恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
74 / 77
最終章

【第五話】囚われの身の上⑤

しおりを挟む
 十六夜が喜びを噛み締めている中、ハデスはデウスの方にスッと手を伸ばした。彼の冷ややかな眼差しは他者に向けるべきではない程に暗く澱み、その視線だけで全てのものを凍り付かせてしまいそうだ。

「んじゃ、そろそろ消えてもらおうか」

 眠る前に、部屋の明かりや蝋燭の火でも消すみたいな軽いノリでデウスがそう口にする。すると彼の側に控えていたセフィルはその発言を聞き、どこからともなく一冊の分厚い本を取り出した。十六夜にとっても馴染み深い革製の古そうな表紙には、見た事も無い文字が書き並んでいる。読めはしないがきっと、その本のタイトルは『君は僕の可愛い獣』だろうと彼女は思った。
「…… き、消える?」
 デウスは『意味がわからない』と言いたげに呟くと、少し考え、やっと自分の置かれた状況を理解したのか、「——ま、待て!」と慌てて叫んだ。降参でもしているみたいに両手を軽く上げたが、ハデスが手を下げる気配は無い。

「『消える』とは、まさか…… 我の事を言っているのか?」

 声は震え、威厳の欠片もない。怒りや恐怖といった感情がない混ぜになった様な複雑な表情をしている。そんな表情のせいですっかり小物感を漂わせており、十六夜と二人だけだった時に感じた神々しさや恐怖心は一体何だったのかと彼女は思った。
「お前以外に、対象となるものが誰かいるって言うのかい?」
 首を一度傾げ、嫌味ったらしくハデスは周囲を見回す。が、粉々になった空間の欠片が舞っている青空の下で宙に浮いているこの状況で、この四人以外の『誰か』を見付けられるはずがなかった。
「わ、わわ、我を消せば、この世界はどうなるかわかっているのか?最高神である我が消えれば、この星に暮らす無数の生命達が指針を失う事になるんだぞ?…… 本体である貴様に会ってやっとわかった、ハデスも我と同じく“神”なのだろう?約二十年、この世界で生きてきた“ハデス”ならば、“神”であるなら、幾億万もの命を消し去るなど出来やしないだろう?」

「お前が先に見捨てた世界を、何故僕が気に掛けなければならないんだ?」

 ハデスがそう言ったのと同時に、デウスは一瞬にして跡形も無く消え去ってしまった。…… まるで、最初からそこには誰もいなかったみたいに。命乞いする間も、言い訳や彼なりの言い分を更に口する隙もなくだ。
「…… え?」
 十六夜はぽつりと呟き、ハデスが頭から被っているフード部分をぎゅっと掴む。いくらデウスという存在が物語の登場人物にすぎないとしても、欠片の慈悲もない行動に対し、十六夜は驚きを隠せない。だが、助けてもらった身としては、『酷い』とも『やり過ぎだ』とも言えず、ただただ困惑してしまう。

 彼女がハデスに対して何も言えずにいると、足元に広がる広大な世界に揺らぎが生じた。星を守る主軸となっていた最高神であるデウスを失い、全てを構築している何かしらが不安定になり始めたのだろう。物語上では端役であろうと、神には変わりないのだから。
「セフィル。すまないけど、後は頼めるかい?」
「了解です」
 はぁとセフィルが大げさにため息をつく。『こんな事の為に呼び出しやがって』と思っている感情がそのため息にありありと現れていた。

 セフィルの持っていた一冊本がふわりと浮き上がり、勝手に開いていく。浮き上がった本とセフィルの手が同時に淡く光ったかと思うと、周囲の揺らぎが次第に落ち着いていった。いとも簡単に、彼の手によってこの物語の世界の均衡は保たれたみたいだ。本にまつわる精霊か付喪神の様な存在であるセフィルにとっては息をするよりも容易い事だったのだろう。

「…… 」
 しばらく黙って様子を伺っていた十六夜だったが、意を決して「——あ、あのっ!」とハデスとセフィルに声をかけた。
「ん?どうかしたのかい?」
「デウスさんは…… どうなったんですか?」
 目の前で消え去ったが、一瞬の出来事だったせいで事実を受け止めきれない。もしかして、『存在そのものを消し去ったんじゃなく、危険だからと別の何処かに移動させたのかも?』と少し思ったりもしたのだが、ハデスから返ってきた言葉は彼女の甘い考えを見事に打ち消すものだった。

「完全に消し去ったよ。だって、アレは十六夜に危害を加えたんだから、当然だよね」

 褒めて褒めてとハデスの声が弾んでいる。だが十六夜は彼の望み通りの行動をする気には、とてもじゃないがなれなかった。
「…… あ、あの、えっと…… 」
「どうしたの?何か言い難い事でもあった?」
 そう訊きながらデイスは肩から十六夜を下ろし、向かい合う様にして彼女を抱く。コツンッとお互いの額を重ねると、瞼を閉じて「ゆっくりでいいよ、僕に教えて?」と優しい声色で伝えた。

