恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第三十一話】罪と罰

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 ぎゅっと強く拳を作り、十六夜がアイデースの前に進み出た。先程まで彼女の手を握っていたハデスは引き止めようとはしなかったが、名残惜しさを感じた彼の手が宙を掴む。だがアイデースは覚悟を決めて目の前に立った十六夜の方ではなく、何故かハデスの方へ声を掛けた。
「ハデス。お前はどうしたい?村に帰って新しく婚約者を選び直して予定通り結婚して嫁達を貰うか、このままニケ達と一緒に村を出るか。お前には彼女達程には外への憧れは無いだろう?俺が思うに、今回の件に巻き込まれただけだろうからな。今聞き知った話は口外無用だと誓えるんなら、元の生活に戻してやってもいいぞ」
 アイデースの提案に対し、ハデスは首を横に振った。

「いや、僕もこのまま村を出るよ。どうせあの村に未練なんか無いし。でも、ニケ達と一緒に居る気も無い。僕は僕で自由にさせて欲しい」

「…… このまま村を出るっつーんなら、アイツらとは別々にってのは無理じゃねぇか?ニケもアイギナも、シスコンのリリスでさえ昔っからお前との結婚を熱望してたろ。今だって昏睡していたお前を手押し車の荷台に乗せてまで連れ出していたくらいだ。よっぽど村に置いて行くには惜しい相手だと思われてんじゃねぇのか?」
 そう言って視線を投げられ、ニケ、リリス、アイギナの三人が気不味そうに顔を見合わせた。

「いいや。彼女らが僕との結婚にこだわったのはどうせ、僕ならいずれ嫁達全員に逃げられても、全然傷付かないと踏んでいたからだと思うよ」

 ハデスが三人に対して呆れ顔を向けると、ニケ達は揃ってしゅんっと項垂れてしまう。付き合いが長いとは言え、流石にそこまで悟られているとは思ってもいなかったみたいだ。
「まぁ、僕だって彼女らと夫婦らしい事をしたいなんて考えてもいなかったし、お互い様だからいいんだけどね」
「そっか。こう言っちゃぁお前らには悪いが、血縁もそれぞれ遠く、他の奴らとはまともに付き合えなさそうな余り者同士を寄せ集めただけみたいなカップリングだったんだけどな。良いか悪いのかは別として、利害は上手く噛み合っていたって訳か」
 アイデースが納得顔で頷く。子供時代から知っているハデス達の過去を振り返り、思い当たる情景が多々あったみたいだ。

「わかった。犯罪者って訳でもないお前ら四人に外で野垂れ死されても困るから、教育係と今後のサポート役をそれぞれにつけてやる。いずれは自分達で食い扶持を稼いで貰う事になるが、そのくらいやれるよな?」
「あぁ、もちろんだ」とニケは自身の胸を叩いで素直に頷いたが、リリスの方はまだアイデースを疑っているのか「…… でも」とこぼし、不満気な様子である。

「どうして、そこまで親切なの?『村の外は危険だ。許可無く出てはいけない』って散々言われていたのに、ワタシ達は勝手に黙って出たんだよ?普通、罰があるものじゃないの?」

「なんだ。罰して欲しいのか?意外に変態だったんだなぁ。よーし。んならすぐにでもお前ら三人だけをこの場に放置して、すぐにでも野生種の獣に食わせっか?俺は別にそれでもいいんだぞ?」
「べ、別に、それを望んでるんじゃやなく!」
 ニケと共に長年鍛えてきたので体力に自信はあれども、実戦経験がないので、正直野生の獣は怖い。リリスは正直にそう叫ぶと、半べそ気味になりながらニケにぎゅっと抱きついた。
「わかってるって、無駄に脅かして悪かったな。お前が言いたいのは『見返りを求めない厚意や親切が怖い』って話だろ?だが、俺達がこうやって人間達を手厚く支えてんのはただ、俺達の始祖である者達の立てた方針に従ってるだけだ。上の方々は『これ以上星を荒らす害悪は容赦なく見捨てるが、善人は生かし、活かす』って考えをお持ちでな。お前らみたいに繁殖向きじゃない個体が発生すんのは今に始まった事じゃねぇから、とっくにそれ相応の対応が確立されてんだよ。だから俺達は外界に出たい奴らの悩みをこっそり聞き、相談に乗って、本当に過去を捨てる覚悟がありゃあ、『別の村に用事があって、移動している最中に獣に襲われて死んだ』とか『流行病で死んだ』とか。んな感じの理由を適当に作って村から切り離してこっちで匿ってきたんだ。お前らみたいに一切の相談もなしに自力で脱走する奴らは久々だったが、だからって見捨てたりはしねぇよ。でもまぁ、そんなこんな感じなせいで、人間達の繁殖が散々年数を費やしている割にはサッパリ上手くいってねぇんだが…… まぁ、無理強いしたってどうしょうもねぇ事だから、その辺はもう諦め始めてる」

