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最終章

【第七話】抜け道①

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あおい、黒い服には着替えたかな?」
 上から下まで全て真っ黒なゴシックロリータ風のドレスを着込んだウルカが小さな少年に声を掛けた。彼女に葵と呼ばれた少年は、「うん」と短く答えながらウルカの腕の中に辿々しい足取りで向かって行く。あと数歩で彼女の胸の中にすっぽりと収まりそうになった時、葵は首根っこをぐっと掴まれ、子猫の様に上へと持ちあげられてしまった。

「甘えるなら俺に甘えとけ、葵」
「…… えぇぇぇ。父さんにぃ?またぁ?」

 不服そうな瞳を、葵が瀬田へと向ける。どうやらこの子供は、瀬田とウルカの間に生まれた子供の様だ。
「いいじゃないです、ちょっとくらい。子供がこうやって可愛く甘えてくれるのなんて今のうちだけなんですよ?」
 ブーブーと文句を言い、ウルカが口を尖らせる。見様見真似で葵も「そうだそうだ!」と言ったもんだから、瀬田はちょっと不貞腐れた顔になった。

「コイツはインキュバスだから、我が子だろうが信用しきれないんだよ!」

「ハッキリ言ったなぁ!父さんのくせに!」
「あぁ言うさ!その点以外はちゃんと愛してる!とも、ついでに言ってやるぞ!」と、ちょっと巫山戯た声色で言いながら、瀬田が葵の小さな体を全力でくすぐり始めた。
「ぎゃ!やめ!ちょ!かぁさぁぁぁぁん!」
「助けなんか呼んでも無駄だぞ?ウルカは今お洒落着姿だからな、暴れる子供を助ける気なんか起きるはずがない」

(…… ハイハイ。邪魔しちゃダメって事ですね。普通に可愛がればいいだけなのに、もう)

 すっかり瀬田の扱いに慣れたウルカが、傍観すると決め込む。結婚してもうすぐ三年目ともなると、言葉が足りなくてもすっかり彼の意図を色々読み解ける様になったみたいだ。

「二人で遊ぶのは止めませんけど、時間だけは守って下さいね?儀式の開始時間は待ってくれませんから」
「そ、そ、そうだよ!だから、だか…… あははははははっ!くるし!も、やめ!このクソ親父!しまいにゃ噛むぞっ」
「そんな乳歯でか?可愛い事を言うなお前は!」
「五月蝿い!馬鹿にすんな!体は小さくたって、中身はほぼ大人と変わらないんだからな」
「二歳程度の体をしておきながら、そんな事を言われてもなぁ」

「…… あのね、浩二さん。インキュバスだとはいえ、まだ実際には赤ちゃんなんですから丁寧に扱ってあげてくださいね?」

 生まれた時点で両親の知識を全て引き継ぎ、一年程度でほぼ青年と同等の体格に、魔力にさえ困らなければ成長する事が出来る為、葵のまだ生後数週間しか経過していない体はもう二歳児程度のサイズになっている。言葉も達者なので瀬田とはよく言い争いをしているが、典型的な“喧嘩する程仲がいい”と言った親子関係だ。
 まだまだ母親に甘えたい盛りな葵にとっては、瀬田の“嫁は俺のモノ”な一面は正直困った点でしかないのだが、“夫という生き物”のそういった心境を理解も出来るので、結局はこの関係に収まっている。

「こんなんでも赤子だと、理解はしているから大丈夫だ」

 本当かなぁ…… と思いつつ、ウルカが遠い目をする。だけど楽しそうに子供とじゃれる瀬田の可愛さが胸をくすぐり『葵にはちょっと頑張ってもらうしかないなぁ』と、子供の方に諦める事を強いたのだった。


       ◇


「——用意は出来た?華さん」
「えぇ、もちろんよ」
 そう答えた華は今、真っ黒なドレスに身を包んでいる。デザイン的にはマーメードラインのウェディングドレスっぽいのだが、ベールやロングタイプの手袋といった小物の類までもが漆黒と言えるほどの黒い衣装なので、デザインはこんなでも、“花嫁”という言葉よりも“魔女”という言葉の方がしっくりくる出で立ちだ。
「さぁ、お手をどうぞ」
「ありがとう、カシュ」
 素直に礼を言い、華が揃いのデザインの黒い手袋をしたカシュの手を取る。
 長いドレスの裾を掴み、ゆっくりと歩く姿は新郎新婦を連想するものがあるが…… 彼らはこれから結婚式を挙げるわけではない。

「しかしまぁ…… 卒業式でまであんなアホな事をするだなんて思ってもいなかったわ…… 」

 数時間前の事を思い出し、華が呆れた顔をしながら息を吐いた。
「あ、あれは…… 転入初日に宣言した通りにした方が、クラスメイト達も楽しいかと思って」
「だからって、何も卒業証書を受け取ったその瞬間に『これでボク達、結婚出来ますね!』と叫んだのはドン引きだったわよ?」
「…… いや、ボク的にはそう言ったボクの元まで全力疾走したうえ、袴姿なのも顧みず、履いている皮のブーツでボクの顔面に華麗な回し蹴りをいれた華さんの方にドン引きでしたけどねぇ」

