恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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最終章

【第ニ話】囚われの身の上②(十六夜・談)

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「んー。絶望から泣き狂うかとも思ったんだが、お前は案外図太い神経の持ち主の様だな」
 焦りを感じてはいるが、恐怖してはいないせいかガッカリされてしまった。感情のブレが少なかった期間が長かったからか、表情筋が死んだみたいに働かない。その事がこの状況を好転させるきっかけになるとは到底思えないが、少なくとも『彼の思い通りはならなかったぞ』と、一泡吹かせてやった気分にはなれたので良しとしよう。
「で?貴方の目的は何なんです?さっき、二千年近くがどうこうと言ってましたけど」
 意図的に表情を殺してそう訊くと、デウスは私から指先を離し、元居た倒木に座り直した。

「…… お前は、自分の存在を疑った事はあるか?」

「自分の存在を、ですか?」
 意図の掴めない質問をされ、返答に困る。するとデウスは苦笑いを浮かべた。
「“鳥獣人”だった期間のあるお前だ、この星の神話くらいは知っているだろう?」
「えぇ、まぁ」
「…… 同族達と、戯れでこの星に生命を流布した当時。我にはまだ“デウス”という名前も、この容姿すらも持っていない、神聖な力を帯びた光の塊でしかなかった」
「確か、地上に生きる人々が名前を捧げ、壁画に描いた容姿により初めて姿を得た神は、その想いに応えてこの星の人々を見守ると約束したんでしたよね」
「あぁ、そうだ。今はこの様に人間やヒトに近い容姿をしているが、初めの姿はかなり笑えたぞ。我の輝く様子を表現したかったのか、真っ白なウニみたいな姿形だったんだからな」
 思い出し笑いをし、デウスは口元を手で隠した。
「それでも嬉しかったし、楽しかった」と呟くようにこぼし、話を続ける。
「彼らが抱く信仰心は神々に力を与える。神々と人々は、遥か昔は持ちつ持たれつの関係だんだ。…… だが、人間の数が増えに増え、文明が発展していくにつれて次第に人々は信仰を忘れ、神々を蔑ろにし始めた。人として捨ててはいけない真理を忘れた者達は同族同士で争い、この星を壊し、終焉への一途を辿る事となる」
「『だけど神々は人々を見捨てなかった。遥か昔の約束だとはいえ、人々を護ると決めていたから』ですよね?」
「そうだ。…… だが、直接手を貸す事に異議を唱えた者の方が圧倒的に多かった。が、あのままでは確実にこの星そのものを破壊していたから、助けようと説得に説得を重ねたんだ。我々の根源たる星を、そして死にゆく人々と数多の生命を救おうと必死だった、身を粉にした、心労で倒れるかと思った程だった」
 そう言って、クスクスと笑いながらデウスは空を見上げた。

、現状まで復興を遂げた時は本当に嬉しかったよ」

 遠い目をし、デウスがポツリと呟く。何故か『初めて』と言う彼の言葉が妙に重たく感じ、胸の奥に引っ掛かった。
「だがな、ある日突然、既視感を覚えたのだ。『この状況を、この感情を、自分は知っている』とな。急にそう感じた時、我は権能により全てを悟った」
 歯を食いしばり、ギリッと奥歯が音を立てる。彼の中性的で端正な顔の眉間に深い皺が刻まれ、表情に影が差した。

「我は今までにも、幾度となく、同じ経験をしてきている事に気が付いたのだ」

「…… 」
 黙ったまま話の続きを待っていると、彼は深い溜息を吐き、膝に頬杖をついた。焦点も合わぬまま遥か遠くを見詰め、すっと細めたデウスの透明に近かった青い瞳の奥に闇が混じっていく。
「我の持つ権能は“全知全能”だ。故に、神々の頂点にある。そのせいで知ってしまったんだよ、『自分は所詮、この物語の中にほんの数行しか登場しない瑣末な存在にしか過ぎないのだ』とね!」
 両腕を広げ、発する声の後半はもう、叫びと言うに相応しいものだった。強い語気からは悲痛な思いが感じ取れる。

「お前にはわかるか⁉︎素知らぬ誰かが最初のページを開くたびに、何度も何度も何度も何度も、同じ事を繰り返し繰り返し繰り返し経験していく事の苦しさを!“最高神”というこの立ち位置にある我も、所詮“物語の作者”という名の絶対的な存在の傀儡でしかない苦痛を!その虚しさが、どれ程のものなのかを!」

