恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第二十六話】穏やかな夜に感じる愛情(十六夜・談)

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 カチ、カチ、カチと時計の秒針が進む規則的な音が真っ暗な部屋の中に響いている。正確な時間はわからないけれど、分厚いカーテンの隙間から差し込む月明かりと布団に潜り込んだ時間から察するに、今の時間はまだ二十時半くらいだろうか。
 梟などといった夜行性の者達とは違って私は夜の行動が得意じゃない。嫌いでもないけど、夜はこうやって安全な場所でじっとしている方が落ち着く。巣に篭るみたいな感覚を得られるからかもしれない。今は、布団に染み込んでいるとても好ましい匂いに包まれているからという理由もある。でもこれは何の香りなんだろうか?

(——って、コレってどう考えたって、ベッドに染み込んだハデスさんの匂い…… だよね)

 そう思っただけで、お腹の奥がキュンッと疼く。頭の片隅に交尾の感覚が再び浮上し、私は色々誤魔化すみたいに慌てて掛布を頭まで被った。
 薬を飲む為にと持って来てくれたコップを片付けに行ってからもう随分経つのに、何故だかハデスさんはまだ寝室に戻って来ていない。翌朝用に朝食の下拵えでもしているのかもしれないし、家の掃除をしている可能性もあるが、壁や扉越しに聞こえてくる微かな物音だけでは察する事は出来なかった。

 去り際の彼はちょっと不機嫌な様に見えたから、もしかしたら私が、彼から渡された薬を飲まなかった事に気が付いているのかもしれない。だから拗ねるか怒っていて、寝室には戻っていないのかも。

 ——そんな考えが頭に浮かび、何だか申し訳ない気持ちになってきた。
 彼は私の怪我を気遣って、完全なる善意で薬を勧めてくれたのだろうに、結局私は自分の考えを優先してしまった。彼から渡された物を飲むフリだけをして、手の中に握ったままにした薬は今、クローゼットの中にしまってある服のポケットの中に隠してある。ハンカチに包んでポケットの奥深くに押し込んである状態だが、小分けの袋なんて便利な物がこの部屋には無いので致し方ない。かといって一度は握った物だからと捨ててしまうのも気が引ける。ご時世的に薬は貴重品だろうから、もう誰も飲まないだろうとは思っても、捨て難いのは悩ましいところだ。
 睡眠薬も何もかも全て一緒くたにしたまま仕舞い込んだせいで怪我の治療薬も飲めていないが、予想通り腕の痛みなどに影響はなさそうだ。もうあと数日もあれば飛べるくらいに回復してきているんだ、たった一回分の薬を抜いたくらいで悪化する様な状態ではないのだと改めて確信した。

(よし。何も気にせず今日はこのまま眠ってしまおう)

 既に閉じている瞼を更にぎゅっと強く閉じ、もう寝るぞ、さぁ寝るぞと暗示をかけるみたいに羊を数える。一匹、二匹三匹——と数え、二百匹を超えた辺りで『…… 羊を数えると眠れるという迷信は、そもそも何故存在していたんだろうか?』と、この行為の根本に疑問を抱き始めてしまい、眠気は完全に掻き消えてしまった。

(うん。数えていても無駄だな。じゃあ今夜眠る為にはどうしようか?)

 渡された薬を飲まなかったせいで安易に眠気を引き寄せられない。困り果てながら仰向けになっていた体を横にしたその時、ガチャリと鍵を開ける音が微かに聞こえた。どうやらハデスさんが寝室に戻って来たみたいだ。
 室内はもう真っ暗にしてある。私はベッドに横になっていて、パッと見では眠っているとしか思えない状況だろう。だからか彼の足音はとても小さくて、私を起こさない様にと気を遣っている事が窺い知れる。

 ぎしっと鳴った音はきっと彼がベッドに腰掛けた音だ。その後はもぞもぞと背後でハデスさんが動く気配が続き、最終的には私の背後がすっぽりと彼に包まれてしまった。腰下の小さな隙間に腕が差し込まれ、隙間なくぎゅーっと。頭部には彼の頬が当たるみたいな感触がし、コレはもう、優しく包まれていると言うよりは…… 逃がさない様にガッチリとホールドされているに近い体勢だ。

(あの…… コレでは、余計に眠れないのですが)

 到底どっちも寝やすいとは言えない体勢である。あまりにも近過ぎて、瞼を開けたらバレるのでは?と思うと状況を目視で確認なんか出来やしないが、ハデスさんの腕や肩には掛布がかかっていないに違いない。このままでは寒く無いだろうか?と一瞬心配になったが、寝衣越しに感じ取れる彼の体温はとても熱く、心臓はバクバクと煩く高鳴っているから『風邪をひくかも』と気にする必要はなさそうだ。

