41 / 79
【監禁されちゃう覚悟ありで、このまま押し掛け旦那になってもいいんですよ】
ご褒美(青鬼陽・談)
しおりを挟む
食事が終わり、料理の入っていた容器を、調理には無関係の品ばかりの台所で洗う。兄さんが『私が洗います』と言ってくれたのだが、それは流石に断った。朝早くから慣れない料理をさせ、そのうえで洗い物までやらせるわけにはいかないだろう。兄さんは先程私がした料理のアドバイスを書き留めるのに忙しそうだし、役割分担が出来て丁度いいとも思う。
職業病なのかな?ああやって、しっかりきっちりまとめないと気が済まないのは。
薬剤師の資格を持ってはいても、私はそれを活かした仕事を出来ていないのでちょっと羨ましく思う。実家の調香だって同じだ。長男だというのに家を継がず、湯川さんに尽くしたいと好き勝手をさせてもらっているせいで、最近は趣味で少し香袋を作ったり、好きな香りの組み合わせで香油を調合するくらいなものだから。
真面目な顔をする兄さんの姿をチラッと見て私が微かに笑うと、兄さんが「あ!」と言いながら顔を上げた。
「すみません、陽さん。じぶ、…… 私、すっかり本題を忘れていました」
“自分”と言いそうになって、“私”と言い直す姿がちょっと可愛い。でも本題とはなんだろうか?お弁当を持って来てくれたコレがそうなのでは?
不思議に思いながらすすぎの為の水を止め、事前に用意してあった飲み物を持って、兄さんの元に戻る。ロクなものが無くってすまない気持ちになりながら、「コレ、ペットボトルのアイスコーヒーで申し訳ないんだけど、よかったらどうぞ」と彼の前に差し出す。
次はもっと高級な物を沢山用意しておこう。私がそう心に決めていると、兄さんはメモをし終えたのか、それら一式を鞄にしまい、別の大きな箱を引っ張り出した。
え?その鞄って四次元ポケットか何か?
確かに大きめの鞄ではあるが、その中に大きな箱とあれらのお弁当を詰め込んで来たと思うと驚きしかない。綺麗に整頓して詰め込めばいけるもの…… なんだろうか。
「コレ、うちの弟からの差し入れです。なんでも『陽さんがいい子にしていたら渡して』と頼まれたんですが、いい子にしていましたか?」
よく意味もわからぬまま訊いている感がものすごいが、無表情のまま首を傾げる姿が可愛いから全力で許す!
「してますよ!」
テーブルになんとなくのせていた手で拳を作り、はっきりと断言した。
上げ膳かもと襲ったりもせず、恥ずかしい欲求は風呂場とお手洗いできちんと済ませ、我慢出来なくなってしまいそうなので兄さんにはこちらから触れないよう努めている。弟妹達が見張っているかもという恐怖があるせいではあるものの、それにしたってここまで我慢している私はもう、“いい子”の体現者と言っても過言ではないはずだ!
「じゃあコレ、どうぞ」
テーブルの上に置き、すっと端を押して私の方へそれを差し出す。見た目はいたって普通の箱だ。装飾は何もないので贈り物という感じではない。
何かを借りる約束でもしていただろうか?
そう思いながら箱を受け取り、膝の上に乗せて中をそっと開ける。兄さんの弟さんは私と同類タイプなので、もしかして何か面白い玩具的なモノが入っているのかもしれない。兄を虎穴に差し出す様な真似はしないかもしれないが、可能性がゼロとも言えず、私は兄さんには見えなよう気を付けながらゆっくりと箱の蓋を開けて、中身を確認した。
冊子かファイル、もしくはアルバム的なものが数冊見える。そしてその上には一枚の手紙が。
『そろそろ飴と鞭の飴が欲しい頃かと思いまして。これらの写真を糧に、また自分の欲求に鞭打って、ボクの家族の貞操を守ってあげて下さいね。続きがまだ沢山あるので、いつかまた。——追伸。明ちゃんのデータも心待ちにしております』
襲わなくて良かったぁぁぁぁ!
