恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第二十八話】難題は来訪者が解決する

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 ハデスと十六夜はキッチンで仲良く一緒に朝食を作り、そのまま作業台の側に椅子を運んで来て食事を済ませた。カットした数種の果物、厚切りベーコン、マッシュポテトをのせたサラダ、手作りジャムを塗った一口サイズのパン、ホットミルクには少しの蜂蜜を垂らして。
 笑顔を向けあって初めて作った料理は別段豪華な物ではなかったが、作りたてという事も加算されてどれも美味しく、『今まで食べた料理の中で一番のご馳走だ』とハデスは思った。ただ二人で一緒にご飯を作って食べたというだけなのに、とても特別で、幸せな時間に感じられる。

(無闇に十六夜を寝室に閉じ込めるだけじゃなく、もっと早くこういう時間を作れば良かったかな)

 ハデスが少しだけ後悔していると、先に食事を終えた十六夜が手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「僕もご馳走様」
 十六夜に続き、彼も食器の片付けを始める。全て下げ終えると、益々彼は『これって、本当に夫婦っぽいな』と妄想を膨らませた。
 二人きりの家、一緒にこなす家事。ハデスが普段使っている大きめのエプロンを着けて台所に立つ十六夜の姿は幸せそのもので、背後から抱き締めてしまいたくなる。

(そう言えば…… そんなシーンのある本を前に借りた事があったな)

 キッチンに立つ夫、そんな彼の隣に居るのは白いエプロンだけを着た妻。最初は仲良く食事の用意をしていたはずなのだが、途中からは夫が妻を背後から美味しく頂くという一切オチの無い内容だった。他にも作業台の上で肌が生クリームと蜂蜜だらけになっている妻を、というパターンもあったかと思う。そういった類の内容の作品は古書店で扱っている本の中でもほんの数%にも満たない物だったので、偶然読んでしまった当初は興味も無くってすぐに忘れていたのに、まさか今このタイミングで思い出すとは…… とハデスが額を手で覆った。

(しかも、『自分もやってみたい』と思うなんてっ)

 そんな欲求に呼応するみたいにあらぬ箇所が反応してしまい、ソレを隠すみたいにしてハデスはそっと十六夜に背を向けた。
「この食器、私が洗ってもいいですか?」
 断られる覚悟を持って十六夜は訊いたのだが、難儀な状況にあるハデスが「…… た、頼んでもいいかな?」と返事した。彼女の方へ顔を向ける事も出来ず、彼は背を向けたままだ。
「もちろんです!」
 彼がどういった状態にあるかをまるで想像も出来ていない十六夜が表情にパァと花を咲かせる。「任せて下さい」と元気に答え、十六夜は意気揚々と袖を捲って食器を洗う準備を始めた。
「あ、でも、やってみて、腕が痛いとかがあったらすぐに言ってね?残りは僕が洗うから」
 洗い場に立っている十六夜に背後からそう声を掛け、ハデスが彼女の肩にぽすんと頭を預ける。

(このまま本で読んだみたいに頂いてしまえたらきっと、すごく気持ちいいんだろうなぁ…… )

 馬鹿な考えがふと頭に浮かび、慌てたせいで「——ゲホゲホッ!」と盛大にハデスが咳き込んだ。
 その事に驚き、「大丈夫ですか⁉︎」と十六夜が振り返ろうとする。だが、ガシッと両腕を彼に掴まれ振り返る事が出来ない。そのせいで身動きが出来ず、顔だけを少し後ろに向けはしたが状況はさっぱりわからないままだ。
「え?ハ、ハデスさん?どうかしましたか?」
「何でもないよ!何でも、ないから。あ、洗うの、頼めるかな」
「…… わ、わかりました」
 珍しく慌てている彼の様子が気になる。一体どうしたんだろうか?という疑問を抱えたままだが、どうも答えてくれそうにはないので十六夜は素直にそう返事をした。
 スポンジを手に取り、作業に取り掛かろうとする彼女の背を見てハデスがほっと息をつく。だが安堵したのも束の間、一向に治まりそうにない体の変調をどうしたものかと悩みながら彼女の背後に立ったままでいると、玄関の方から騒々しい音と賑やかな女性の声が聞こえ始め、体の状態の問題は難無く解決したのだった。


       ◇


「——んで?この子が例の子か?」
「例の子か?ハデス」
 居間のテーブル周りの席に座っているニケの問いに、リリスが続く。そんな二人を前にして、十六夜が居る手前、一応は紅茶の準備をしているハデスが不機嫌そうな顔をしながらも「…… あぁ」と短く返した。

 今日も今日とて、来訪者はハデスの許嫁である三人の女性達だった。玄関から賑やかな声が聞こえてきた時点で『どうせそうだろうな』と正直思ってはいたが、二人きりの時間の邪魔をされて腹立たしい気持ちはどうにも治まらない。
「初めまして、よね。ワタシはアイギナ。こっちの金色の方がニケ、隣に居るのはニケの義妹に当たるリリスよ。ハデスからは『怪我をしている』と聞いていたんだけど…… 見た感じ、案外平気そうね」
 素知らぬフリをして、アイギナが十六夜に問い掛ける。許嫁組の三人は揃いも揃って嘘をつき慣れているのか、初対面の演技がとても上手だ。
「あ、はい。ハデスさんが看病してくれている、おかげ、で」
 十六夜の方は残念ながらぎこちなく、先程からずっと目が泳いでいる。彼女もちゃんと今のシーンでは初対面である様に装わなければいけないと頭ではわかってはいるのだが、それが出来るか否かは別問題だった。