「…… 眠ってる?」

『いいえ。この体勢では寝たくても眠れません』とは、彼に渡された薬を飲まなかった罪悪感からどうにも言い出し難く、敵から隠れるみたいに息も気配も押し殺す。するとハデスさんは私が眠っていると判断したのか、ほっと安堵の息をこぼした。

「あったかいなぁ、十六夜は」

 スンスンッと髪の匂いを嗅がれ、ビクッと体が反射的に跳ねそうになったが、ぐっと堪えた。
 彼の体が一層近づき、何やらゴリッと硬くて大きなモノが背後に押し当てられもしている。そのせいで口元を食いしばってしまったが、その程度の反応で我慢出来た私はすごいと思う。

 ど、どうしよう、こんな状況のまま、昨日の昼間や夜みたいに激しい交尾が始まったら流石に今回は寝たフリなんか続けられる自信が無い。薬のおかげで体だけは眠れているという状態では無いんだ、子宮口まで容易く届く太くて硬い熱塊を挿入されてナカからグダグダにされたら、否応なしにあがる叫声を我慢出来る訳がないじゃないか。

 そんな心配が頭の中に浮かんで心音が早鐘を打つみたいになってしまう。だけどコレばかりはコントロールなんか不可能だし、誤魔化す事も無理だから、ただただじっとしている事しか出来ない。
「…… おやすみ」
 頭にそっと口付けを贈られたような気がする。『おやすみ』の声はとても穏やかで優しく、凶器にも似たモノがずっと背後に当たり続けているとは思えない声色だ。
 確か、男性は興奮状態に陥るとなかなか熱が冷めないと聞いた事がある。本心としては当然今夜も昂る熱と欲を発散したいだろうに、不思議と彼が何か行動を起こす気配はないままだ。

(自分の番を背後から抱きしめているのに、何故?)

 ちょっとだけそう思ったのはきっと、私の体もこの先を行為を少し期待してしまっているからだろう。だけど『多分彼はこれ以上何もしてこないんだろうな』とも思う。やはり私が薬を飲んでないとハデスさんは知っているに違いない。だから今もし私が本当に眠っていたとしても、彼が手を出せば起きるのは必然だ。彼の交尾はとても情熱的だし何よりもねちっこい。絶倫でもあるから、放っておいたら本当に孕むまで交尾し続けていそうなくらいに。きっと彼もその自覚があるんだろう。だからコレでもかというくらい勃っているのに、今もこうやって我慢しているんだ、きっと。

「…… 3.…… 」
(さんてん?)

 背後からボソッと聞こえてきた声に耳を澄ませていると「……141592653589793238462643383279502884——……」と、ハデスさんは呪文でも唱えるみたいに数字の羅列を口にし始めた。多分これは円周率ってやつだ。私の残念な脳では最初の数桁しか覚えていないので確信はないけれど。でもどうして急に円周率なんか口にしているのだろうか。硬いモノをたまにこちらに押し付けてはそっと離れ、また呪文みたいに数字の続きを呟き始める。まるで気を散らそうとしているみたいに。

(ん?…… この場合、数えるべきは素数、なのでは?)

 気持ちを落ち着けたい時にやる古いおまじないみたいなものだったはずだから、もしかしたら彼らには正しく伝承されていないのかもしれない。もしくは単純にハデスさんが勘違いし、間違って覚えているのか。いずれにしてもそんな手法に頼ろうとするハデスさんが可愛いことにはかわりない。
 実は起きているかもしれない。もし今は本当に寝ていても、このままでは起こしてしまうかもしれない。そんな心配から暴挙に出ていないだけかもしれないけれど、それでも必死に本能に争い、耐えようとしてくれているその気持ちを嬉しく思う。

『交尾したん私達は番だ』
『番なん彼は私のモノ』
『ハデスさんが好意を寄せてくれているみたい、私も返さないと——』

 いや、違うな。

 ハデスさんに対して思っていた事を振り返ってみたけど、どれもこれもしっくりこない。
 背後から私をすっぽりと包む大きな体、腰に回された力強い腕から感じ取れる体温、鼻腔をくすぐる彼の心地良い匂い。今はただひたすら数字を唱え続けているだけなのに、何処か優しい響きを持つ声色。彼という存在を構成する全てが全て、私の心を惹きつける。

 あぁそうか。
 わざわざ沢山の『——だから』を探して並べなくったって、私はちゃんと、彼の事が好きなんだ。
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