義弟が私を“オトコの娘”だと言う

月咲やまな

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【幕間の物語(短話詰め合わせ)・その一】

柔らかい感触(青鬼陽・談)

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ねえさんの手ってさ、柔らかいよね」
 そう言いながら私は、兄さんの柔らかな両手を握ったり緩めたりした。どちらも恋人繋ぎといわれる状態になっている。ここはまだ会社で、周囲には人通りだってあるのに、手を離す事が出来ない。温かで、気持ちよくって、ストレス解消用に売っている柔らかなボールの比じゃない感触の良さに溺れきってしまっている。きっと兄さんは全身がこんなんなんだろうなと思うと、ちょっと呼吸があがってきた。

「…… あの、陽さん?自分はこれから仕事があるんですが」

 兄さんが困惑気味にそう言うけど、私だって仕事があるのだ。こんなふうに出勤したての兄さんを拘束気味にし、ロビーで立ち止まっている時間など無い。無いのに離せなくなるのだから、なんと恐ろしいお手々なのだろうか。

「うん、知ってる。私もだよ。でもねぇ、柔っこくって気持ちよくって」

 周囲の視線がガンガンと刺さってくるが、握ったままでいる。このままUターンして自宅にお持ち帰りしてしまいたい。もしくはトイレとか仮眠室とか使用予定の無い会議室か。バライティーにとんだ選択肢が頭に浮かび、ついついニッと笑ってしまう。
ねえさんってとっても手が柔いけど、筋肉が人よりも少なめなのかな?運動は苦手だったりする?」
 腹筋や二の腕、内腿などに触って筋肉量をチェックしたい所だが、流石にそこまでするには周囲の目が気になってしまう。もし触り方が上手くいき、兄さんの可愛い喘ぎ声とかを導き出せてしまったら、周囲の出勤してきた社員達を全て解雇したくなってしまうからだ。それはマズイ、色々お互いに困ってしまう。
「皆、こんなものでは?陽さんは、男性的な手をしていますよね。それと同じですよ」

 イヤイヤ、違うよ。友人達だって、同僚の寺島だってこんな素敵な手はしていない。

 なのできっと兄さんは筋肉量が少なめなのだ。研究職だし、まぁ納得ではあるけども、ここまで柔らかいとちょっと不安になる。これではまるで少年か女性ではないか。それなりには鍛えた方が、兄さんは残業が多い事なども考えるといい気がする。体力は何をするにも必要だ。栄養は職業柄的にも気をつけているだろうから私が口出しするまでも無いだろうが、体のトレーニングくらいならばいいのではないだろうか。
「ねぇ、ねえさん。今度私と一緒に体力つける気は無い?」
「え、体力を…… つける、ですか?」
「うん。一緒に汗を流してストレス解消って、いいと思わない?ほら、兄弟間での交流にもなるしさ」
 良いアイデアだ。兄さんと一緒に社外で何か出来るかもと思うだけで、テンションが上がる。なのに兄さんはちょっと渋い顔をしていて、あまり良案だとは考えてくれてはいないみたいだ。
「体には良い提案なので、『はい』と答えたい気持ちはあるんですが…… いつ、どこで、どうするかというのが気になります。スポーツと言えるものは授業以外ではやってこなかったのでルールもわかりませんし、そういったものを急に始めるのもちょっと…… 」
 視線を逸らし、気不味そうにされてはなんだか申し訳ない気持ちになってくる。
 私だってスポーツの類はしてこなかった文系人間なので、ルールがわからないのに何も始める気にはなれないといった類の心配はよくわかる。でも走ったり歩いたりくらいなら誰でも出来ると思い、ジムならどうだと提案してみる事にした。

「じゃあ、スポーツジムとかどう?走ったり、自転車をこいだりくらいなら出来るでしょ?」

 走ったばかりの兄さんが、着ているTシャツの裾を引っ張って流れ落ちる汗を拭き取る姿が頭に浮かぶ。あられもなく曝されるお腹は引き締まっているのにつるんとしていて、想像上の兄さんに頬擦りしたくなってくる。
『陽さんは結構綺麗な筋肉のつき方をしているんですね。腹筋とかどうなんです?あ、きっちり割れていてとってもカッコイイなぁ…… ずるいですよ、こんなにして、もう』
 なんて言って、 ちょっと拗ねた顔をしながら、兄さんが私の汗っぽいTシャツを捲り上げ、腹筋の溝を指先でなぞってくれる。そのせいで私がちょっと『んっ』と声をこぼすと、ニヤリと笑みを浮かべながら『アレ?何でこんなトコロが元気になっちゃうんですか?触ってもいませんよね、ココは』と言いながら、少し硬さを持ってしまっている股間をも指先で撫でてくれる。近過ぎて、お腹に当たる吐息が熱い。他にもトレーニングをしている人が沢山居るっていうのに、兄さんったらそんな——