上げ膳側に賭けて襲っていたら、この写真が入手出来なかったかもしれないと思うと、そう叫びたい気持ちでいっぱいになった。
「中身はなんだったんですか?」
「前にくれる約束をしていた物だったよ。ごめんね、重かったんじゃない?」
「いいえ、大丈夫でしたよ」と言い、軽くなった鞄を片手に「さて」とこぼしながら兄さんがソファーから立ち上がる。
「どうしたの?」
「用が済んだので私は帰ります。容器はそちらで好きに使って下さい。今後も何かとああいった類の容器は必要でしょうから」
「…… え、何で?来たばかりだよね?用事でもあるの?」
「用事は無いです。強いて言えば、職場に立ち寄ろうかなくらいで。来たばかりとは言っても、もう二時間近くになりますし、これ以上長居をして迷惑をかけたくはないので」
「兄さんを迷惑とか、私がそう思うかもと思われる方が嫌なんだけど」
立ち上がった兄さんの手首を掴んで、ちょっと強めの語気で言ってしまった。
「明日も休みだし、ウチは兄さんの実家よりは会社まで近いから、いっそ泊まってよ。ね?着替えとかは貸せるし、私のが嫌なら一緒に買いに行ったっていいし」
自分も立ち上がって兄さんとの距離を詰め、両腕を掴む。最後まで“いい子”でいたかったのにいられそうにない。もっと側に、いっそもうずっとここに居て欲しいくらいなんだ。監禁は出来ない以上、せめてこんな早く帰っては欲しく無い。
「でも、お休みなので他に用事もあるでしょう?お誘いとかきますよ、大丈夫です」
「そんなものはきたって断るよ。兄さんと一緒に居る方が楽しいもん」
「何を言って…… ダメですよ?家族よりも大事なものがあるでしょう?私とは、少しずつでいいじゃないですか。これから先、長い付き合いになるんですから」
「だけど——」
初めて会ってからの数ヶ月間の間で似たような押し問答を兄さんとしてきたが、こうなっては彼の意思を変えるのは不可能だと経験的にわかってしまい、私は言葉を詰まらせた。『それでも』と言って押し倒すのは簡単だが、せっかくのご褒美や圭くんからの信頼は勢いで失っていい程度の軽いモノでは無い。だがこのままでは感情任せに兄さんを傷付けてしまいそうで、私はまた一歩引く事を選んだ。
こんないい子、どこを探したって私くらいだ!
「…… わ、わかったよ。引き止めてごめんね?だけど、わかって。本当に私には、兄さん以上に優先したい事なんて、それこそ仕事くらいしか今は無いんだからね?休みの日だろうが、終業後だろうが、時間があれば一緒に過ごしたいな」
「それは流石に…… 」
反応に困っているのか、兄さんが私から視線を逸らす。そんな彼に対して言いたいことは星の数ほどにあるけれど、追い詰めてはいけないと思い、苦虫を噛み潰すような気持ちになりながらそっと手を離した。
「じゃあさ、ねぇ、明日も同じ時間に来て欲しいな。一緒にご飯を食べようよ」
「だ、ダメですよ。それこそ日曜の朝は…… あ、いえ。すみません私が口出しする話ではないですよね」
何に気を遣っているのだろうか。私はその理由が気になりつつも放置したまま、話を続けた。
「じゃあ外でお昼を一緒に食べようよ。そのついでに調理器具とか選んで欲しいな」
「…… 寝坊しません?」
「早く寝ます」
「あ、いや…… 中断しろと責めている訳ではないので、そこまでは…… 。って何を私は…… 」
口元を押さえ、何やら複雑そうな顔をする。一体兄さんは何を考えているんだ?だけど今はこの交渉に集中しないと。他に手出しをしては、欲しいものなど手に入らないのだから。
「一人暮らしをしている弟の調理器具を兄と買い、お礼に食事をする。何も不自然なことなど無いでしょう?」
「わ、わかりました。じゃあ…… 家は、マズイな。待ち合わせにしましょう、外で。場所だとかは後で連絡しますから」
「ありがとう、兄さん」
良かった。ひとまず明日の約束を手に入れた。次は毎週の約束を、いずれは毎日だって会えるようにじわじわ言質を取っていけばいい。私達はもうすぐ本当の義兄弟になるのだから、時間はたっぷりあるしね。
