近くて遠い二人の関係

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
57 / 61
番外編

曽祖母の回顧録①(猫田綾子・談)

しおりを挟む
 今では“烏丸透”という可愛いひ孫のいる私だが、自分にだって子供時代があった。結婚し、子供が産まれ、夫とは肉体的な離別をした後などを振り返ってみても、自分は人よりちょっと多めに色々な経験を積んできた方だと思う。そんな私の昔話を少しだけ聞いてくれるとありがたい。過去の出来事を誰にも言わずに人生を終えてしまう前に、今しばらく——


       ◇


 猫田綾子の幼少期はとても幸せなものだった。
 愛し合う優しい両親、商才ある父のおかげで家業は軌道にのっていて家はとても裕福だったし、女子にも知恵や知識は必要だと様々な分野を学ぶ機会を与えられた。どこへ嫁いでも恥をかくことのないようにとあらゆる家事も仕込まれ、街からは遠く離れた土地柄のおかげで当時の不安定な世界情勢に巻き込まれる事も無かった。

 当時の私は、こんな日々が一生続くと思っていた。
 当然だ。生まれた瞬間から既に持っていたものが突然崩れ去るかもしれないだなんて、小さな子供が考える事ではないのだから。

 運命の日は劇的には訪れず、自慢だった母の死を境にして、緩やかに、足音もなく忍び寄って来た。母を溺愛していた父は心労でしばらく塞ぎ込み、周囲に当たり散らす事が増えたせいで、長年居た女中さん達が辞めていってしまい、家が段々と荒れていく。私との会話も少なくなり、数年経った時——

 突然父は、再婚した。

 父にとって不本意なものであったそうだが、このままでは駄目だと親戚達から強く勧められ、渋々の決断だった…… らしいが、今となっては真意を確かめる術は無い。
 後妻となった義母はとても若く、誰もが振り返る程に綺麗な人だった。だからなのか物への拘りが極端に強く、好みが質素だった私の母の遺品だった着物やかんざしなどの装飾品を全て『流行遅れだ』と言って、何の相談もなくある日勝手に売っ払ってしまった。

 いずれは私がもらうはずの物だったのに、だ。

 父がその事を知ったのは随分経過してしまった後の事で、『済んだ事をとやかく言うのも気が引ける』と諦めてしまい、一つも取り戻す事は出来なかった。その件がきっかけで私と父の間には蟠りが生まれ、思春期だった事も重なり、父と話す機会が益々失われていく。

 そうこうしているうちに、弟達が何人か生まれた。どの子もとても可愛い子だったが、私は遠くから見ているだけで抱かせてもらった事は一度もない。『姉らしくせねば』とは思っても、義母が『アンタは近寄るな』と言うのだからどうにも出来ないではないか。なのに父には——

『弟の面倒も見ない、とんでもない姉だ』
『ちょっと赤子が泣いているだけで弟達を蹴っていた。殺す気なのかと思ったわ』
『玩具を取り上げて、笑いながら赤子の前で叩き壊した』

 などと嘘八百を吹き込まれ、父との溝はより深いものになった。私が何度も『やっていない』と言っても父は信じず、真相を確かめてもくれなかったせいで。


 日々、肩身の狭い思いをしながらも、何とか数年はこの家の長女として生活していたのだが、少しづつ家内に不可解な噂が流れ始めた。

 それは、『旦那様の子供の一人が、母親の不義で生まれた子』だというものだった。

 当然最初は、義母に対しての噂だろうと一蹴し、納得もした。だって…… 私の弟達は全員、父とは似ても似つかない容姿をしているのだから、私がそう結論付けたのは当然の帰着だった。弟達同士ですらも似ておらず、彼らの父親は全て違う男であったと安易に想像がつく。だから、みんなもそうだとわかるはずだと思っていた。父が仕事で不在の時は子供達を放置したまま夜な夜な朝まで遊び通しだったし、見知らぬ若い男が家まで何度も来ていたりしていたのを、家に出入りしている女中達だって目撃していたので尚更に。

 なのに、噂が流れ始めて数ヶ月後には、女中やご近所の人達が揃いも揃って、『あの家のお嬢さんって、前の奥さんが外の男との間でこさえた子供らしいわよ』というものに変わっていったのだ。

