑把な雰囲気や敵の強さ所か、ボク一人でも太刀打ち出来るのかといった事の全てが不明なままというかなり手痛い初体験となってはしまったが、死ななかっただけでも喜んでおこうと自分に言い聞かせながら長い階段をずんずんと登って行く。一度も振り返らぬまま登り切ると、外はもうすっかり日が沈んで夜になっていた。
 両腕を高く振り上げ、「戻って来られたー!」と安堵を込めて声をあげる。すると突如背後から、「お疲れ様でした」と、既にもう聞き慣れてしまいそうになっている男の声が。反射的に振り返ると、男の真っ赤な瞳と目が合った。「うわぁぁぁぁぁぁ!」とお決まりの悲鳴をあげ、慌てて後ずさったせいで足元のバランスを崩して体が地面に向かって倒れそうになっていく。だが即座に男がボクの腰に腕を回し、転倒を防いでくれた。
「大丈夫かい?」
 ダンスのフィナーレでも飾るみたいなポーズのまま訊かれ、「…… あ、はい。ありがとうございます」と返す。そしてきちんと体勢を立て直して男をちらりと見上げた。

(な…… 何で、ダンジョンの外にこの男が?)

 あの翼と力量だ。どう考えたってこの男は人間じゃない。今はどうしてか翼が消えてはいるが、ダンジョン内で見たあの姿が人間な訳がないからだ。…… それとも、ああいった容姿に変身できる装備でもあるんだろうか?——あぁもう!疑問だらけでこの未消化感が不快でならない。
「もう遅いし、宿の方へ行こうか」
 男がボクの手を取り、指を絡めて、当然の様な顔で言う。だが同意に至る理由がボクには無いので返答に困った。

(もし断ったら、ボクも頭部を切断されるんだろうか…… )

 そう思うと途端に背筋が凍り、口元がガタガタと小刻みに震え始めた。ダンジョン内でならある程度までは生き返れるとしても、外だとそうはいかないのに。
「寒いのかい?僕が温めてあげようか」
 絡んだ手を解き、何でか男がボクを横向きにして抱き上げる。所謂『お姫様抱っこ』という状態になった。『何故に⁉︎』と思いながら男の顔を見ると、彼は優しい瞳でボクをじっと見て、笑みを浮かべていた。尽きる事の無さそうな程の慈愛に満ちた目だ。どうしてこの男はボクにこんな目を向けてくるんだろうか?
「あの…… 一つ、訊いてもいいですか?」
「ん?」

「…… 貴方は、誰なんですか?」

「知りたい?」
「もちろんです。助けて貰ったみたいなんで感謝はしてるんですけど、その…… 以前お会いした事があったりは、しない、ですよね?」
 そもそもボクを“下層転移”しやがったのは彼みたいなのだが、同時に、最下層の敵を排除してくれたのだったから感謝を伝えた。
「こんな世界になったけど、守護対象から自認してもらえないと人間は僕らを目視は出来ないから、棗は僕を知らなくても当然さ。僕はね、十八年間、三百六十五日、二十四時間、八万六千四百秒間ほぼ余す事なく、怪異達の強固なテリトリーで守られているトイレ以外は、年中無休で常に君の傍にずっと居たんだよ」

(…… え?それって、ス、ストーカーってやつか?)

 恍惚とした目で言われ、初めてボクは“トイレの花子さん”といった怪異達に感謝した。粘着質なストーカーが如く、この男にじっと間近で見られ続けている様子を想像してしまったが、トイレだけは守ってくれていたのかと。

「僕の名前はメラン。棗の守護天使だよ」

「守護…… ?」
 彼の言葉を聞き、亡くなった祖母の話を思い出した。祖母の生まれた村ではボクの様に『菫色の瞳を持つ者には特別な守護天使が守ってくれる様になる』というやつだ。孫を喜ばせるお伽話程度のものだと考えていたのだが、まさか本当だったのか?
「僕クラスの天使は本来、人間の守護者になる事なんか有り得ないんだけどね」と言いながら、『メラン』と名乗った男がボクを抱き上げた状態のまま歩き始める。
「棗の瞳は、今までに無い程の純度を持っていてね。下級の守護天使ではまともな精神のまま守りきれないと判断して僕が引き受けたんだけど…… 」
 メランがぴたりと立ち止まったと同時に今まで雲に隠れていた満月が空に現れた。そんな月を背にし、メランが八翼もある真っ黒な翼を出現させて大きく広げ、いく枚もの羽根が周囲に飛び散る。宝石みたいな真っ赤な瞳をこちらに向けると彼は、美しいラインの口元に弧を描き、真っ白な頬を赤く染めながらニタリと笑った。

「結局は君のその瞳のせいで、僕ですらも抗えずに闇堕ちしちゃったから、棗はその責任を取って僕のお嫁さんになるんだよ」

 また出てきた『嫁』ワードに対して『——は?』と反射的に返そうとした言葉は、メランの口の中に溶けて消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

処理中です...