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最終章
【第一話】囚われの身の上①(十六夜・談)
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馴染みある、深淵の奥深く深くに沈んでいた意識がゆるりと浮上していく感覚が意識を包み、胎児のような体勢で、大きなシャボン玉の中にでもいるみたいな状態になっている。随分と忙しい、名ばかりの“休暇”に入ってもう何度も経験している感覚なせいか、今回も全く恐怖は無い。むしろ意識を取り戻すこの瞬間、今までで一番心が躍っている。『君は僕の可愛い獣』という名の物語の世界から切り離される直前に見た“ハデスさん”の嬉しそうな笑顔が瞼に焼き付いていて、今回は新たにあの素敵な笑顔を獲得した“ハデス様”が私を迎え入れてくれると確信しているからだ。
きっと今度こそ、私の気持ちをきちんと認めてくれるに違いない。
始まりは他からの提案だったとはいえ、彼欲しさに誘拐まで実行した事をとても喜んでくれていたんだもの。流石にもう二人の抱える愛情の温度差を気にしないでくれるはずだ。伴侶として、きっと添い寝以上の行為を求めてくれるに違いない。
そんな淡い期待を胸の中に秘めながら瞼を開けると、何故だか目の前にはいつもと全く違う、見知らぬ光景が広がっていた。広大な青い空、何処までも続く草原には華やかな花々がそこかしこに咲き誇って情景に色を添え、地平線を取り囲む様に山脈が連なっている。そして私のすぐ側には、空をも支えられそうな程に巨大な樹木が鎮座していた。
「…… これって、まさか世界樹?」
驚きに目を見開き、巨大な樹を呆然としながら見上げた。一つ前の世界に居た頃に読んだ本の中で描かれていた世界樹・ユグドラシルの絵によく似た樹がキラキラとした光を数多に纏いながら堂々とした姿で大地に根付いている。私とハデス様が毎夜過ごしていた部屋にも白い樹皮に紫色の葉を持つ大きな木が一本生えていたが、それとは雲泥の差であり全くの別物で、此処はいつもの空間では無いのだと確信を得る。
「——やっと起きたみたいだな」
聞き覚えのある声が突如聞こえ、すぐさまそちらに顔を向ける。だけどそこには全く見覚えのない存在が神々しい光を背にして立っていた。
周囲の光を一身に受け、そのせいで眩しいとすら思う金色の髪は平安時代の女性並みに長く、青い瞳は透明度の高いサファイアが如く輝いている。顔立ちはとても中性的で、声を発しなければ女性と見間違ってしまいそうだ。なのに男性らしい筋肉を絶妙なバランスを有し、整ったスタイルと陶器のように艶やかで真っ白な肌は人目を惹く。『まるで世界中の美を詰め込んだ存在だ』と形容する者もいそうな容姿をしているが…… 私は、ハデス様の褐色の肌の方が数万倍も美しいと思った。
訝しげな顔を隠す事なく『誰?』と考えながらじっと見詰めていると、「気分はどうだ?」と訊かれ、私は素直に頭を横に振った。目覚めてすぐにハデス様の顔を見られるはずだと思っていたというのに、全然知らない赤の他人が側に居たのだ、気分が上がる事など有り得ない。求めていた存在と違うとなると、相手が美形であれば何でも許せるとはいかないみたいだ。
「返事もしたくない様だな。それ程にご機嫌は斜めか。まぁいい、『此処何処だ』と驚いているせいもあろうしな」
一人勝手に納得しているその姿に対し、不快感を覚える。
(こんなヒトの事など無視して、さっさと帰ろう)
だがまずは現状を把握せねばと辺りを見回し、私は体の違和感にやっと気が付いた。側に生えている御大層な巨木の根っこが私の手足に巻きつき自由を奪っていたのだ。だが、パッと見た感じではまとわりついているという感じでしかない。ならばと思い、力一杯引っ張ったが、即座に呼応するみたいに絡みついていき、木の根はビクともしなかった。