「…… ねぇ。さっきから、人間、人間って、まるで自分達は人間じゃないみたいな言い方をしてるのは何でなの?」

 理解し難い言葉がちょくちょく出てくるせいでアイギナもリリスと同じく警戒心が解けないのか、疑問をアイデースにぶつけ始めた。
「まぁ、当然気になるよな。だがその辺の話は後でじっくり、お前らの気が済むまで教えてやるよ。まずはその前に——」
 腰に手を当て、アイデースがやっと十六夜の方へ向き直った。

「十六夜さんの、今後の身の振り方を決めないとな」

 二人の目が合い、十六夜がごくっと唾を呑み込む。
 鳥獣人達は始祖が神々であるからか、根っからの善人ばかりだ。『駄目だ』と言われた事は基本やらない性格の者ばかりなので叱られるという経験すらあまりない。その為、今回の行いがどういった結果を招くのか検討もつかず、過度な緊張のせいで喉が酷く乾いた。
「なぁ、ハデス」
 突如名前を呼ばれ、「ん?」とハデスが返事をする。
「俺達は罪を犯さない者ばかりだ。『やるな』って言やぁ基本的にはやらん性質だから罰則っちゅうもんが用意されていない」
「…… で?」と訊き、ハデスの眉間に皺が寄った。
「今回の件に関しては、お前は完全に被害者だ。状況から察するに、ハデスを昏睡状態にした張本人は十六夜さんなんだろう?」
「わからない。でも…… そうかもしれない、かな」
 自分の返答次第で十六夜に何か迷惑がかかるかもと思うと『そうだとしか思えない』とハッキリ告げる事は出来なかった。だけど嘘をつけば今よりも不利になる気がして曖昧な返答になってしまう。
「あっちの三人は加害者側の人間だから任せられないが——」と言い、アイデースがニケ達三人を順々に指差す。

「お前がどういった罰を与えるか決めていいぞ。手足を切って森に捨ててもいいし、墓守のお前らしく、墓穴ん中に生き埋めにしてもいい」

「そんな目に合わせるような罪を、彼女は犯していないだろ⁉︎」と叫び、ハデスは慌てて手を伸ばして十六夜の腕を掴み、自分の腕の中に抱き寄せた。冷や汗がハデスの額を伝い、顔が青ざめ心臓がバクバクと激しく騒ぐ。
「最初から意図的だったわけじゃねぇってのは、怪我の具合から見てわかっているが、『無関係な奴は人間には関わるな』って決まりを破った。そこまでならまだ致し方なしと見逃したが、まさか三人が村から逃げる手助けをしちまうとはなぁ。交換条件はなんだったんだ?理由がないと、助けはしないだろ」
 じっと見詰められ、十六夜がおずおずと一度は口を開いた。だが彼女が何かを発する前に、「彼女は私達に、協力しろと脅されていただけだ!」と叫びながらアイギナが十六夜とハデスの前に躍り出た。両手を広げ、必死に庇おうとしている。だが真相を明かす気までは無いのか、それ以上は頑なに口を閉じた。

「…… なるほどなぁ。そっかそっか、脅されていたんなら、確かに死罪まではやり過ぎかもしれんな。じゃあどうする?ハデス。お前が決めていいんだぞ?」

 軽く首を傾げ、アイデースが猫の様な瞳をスッと細め、口元には笑みを浮かべている。そもそも口先だけの発言であり、同じ鳥獣人仲間である十六夜にその様な刑を科す気はなかったのか、ハデスとアイギナの反応を見ている彼はとても楽しそうだ。
「…… 僕達それぞれにサポート役をつけてくれるって、さっき言っていたよな?アイデース」
「あぁ、言ったな」

「じゃあ、僕には十六夜さんを頼む。建前は刑罰としてでもいいから、一生涯の専属で。殺処分してしまって早々に罰が終わるよりも、じわじわと痛ぶられる方が刑罰としては最適だろう?アイデースも知っての通り、僕は他人からしたら、相当難儀な性格をしているみたいだし」

「確かに、否定は出来ないな。他人に興味の無かったお前だ。その反動を一身に引き受けるとなれば相当大変だろう。…… だが、彼女の実態が何であれ、それでもそう思えるのか?」
「正体がなんだろうが、彼女は彼女だろ」
 そう言ってハデスがぎゅっと十六夜の体を抱き締める。彼の熱っぽい瞳を見てアイデースは、とっくにハデスが彼女の正体に気が付いている事を察した。

(俺が診に行った時にはもうヒトの姿だったよな。って事は、大鷲の姿で大怪我をしていた彼女を森で拾った、といった所か?)