上着を着た兄さんを玄関まで送り、開けた扉を押さえておく。
「じゃあ、後で絶対に連絡してよ?私はいつでも出られるから、兄さんの好きな時間で決めてね」
「わかりました」
靴を履き、顔をあげた兄さんが首肯する。私に背を見せて、一歩廊下へ出た辺りで不意に振り返り、兄さんが「そうだ」と声をこぼした。
「眼鏡はどうしたんですか?壊れたりとかしたんですか?」
朝からずっと眼鏡をかけていなかった事を今更指摘された。
「あぁ、あれはね伊達眼鏡なんだよ。湯川さんをリスペクトして真似っ子していただけなんだ」
「そうだったんですか。残念です…… 似合っているのに」
「じゃあ、明日からずっとかけるね。なんだったら一緒にお洒落眼鏡も選んで欲しいな!」
似合ってるの一言が嬉しくって、食い気味に話に乗る。
「今みたいにラフな格好も似合っていますよ。淡いモノだとしてもモスグリーン系の色合いってなかなか着こなしが難しいのに、素敵です。あ、でも正直部屋は殺風景だったから、今度来る時は花でも贈りますよ、花瓶付きで。持っていないでしょう?花でも飾れば、きっと…… 喜ばれますよ」
誰が、喜ぶのだろうか。
兄さん…… かな?
それにしては随分と他人事だ。じゃあ明ちゃんの事だろうか。でも、花を贈ってもらえるというのはとっても嬉しい。この後早速プリザーブドフラワーの技術習得法と薬剤の注文をしないと。兄さんがくれる花を枯らしてたまるか。
「ありがとう。兄さんは優しいね。なんだったらあの部屋、好きに飾ってもいいよ」
兄さん色に染まる部屋…… 悪くない。それどころか天国かよ。仕事を放置してでも帰る頻度が多くなりそうだ。しかも服まで褒めてくれた。この服はもう着ない。傷ませないよう保管しておかないと、一生。
「それは私よりも——…… すみません、もう帰りますね」
何かを言いかけた事が気にはなったが、追及はしなかった。
「うん。朝食本当にありがとう。あと、宅配便役お疲れ様でした」
「いいんですよ。でも突然来てしまって本当にすみませんでした。私は連絡すると言ったんですが、『サプライズが台無しになる』と圭君達に言われてしまって。…… 成功、しましたか?」
「あぁ、大成功だったよ」
いろんな意味で、ホント驚いた。会いに来てくれたのは死ぬほど嬉しかったので、今度から自慰は朝にはしない事にします。いつ兄さんが来てもいいように。
「じゃあ、お邪魔しました」
「うん、またね」
そう言って、兄さんの小さな背中がどんどん遠ざかって行く様子を見送る。エレベーターに乗り、姿が全く見えなくなるまでずっと見ていた。駅まで送る事が出来れば良かったのだが、兄さんは頑固だからなぁ、押し問答をした後は特に。明日の約束を取れただけでもラッキーだったのだからと諦め、『送るよ』とは敢えて言わなかった。
「…… さて、と。この部屋の匂いを再現して、すぐに閉じ込めておかないとな」
居間に戻った時にそう思った私は、プリザーブドフラワーについて調べるのはまた後日とし、今日という一日を兄さんとの思い出の香りの再現に費やした。もちろん、写真を堪能した後で。
職業病なのかな?ああやって、しっかりきっちりまとめないと気が済まないのは。
薬剤師の資格を持ってはいても、私はそれを活かした仕事を出来ていないのでちょっと羨ましく思う。実家の調香だって同じだ。長男だというのに家を継がず、湯川さんに尽くしたいと好き勝手をさせてもらっているせいで、最近は趣味で少し香袋を作ったり、好きな香りの組み合わせで香油を調合するくらいなものだから。
真面目な顔をする兄さんの姿をチラッと見て私が微かに笑うと、兄さんが「あ!」と言いながら顔を上げた。
「すみません、陽さん。じぶ、…… 私、すっかり本題を忘れていました」
“自分”と言いそうになって、“私”と言い直す姿がちょっと可愛い。でも本題とはなんだろうか?お弁当を持って来てくれたコレがそうなのでは?