『あぁ、だから旦那さんとあの子は仲が悪いのね』
『それじゃあ可愛く思えないもの、当然だ。放置されていたのも納得だわ』
『旦那さんが娘を叩いていたのを誰かが見たと聞いた事がある。きっと実子ではないと気が付いていたのよ』
『それでも義娘の面倒を見ているなんて、今の奥様は寛大なお方ね!』

 真実とは全く違う方向へ話は広り、嘘に尾鰭がついて、とうとう父の耳にも入る事態に。
 当然父は激昂した。『巫山戯るな!』と怒ってくれた瞬間私は、『この人が私の親で本当に良かった!』と歓喜した。ここ数年の軋轢が消し飛ぶ程、昔の仲睦まじかった頃のような関係に戻れるかもとさえ思った程に。
 なのに、なのに父は——

 その噂話を全て、鵜呑みにしていたのだ。

 “不義理で出来た子供”という言葉を許せずに激昂し、私の母はもう亡くなっているので確認のしようも無く、憎しみの対象が子供である私へと向けられた。どんなに事実とは違うと訴えようが今みたいに立証出来る術は無い。

 そのせいで、いつしか私は“娘”としてではなく、女中の一人として扱われるようになった。

 跡取りにもなる男児達が可愛いのはわかるが、己とは似ても似つかない子供を大事に育てる父の姿を遠くから見て、『滑稽だな』と呆れる日々が始まった。幸い家の事は一通りやれたので仕事自体は苦労なくこなせたが、部屋や私物の全ては取り上げられ、母屋からも追い払われる事に。こじんまりとした別邸どころか、馬屋の隣にある小屋の隅で丸まって生活し、風呂もろくに入れず、いつしか学校へも通えなくなり、栄養不足も重なって体は痩せ細り、人の顔色を見ることばかりが得意な人間が形成されていった。

 今にして思えば、前妻を深く愛していた過去があるからこそ不義の子である可能性を少しも許せず、既にもう後妻を愛しているが故に今の妻を疑う様な真似もしたくなかったのだろう。
 家族三人で穏やかに過ごしたあの歳月が、後妻の美貌の前ではまやかしとなって消える程度のものだったのだと気が付いた時、私の中で父親は死んだ。


 そんな生活がしばらく続き、私もとうとう二十歳の誕生日を迎えた。
 すっかり女中としての生活にも慣れたが、いい加減こんなろくでもない家は出て行ってやろうと思っていた矢先、突然縁談の話が私の元へ。
 隣町に住む地主の長男が嫁を探しているのだが、醜男であるせいで相手が見付からないのだそうだ。『跡取りの問題もある』『このままでは可哀想だ』と涙ながらに話す義母の姿を見て、『この話はこの女が持ってきたものなのか』と悟った。扇子で隠す口元がずっとニヤニヤと笑っているのはきっと、私の不幸が楽しみでならないのだろう。祝言の席で私と醜男が並ぶ姿や、初夜の場で咽び泣きながら蹂躙される様子でも想像していたに違いない。アレは、そういう女だ。

 だがこれは、逃げるにはいい機会だ。

 この生家と正当な理由を持って縁を切れるだけでも幸せなのではないか?ただ外見が醜いというだけで、中身までそうであるとは限らないはずだ。だって、今目の前にいるこの女は、“誰によりも綺麗でありながら、この世の何よりも醜い女”なのだから。

 “カエルの王子様”

 昔読ませてもらった童話でそんな話があった事を思い出す。見た目で決めては駄目だ。もし中身までもが酷い男でも、私が良い妻となれば、相手も変わるかもしれない。いざとなったら、その時は改めて逃げる算段を考えよう。きっと一切外へ出してもらえないこの家よりは逃げ易いはずだ。
 そんな小さな期待に賭け、私はこの話を二つ返事で快諾した。


       ◇


『嫁に逃げられては困る』とでも両家は思っていたのだろうか。
 祝言の日までとんとん拍子に話が進み、とうとう地主の家に嫁ぐ日が来てしまった。醜男である事を気にしているせいでまだ一度も本人には会えぬまま、猫田家の迎えが来て、私は籠に乗って向かう事に。

 家人の見送りは、当然一人もいない。

 ほんの少し前。後ろ髪を引かれもせず、小さな風呂敷に包んだ荷物を腕に抱きながらほっとした気持ちで廊下を歩いている時に、襖の向こうで義母が『不用品が高値で売れたわ!』と笑っていた声は、今でも耳の奥にこびりついている。