 そもそも十六夜を空から撃ち落とした張本人がハデスである事を知らないアイデースがそう推察する。十六夜欲しさにハデスのしでかした異常な行動を知っていれば、彼に仲間を託すという危険な選択をする事など絶対に無かったのだが、アイデースは「わかった、いいだろう」と答えてしまった。
「ハデスの面倒はこの先十六夜さんに任せよう。教育担当もやれそうか?」
「は、はい!あ、あのでも…… 」

(既に彼とは番だとは、きちんと言うべきなんだろうか?)

 言葉の続きを口にするかどうか迷っていると、ハデスがそっと彼女の口を塞いだ。隠すように抱き締め、他からは口を塞いだとは気付かぬ様に。
「アイデースも聞いたよな?十六夜さんの、『はい』って返事を」
「あ、あぁ…… 」
 得も言われぬ不安を感じ、アイデースの中に迷いが生じる。

「でもまぁ、コレは償いなんだから断るなんて選択肢を十六夜はそもそも選べないんだよね。だから僕が貰ってもいいんだよね?まぁ、『やっぱ駄目』って言われても、もう返さないけど」

 この星の人間は何処までも欲深い。星を壊そうとも、平和な環境で世代を重ねようとも。いくら真っ当な教育を施そうが、残念ながら根底にあるその性質は変わる事が無いのだと、数年の後アイデースがハデスの行動を通して実感する事になるのだが…… 今はまだ、ニタリと笑う彼の表情を前にして先行きへの不安を抱く事しか出来なかった。



       ◇


 …… ——誘拐騒動の夜から更に数年後。今回の物語も幕を閉じた。今までのエピソードは本来ならばまだまだ本編では詳細に語られていない、物語の序章でしかなかったのだが、十六夜との仮初の身での生活に満足し切ったハデスが途中で見切りをつけたからだ。

 そもそも『君は僕の可愛い獣』という物語は本来、ニケ、リリス、アイギナの三人が産んだ子供達が主人公の物語だ。

 三人は『保護区』と言う名の箱庭の中で育ち、疑問を抱き、外界へ旅立って星の実像を知り、奮闘し、文明の再建に向けて多大なる貢献をする。そんな偉大な実績を持つ両親や親戚、両親の友人夫婦達に囲まれながら彼女らもまた、鳥獣人達との恋に悩み、苦悩を抱えながら物語は進んでいくという流れの物語である。
 彼女達の許嫁でありながら捨てられた少年“ハデス”は、本来なら『アイツ』としか呼ばれない名前も無きモブで、登場シーンはたったの数行でしかない。銀色の羽を持つ大鷲の少女に至っては登場すらしなかった。
 でも、だからこそ、ストーリーの影響が少なく、自由に世界観を楽しめるであろうと、ハデスが一方的に“友人”枠に置いているセフィルはこの物語を選び、元の記憶を完全に封じた状態で二人を放り込んだ。複数の許嫁がいる少年の人生をハデスが経験するという状況も、多少の波乱を呼び、十六夜の成長に繋がるだろうと仕組んだものだった。

 環境的には絶対に出会うはずのない二人が出逢い、惹かれ合う。愛情の深さや執着具合にはどうしたって差はあれど、『睡眠効果のある薬を盛り、誘拐してまで僕を欲しがってくれた』という事実はハデスを喜ばせるには充分なものであった。
「…… 早く戻らないなぁ、十六夜」
 約二十年ぶりに帰還した、永年過ごし慣れた真っ白な空間の中。先に戻って来たハデスは天蓋付きのベッドの上でゴロンと寝転がり、嬉しそうに呟いた。もう今は『君は僕の可愛い獣』の中で得た記憶も、その前も、その全てを彼は思い出した状態だ。『セフィルは本当にいい仕事をしてくれた』とご満悦で、今か今かと番である十六夜の帰りを待つ。

 ——だが、五分待とうが十分待とうが戻る気配がまるでない。いつもならハデスがこの部屋に戻った少し後で姿を現し、意識を取り戻すのに、今回はその予兆すら無いままだ。
 本の世界から十六夜が戻らない。状況としては中に送り込んだセフィルが最も疑わしいが、彼は彼で、自分の妻一筋のタイプなので十六夜に何かを仕掛ける事など有り得ないから、ハデスはその考えを真っ先に排除した。

(まさか、物語の幕を閉じる際に何かあったのだろうか…… )

 不思議に思いながら待てど暮らせど、やはり十六夜は一向に戻って来ず、完全にその姿を消したのだった。
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