不思議に思いながらすすぎの為の水を止め、事前に用意してあった飲み物を持って、兄さんの元に戻る。ロクなものが無くってすまない気持ちになりながら、「コレ、ペットボトルのアイスコーヒーで申し訳ないんだけど、よかったらどうぞ」と彼の前に差し出す。
次はもっと高級な物を沢山用意しておこう。私がそう心に決めていると、兄さんはメモをし終えたのか、それら一式を鞄にしまい、別の大きな箱を引っ張り出した。
え?その鞄って四次元ポケットか何か?
確かに大きめの鞄ではあるが、その中に大きな箱とあれらのお弁当を詰め込んで来たと思うと驚きしかない。綺麗に整頓して詰め込めばいけるもの…… なんだろうか。
「コレ、うちの弟からの差し入れです。なんでも『陽さんがいい子にしていたら渡して』と頼まれたんですが、いい子にしていましたか?」
よく意味もわからぬまま訊いている感がものすごいが、無表情のまま首を傾げる姿が可愛いから全力で許す!
「してますよ!」
テーブルになんとなくのせていた手で拳を作り、はっきりと断言した。
上げ膳かもと襲ったりもせず、恥ずかしい欲求は風呂場とお手洗いできちんと済ませ、我慢出来なくなってしまいそうなので兄さんにはこちらから触れないよう努めている。弟妹達が見張っているかもという恐怖があるせいではあるものの、それにしたってここまで我慢している私はもう、“いい子”の体現者と言っても過言ではないはずだ!
「じゃあコレ、どうぞ」
テーブルの上に置き、すっと端を押して私の方へそれを差し出す。見た目はいたって普通の箱だ。装飾は何もないので贈り物という感じではない。
何かを借りる約束でもしていただろうか?
そう思いながら箱を受け取り、膝の上に乗せて中をそっと開ける。兄さんの弟さんは私と同類タイプなので、もしかして何か面白い玩具的なモノが入っているのかもしれない。兄を虎穴に差し出す様な真似はしないかもしれないが、可能性がゼロとも言えず、私は兄さんには見えなよう気を付けながらゆっくりと箱の蓋を開けて、中身を確認した。
冊子かファイル、もしくはアルバム的なものが数冊見える。そしてその上には一枚の手紙が。
『そろそろ飴と鞭の飴が欲しい頃かと思いまして。これらの写真を糧に、また自分の欲求に鞭打って、ボクの家族の貞操を守ってあげて下さいね。続きがまだ沢山あるので、いつかまた。——追伸。明ちゃんのデータも心待ちにしております』
襲わなくて良かったぁぁぁぁ!