 身一つで嫁いできた身だった為、白無垢などは全て猫田家が用意してくれていた。ちゃんと温かい風呂にも入れ、軽い食事も頂け、私は長年食べられていなかったまともな食事を噛み締めながら、情けなくもボロボロと泣いていたそうだ。

 いざ祝言となったが、身内だけのこじんまりとしたものだった。私の家からは誰一人として出席者がいなかったせいだ。せめて父くらいは、と思う気持ちも持てない程に家族に対し失望していたから来ないでくれたのが最大の贈り物に感じられる。初めて夫婦で並ぶ姿を、義母が醜い微笑みを浮かべながら見ているという状況にならずに済んだ事をとても嬉しいと思った。

 部屋に入り、夫となる者の隣に座って、ちらっと横目に見る。初めて見た彼は醜いという噂とは違って、随分とガタイのいい、紋付袴に身を包んだ高身長の男性だった。普通と違ったのは、頭から黒いベールの様なものを被っていた点だ。

『人前で顔を晒したくないので許して欲しい。わざわざ嫁いでくれた君を不快にさせたくはないのだ』

 私に見られている事に気が付いたのか、前を向いたまま、彼は言った。とても透き通った綺麗な声だ。事前に義母から聞かされていた話から持っていた印象とはまるで違うではないか。

『ひどく太っていて家からも出られないそうよ』
『肥溜めみたいな悪臭のする男なんですって』
『あまりにも醜いせいで、まともに話す事も出来ないそうよ』

 全然そんな事は無い。やっぱりあの女は嘘吐きだ。
 彼からは森の中にいる様な緑の香りがする。少しも太ってはいないし、むしろとても整った体型をしている気がする。それに、初めての言葉は私への気遣いだったので、きっと心も素敵な人…… だと、いいなぁ。


       ◇


 無事に祝言が終わり、私達は式の後に開かれた宴を中座して初夜を過ごす事になった。
 薄暗い部屋に二人きりになり、無言のまま俯き、布団の上で向かい合ったまま正座をしている。どちらも何から始めていいのか戸惑い、硬直しているといった感じだ。

 寝衣姿の状態でも彼は頭からベールを被ったままなのが、とても気になった。もう私達は夫婦なのだし、この関係が上手くいくのならそれが一番理想的なので、ひとまず今は逃げる気もない。『顔が見たい』と言ったら、見せてはくれないだろうか?『実家から私を救ってくれた貴方がどんな姿をしていようが、絶対に愛してみせる』と言っても、私の過去を知らぬ彼では上部のものにしか感じられないのかもしれない。
 段々と、オペラ座の怪人に出てくるクリスティーヌみたいな気分になってくる。だが彼女は大失態を犯し、結果的に彼を追い詰める事になった。

 やっぱり、『顔を見たい』とは言わない方がいいよね。

 おずおずと、でもとても丁寧に触れてくる彼の優しさに心打たれながら身を委ねる。自分からもそっと胸に触れると、彼——秀一しゅういちさんが嬉しそうに微笑む気配を感じた。

『僕が、怖くはないですか?』
『えぇ、ちっとも』

 ちょっとやそっとの事で怯える様な育ち方はしていない。そんな私の姿を気に入ってくれたのか、次の瞬間から秀一さんはガラリと態度を変え、荒々しく私の体を貪った。でも強姦とはちょっと違うと思う。私の気持ちの問題もあったのだろうが、妻となった者を愛したいという強い気持ちを感じ取れるからだろう。彼が動くたびに汗が滴り落ち、破瓜でまだ痛む体内に何度も何度も子種を注がれ、無心になって私を愛してくれるうちに、激しい動きのせいで彼のベールが頭から落ちた。だがもう盲目的にこの身を貪っているせいか、ベールが落ちている事にすら彼は気が付いていない。

『綾子さん、綾子さ、んっ』
 ナカを穿たれるたびに名前を呼ばれ、私の全てを求められながら見上げた夫の顔は——

 心の奥底から見惚れてしまう程、美しいものだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

マッサージ

えぼりゅういち
恋愛
いつからか疎遠になっていた女友達が、ある日突然僕の家にやってきた。 背中のマッサージをするように言われ、大人しく従うものの、しばらく見ないうちにすっかり成長していたからだに触れて、興奮が止まらなくなってしまう。 僕たちはただの友達……。そう思いながらも、彼女の身体の感触が、冷静になることを許さない。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...