「無駄だ、その根は一度得た獲物は逃さない。我が許可せねば永遠にそのままだ」
目の前の存在は、そう言ってニタリと笑う様すらも眩しく、神かと見紛う程である。
「何が目的なんですか?」
思わしくない状況のせいか冷たい汗が頬を伝う。
「目的、か。真っ先に知りたい事ではあると理解出来るが時間はたっぷりある。何せ、対処せねばならない対象が二千年分近くもあるのだからな」
「…… ?」
意味がわからず黙っていると、彼は一歩前に進み出て自身の胸辺りをとんと叩いた。
「まずは名乗ろう。それがヒトや人の礼儀なのだろう?——我の名はデウス。お前達が『鳥獣神』と呼び、慕う者達の中でも最高位を誇る者だ」
聞いた事のある名だ。確か“鳥獣人”達の始祖として名を連ねている者の一人として認識している。力ある者として神々を統べているが、確かこのデウス神自身に御子は一人もいなかったはず。
「帰還状態には入っていたお前自身はもう“鳥獣人”ではないが、その時の記憶はあるだろう?」
確かに全ての記憶はある。だからか本能的にも、彼の見た目からも、自らをデウスと名乗る者が本物のデウス神であると理解出来た。
「…… はい。あります」
彼は『だろうな』と言いたげに軽く笑うと、デウスは近くにある倒木に腰掛けた。細く、長い尻尾が彼の背後で揺れている。髪色や尻尾の形状的に多分デウスは金獅子の鳥獣神だろう。
「じゃあ次は、此処が何処なのかを教えてやろう」と言い、彼は両手を広げて自慢げな顔をしながら周囲を軽く見渡した。
「此処は我が創り出したプライベート空間だ。東洋の神話にある『天の岩戸』を封じた力を参考にしているから外から入る事は不可能だし、当然我々を引き摺り出す事も出来ないぞ」
不敵な笑みを浮かべ、デウスは一瞬にして間を詰め、私の目の前に立って指先でくいっとヒトの顎の持ち上げた。
「つまり、此処へは誰も助けに来られないって事だ」
世界樹であるユグドラシルの根が手足を拘束しているせいで動けず、外からの助けも得られない。今の自分はまさに『詰んだ』状況である事を叩きつけられ、頭の中が真っ白になった。
きっと今度こそ、私の気持ちをきちんと認めてくれるに違いない。
始まりは他からの提案だったとはいえ、彼欲しさに誘拐まで実行した事をとても喜んでくれていたんだもの。流石にもう二人の抱える愛情の温度差を気にしないでくれるはずだ。伴侶として、きっと添い寝以上の行為を求めてくれるに違いない。
そんな淡い期待を胸の中に秘めながら瞼を開けると、何故だか目の前にはいつもと全く違う、見知らぬ光景が広がっていた。広大な青い空、何処までも続く草原には華やかな花々がそこかしこに咲き誇って情景に色を添え、地平線を取り囲む様に山脈が連なっている。そして私のすぐ側には、空をも支えられそうな程に巨大な樹木が鎮座していた。
「…… これって、まさか世界樹?」
驚きに目を見開き、巨大な樹を呆然としながら見上げた。一つ前の世界に居た頃に読んだ本の中で描かれていた世界樹・ユグドラシルの絵によく似た樹がキラキラとした光を数多に纏いながら堂々とした姿で大地に根付いている。私とハデス様が毎夜過ごしていた部屋にも白い樹皮に紫色の葉を持つ大きな木が一本生えていたが、それとは雲泥の差であり全くの別物で、此処はいつもの空間では無いのだと確信を得る。
「——やっと起きたみたいだな」
聞き覚えのある声が突如聞こえ、すぐさまそちらに顔を向ける。だけどそこには全く見覚えのない存在が神々しい光を背にして立っていた。