上げ膳側に賭けて襲っていたら、この写真が入手出来なかったかもしれないと思うと、そう叫びたい気持ちでいっぱいになった。
「中身はなんだったんですか?」
「前にくれる約束をしていた物だったよ。ごめんね、重かったんじゃない?」
「いいえ、大丈夫でしたよ」と言い、軽くなった鞄を片手に「さて」とこぼしながら兄さんがソファーから立ち上がる。
「どうしたの?」
「用が済んだので私は帰ります。容器はそちらで好きに使って下さい。今後も何かとああいった類の容器は必要でしょうから」
「…… え、何で?来たばかりだよね?用事でもあるの?」
「用事は無いです。強いて言えば、職場に立ち寄ろうかなくらいで。来たばかりとは言っても、もう二時間近くになりますし、これ以上長居をして迷惑をかけたくはないので」
「兄さんを迷惑とか、私がそう思うかもと思われる方が嫌なんだけど」
立ち上がった兄さんの手首を掴んで、ちょっと強めの語気で言ってしまった。
「明日も休みだし、ウチは兄さんの実家よりは会社まで近いから、いっそ泊まってよ。ね?着替えとかは貸せるし、私のが嫌なら一緒に買いに行ったっていいし」
自分も立ち上がって兄さんとの距離を詰め、両腕を掴む。最後まで“いい子”でいたかったのにいられそうにない。もっと側に、いっそもうずっとここに居て欲しいくらいなんだ。監禁は出来ない以上、せめてこんな早く帰っては欲しく無い。
「でも、お休みなので他に用事もあるでしょう?お誘いとかきますよ、大丈夫です」
「そんなものはきたって断るよ。兄さんと一緒に居る方が楽しいもん」
「何を言って…… ダメですよ?家族よりも大事なものがあるでしょう?私とは、少しずつでいいじゃないですか。これから先、長い付き合いになるんですから」
「だけど——」
初めて会ってからの数ヶ月間の間で似たような押し問答を兄さんとしてきたが、こうなっては彼の意思を変えるのは不可能だと経験的にわかってしまい、私は言葉を詰まらせた。『それでも』と言って押し倒すのは簡単だが、せっかくのご褒美や圭くんからの信頼は勢いで失っていい程度の軽いモノでは無い。だがこのままでは感情任せに兄さんを傷付けてしまいそうで、私はまた一歩引く事を選んだ。
こんないい子、どこを探したって私くらいだ!
「…… わ、わかったよ。引き止めてごめんね?だけど、わかって。本当に私には、兄さん以上に優先したい事なんて、それこそ仕事くらいしか今は無いんだからね?休みの日だろうが、終業後だろうが、時間があれば一緒に過ごしたいな」
「それは流石に…… 」
反応に困っているのか、兄さんが私から視線を逸らす。そんな彼に対して言いたいことは星の数ほどにあるけれど、追い詰めてはいけないと思い、苦虫を噛み潰すような気持ちになりながらそっと手を離した。
「じゃあさ、ねぇ、明日も同じ時間に来て欲しいな。一緒にご飯を食べようよ」
「だ、ダメですよ。それこそ日曜の朝は…… あ、いえ。すみません私が口出しする話ではないですよね」
何に気を遣っているのだろうか。私はその理由が気になりつつも放置したまま、話を続けた。
「じゃあ外でお昼を一緒に食べようよ。そのついでに調理器具とか選んで欲しいな」
「…… 寝坊しません?」
「早く寝ます」
「あ、いや…… 中断しろと責めている訳ではないので、そこまでは…… 。って何を私は…… 」
口元を押さえ、何やら複雑そうな顔をする。一体兄さんは何を考えているんだ?だけど今はこの交渉に集中しないと。他に手出しをしては、欲しいものなど手に入らないのだから。
「一人暮らしをしている弟の調理器具を兄と買い、お礼に食事をする。何も不自然なことなど無いでしょう?」
「わ、わかりました。じゃあ…… 家は、マズイな。待ち合わせにしましょう、外で。場所だとかは後で連絡しますから」
「ありがとう、兄さん」
良かった。ひとまず明日の約束を手に入れた。次は毎週の約束を、いずれは毎日だって会えるようにじわじわ言質を取っていけばいい。私達はもうすぐ本当の義兄弟になるのだから、時間はたっぷりあるしね。
上着を着た兄さんを玄関まで送り、開けた扉を押さえておく。
「じゃあ、後で絶対に連絡してよ?私はいつでも出られるから、兄さんの好きな時間で決めてね」
「わかりました」
靴を履き、顔をあげた兄さんが首肯する。私に背を見せて、一歩廊下へ出た辺りで不意に振り返り、兄さんが「そうだ」と声をこぼした。
「眼鏡はどうしたんですか?壊れたりとかしたんですか?」
朝からずっと眼鏡をかけていなかった事を今更指摘された。
「あぁ、あれはね伊達眼鏡なんだよ。湯川さんをリスペクトして真似っ子していただけなんだ」
「そうだったんですか。残念です…… 似合っているのに」
「じゃあ、明日からずっとかけるね。なんだったら一緒にお洒落眼鏡も選んで欲しいな!」
似合ってるの一言が嬉しくって、食い気味に話に乗る。
「今みたいにラフな格好も似合っていますよ。淡いモノだとしてもモスグリーン系の色合いってなかなか着こなしが難しいのに、素敵です。あ、でも正直部屋は殺風景だったから、今度来る時は花でも贈りますよ、花瓶付きで。持っていないでしょう?花でも飾れば、きっと…… 喜ばれますよ」
誰が、喜ぶのだろうか。
兄さん…… かな?
