近くて遠い二人の関係

月咲やまな

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最終章

好転する関係③(綾瀬・談)

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 バシャンッと音を立て、私達の足元に飲みかけの珈琲が入っていたカップが転がった。幸いにして濡れたのは地面と靴の先だけで、足や服にまでは跳ねていない。
「大丈夫⁉︎」
 慌ててしゃがみ、お互いの足元を確認する。
「あ…… や、大丈夫だけど…… 大丈夫じゃない…… 」
 前髪ごと額に手を当て、烏丸がフラッと体を揺らした。相当ショックを受けたみたいな姿を前にすると胸の奥が苦しくなる。彼が長年幼馴染相手にですら秘密にしていた事だったのに、とうとう私が知っていると口にしてしまったせいだろう。
「ごめ…… ん、なさい」
 転がっていたカップを拾って立ち上がり、俯きながら謝った。
 言いたくなかった、本当は。だけど、どんなに言外に匂わせてもわかってくれなくって焦れてしまったのだ。親友ならそれでも黙っているべきだったのに、本当に私は馬鹿だ。

「何もわかっていないくせに謝らないくれ。だけど…… 何だってそんな…… 」

 そう言われた言葉がナイフみたいに突き刺さって心を酷く傷付ける。一番事実を痛感しているのは自分だという自負があるから、余計にそう思われるのがキツイ。こちとら世間一般で言われる、好きな人と結婚して子供を育てて老後を迎えるっていうテンプレ的“幸せな人生”を早々に諦めたくらい、きっちり理解してるってんだ。

 額を押さえたまま、烏丸が首を横に振る。上手い事隠し通していた自信があったのだろうから無理も無い。私だって、中学時代からの友人に言われなかったら一生気が付かないままだったろうなとくらいに、彼のカモフラージュは一貫して完璧だったもの。
「…… 綾瀬の中で俺はずっと、同性愛者だったのか?」

 “中で”
 …… “だった”?

 変な言い回しに今度は私が首を傾げると、烏丸は顔から手を離し、「どうなんだ?」と髪の隙間からこちらに鋭い視線を送りながら訊いてきた。
「う、うん。隠してたんだろうけど…… ごめん」
「嘘だろ?…… 信じられるか、んな話し…… 」
 盛大な溜息をつき、烏丸が項垂れる。今度はサラサラな髪を突如強く掻きむしったかと思ったら、「…… いつから?」と不満そうな声で問われた。
「中学の…… 三年。バレンタイン時期ぐらいから、かな」
 まさに当日の出来事だったのだが、それは濁す。あの日の事は今でも思い出すと胸が痛むからだ。
「だからあの年だけは、綾瀬からチョコレートを貰えなかったのか…… くそっ」と吐き捨てて、烏丸が軽自動車の屋根をガンッと叩いた。
 あげなかったのは確かだが、まさかそれを烏丸が覚えているとは。意外だ、別に催促もされなかったから気にもしてないものだと思っていたのに。

「なぁ、一度でも…… そんな話したか?俺は。してないよなぁ?」
「しては、いない…… ね」

 話していた友人達も、烏丸の態度や行動からの判断だろうし。
「確かに、俺は同性愛だなんだに偏見は無い。ボーイズラブだって百合モノだって面白けりゃ読む。だけど俺は、完全にどノーマルだぞ⁉︎それとも、BLを読む奴はみんなホモなのか?違うよなぁ?」
 まぁ確かに。巷でじわじわと増えつつある腐男子達は読み物としてBLを楽しんでいる層であるパターンが多いだろう。『だけど君の場合は違うよね?』と思ってしまい、どう言葉を返すべきか迷ってしまう。下手な事を言って、誤魔化そうとしているものを否定したくはない。

「真っ平らよりは断然女性の、女・性・の!巨乳の方が好きだし、自分とおんなじモンを股間にぶら下げてる奴に興奮なんかするタイプじゃないぞ⁉︎」

 心外だ!と言わんばかりに烏丸が声を荒げる。その姿があまりに真剣で段々何が真実なのかわからなくなってきた。
「や、別に『いやいや。実は雄っぱいが好きなんでしょ』とまでは言わないけど…… 」
「遠回しに言ってんだよ、お前は!あんま巫山戯た事言ってると、このままここで体にわからせんぞ!」
「——はい⁉︎」

 え?今から此処で、烏丸に野外お仕置きされるの?