「腕の調子はどうだ?昨夜は熱が出たりはしなかったか?って、昨日の今日じゃ、たいして変わらんか」
 十六夜にそう訊いたのは、許嫁三人に同行していたアイデースである。今日は診療所に通えない者を対象とした往診日だったので、そのついでに立ち寄ったみたいだ。
「あ、えっと、腕はもうホント大丈夫です。昨日よりももっと、痛みだけじゃなく違和感も無いですし。きっとハデスさんがそぃ…… きちんと、みてくれていたので」
 途中から顔を真っ赤にし、『添い寝までしてくれて』と言おうとしてしまった言葉を慌てて呑み込み、十六夜は別の言葉を口にした。許嫁達がハデスに恋愛感情を抱いていないと知ってはいても、それを知っている事を匂わせる台詞を言う訳にはいかない。そもそも添い寝がデフォルトになっている事自体に今更照れも感じた。
「そうか。薬が効いている証拠だな。傷が開く心配はもう無いだろうが、念の為あと数日は安静にしておけよ」
「はい。気を付けます」
 同族であるという仲間意識があるおかげか、アイデースを相手に話す時は難なく話せている。そのせいか、傍から見ている分には随分と彼に懐いている様にも見えてしまう。そのせいか、ハデスの機嫌はみるみる急降下していった。

「彼女の事はきちんと四六時中見ているのでご心配なく。もう終わりましたよね?さっさと次のお宅に向かったらどうですか?」

「…… あ、あぁ、そうだな」
 真っ黒いオーラを滲ませるハデスに少し怯みつつ、アイデースは診察用の道具が入る鞄を手に取った。様子を見に来ただけなのでこれ以上居座る気もないみたいだ。
「んじゃ、お暇するか。お大事にな、十六夜さん」
「はい。お気遣いありがとうございます」
 椅子に座ったまま礼を言うと、そんな彼女の頭をアイデースがくしゃっと撫でる。子供をあやすくらいの感覚でおこなった行為だったのだが、火に油だったのか、ハデスは手に持っていたテーポットをガシャンッ!と激しい音を鳴らしながらテーブルに叩きつけた。
「他意はない!癖だ、癖!」
 バッと慌てて頭から手を離し、アイデースはハデスに対し、診察鞄を持ったままにも関わらず降参ポーズをしてみせる。そんな彼等の横でリリス達はティーポッドが割れていないか確認していた。


 アイデースが別の家へ往診に向かい、一息ついた頃。渋い顔をし続けていたハデスが口を開いた。もちろん、『いつまで居る気だ?お茶も飲み終わったし、そろそろ帰れ。十六夜を休ませたいんだ』と言う為にだ。——だが、彼の幼馴染でもある許嫁達の方が一枚上手だった。

「さて。んじゃ、そろそろ衣装合わせを始めるか」

 ニケはそう言うなり、同調しているリリスと共に両サイドからハデスの腕を掴み、ずるずると引き摺って別室に行こうとする。そのせいで彼は「離せ、何をする気だ⁉︎」と困惑するばかりで、三人に『帰れ』と言えぬまま強制的に連行されてしまった。相手は女性だとはいえ、不自然な程に筋骨隆々な二人に掴まれてはなす術もない様だ。
「…… いってらっしゃーい」
 やる気の感じられない手を振りながら、アイギナが三人の見送る。そして居間には十六夜とアイギナの二人きりとなった。
「さて、と——」
 一度咳払いをし、アイギナが十六夜の方へ居住まいを正してみせた。
「十六夜さん」
 いつも通り、茶色い瞳は眠そうなままではあるが、妙に真剣な色を帯びている。そのせいか名前を呼ばれた十六夜も座ったまま自然と背筋を正して「はい」と返した。
「これを受け取って欲しいの」
 そう言ってアイギナは小さな袋を一つ、ティーカップなどが並んでいるテーブルの上にスッと差し出した。
「…… これは?」
 袋を上からじっと見たが、茶袋に入っていて十六夜には中身がわからない。

「私達の願いは散々話したわよね?賛同してくれるなら、四日後の夜にこれをハデスに飲ませて欲しいの」

「これを、ですか?」
 中身が何かもわからない物を飲ませろと言われても、つい訝しげな顔になってしまう。
「危険な物じゃないから安心して。確かな筋から手配した、ただの睡眠薬よ。…… 私達の用意はもうすぐ整うわ」
 アイギナは一度言葉を切ると、十六夜の方へ手を差し出してきた。

「ハデスが、欲しくない?この手を取ってくれたら彼を独占出来るわよ」

「独…… 占、出来、る…… 」
 悪魔の囁きとは、まさにこれかもしれないと十六夜は思ったのだった。
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