 カシュが獲物でも掲げるみたいに卒業証書を高らかに持ち、『華先生!これでボク達、結婚出来ますね!』と叫んだ瞬間、卒業式の会場となった体育館は一瞬お祭り騒ぎとなった。参列していた保護者的にはどう反応していいのかとても困ったであろうが、少なくとも明るいムードに溢れていた事だけは間違い無かった。…… 華が、彼の体が真横に吹っ飛ぶ程の回し蹴り入れるその瞬間までは。

「大丈夫よ。あの場に居た人達は誰もあの瞬間を覚えてはいないから」
「“魔女”である事を自覚した魔女って、本当にタチが悪いですよねぇ」

 カシュの体が真横に吹っ飛び、一瞬何が起きたのかも分からずに唖然とした会場内に向かい、マイクを片手に持った華が『今見た行為は全て忘れなさい!』と叫んだだけで、存分に魔力の乗った言霊の効果で全て事なきを得た。
 卒業式に参列していた理事長や人外達にまでは流石に影響力が無かった様だが、面白い事が大好きな彼等は『教育者なのに不謹慎だ』『体罰は許せない、処分を!』と騒ぐ気は微塵も無いのが救いだ。まぁ…… しばらくの間からかわれてはしまうだろうが。

「でも、そんな私を選んだのは貴方よ?」
「そう言われると、反論出来ないのが悔しいですよ」

 雑談で笑い合いながら、長い廊下を二人でゆっくり歩いて行く。
 目的地である部屋は学校の敷地内にある図書館の一室だ。これで衣装の色が白であれば、教会にでも向かっていそうな風貌のまま、ゆっくりと歩みを進める。

「…… 上手くいくと思いますか?」
「これからの儀式の事?…… ふふっ、さぁねぇ。こればかりはやってみないとな部分だから」
「失敗なんかしたら、ボク…… 生涯独身になるんですけど」
「私なんか、この歳で死んで終わりなんだから、貴方の方が幾分マシね」
「…… 死んで消える方が、愛おしい人を失って終わりよりもマシだと、ボク的には思うんですけど」
「…… 何度も言うけど、失敗しても、私を追ってはダメよ?」
「『肉体の死と、記憶の死。私を二度も殺す気か』ですよね。…… はぁ…… もう、そこまで言われると、ボクじゃ太刀打ち出来ないってわかっているのが悔しいですよ」

 長いため息を吐くカシュに対し、華がくすっと微笑みを向ける。
 彼女の表情はとても穏やかなものだが、内心ではもう緊張で胸が押し潰されそうな状態だ。だが、それを気付かせまいと必死に取り繕い、決意を深める。

 これはもう、ハンナ・アダムスの唯一の子孫であろう、自分にしか出来ない事なのだと。

 半ばカシュに対して強制的に“魔女の呪い”を解呪すると決めさせたあの日からもう、彼女らはメモに書かれた文面の読み解きミスは無いか、他に方法は無いか、…… 調べに調べ、考えに考え、相談し、賛同者を増やして今日という日を二人は迎えた。

『卒業式の日を目標に、解呪を成功させましょうか』

 そんな話をしたのは、もう二年前の事だ。
 華が“魔女の部屋”の時間経過を止める効果をフル活用して魔女としての能力を高め、研鑽し、どこまでなら解呪の条件に対して影響しないかを探りながらこっそりと人目を盗んで愛を深める日々は、正直悪いモノでは無かった。そのせいか、もしコレで解呪の儀式が失敗でもしたらと思うと、どうしたって恐怖が体を支配する。得体の知れないバケモノが背後から音も無く近づき、彼女の肩を、二の腕をも掴み、ズルズルと死の淵の中へと引き摺っていこうとしているのではと感じる程だ。

 カシュもカシュで、内心では『こんな日なんか来なければいいのに』と思っていた。廊下を二人で歩いている、今この瞬間でも…… だ。
 現状に対しての不満が今でもほとんど無く、解呪をすると決める前よりも華が心を開いてくれたおかげでむしろ状況は改善されていたので、『もうこのままでいいじゃないか』という気持ちが、出逢い始めの頃よりも強いのが本心だ。

 だけど、初めてできた甥っ子が両親に甘える姿や、双子の妹のウルカが瀬田に対して愛情に溢れた笑顔を向ける姿を見ると、自分の事しか考えていない己に、何度も何度も嫌気が差してくる。

 解呪せねばウルカはどう足掻いても数十年以内には確実に死に、人間でしかない華もいずれは死を迎え、それにより魔女の助力を得られなくなる甥っ子は、自分と同じく魔力不足による飢えと闘いながら伴侶探しに明け暮れる日々を送る事になるだろう。

 それは…… 嫌だなぁ。

 自分以外に気持ちを向けて、カシュが必死に心を奮い立たせる。
 大丈夫。準備はしっかりしてきた、この上なく心強い面子が協力してくれる手筈になっているじゃないか。

 カシュはそう己に言い聞かせ、心を静める努力をする。
 揺れる心のまま二人は、目的地である部屋の扉の前に立った。
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