近くて遠い二人の関係

月咲やまな

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二人での旅行

老舗旅館③(綾瀬・談)

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 靴を靴箱に預け、老舗旅館の質素ながらも優美さのある廊下を奥へ奥へと進んで行く烏丸の後ろに続いて歩きながら、心の中では『やっちまったぁぁぁぁ!』と私は叫びっぱなしだ。
 やった、やっちまった、何で私は、私は——

 あんな、エンゲージリングを贈るみたいな事をやっちまったんだ!

 祖母様、曽祖母様のお二方に、実際には多大なる勘違いでしかないながらも避けれそうにはない流れで紹介して頂き、しかもお手製の縁結びの指輪まで頂いてしまった。『返していい』なんて烏丸には言われたが、絶対絶対ぜーったいに!返してなるものかと、その場の勢いで彼の薬指に指輪を嵌めさせてしまった。辛うじて右手を取るだけの理性が残っていた事だけが唯一の救いだ。だが…… 右手であろうが薬指って、確か『恋人がいる』って意味だったような。烏丸には彼氏がいるから間違いではないが、私にはいませんよ?なーのーに、自分も薬指に嵌めちゃうとか馬鹿なの?死ぬの?我ながらコレは痛々し過ぎる。待って、そう言えば『心の安定』って意味もあったような…… 。

 そうよ!私のコレは心の安定の為なのよ!

 好きな人には恋人がいるわけで。そんな私は心を常に落ち着けておかねばならない。その為にリラックス効果を得る為に右手の薬指に指輪を嵌めているのであって、決して『烏丸とお揃いね(はーと)』とか『私達は付き合ってます(てへっ)』といった、後々悲しくなってくる様な願望は一ミリもありませんのよ!


「——着いたぞ、此処だ」
 烏丸の声でハッと我に返った。
 いつの間にか目的の部屋の前まで来ていたみたいだ。鍵を鞄から取り出し、烏丸が部屋の引き戸を開く。まずは踏込で互いのスリッパを脱ぎ、前室を通って主室に入る。その途端、私は「…… わぁ」と小さくこぼして感嘆の息をついた。

「広いねー。修学旅行で泊まった部屋の二倍はありそ!」

 踏込にキャスター付きの鞄を残したままにし、烏丸よりも先に中へ進む。小さなテーブルと二脚の上質な椅子が置かれた広縁の奥に広がる非日常感を前にして、私は息を呑んだ。
 眼前の本格的な日本庭園はよく手入れされており、松や紅葉、楓や桜といった定番の木々の他にも、赤い彼岸花が此処にもずらりと植えられている。庭の中央を陣取る大きな池には錦鯉が優雅に泳ぎ、優しい日の光を浴びて宝石みたいに輝きを放っていた。旅館の周囲をぐるりと囲っている白い塀の奥に見える青々とした山並みの他にも遠くには海が一望でき、多種多様の色が織りなすコントラストが最高だ。他の建物が一切視界に入ってこないおかげもあって、まるで和風の異世界か、もしくは過去にタイムトラベルでもしたみたいな気分になってきた。

「キレーイ!」

 弾む声でそう言いながら大きな窓を開ける。胸いっぱいに空気を吸い込むと、ちょっとだけ磯の香りがした。都会では味わえない新鮮な空気があまりにも美味しくって、私はつい「うっま!」と変な声で言ってしまった。
「随分と此処が気に入ったみたいだな」
 あははと笑った後、烏丸が嬉しそうにそう言って私の隣に並んだ。荷物はもう室内に運び入れてくれたみたいで、部屋の隅っこの方にきっちり並んで置いてある。

「こんな素敵な部屋、初めて泊まるよ」

 修学旅行以外では、旅行なんて家族と行く日帰りドライブばかりだったから嬉しくってしょうがない。親戚一同同じ地域内に住んでいるせいで両親の実家に帰省なんて一大イベントとも無縁だったせいもあるだろうが、何よりも烏丸との旅行という事実のせいでテンションは最高潮だ。
「まぁ、大体の奴はそうだろうな」
 セレブな俺はこんなん慣れてますけどね、とでも言いたいのか?と、ちょっとだけ思ったが、今はとっても気分がいいのでその言葉は受け流してやる事にした。
 
「ねぇ。部屋ん中、他も見てみてもいい?」
「——えっ。…… まぁ、うん」

 濁点でも付いていそうな『え』の声に対して首を傾げたが、「…… お好きにどうぞ」と追加で言ってもらえたので遠慮なく部屋の中を見させてもらう事に。
 お手洗いの位置確認をした後に見た洗面所にはハイスペックなヘアドライヤーと三面鏡や使い捨ての化粧品といった類の物があってとても便利そうでだった。その次に覗いた風呂場はあまりにも豪華過ぎて絶句する羽目に。部屋風呂なのに家族全員で入れそうなくらい大きな作りになっている檜風呂は温泉掛け流しだし、壁一面には窓があるから庭や夜景を見ながら温泉に入れる仕様だった。私の住んでるマンションよりも格段に立派とかずズルイわ、やっぱ私は此処に住むっ!と再度思ってしまうレベルだ。

 豪華さに驚きつつも主室に戻り、周辺を見渡す。棚、テレビ、床の間…… その全てに、今度は違和感を覚えた。
 暇潰し用かと思われる小説や漫画本が数冊程生花の隣に置いてあったり、備え付けの棚に飾られている高そうな置物の横には家族写真が数枚並んでいる。床の間に飾ってある掛け軸の水墨画は私が推してやまない教官が登場するハンティング系のゲームに登場するモンスターにしか見えない。
 主室並みの広さがある続き部屋には和室にもよく合うデザインの大きなベッドがあるのまでは納得出来たが、横長テーブルの上に並んだデュアルディスプレイとタワー型のハイスペックそうなパソコン、液晶ペンタブレット、高級ゲーミング座椅子はどう考えたってこの部屋には不似合いだ。純和風の部屋なのに壁には四十インチはありそうな画面サイズのテレビがある。その側には据え置き型のゲーム機各種が数台並び、色々な種類のコントローラーを雑多に入れた籐の籠まで置いてあった。それらに対して感じる妙な生活感。

 まさか此処はホテルの一室などを借りてリモートでお仕事をする人向けの部屋なんだろうか?

 一瞬そう考えたが、こんな高級そうな旅館の、しかもお高い値段設定をされている場合が多い離れの部屋を、そんな事の為に借りる人なんか流石にいないだろうと思い、アホな発想は即座に捨てた。
 どうしても感じてしまう生活感は気のせいかな?と思いつつ、和風にあしらわれたクローゼットを開く。冬なら宿泊客のコートを掛けたりする所だが、何故かもう既に何着も男性物の服がしまってあった。色々なサイズに対応した浴衣が収められているであろう引き出しを開けていくと、最上段にはダークトーンのズボンが。『え?何で?』と思いつつ下に下にと引き出しを開けていくと、顔を出すのは全て男性物の衣類だ。季節ごとの洋服、浴衣、着物や帯類だけでなく、靴下やTシャツまでもある。
 そして私が引き出しの最下層に手をかけた、その瞬間——

「待って、そこは下着だから流石に…… 」

 と烏丸に手首を掴まれ、止められてしまった。
 気恥ずかしそうに頬を染め、への字に閉じた口元を震わせている烏丸の姿は僥倖そのもので、そんな彼を見上げながら私は、「あ、はい…… 」と間の抜けた返事をしつつも心の中は過去最高の萌えに対して思考停止状態に陥ったのであった。
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