「…… デウスさんを、元に戻してあげる事は、出来ませんか?」

「彼を?」
「あ、甘い考えだって事は、はわかっています。でも、でも…… あのヒトの心境が、少しは理解出来ると言うか…… も、もちろん世界樹の養分にされそうになった事は許せません。許せません、けど…… 信じていたものが、感じていた事の全部が自分の考えや感情じゃないんだってなったら、かなりキツイと思うんです。それこそ、何としてでも現状を変えたいって必死に足掻きたくなる気持ちは、ちょっとわかるなって思って」
 ゆっくりと、でもきちんと考えを伝え終えた十六夜がハデスの首回りにぎゅっと抱きついた。『どうかお願いです!』と気持ちを込めて。
「んー…… 」と少し悩み、「わかった」とハデスが答える。そして十六夜の背中をぽんぽんと軽く叩いた。

「セフィル、追加で頼むよ」
「でも…… 」
 ハデスの頼みに対し、セフィルは少し迷いを見せた。
「いいから」
 不自然な笑みを浮かべ、ハデスが念を押す。すると彼は「わかりました」と言って頷き、手に持つ本を開いてすぐさま対処し始めた。

「——これでいいですか?」
 パタンッと分厚い本を閉じ、右側にしているモノクルを指先でくいっと上げる。本当に望み通りになったのかを確認する術は十六夜にはなかったが、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、セフィルさん」
「どういたしまして」
 そう返しはしたが、彼の表情には少し気まずそうな雰囲気が感じられる。

『…… 一応はそれっぽくしておきましたが、コレでいいですか?』
 セフィルはハデスにしか聞こえない音で、彼に声を掛けた。
『あぁ、ありがとうセフィル。本当に感謝するよ』
 同じくセフィルにだけその声は聞こえ、ハデスが彼に笑顔を向ける。
『…… 十六夜さんに手出しなどせず、あのまま大人しくしていれば、いずれは本当に願いが叶ったのに。馬鹿な事をしましたね、デウスという者は』
『あぁ、そうだね』
 セフィルはハデスの横に並び立ち、太陽の方へ目を向けた。
『アレはお前みたいな付喪神になりかけていたからなぁ。でもそのせいで、自分の世界が誰かの書いた物語でしかないと悟ってしまった。…… 知らなければ、せめて“設定”で持たされた権能が“全知全能”でなければ、奴は善神のままでいられただろうに』
『そうですね。せめて、貴方が物語に介入した時に、“アイデース”という鳥獣人に取って代われた時点で、自分の変化に気が付けていたら、また結末は違ったでしょうに』
 突如強い風が吹き、セフィルと十六夜の長い髪を乱していく。だけど彼女は嬉しそうに瞳を細め、風の流れるまま身を任せた。正直に自分の考えを伝え、ハデスがその頼みを聞き入れてくれた事を嬉しく思っている。

 だが実は、元の通りにと言った十六夜の願いは叶ってはいない。

 ハデスの権能により消えた存在を元通りにするなど、本の精霊の様な存在であるセフィルにも無理な事だったからだ。文章上の存在のままだったのなら簡単に戻せたのだが、本の付喪神になりかけていた無二に存在を、欠片も残さず完全に消し去ってしまった後ではもうどうにもならない。だからセフィルは仕方なく、“デウス”と似て非なる者を新たに創り、後釜に据えた。その事はあえて伝えずともハデスも理解している。だけど二人がその事実を十六夜に伝える気配はまるでない。

「ハデス様も、許可して下さってありがとうございます」
「十六夜のお願いだからね。それに僕も、思い出深い世界を元通りに出来て嬉しく思うよ」

 悪びれもせずに笑顔でそう言うと、ハデスは「さて、僕達は部屋に戻ろうか」と口にして十六夜を高らかに持ち上げた。
 彼女に対して一つ秘密が出来てしまったが、二人が黙ってさえいれば済む事なので全く気にも留めていない。むしろ自分から十六夜を奪おうとした者を完全に消し去ったからか、満足気ですらある。
 そんなハデスの様子を見て、『…… 自分は決して、ハデスの怒りを買うまい』とセフィルは改めて決意を固めた。

「では、私も妻の元に帰りますね」
「あぁ、そうだね。今回の件はいつか必ず礼をするよ」
 自分も帰ると告げたセフィルにハデスがそう返す。その言葉を聞き、「約束ですからね?」と告げた次の瞬間にはもう、セフィルは早々にその場から消え去って行った。もちろん行き先は彼の愛妻のすぐ側だ。
「…… お早い、お戻りですね」
「あはは、そうだね。でも気持ちはわかるな、僕だって十六夜と離れている間はずっと、すぐにでも十六夜に逢いたくってたまらなかったもん」
 ぎゅっと十六夜を抱きしめくるっと回る。すると二人の姿も物語の中から居なくなり、彼らはいつもの真っ白な空間へ即座に戻って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

君は僕の番じゃないから

椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。 「君は僕の番じゃないから」 エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。 すると 「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる イケメンが登場してーーー!? ___________________________ 動機。 暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります なので明るい話になります← 深く考えて読む話ではありません ※マーク編:3話+エピローグ ※超絶短編です ※さくっと読めるはず ※番の設定はゆるゆるです ※世界観としては割と近代チック ※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい ※マーク編は明るいです

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...