近くて遠い二人の関係

月咲やまな

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番外編

絡みつく蜘蛛の糸・前編(烏丸透子・談)

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  烏丸威・透子私達夫婦は、烏丸透息子には言えない秘密を抱えている。これは、それこそ墓場まで持っていくべき話だ。夫とこの話をした事は無い。この先もきっと永遠に話し合わないだろうが、お互いに知っている。

 という事実を——


       ◇


 私の名前は、烏丸透子からすまとうこ。旧姓は猫田ねこだという。
 一級建築士として働く夫・烏丸威からすまたけるの妻であり、一人息子・とおるの母でもある私だが、威さんと結婚する前の自分は、何も持っていなかった。

 夫からの常軌を逸した愛情が原因で受けたDV被害や無理心中の被害に合い、身も心もボロボロになった母から無理矢理引き離された私は施設で育ち、親戚一人いない天涯孤独の身だった。口数の少ない性格が災いして友人もおらず、身近に姉妹のような存在も作れぬまま、孤独と虚無感を抱えた人間に育ってしまった。
 小中高と青春らしい経験を得る事もなく、あと数年でこの施設も出なければならない。だから私はこの先一人で生きていく為にも高校生のうちに何かの資格を取ろうかと思っていたのに、水泳の授業で体育の先生に目を付けられ、廃部寸前だった水泳部へ半強制的に入部させられる羽目に。
 運がいいのか悪いのか。私には水泳の才能があったらしく、すぐに頭角を表してしまった。出場する大会では軒並み入賞し、練習に参加するたびに不思議とタイムが伸びて順位を上げ、息子の透風に表現するなら、自分でも『チートか?』と思うくらいに不思議と早く泳げてしまった。

 特別な練習もしていないのに、何故?

 嫉妬ややっかみ、陰口の声を浴びながら私も皆と同じ事を思ったが、いくら考えても答えなんか出ない。きっと自分は所謂“天才”という部類の者で、いつか花開く才能をずっと密かに孕んでいたのだろう。

 正直、全く嬉しくはなかった。
 泳ぐ事自体嫌いではなかったので淡々と部活動を続けたけれど、闘争心どころか、自己顕示欲すら無い者には大き過ぎる贈り物だったからだ。


 高校一年の後半近く。
 私は学校での部活動の終了後に、近くにある大学の水泳部で個人的に追加練習をする事になった。もっとちゃんとした指導の元、才能を発揮して欲しいという顧問の配慮だったのだが、勉強時間が大幅に削られてしまう為、迷惑極まりないとしか感じられない。だが、そんな本心は当然顧問には言えるはずがなく、今回も渋々従う事に。

 思えばこの頃からだ、やたらと誰かの視線を感じるようになったのは。

 だけど、すぐに振り返ってもそこには誰もいない。もし誰かが居た場合でも、不特定多数だったりするので視線の主を見付ける事までは出来なかった。
 ねっとりとした、濡れた水着姿の全身を舐めるみたいな視線は気味が悪く、ものすごく居心地が悪い。でもそれ以外には実害が無かったのでそのまま放置し、とうとう高校三年になり部活動の引退時期が来た。

 やっと周囲の期待から解放される。

 主だった大会はこの数年間で網羅したし、この先はちゃんと自立して生きていく為にも早々に引退しよう。もう大学へも練習には来ないとコーチに告げたその夜、私の人生は一転した。

 帰り道で、に襲われてしまったのだ。

 その相手が一体誰で、何処に連れ去られ、どのくらいの時間被害にあったのかはまるでわからない。行為に及ばれた間中、ずっと私は目隠しをされ、口には猿轡を、耳にまで詰め物をする徹底っぷりだったので、訳もわからぬまま体中を容赦無く蹂躙された。

 …… 初めて、だったのに、だ。

 手足も拘束されていたせいで一切の抵抗が出来ぬまま、ゆっくりと身包みを剥がされていく。じっくり、ねちっこい行為は長時間に及び、体感的には何十日にも感じられた。
 無理矢理のクセして丁寧に、優しく体を徐々に開かれていく感覚は悍ましく、今でも思い出しただけでざわりと鳥肌が立つ。なのに下っ腹の奥からはじゅくりと流れ滴り出る愛液の感覚があり、心を裏切るこの身を破壊したくなった。後でそれが体を守る為の防衛反応であったと知った時は少しだけ安堵したのだが、心の傷を癒す材料としてはあまりにも足りないものだった…… 。
 平たい胸を揉まれながら乳首を舐られ、肌の全てには舌が這い回り、陰部どころか後ろの蕾までも支配された体は、事の全てが終わった後は大量の精液や唾液などに塗れ、相当汚かったと思う。言葉に出来ぬ叫び声も枯れ果てて、ただ呆然としてしまい、もう気絶寸前だった私の体を男は嬉しそうに抱き締め、涙でぐしょぐしょになった頬に口付けをしてきた時——

 やっと、コイツがあの視線の主なんだと気が付いた。

 このまますぐにでも死んでしまいたい。
 こんな体にされ、これから先自分はどうやって生きていったらいいんだ。

 “絶望”の二文字だけが頭の中を支配していたその時、更なる悲劇が私を襲った。
 両足首の下に、破瓜の痛みとは比較にならぬ激痛がドンッと上から落ちてきたのだ。あまりの痛みでとうとう限界を超え、意識がぐるんと暗転していく。そんな刹那の間に私は——

 あぁ、嬉しい。
 用の無くなったゴミをちゃんと処分してくれたんだね。

 …… と、深い安堵に包まれたのだった。


       ◇


 …… ——目蓋を開き、心と体に深い深い激痛が走った。
 何故自分は、白い天井を見上げているのだろうか?なんでまだ心臓が動き、呼吸をして、指先がピクリと動いたのか。