それにしては随分と他人事だ。じゃあ明ちゃんの事だろうか。でも、花を贈ってもらえるというのはとっても嬉しい。この後早速プリザーブドフラワーの技術習得法と薬剤の注文をしないと。兄さんがくれる花を枯らしてたまるか。
「ありがとう。兄さんは優しいね。なんだったらあの部屋、好きに飾ってもいいよ」
兄さん色に染まる部屋…… 悪くない。それどころか天国かよ。仕事を放置してでも帰る頻度が多くなりそうだ。しかも服まで褒めてくれた。この服はもう着ない。傷ませないよう保管しておかないと、一生。
「それは私よりも——…… すみません、もう帰りますね」
何かを言いかけた事が気にはなったが、追及はしなかった。
「うん。朝食本当にありがとう。あと、宅配便役お疲れ様でした」
「いいんですよ。でも突然来てしまって本当にすみませんでした。私は連絡すると言ったんですが、『サプライズが台無しになる』と圭君達に言われてしまって。…… 成功、しましたか?」
「あぁ、大成功だったよ」
いろんな意味で、ホント驚いた。会いに来てくれたのは死ぬほど嬉しかったので、今度から自慰は朝にはしない事にします。いつ兄さんが来てもいいように。
「じゃあ、お邪魔しました」
「うん、またね」
そう言って、兄さんの小さな背中がどんどん遠ざかって行く様子を見送る。エレベーターに乗り、姿が全く見えなくなるまでずっと見ていた。駅まで送る事が出来れば良かったのだが、兄さんは頑固だからなぁ、押し問答をした後は特に。明日の約束を取れただけでもラッキーだったのだからと諦め、『送るよ』とは敢えて言わなかった。
「…… さて、と。この部屋の匂いを再現して、すぐに閉じ込めておかないとな」
居間に戻った時にそう思った私は、プリザーブドフラワーについて調べるのはまた後日とし、今日という一日を兄さんとの思い出の香りの再現に費やした。もちろん、写真を堪能した後で。
0
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。※R6.5/18お気に入り登録300超に感謝!一話書いてみましたので是非是非!
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。 ※R7.2/22お気に入り登録500を超えておりましたことに感謝を込めて、一話お届けいたします。本当にありがとうございます。

俺のねーちゃんは人見知りがはげしい
ねがえり太郎
恋愛
晶は高校3年生。小柄で見た目が地味な晶の義理の弟は、長身で西洋風の顔立ちのイケメンだった。身内の欲目か弟は晶に近づく男に厳しい。過保護で小言の多い弟を『シスコン』だと呆れながらも、すっかり大人のように成長してしまった弟の、子供っぽい執着に『ブラコン』の晶はホッとするのだった―――
※2016.6.29本編完結済。後日談も掲載しております。
※2017.6.10おまけ追加に伴いR15指定とします。なお★指定回はなろう版と一部内容が異なります。
※2018.4.26前日譚姉視点『おとうとが私にかまい過ぎる』及び番外編『お兄ちゃんは過保護』をこちらに纏めました。
※2018.5.6非掲載としていた番外編『仮初めの恋人』をこちらに追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる