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○番外編・2○ 先生のお気に入り【八島莉緒エピソード】

家庭科教師だって恋をしたい②(八島莉央・談)

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「ありがとう、ございます」
 保健室にたどり着き、先生を探したが不在だった為、私の足は狸小路さんが手当てしてくれることになった。
 痛くも無い足なのに痛いフリをし、無駄に湿布を貼って包帯を巻いてもらう。ちょっとだけ罪悪感を感じはしたが、やっと彼に触れる事が出来た喜びの方が大き過ぎて、そんなものはすぐに鳴りを潜めてしまった。
「いいんですよ。むしろすみません、僕が受け止めきれなかったばかりに、八島先生の細足を怪我させてしまって…… 」
 しゅんっと項垂れ、沈んだ声をしたまま、包帯をテープで留めてくれる手付きがこれまたとても丁寧だ。狸小路さんの全身から優しさが溢れ出していて、不謹慎にも『可愛い!』と抱きつきたい衝動を感じてしまう。
「でも、腫れたりはいないみたいで良かったです。これなら治るのも早いかもしれませんね」
 小さな瞳を嬉しそうに細め、私へ微笑んでくれる。はうんっ!と言いそうになるくらい、胸の奥がくすぐったい。
「何か困った事があったらいつでも僕を呼んで下さいね、お手伝いしますから。もうさっきみたいな荷物を一人で運ぼうなんかしちゃダメですよ?八島先生、細くって小さいんですから無理はよくありません」
 そう言って私の頭をよしよしと撫でてくれる。子どもをあやすみたいな行為なのに、大きくって温かな手のおかげで全然嫌じゃ無い。むしろ、もっと触っていてくれないかなぁと欲が出る。
「わぁ、いいんですか?ありがとうございまーす」
 礼を言って目を細めながら、彼の手に擦りつく。猫っぽい仕草をしてしまっている気がしなが、甘えたい気持ちを優先してしまった。
 こちらの心境を読み取ってくれたのか、狸小路さんはそのまま私の頭を撫で続けてくれた。椅子に座る私の前にしゃがみ、手を伸ばしたままでいる体勢はちょっと腕が怠くなりそうなのに、そんな事はお構いなしといった感じだ。

 ホント、優しい人だなぁ…… 。

 万年愛情不足な身な為か、こういった行為に耐性がない私は『もしかしたら、狸小路さんも私の事好きだったりしないかなぁ』とか考えてしまう。
 若き日のグレていた時とは違い、今の自分ならば比較的他者から好意を持たれる事が増えた。ここへ就職する前までは彼氏もいた事があったし、今もたまに告白されたりする事だってある。という事はだ、私の見た目は悪くない——はず。ここまで甘えさせてくれるし、何かと気にかけてくれるし、もしかしたらなんて…… 事を一人悶々と思っていると、狸小路さんがスッと私の頭から手を離した。
「ちょっと失礼。階段の片付けを頼む連絡を入れておきますね。あ、ついでに八島先生の連絡先も教えてもらえませんか?そしたら、困った時にも僕を簡単に呼び出せるでしょう?」
「…… 連絡先。——はい!是非に!」

 狸小路さんと連絡先を交換出来るなんて、何て今日はツイているんだろうか!

 勤続年数である約十年がイコールで彼への片想いの期間だ。よくまぁ飽きずに一人を好きでい続けたものだ。諦めないでい続けてきて良かったと思いつつ、『偉いぞ私!』と、身長に似合わず大きめな胸の上に手を当てて自分を褒めた。

「——これで、よしっと」
 スマホの画面をお互いに近づけながら、登録用のQRコードを読み取ったりの作業などを一緒におこなう。
「えっと“タヌ吉”って登録名が僕です。本名じゃなくってすみません、わかりにくいですよね」
「いいえ、平気ですよ」
 狸小路さんが使っているアイコンも狸で、名前も“タヌ吉”とは実にわかりやすいと個人的には思ったのだが、彼はちょっとすまさそうに微笑み、後頭部を軽くかいた。
 自分のスマホに彼の連絡先が入っている。それだけでニヤニヤが止まらず、口元が崩れてしまう。絶対に今の私は不審者だったが、彼は空気を読みスルーしてくれた。
「遠慮せず、いつでも好きな時に連絡して下さっていいですからね。同じ…… 職場の仲間なんですから」
「良いんですか?そんなふうに言われたら私、調子に乗って『今からお風呂入るわー』とか、どうでもいい事までメッセージ送っちゃいますよ?」
「お、おふぅ——ゲホッ」
 顔をカッと瞬時に真っ赤に染めて、狸小路さんが途中で咽せた。入浴シーンでも想像してくれたのだろうか?

 おや?コレはもしや…… マジで脈ありでは?

