インキュバスのお気に入り

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
68 / 83
最終章

【第八話】抜け道②

しおりを挟む
 二人の前には重苦しい重厚な扉が——…… だったのなら雰囲気が出て丁度良いのだが、残念ながら図書館内にある一室でしかない部屋の扉は、ただの会議室にでも続くみたいな風貌だ。扉の一部に嵌め込まれた縦長な曇りガラスの向こうには、何かが元気に動く姿がチラリと見て取れ、室内には既にもう誰かが居る事を二人に告げている。

「早速開けてもいいですか?」
「えぇ、もちろんよ」

 ここを開ければ後戻りは出来ない。
 もちろんする気も無いのだが、それでもちょっとだけ後ろ髪を引かれつつ、カシュが扉をゆっくりと開ける。すると、先に室内で待っていた甥っ子の葵が彼を目敏く見付け「母さん、叔父さん達が来たよ!」と大声で叫んだ。
「こら、騒ぐな!」と言い、瀬田が葵を担ぎ上げ、自分の肩に座らせる。目線が急に高くなったせいで「うわ!」と葵は驚いた声を一瞬だけあげたが、すぐに慣れ、瀬田の髪の毛をしっかりと掴みながら脚をバタバタとさせて喜んだ。

「…… すっかり子持ちのお父さんね」
 子供に遊ばれている瀬田の姿を見上げ、頭から漆黒のべールを被った華がくすくすと笑う。
「そうだな。婚活だなんだと日々明け暮れていた時期が、今じゃ懐かしく思えるよ」

「ははは。数週間程度の子育てで、父親面される子供も大変だねぇ」
 そう言ったのは、図書館の館長である本多さんだ。
 彼は人間である母親の事が大好きなロマンスグレーなオジサマなのだが、本の精霊である自分の父親に対しては色々と複雑な心境を抱えているせいか、瀬田に恨みがあるわけでは無いのに言葉がつい辛辣になってしまった。

「いくら母親愛に飢えていても、新米パパさんな瀬田先生に当たっちゃダメですよ?本多さん。お父さんが邪魔でお母さんにかまってもらえない者同士、いっそ君達が仲良くするとかはどうだい?ねー葵君?」
 ウルカの勤めるカフェの店長である野本が、普段とは全く違う風貌をして室内にある椅子に寄り掛かりながら本多と葵に声ををかけた。
 優しい風貌をした白髪の小柄なご年配のオジサマでしかないはずの彼は今、腕には身の丈以上もある大鎌を持ち、顔には口元だけが見える髑髏の仮面を付け、黒衣のローブを全身に纏っている。コレがハロウィンのコスプレでもあればまだ可愛げもあるというものだが、見た目通りの生き物なせいで、彼の周囲は禍々しい空気で満ちていた。

「お前、ボクの仲間かよ!あはは!」
 怖いモノ怖い知らずな子供が、本多を指差し声をあげて笑う。
「『お前』言うな!年上は敬え!」と、瀬田が葵の頭を容赦なく叩いた。
「痛いってば、父さん!」
「今のは口の悪いお前が悪い!」
 などと、賑やかなやり取りをする瀬田と甥っ子の二人の様子を見て、華は肩の力が抜けていくのを感じた。


「——さてと、心の準備はいいかな?」
 野本に問われ、華が無言で頷く。
 穏やかな中年のオジサマな姿しか見たことが無かったので、地を這うみたいな響きを持つ彼の声に対し、華は少しだけ怖気付いてしまったが表には出さなかった。
「ただの空き部屋に棺を並べただけでは面白味が無いと思ってね、ちょっとだけ演出してみたんだけど、気に入ってもらえたかな?」と、華に向かい、気分転換になればと努めて明るい声色で本多が声を掛ける。クラシカルなスーツ姿の本多が腕を広げ、周囲をくるりと見渡した。
「コレはやっぱり館長の仕業でしたか。ふふっ、ありがとうございます。なんだか、いかにも黒魔術っぽい室内ですね」
 カシュの手を握ったまま、華が部屋の中を彼と共に周囲へ視線をやった。

 部屋は全体的にゆったりとした暗幕に覆われ、外が全く見えない。中心には大きめな棺が白い物と黒い物のそれぞれ一つづつ置かれ、すぐ側には短いナイフが用意してある。真っ赤な薔薇の花弁が床一面を埋め尽くし、天井からは薄明かりが灯るランタンが不規則に垂れ下がり、この部屋が図書館内にあるただの空き部屋である事を完全に忘れさせる演出がしっかりなされていた。

「父さんに頼めばもっと大それた事を出来たんだろうけど、私はあの人に貸しを作りたく無くってね、申し訳ない」
「いえ!もう私的には場所をお借り出来ただけでもう光栄と言うか、なんと言うか」

「…… ちょ、華さん、何でちょっと乙女っぽい顔をしてるの?」

 じと目でカシュに見られ、華の肩がびくっと跳ねる。彼女的にはファン心理的な反応でしかなかったのだが、婚姻契約をしていなくても自称・華の伴侶である身としては、決して気分のいいものではなかったみたいだ。
 グイッと腕を掴み、カシュが華の体を胸の中に引き寄せる。