『やっと何もかもから解放される』

 意識を手放した時に感じていた安堵は一気に消え、体内に激しい違和感を覚えた。まだ何かが膣内に入っていて強い存在感が居座っている気がする。お尻の方だって何か気持ち悪いまんまだ。そのせいで急激な吐き気にまで襲われ、即座に私は点滴が繋がっているのも無視して体を横に向けた。

「やっと起きたんですね——って、ま、待って!吐くならここに!」

 聞き覚えの無い声と共に、銀色のトレーを口の側に誰かが慌てて近づけてくる。だけど胃の中は空っぽで、吐こうとしても嗚咽のような音を繰り返すばかりで、唾液以外には何も吐き出せなかった。
 胸、膣内や体を覆う肌の何もかも、全部が全部気持ち悪い。全身が痛い、熱いのに寒くって悪寒が走る。そんな最悪な状態で視線だけを少し上に向けると、しゃがんでいようがわかるほどに背の高い、見知らぬ男と目が合った。

 …… 誰?ここは、そもそも何処なの?

 雰囲気ですぐ、病院の個室に居る事はかろうじて理解した。男は随分若い人の様だから学校や施設の人じゃない。けど、服装的に看護師などといったいった病院の関係者でもなさそうだ。
 苦しくって黙ったまま肩で息をしていると、ナースコールを押して男は看護師を呼び出し、「猫田さんが起きたので、様子を見に来てくれますか?」と伝えてくれた。
「看護師さん達がすぐに来てくれるから、もう大丈夫ですよ」
 そう言って男が背中を摩ってくれるが、肌に何かが触れただけでも嫌悪感を感じ、私はその手を咄嗟に振り払った。
「…… すみません。急に背中を触れられたら、驚きますよね。気が回らず申し訳ない」
 近くにある丸椅子を引っ張り、男がそれに座る。そして彼は人懐っこい笑みを眼鏡の奥に浮かべてこちらに向けた。
「君にとっては初めまして、かな?」
「…… 」
 声が出ず、警戒心丸出しのまま頷く。すると男は拾ってきた猫でも見るような目をしながら、クスクスと笑い出した。

「僕の名前は烏丸威。君と同じく高校の三年生なんですが、そちらと似たような理由で大学のプールを借り、一緒に水泳の練習をしていました。今までも姿を何度か見掛けていて…… あ、でも話した事はなかったから、君が僕を知らないのも当然です。猫田さんとは違って際立った成績のあげていないから、なんだか僕からは声を掛けづらくて」

 突然の自己紹介から始まり、烏丸さんは何故今私が病院で入院しているのかを説明してくれた。
 私は大学の校内にあるトレーニングルームの隅で、ジャージ姿のまま一人で倒れていたそうだ。足元には何十キロものダンベルがゴロゴロと転がっていて、私の足先は血塗れだったらしい。足首より下がぱっと見でもわかるほど粉々に砕けていて、原型を留めてはいなかったのだとか。状況の危険性をすぐに感じ取り、烏丸さんが救急車を呼んでくれ、何とか一命は取り留めた。
「…… 他には?衣服が乱れていた、とか…… 」と、私は念の為遠回しに訊いたが、それ以外には何かがあった様な形跡は何も無く、この件はトレーニング中の不注意による事故として処理されたそうだ。
 全ての話を聞き、慌てて掛け布団を捲って足元を見る。するとそこには、足首より下が全て切り取られた状態の脚が、包帯だらけの状態で転がっていた。

 一気に入ってきた情報が、きちんと処理出来ない。

 今日は話だけをして帰る予定だったからそもそもトレーニングルームになんか行っていないし、当然一人で筋トレもしておらず、ジャージだって持って来ていない。それなのに足は再起不能となり、臭いや体液といった暴行の痕跡も全く無いとか…… 何が何だかわからなかった。

「…… あの、もう帰ってくれますか?」

 一人になりたい。
 もう何とも関わりたくない。
 一度しっかり頭の中を整理したい。
 救急車なんかを呼んだこの男も、会うのはこれっきりにして欲しい。
 放っておいてくれていたら、私はあのまま死ねただろうに。

 何も無かった事になっているみたいだが、体には暴行を受けた感覚がしっかり残っている。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いぃ!
 もう歩けない、泳げない、純潔ですらもない。こんな醜い体なんか、砕けて粉々にでもなって仕舞えばいいのに!

 感情のまま、着ている服ごと激しく腕を擦っていると、烏丸さんに手首を掴まれ止められた。
「——僕が!」と彼が叫び、苦しそうな顔をして彼が唇を強く噛む。血が滲んで滴り、顎を伝って床に落ちた。その様子に驚いて私が硬直していると、苦しそうな顔をしながら彼は口を開いた。

「僕が…… もっと早く、猫田さんを見付けられていたら…… こんな事には…… 」

 項垂れて、ベッドの隅に烏丸さんがぽすんと頭を乗せる。さらりとした色素の薄い髪がとても綺麗で、不覚にも少し魅入ってしまった。

「責任を取ります。精一杯君に補助をするから、遠慮無く頼って欲しい」

 バッと顔を上げ、烏丸さんが力強い声ではっきりと言う。
 こんな優しい人が世の中にはいるのか——と、すごく驚いた。

 あの時は突然の提案にびっくりしてしまい、一人だけで頑張らなくてもいいのかもしれない嬉しさも入り混じってつい流され、彼の勢いに負けて頷いてしまい…… 倒れていた私を発見したのはず人が、『責任を取る』という言葉を使った理由に、気付く事が出来なかった。
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