 そう思った瞬間、今みたいに二人っきりになる機会なんかもうこの先無いんじゃないか?今が言うチャンスでは?という考えが頭に浮かんできた。
 今までの約十年間。一度だってこんなに長い事二人きりで話したりなど無かった。仕事とは無関係な内容となると、飲み会で一緒にという機会もないので、これが初めての事だ。担当クラスも無い私では、事務局の人と話す機会はほぼ無くって、授業で教える前の練習という名目作ったお菓子を差し入れて、無理矢理会いに行かねばならない程だったし。
 無い無い尽くしだったのに、今目の前にしゃがむ狸小路さんの姿を見て、逃してなるものか!という気持ちで胸がいっぱいになる。

 そのせいか、次に口を開いた瞬間、私は「す、好きです!」と口走っていた。

「…… ススキ?あぁ、もしかしてお月見のお誘いですか?いいですねぇ、でも今ってそんな季節でしたっけ?でもまぁ、月見団子とか用意して、色々な人を誘って見上げる月は、きっと綺麗でしょうねぇ」
 眠そうなワンコに近い顔をしながら、狸小路さんがうんうんと頷いている。
 確かに一緒に見上げる月はいつもより一層綺麗だろうが、この反応はまさか、わかっている上で流されたのだろうか…… 。
 そう思うと胸が張り裂けそうで苦しい。でもほんわかした空気感を纏うままの彼を見ていると、本当にお月見の話を持ち出されたと思っている様にも見える。

『自分が誰かから愛の告白など、されるはずが無い』

 そのような前提が常にあるのなら、恥ずかしい勘違いなどしないようにと色々心に鎧を着込んでいて、都合の良い解釈はしないよう努めているのかもしれない。
 コレではダメだ。言葉など通じない。きっと『付き合って下さい』は『じゃあ何処に出掛けましょうか』と返される。『愛してます』と言おうものなら『今何か言いましたか?聞こえませんでした。あ、そろそろ仕事に戻らないと』と、盾を構えつつ逃げられるような気がする。

 どうする?どうする!好きだって気持ちをありのままに伝えたい——

 溜め込み続けた想いが大き過ぎて、抑えが効かない。
 初めて知った彼の体温をもっと味わいたい。側に居たい、隣に居続ける権利が欲しい。そんな、溢れ出る想いや欲求が抑え切れず、私は両腕を伸ばし、目の前にしゃがんだままでいてくれていた狸小路さんの太くて逞しさが少しだけある首元に力を込めて抱きついた。
「狸小路さんが、好きです!」
 吃ることなく、ハッキリ名指しで再び告白する。
 すると彼は、逃げられないようにとホールドした腕の中で最大限に大きく目を見開き、何が起きたのかわからず固まったしまった。

「私と結婚を前提にお付き合いして下さい!」

『イヤイヤ僕は告白何かされていませんよ』という、今の私にとっては巫山戯た勘違いのしようが無い単語を選び、きちんと想いを伝える。言ってやったぞ!という達成感で、胸の奥が熱い。
「…… え、あ、わぁ…… 」
 狸小路さんが、どう捉えていいのかわからない声をあげながら、体を震わせている。汗がダラダラと流れ落ち、体温がやたらと上がっていくのが私にまで伝わってきた。
 首に巻き付けた腕をゆっくりと解き、彼の肩に手を置いて、大きな顔を覗き込む。狸小路さんの口元がわなわなと震えていて、顔は今にも火が出そうなくらいに赤い。
 そんな彼が可愛くって愛しくって恋しくって…… つい私は、返事ももらえていないというのに、狸小路さんの唇にそっとキスをしてしまった。
 ちょっと重ねるだけのふわりとしたものだったが、感動で泣きそうだ。赤い唇はとてもふわふわとしていて、脂肪たっぷりの柔らかい感触がすごく気持ち良かった。

 一人勝手に満足し、和かな笑みを浮かべた瞬間——狸小路さんの頭からにょきりと丸い形をした耳が生えてきた。目の周りは黒い毛がブワッと生えだし、彼の体が段々と、目に見えて分かるほど小さく萎んでいく。背後には太い尻尾なんかがある気がするんだが…… 私は幻覚でも見ているんだろうか。

「ぎゃぁぁぁぁぁ!」

 突如悲鳴をあげ、すっかり見違えた姿に変化した狸小路さんが保健室のドアへと突進していく。頭突きでドアを無理矢理破壊したかと思うと、悲鳴をあげ続けながら、彼は私の前から逃げ去ってしまったのだ。

「まさかこれって…… 白昼夢ってやつ?」

 一人ポツンと取り残された保健室の中で、私はただ、壊れて破棄すべき板と化した扉をが転がる空間を茫然と見詰める事しか出来なかった。
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