「もうさっさと始めちゃいましょう、華さん」
「ここまで来たら、もうノリと勢いで押し切る感じね」

「えぇ、そうですよ。なので最後に…… キス、してもいいですか?」
「待って!ひ、ひ、人前よ⁉︎」
 焦る華を無視し、カシュは顔を上げて瀬田をじっと見詰めた。
「瀬田先生、しばらくあっち向いていてくれませんか?」
「あぁ、わかったよ」
 ハイハイ、と軽く手を振って瀬田が後ろを向く。人様のキスシーンなんぞ進んで見たいタイプでは無いので、むしろ一々指図された事の方が多少癇に触ったが、それを口にする程彼は子供ではなかった。
「ありがとうございます。さぁ華さん、コレで人間はあっちを向いてくれたんで、キスしてもいいですよね⁉︎」
「待て待て待て!ニタニタ顔でこっちを見てる葵君やウルカちゃんは⁉︎彼らは人外だから“人”としてカウントしないとか、まさか言う気じゃないでしょうね!」
 ほっこり顔をしている本多とも目が合い、華が狼狽る。だけどそんな事はお構いなしに、「はい、ちょっと黙ってー!」と言いながらカシュは華の腰を抱き、立ったまま上から覆い被さるみたいにして彼女の唇を奪った。

「んー!んーんんっ!」

 声にならない叫びをあげる華を無視し続けたまま、カシュが唇を重ね、舌を無理矢理に押し込み、彼女の呼吸をも奪う。この体の華とのキスはもう最後なのだと思うと、離れたく無い気持ちが胸の奥から湧き出てきてしまったが、胸をドンドンッと何度も叩かれてやっと彼はゆっくり離れていった。

「…… もしかして、怒っちゃいました?」
「…… はぁはぁはぁ…… いや、まぁ、うん。そうね」
 んーコレはまた殴られるかな?とカシュが思い、くっと歯を喰いしばる。だけど華は彼の頰に軽く手を添えただけにとどめ、「気持ちはわかるから…… 叩いたりなんかしないわよ、流石に」と照れ臭そうに言った。

「人前でシタ事は!ちょっと腹が立つけどもね」

「教会での結婚式だって人前でキスしたりしますよね?アレみたいなものですって」
「いやいやいや…… 今からするのは、別に結婚式でもなんでもないから」
「そうなんですよねぇ、そうなんだよなぁ…… はぁ…… 」
 カシュが華をスッと真っ直ぐに立たせて、ドレスのシワを綺麗に整える。呼吸を数回繰り返し、気持ちを落ち着けると「さてと、では…… ボクに、棺までエスコートさせて頂けますか?」と言い、華の手の甲にそっと口付けを贈った。

「…… えぇ。お願いしますね、カシュ」

 影のある笑顔を黒衣のヴェールで隠し、華がダンス前の様に膝を折って礼をする。二人は手を取り合い、一歩、また一歩と空っぽの真っ黒い棺へと進んで行った。


 棺の前に立ち、カシュが無言のまま華の体を横向きにして抱き上げた。そんな彼へ腕を伸ばし、首元にギュッと華が強く抱きつく。

「もし失敗しても、忘れないでいてね?」

「もちろんですよ、華さん」
 華の髪にカシュが頰を何度もすり寄せる。そんな二人の様子を側で見ていた野本が、「そう不安がる事はありませんよ。私が居るじゃないですか。ね?」と禍々しいオーラを纏ったまま、低い声で言った。
「あぁ、それもそうですよね。もし失敗したら、野本さんのせいにして色々責任をとってもらいましょう」
「え⁉︎あー…… そうきましたか。いやまぁ…… いいですけどね、失敗しなければいいだけの話ですからねぇ」
 そう言って、野本が仮面に隠れた頰を指で掻く様な仕草をした。

 真っ黒い棺の中にカシュがそっと華の体を寝かせる。白いクッションに覆われた棺の中に彼女がきちんと横たわると、彼がドレスの裾やヴェールも中に詰め、見た目よくそれらを整えた。
 寝転んでもなお大きめな胸の上で手を祈る様に組み、華が深呼吸をしながら目蓋をゆっくりと閉じる。ランタンのみで照らされた室内では、目蓋を閉じると彼女の視界は暗闇一色に染まった。

 トクン…… トクン…… トクンッ——

 心臓の音が華の耳奥で何度も響く。思ったよりもゆっくりで、今更全てを受け入れる決意を決める事が出来た。

「…… じゃあ、いいかな?命を頂いても」

「お願いします」と、二人が同時に野本へ告げる。その言葉を聴いたと同時に野本は手に握っていた大鎌を勢いよく振り上げると、カシュがすぐ側に居る事も気にしないまま、切っ先を華の胸へと突き立てた。

 音も無く、ただ一度だけ華の体がビクッと震える。
 享年三十一歳。徒結華は、野本と名乗る死神の手によって、強制的にその人生に幕を閉じたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ヤクザのせいで結婚できない!

山吹
恋愛
【毎週月・木更新】 「俺ァ、あと三か月の命らしい。だから志麻――お前ェ、三か月以内に嫁に行け」 雲竜志麻は極道・雲竜組の組長を祖父に持つ女子高生。 家柄のせいで彼氏も友達もろくにいない人生を送っていた。 ある日、祖父・雲竜銀蔵が倒れる。 「死ぬ前に花嫁姿が見たい」という祖父の願いをかなえるため、見合いをすることになった志麻だが 「ヤクザの家の娘」との見合い相手は、一癖も二癖もある相手ばかりで…… はたして雲竜志麻は、三か月以内に運命に相手に巡り合えるのか!?

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...