 デウスの感情に呼応しているのか、綺麗な青空は一気に真っ黒な雲に覆い尽くされ、雷鳴までもがドンッと轟いた。太陽は完全に鳴りを潜めて姿形も見えず、大地は怒りに震えている。
「何が起きるのかを知っているからこそ、何度もあらすじを変えようと試みた。なのに“物語”の強制力の強さにより決まったルートにしか進めないんだ。周囲の者達は何度も同じ内容の話しを口にし、我が何を言おうが聴いちゃいない。決まったストーリーを真剣に演じている様子を、ただ呆然と見送るだけの日々なのに、“神”であるが故に心を壊す事すら出来ないんだ」
 その辛さが、重たさが。話を聞くだけでも想像を絶するものであるとは理解出来る。だが無駄に歳を重ねただけの私ではかける言葉を持ち合わせておらず、下手な事を口にして逆鱗に触れてはならないと思うと、デウスに何も言葉を返せない。

「だがな、今回は違ったのだ。中身の読み解けない異物が突如物語に介入してきたんだ。——お前なら、誰だかわかるだろう?」

「ハデス様…… ですか?」
「そうだ」と言い、デウスが頷く。
「これといって名前も呼ばれないような影の薄い存在が“ハデス”という名を得て人生をスタートさせた途端、我でも物語に介入出来る様になったのだ。こんな事は前例がない。本当に初めての事で、我はこの現象に期待した。『何かを変える事が出来るのでは?』とな。手始めに冥府の王である“ハデス”の別名である“アイデース”を名乗り、近づき、奴の乗っ取りを試みた。だが…… 何故か無理だった。ただの人間でしかないはずなのに、我の力が全くと言っていい程通じぬのだ」
「ア、アイデースさんが…… 」
 同じ“鳥獣人”同士、仲間であり、味方の様に思っていた相手が裏ではそんな事をしていたのだと知り、少しショックを受けた。まだ物語内に居た時の余韻が体と心に残っているみたいだ。
「焦ったかったよ、全知であるはずの我にすらわからぬ存在の登場は。だが…… ちょっとだけ楽しくもあった。先の読めない久しぶりの感覚に、正直心が踊ったものだ」
「…… 」
「そんな日々が続き、人間達の一番近くで鳥獣人を演じる日々にも慣れて二十年近く経った、ある日の事——」

「今度は、お前という存在が人間達の村にやって来た」

 そう言って、デウスは私の顔を指差した。
「お前は自分がどういう構造をした存在か知っているか?あぁ、“鳥獣人”としてのお前じゃないぞ、ハデスの番である、お前自身の話だ」
「…… 構造、ですか?」
 自分がハデス様の何かしらから産まれた事までは知ってはいるが、構造がどうこうと訊かれると、正直『わからない』としか答えられない。だがそれすらも言っていいものかと迷っていると、デウスはニヤリと笑った。
「知らないみたいだな。まぁいい。お前が知っていようがいまいが、今後に影響は無いからな」と言って立ち上がると、また私の前まで彼は近づいて来た。そしてこちらに向かって両手を伸ばし、私の頭部を両サイドから挟み込むみたいにして触れてきた。

「悔しい事に、力の差なのか、ハデスアレの正体は分からず終いだ。だが、アイツの下位互換にすぎぬお前の事は我でも読み解ける」

 見下すような目をし、デウスは私の瞳をじっと覗き込んでくる。距離があまりに近過ぎて吐き気がしそうだ。
「お前は、“ハデス”という存在の核となる部分の欠片がベースになっているのだ。その周囲を“記憶”や“経験”といったものが包み、“十六夜”と名付けられている事で辛うじてヒトとしての形を得ているだけの存在に過ぎない」
 ククッと喉の奥からデウスの笑い声が溢れ出る。

「じゃあ、その“記憶”や“経験”を他者の物に書き換えられたら、お前はどうなると思う?」

 デウスの、青かったはずの瞳が益々漆黒へと染まっていく。彼から滲み出ていた神々しさは一切消え去り、弧を描く口元には悪意しか感じ取れない。だけど手足は世界樹の根に拘束されたままなせいで、私はただ、神が堕天していく瞬間にも等しいこの様子を呆然と見守る事しか出来なかった。
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