周囲の光を一身に受け、そのせいで眩しいとすら思う金色の髪は平安時代の女性並みに長く、青い瞳は透明度の高いサファイアが如く輝いている。顔立ちはとても中性的で、声を発しなければ女性と見間違ってしまいそうだ。なのに男性らしい筋肉を絶妙なバランスを有し、整ったスタイルと陶器のように艶やかで真っ白な肌は人目を惹く。『まるで世界中の美を詰め込んだ存在だ』と形容する者もいそうな容姿をしているが…… 私は、ハデス様の褐色の肌の方が数万倍も美しいと思った。
訝しげな顔を隠す事なく『誰?』と考えながらじっと見詰めていると、「気分はどうだ?」と訊かれ、私は素直に頭を横に振った。目覚めてすぐにハデス様の顔を見られるはずだと思っていたというのに、全然知らない赤の他人が側に居たのだ、気分が上がる事など有り得ない。求めていた存在と違うとなると、相手が美形であれば何でも許せるとはいかないみたいだ。
「返事もしたくない様だな。それ程にご機嫌は斜めか。まぁいい、『此処何処だ』と驚いているせいもあろうしな」
一人勝手に納得しているその姿に対し、不快感を覚える。
(こんなヒトの事など無視して、さっさと帰ろう)
だがまずは現状を把握せねばと辺りを見回し、私は体の違和感にやっと気が付いた。側に生えている御大層な巨木の根っこが私の手足に巻きつき自由を奪っていたのだ。だが、パッと見た感じではまとわりついているという感じでしかない。ならばと思い、力一杯引っ張ったが、即座に呼応するみたいに絡みついていき、木の根はビクともしなかった。
「無駄だ、その根は一度得た獲物は逃さない。我が許可せねば永遠にそのままだ」
目の前の存在は、そう言ってニタリと笑う様すらも眩しく、神かと見紛う程である。
「何が目的なんですか?」
思わしくない状況のせいか冷たい汗が頬を伝う。
「目的、か。真っ先に知りたい事ではあると理解出来るが時間はたっぷりある。何せ、対処せねばならない対象が二千年分近くもあるのだからな」
「…… ?」
意味がわからず黙っていると、彼は一歩前に進み出て自身の胸辺りをとんと叩いた。
「まずは名乗ろう。それがヒトや人の礼儀なのだろう?——我の名はデウス。お前達が『鳥獣神』と呼び、慕う者達の中でも最高位を誇る者だ」
聞いた事のある名だ。確か“鳥獣人”達の始祖として名を連ねている者の一人として認識している。力ある者として神々を統べているが、確かこのデウス神自身に御子は一人もいなかったはず。
「帰還状態には入っていたお前自身はもう“鳥獣人”ではないが、その時の記憶はあるだろう?」
確かに全ての記憶はある。だからか本能的にも、彼の見た目からも、自らをデウスと名乗る者が本物のデウス神であると理解出来た。
「…… はい。あります」
彼は『だろうな』と言いたげに軽く笑うと、デウスは近くにある倒木に腰掛けた。細く、長い尻尾が彼の背後で揺れている。髪色や尻尾の形状的に多分デウスは金獅子の鳥獣神だろう。
「じゃあ次は、此処が何処なのかを教えてやろう」と言い、彼は両手を広げて自慢げな顔をしながら周囲を軽く見渡した。
「此処は我が創り出したプライベート空間だ。東洋の神話にある『天の岩戸』を封じた力を参考にしているから外から入る事は不可能だし、当然我々を引き摺り出す事も出来ないぞ」
不敵な笑みを浮かべ、デウスは一瞬にして間を詰め、私の目の前に立って指先でくいっとヒトの顎の持ち上げた。
「つまり、此処へは誰も助けに来られないって事だ」
世界樹であるユグドラシルの根が手足を拘束しているせいで動けず、外からの助けも得られない。今の自分はまさに『詰んだ』状況である事を叩きつけられ、頭の中が真っ白になった。
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