 んな妄想している場合じゃないってわかっているのに、ついつい言葉の威力に押されて顔がニヤける。『声、抑えとけよ?他の奴に聞かせたら…… どうなるか想像出来るよな?』とか『外で口ん中に突っ込まれるって、どんな気分だ?下にも欲しくって堪んないって顔して…… エロッ』などと、鬼畜顔で言う烏丸を容易く想像出来てしまい、私は慌てて両手で顔を隠した。ナニもかも知ってしまっているせいで、妄想が爆走して制御が効かない。

「…… ふーん。綾瀬は本当にそうされたいんだ?俺の隅々まで知ってると、色々想像しちゃうのか?」

 急に耳元で囁かれ、ゾクッと体が震えてしまった。これじゃ首肯してるのと同じじゃないか。
「ちが…… 」と出した声は、「違わない、よな?」と意地の悪い声色で打ち消される。耳の輪郭や耳朶を指先でそっと撫でられ、呼吸が苦しくなってきた。
 自分の雑な呼吸音が興奮度を示しているみたいで恥ずかしい。だけど顔を見られるのはもっと嫌で困っていると、烏丸は優しい手つきで腰のラインに手を這わせ、「ここまでしてくる男に向かって、まだお前は『同性愛者だ』なんてバカみたいな勘違いを押し付ける気なのか?」と訊かれた。

 …… 勘、違い?

「で、でも…… だって…… 」
「違うって言っている俺すらも納得させられる根拠でもあるのか?女性である綾瀬を…… あの日、散々ベッドで鳴かせたってのにか?」

 狡い。さっきからずっと耳元でイケボを響かせるとか、こんな状態で反論なんか出来るはずがないじゃないか。
 下手に口を開けば変な声まで出かねないくらいに怪しい触り方までされ続け、耐えられずに烏丸から距離と取ろうと一歩下がろうとした。だが即座に腰を抱かれてしまい、距離が一層近くなる。ちょっと離れた所には他の車だって停まっているっていうのに彼の行動が大胆過ぎて頭ん中の処理が追いつかない。

 昼間だし、外だし、人目だって。
 でも、勘違いって…… え?

 今すぐに考えなきゃいけない事が二つもあるのに彼からするいい香りにも邪魔されて、瞬時に思考停止してしまいそうだ。
「——と、そろそろ時間だな。行こうか」
 腰を抱かれたまま、軽自動車の助手席側に誘導される。
 されるがままゆっくり歩きつつ、顔から手をそろりと離す。それと同時に『ま、まさかこの後ホテルとか⁉︎』何て勝手な妄想が頭を過ぎったが、そんな私の頭の中を見透かしたみたいに烏丸はニヤッと笑い、「まずは、式場の見学に行かないとな」と言われ、茹蛸みたいに顔が真っ赤に染まった。私は赤面症じゃないはずなんだが、顔が熱くってしょうがない。

 、って…… その後はホテルに行くって意味なの?

 ドッドッドと心臓が煩い。過剰に動き過ぎて今にも急停止しそうだ。
「…… そんなに期待に満ちた顔をするって事は、嫌じゃなんだな」
 車のドアを開け、助手席へ座るように促しながら、額に額をコツンと軽く重ねてくる。安堵の混じる声で言われると、長年抱えてきた烏丸は同性愛者だって秘密が、本当にただの勘違いの様な気がしてきた。
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