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【プロローグ】
全ては此処から——(賀村巴・談)
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あの日は雲一つない澄んだ青空がとても綺麗で、少し暑かった。だけど他よりも気温の低い森の中に行くには丁度良い気温だとも言える。久しぶりだからと小さな花束を持ち、一人用のレジャーシートとお茶の入った水筒を鞄に詰めて私は家を出た。
『ちょっと行ってきまーす』
家の中に居る誰にともなくそう告げる。今では八人家族だ、誰かしらが聞いているだろう。
十八歳の頃に就職を機に実家を出て、今年で私は二十九歳になった。昨日の夜中、初めて帰省したのだが、実家の周辺は相変わらず畑ばかりで他の住宅は増えていない。此処だけ時が止まったみたいな、それがむしろ嬉しくなるくらいにど田舎のままだ。
慣れた道のりを一人歩く。目指す先は近傍の森の中。そこには昔っから苔むした大きな岩があり、その岩を侵食するみたいに木が生えている神秘的な場所だ。荘厳な雰囲気すらあるその場所には小さな祠があって、それは祖父母達が引っ越して来てすぐに『此処には土地神様が居るから』と建てた物である。私のお気に入りの場所だ。
森に入ってすぐくらいから鳥達の忙しない鳴き声が聴こえ始めた。この森は昔から鳥の生息数がどうやら他よりも多いみたいだ。そんな鳥達の多さも相変わらずで、懐かしさのせいかちょっと口元が緩んでしまう。
家を出て十分程歩いた頃、無事に祠まで到着した。失礼ながらも祠のすぐ側にレジャーシートを敷いてそこに鞄を置いて早速祠に花を添える。平年劣化による古さはどうしょうもないが、祖父母達がちゃんと掃除しているのか此処はいつも通り綺麗だった。
野鳥に見守られる中、シートに腰掛けて昔みたいに祠に寄り掛かる。この地点は昔っから私の定位置なのだ。
(…… ばあちゃんに見られたら怒られるんだろうなぁ)
そんな事を思いつつも止められないのは、慣れのせいかもしれない。
森の中にぽっかり開いた狭い空間から空を見上げる。変わらず綺麗な青空で、一人勝手に歓迎でもされている様な気分になった。野鳥達も声も心地良くて音楽みたいに聞こえてくる。忙しない街の中ではなかなか味わえない幸せな時間だ。
しばらくしてから、ぽつぽつと近況を口にし始める。十八歳で入った職場で今も仕事を頑張っている事、少し前にあった面倒毎の愚痴や、その時お世話になった先輩の話など。此処には一人きりなので誰からも返事は無いけど、それでも。自分の中にある色々な感情を整理する為みたいに、ゆっくり言葉にしていった。
「——ふぅ」
一通り口に出してそっと息を吐く。無自覚のまま溜め込んでいた気持ちを吐き出したからか、おかげで少しスッキリした気がする。
(もうそろそろ帰ろうかな)
十一年ぶりに帰省しておきながら一人でばかり行動するのもちょっと変だ。そう考えて早速片付けを始めた。出していた物を鞄に戻し、シートを畳みながら何の気無しにぽつりとまた、一言こぼす。
「次に来るのは、結婚でもした時かなぁ」
そうは言っても相手も居ないし、いつになるのやらって感じだ。弟が結婚しているからか両親も祖父母も『結婚しないの?』と急かしてこないので私自身は焦っている訳でもない。だけど年齢的にはそろそろかなとは考えてしまう。
(いい人が居ればって待っていても機会は訪れないし、自分から動いてみないとなぁ)
そんな事を考えながら顔を上げると、祠にさっきまでは無かったはずの物が置いてあった。真っ白で、少し大きな鳥の羽根だ。
「…… んん?さっきまでは、無かったよね?」
祠にお花を置いた時には確かに無かった。なのに今は花束が消え、白い羽根だけがぽつんと置いてある。強い風が吹いたりもしていない。誰かが来たりもしていない。
(何が起きたんだろ?)
そうは思うが怖くはないのはきっと、この場所の雰囲気のおかげだろう。
「…… 綺麗な羽根」
見ているだけで不思議と口元が緩む。
だけどこの辺では見た事の無いサイズ感の羽根だ。何処かから飛んできたにしては、随分と大きな気がする。
どうしても気になってそれを手に取ってみた。段々と、そうするべきだと何故か思ってしまったから。——すると急に祠の小さな木製の扉が開き、巨大な“黒”が音も無く湧き出してきた。影絵の手みたいにぶわっとソレは広がり、そして私の全身を一瞬で包み込んだ。掴まれた、とも言えるかもしれない。驚き過ぎて声も出ず、そのままずるりと体が何処かへ引っ張られる。
(——っ⁉︎)
何もわからないまま全てが闇に包まれた。体を包んでいた巨大な手が、今度はゆるりと常識の範囲内の物に変わっていき、無遠慮に服ごと肌を撫で始める。そして…… 突如聞こえてくる酷く掠れた低い声。
『——ダメだ。許さない、行かせはしない。だが巴は…… もうコレで、儂の嫁じゃ』
胸の形が変わる程に強く掴まれ、そして着ていた服や靴下を裂きながら脱がされていく。だけどその全ては真っ暗なせいで何も見えぬままでだ。心臓がバクバクとその鼓動を早め、私の瞳からボロボロと涙が零れ落ちたたが、声は口元が塞がれているせいで一切出せない。
怖い…… 。
何が起きているの?
——誰か、誰か助けて!
必死にそう思っても誰にも届かない。足掻いても、いくらもがいても何もかもが無駄で、身体中を羽根みたいに柔い質感のある手が這い回る。
◇
——外の世界がいつしか夜になっていく。
帰省した姉が朝から見つからず、いくら探しても何処にも見当たらず、『もしかすると』と森の中にある祠の前まで、弟のお嫁さんになってくれた義妹が探しに来てくれた。すぐ祠の前に落ちていた鞄に気が付く。そしてそれを震える手で拾い上げ、勘のいい彼女は徐々に『義姉はもう、戻らないかもしれない』と思い始めた。その瞬間、膝から崩れ落ち、声にならぬ声をあげたそうだが…… その声が私の元まで届く事は無かった。
『ちょっと行ってきまーす』
家の中に居る誰にともなくそう告げる。今では八人家族だ、誰かしらが聞いているだろう。
十八歳の頃に就職を機に実家を出て、今年で私は二十九歳になった。昨日の夜中、初めて帰省したのだが、実家の周辺は相変わらず畑ばかりで他の住宅は増えていない。此処だけ時が止まったみたいな、それがむしろ嬉しくなるくらいにど田舎のままだ。
慣れた道のりを一人歩く。目指す先は近傍の森の中。そこには昔っから苔むした大きな岩があり、その岩を侵食するみたいに木が生えている神秘的な場所だ。荘厳な雰囲気すらあるその場所には小さな祠があって、それは祖父母達が引っ越して来てすぐに『此処には土地神様が居るから』と建てた物である。私のお気に入りの場所だ。
森に入ってすぐくらいから鳥達の忙しない鳴き声が聴こえ始めた。この森は昔から鳥の生息数がどうやら他よりも多いみたいだ。そんな鳥達の多さも相変わらずで、懐かしさのせいかちょっと口元が緩んでしまう。
家を出て十分程歩いた頃、無事に祠まで到着した。失礼ながらも祠のすぐ側にレジャーシートを敷いてそこに鞄を置いて早速祠に花を添える。平年劣化による古さはどうしょうもないが、祖父母達がちゃんと掃除しているのか此処はいつも通り綺麗だった。
野鳥に見守られる中、シートに腰掛けて昔みたいに祠に寄り掛かる。この地点は昔っから私の定位置なのだ。
(…… ばあちゃんに見られたら怒られるんだろうなぁ)
そんな事を思いつつも止められないのは、慣れのせいかもしれない。
森の中にぽっかり開いた狭い空間から空を見上げる。変わらず綺麗な青空で、一人勝手に歓迎でもされている様な気分になった。野鳥達も声も心地良くて音楽みたいに聞こえてくる。忙しない街の中ではなかなか味わえない幸せな時間だ。
しばらくしてから、ぽつぽつと近況を口にし始める。十八歳で入った職場で今も仕事を頑張っている事、少し前にあった面倒毎の愚痴や、その時お世話になった先輩の話など。此処には一人きりなので誰からも返事は無いけど、それでも。自分の中にある色々な感情を整理する為みたいに、ゆっくり言葉にしていった。
「——ふぅ」
一通り口に出してそっと息を吐く。無自覚のまま溜め込んでいた気持ちを吐き出したからか、おかげで少しスッキリした気がする。
(もうそろそろ帰ろうかな)
十一年ぶりに帰省しておきながら一人でばかり行動するのもちょっと変だ。そう考えて早速片付けを始めた。出していた物を鞄に戻し、シートを畳みながら何の気無しにぽつりとまた、一言こぼす。
「次に来るのは、結婚でもした時かなぁ」
そうは言っても相手も居ないし、いつになるのやらって感じだ。弟が結婚しているからか両親も祖父母も『結婚しないの?』と急かしてこないので私自身は焦っている訳でもない。だけど年齢的にはそろそろかなとは考えてしまう。
(いい人が居ればって待っていても機会は訪れないし、自分から動いてみないとなぁ)
そんな事を考えながら顔を上げると、祠にさっきまでは無かったはずの物が置いてあった。真っ白で、少し大きな鳥の羽根だ。
「…… んん?さっきまでは、無かったよね?」
祠にお花を置いた時には確かに無かった。なのに今は花束が消え、白い羽根だけがぽつんと置いてある。強い風が吹いたりもしていない。誰かが来たりもしていない。
(何が起きたんだろ?)
そうは思うが怖くはないのはきっと、この場所の雰囲気のおかげだろう。
「…… 綺麗な羽根」
見ているだけで不思議と口元が緩む。
だけどこの辺では見た事の無いサイズ感の羽根だ。何処かから飛んできたにしては、随分と大きな気がする。
どうしても気になってそれを手に取ってみた。段々と、そうするべきだと何故か思ってしまったから。——すると急に祠の小さな木製の扉が開き、巨大な“黒”が音も無く湧き出してきた。影絵の手みたいにぶわっとソレは広がり、そして私の全身を一瞬で包み込んだ。掴まれた、とも言えるかもしれない。驚き過ぎて声も出ず、そのままずるりと体が何処かへ引っ張られる。
(——っ⁉︎)
何もわからないまま全てが闇に包まれた。体を包んでいた巨大な手が、今度はゆるりと常識の範囲内の物に変わっていき、無遠慮に服ごと肌を撫で始める。そして…… 突如聞こえてくる酷く掠れた低い声。
『——ダメだ。許さない、行かせはしない。だが巴は…… もうコレで、儂の嫁じゃ』
胸の形が変わる程に強く掴まれ、そして着ていた服や靴下を裂きながら脱がされていく。だけどその全ては真っ暗なせいで何も見えぬままでだ。心臓がバクバクとその鼓動を早め、私の瞳からボロボロと涙が零れ落ちたたが、声は口元が塞がれているせいで一切出せない。
怖い…… 。
何が起きているの?
——誰か、誰か助けて!
必死にそう思っても誰にも届かない。足掻いても、いくらもがいても何もかもが無駄で、身体中を羽根みたいに柔い質感のある手が這い回る。
◇
——外の世界がいつしか夜になっていく。
帰省した姉が朝から見つからず、いくら探しても何処にも見当たらず、『もしかすると』と森の中にある祠の前まで、弟のお嫁さんになってくれた義妹が探しに来てくれた。すぐ祠の前に落ちていた鞄に気が付く。そしてそれを震える手で拾い上げ、勘のいい彼女は徐々に『義姉はもう、戻らないかもしれない』と思い始めた。その瞬間、膝から崩れ落ち、声にならぬ声をあげたそうだが…… その声が私の元まで届く事は無かった。
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