「で、出来なくはないですけど…… 」と言う兄さんの声で我に返る。どうやら私は、数秒間妄想の中に落ちていたみたいだ。
「きっと幻滅しますよ?数メートル走れるかどうかも、その、怪しいんで。あと、その…… 仕事を蹴ってまでは行けないので、場所とかの問題が」
 断る為に必死に頭を動かしている訳ではないとわかり、とても嬉しくなる。

 ただ情けない姿を義弟には見せたくないという兄心が邪魔しているだけなんだね!

 そう勝手に受け止めた途端、私は嬉しさで一杯になり、表情には笑顔が咲いた。
「わかった!じゃあ、ねえさんの仕事に影響がない場所で、靴から何から何まで用意しておけば、一緒にしてくれる?」
「何から何までって、着る物は自分で用意しますよ?サイズとかもあるし、スポーツ用の下着とか、そこまで任せるのは無理なので」

 えー全部用意出来るのにー。サイズとかも推測済なのに。お揃いので一式用意してあげたかったんだけどなぁ、パンツとかパンツとかパンツとか!私と同じくボクサータイプ?それとも意外とトランクス派?あ、でもスカートを穿くから男性向けのショーツかもね。…… ふふふ。
 照れ臭そうに膝下まであるスカートを捲り上げ、『変じゃないですか?このデザイン。似合います?』と、私へ下着の確認を求める姿を想像するだけで、またニヤけてしまう。

「…… よ、陽さん?あの、流石に仕事へ行きたいんですが」

 ハッと再び我に返り、首を横に振る。口の端っこから涎が垂れていないかちょっと心配になった。
「じゃあ二週間以内には、こちらで出来る用意は全て済ませておくから、ねえさんは運動着と室内用のランニングシューズを…… あ、一緒に買いに行こうか?」
「一緒にですか?」
「うん。楽しいよ、きっと。兄弟でのお出かけの約束って、幸せな響きだね!」
「…… そう、ですね」
 まだ兄弟じゃないんだけどなぁと言いたげな顔をされたが、受け流す。だって明ちゃんと光くんが結婚するのは確実だし、もう私達は兄弟も同義。変更などあり得ない未来なのだから。
 じっと顔を見詰め、『好きだよ』と言いたい気持ちをぐっと堪える。人目が無ければ言ってしまっていただろうと自覚出来るくらい、心臓がドキドキしている。一緒に出かけて、買い物をして、お互いに選んだスポーツウェアを着て汗を流す。考えるだけで鼻血が出そうだ。

「約束だよ、ねえさん」
「は、はい」

 言質は取った。後は出かける時間を作るのみ。さぁ働くか!
 兄さんの手を掴み続けていた手の力を緩め、そっと下ろしてあげる。名残惜しさを感じはしつつも、完全に兄さんの手を離す。温かなぬくもりと柔らかな感触が骨張った男っぽい手の中から無くなってしまい、消えた火を見詰め続けている様な寂しさを感じた。

「じゃあ、お互いお仕事頑張りますか」
「はい、では自分はこれで」

 別れの挨拶を軽く済ませ、兄さんとの一時の別れを惜しむ。昼ご飯休憩の時にまた会いに行くつもりなのに、その時間が待ち遠しくてしょうがなかった。


       ◇


 後日。結局街の中のジムを探すとなると移動時間が無駄な気がして、私は社内の空いていたスペースにトレーニングルームを作ってもらった。福利厚生の一貫だと言い張って用意をお願いしたので、兄さんとの二人きりでの利用という訳にはもちろんいかないが、実際に出来上がってみたら他の社員の方々にも好評だったので良しとしよう。

 後はもう、兄さんがお仕事を定時であがれる日を心待ちにするだけだ——
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