恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第二十四話】遭遇②(十六夜・談)

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「…… 」
「…… 」

 互いに無言になってしまう。『どちら様ですか?』と掛けた問いに返事が無い以上この先一体どうしたものかと考える。しばらく無言が続いた後、地面に座り込んでいた女性が顔を上げて口を開いた。

「貴女が、ハデスの囲い込んでいる子ね?」

 囲い込んでる…… って、何とも人聞きの悪い響きだ。だが、ハデスさんの許嫁である彼女からすれば、私の存在はとんだ間女でしかないのだろう。そう言われるのも当然か。
 地面から立ち上がり、『別にワタシは、見付かっていた事に驚いて、転んでなんかいませんが?』とでも言いたそうな表情をしながらお尻や足についた土を女性が払い落とす。
「あのハデスが、必死に周囲から隠そうとする相手だからどんな子かと思ってはいたけど…… アイツ、とんだ面食いだったのね。『これっぽっちも他人には興味無いです』『性欲ゼロです』って顔をして、実はただ単に理想が高いだけでしたなんてオチ、意外過ぎて引くわ」
 ボソボソとした声でそうこぼしながら窓の側まで来ると、女性は家の壁に寄りかかった。

「あぁ、ごめんなさい。問いへの返事が遅れたわね。…… 私の名前はアイギナ。ハデスの許嫁の一人よ」

 眠そうな印象のある茶色い瞳をこちらに向け、アイギナと名乗った女性は窓ガラスを片手でコンコンッと軽く叩き、「今日は貴女と話がしたくて来たの。だから此処、開けてくれない?」とお願いしてきた。
「すみません。これ、途中までしか開かない仕様なんです」
 そう告げて、実際に限界まで開けて見せる。『え?』と驚いた顔をしながらアイギナが外側から窓への細工状況を確認し、「うわ…… 」と渋い顔をした。
「何これ。昨日来た時に見た他の部屋は普通に窓全開に出来たから、つまりこれは、ハデスが後からこの部屋にだけ細工をしたって事よね。…… ねぇ。もしかして貴女、アイツに監禁でもされているの?可愛いからって、誘拐でもされて来た?」

(か、監禁?)

 自分がそうされているかもなんて考えた事もなかった。でも、窓が少ししか開かないように細工されている事や、部屋のドアには鍵がかかっていて好きには家の外どころか部屋からすらも出られないこの状況を鑑みると、そう思う人がいるのも無理はないのかもしれないか。

「いいえ。ハデスさんはプライベートを大事にされているだけですよ。寝室には勝手に入られたくないらしいです」

 本心から出た笑顔と共にそう返すと、渋い物でも食べたみたいなアイギナさんの表情が悪化した。私は何か可笑しな返答でもしてしまったんだろうか。
「…… 根っからの良い子ちゃん、なのね」
 何故か呆れ顔でそう言ってため息をこぼす。これで正解かな?と思いながら首を軽く傾げ、「ありがとうございます?」と返事をしたら「あぁ…… コレはハデスに騙されているパターンね」と淡々とした声で言いながら哀れみの目を向けられてしまったが、何故だ。

「…… んで?貴女、オケアノスでは見ない顔よね。ってことは、どっちの村の出身なの?エデン?スーニオン?怪我をしているらしいけど、もう大丈夫なの?」

 此処、オケアノス村は確か人口五百人程度の狭い集落である。だからか私がこの村の者では無い事は一目瞭然のようだ。
 他には二つしか無いどちらかの村の名をテキトウに挙げるのは容易いが、バレると面倒だ。今ここでリスクのある嘘をつくくらいなら素直に『流民だ』と告げた方がいいだろう。どうせどっちも嘘なのなら、ハデスさんに言った嘘と同じ方が対応しやすいし。

「私は——」
「まぁ、どっちでもいいか。要件だけ言うわ」

 質問をしておきながら、アイギナさんは私の言葉を導入から即一蹴して話を続ける。聞く気が無いのならそもそも訊かないで欲しかったが、私の一考した間が長かったのかもしれない。

「私達の結婚の邪魔をしないで欲しいの。だから貴女は、早々にこの家を出て行って」

 スッと瞳を細め、アイギナさんがハッキリとそう言った。
「“成人の儀”まではもうあと一ヶ月しか無いのに、貴女が此処に居るせいでハデスが酷く揺れているのよ。今にも『結婚はしない』って言い始めそうなくらいにね。…… まぁ、こんな小柄なクセに巨乳な美人を拾えば無理もないとは思うけど、だからって『じゃあこっちの結婚はやめようか』とはならないわ。私達にはアイツが必要なの。絶対に、結婚しないといけないのよ」
「…… っ」
 切実な声で言われても、『そうですか。わかりました』とは私からも言えなかった。相手が彼の許嫁であろうが、もう私の番である者を手放すなんて到底出来る事じゃない。

「えっと…… あの…… そんなに、ハデスさんの事が好き…… なんですか?」

 自分からアイギナさんに訊いておきながら、胸の奥がじりっと焼けるみたいに熱い。『好きだ』と答えられたらそのまま切り殺してしまいそうなくらいに苛立ちが募る。頭の中ではもうで目玉を抉り取り、嘴では肉を食い破って内臓を引き出している自分の姿が安易に想像出来てしまう。あぁもう、『彼は既にもう私のモノだ』とハッキリ言えたならこんな気持ちにはならないだろうに。

「えぇ好きよ。私達三人とも、昔っから彼が好き」

 その言葉を聞いても、反射的に彼女の首を爪で切り裂いたりはしなかった自分を褒めてやりたくなった。だが手には過剰に力が入り、自分の掌に爪が食い込んでいるのがわかる。傷から溢れ出す血が肌を伝い、ぽたりと床に落ちても微動だに出来ない。ちょっとでも動けば、少しだけ開いている窓の隙間から腕を伸ばし、外に居るアイギナさんに対して何を仕出かすか自分でもわからないくらいに頭の中が独占欲で沸騰している。

「ハデスは私達に微塵も、ちっとも、一切、一片たりとも興味が無いから好きなの。絶対に一生私達を一人として恋愛対象にはしないし、してもいない。それは私達も同じ事で、だから好き」

 …… アイギナさんの放った言葉があまりに意味不明過ぎて自分の中で煮えくり返っていた苛立ちがすっと鳴りを潜める。『お互いに恋愛対象ではないから、好き』とは一体どういう意味なんだろうか?
「子供の頃からずっと、義姉妹のニケとリリス、私との三人がハデスの許嫁なんだけど、私達って笑えるくらいに四人揃って恋愛ごとに無関心なのよ。ニケは外の世界への憧れが強過ぎて筋トレやサバイバル関連の勉強しかしないし、リリスはそんなニケの信奉者かってくらいに義姉の事しか考えていないわ。私は私で、古代遺跡とか都市の廃墟、古の科学とかにしか興味が持てないから、結婚して子供を産んでとか…… 絶対に無理。直接言われた話じゃないけど、ハデスもハデスで、『結婚しました。さて子作りするか』とかは全く考えていないでしょうね。私達には一切手出しせずに二年間逃げ切って、『自分は性交不能症だ』とでも言って離婚を勝ち取る気だと思うわ」

『彼は性交不能症どころか、絶倫性欲魔人だと思う』という個人的な感想は黙っておこう。

「じゃあ、どうしてハデスさんとの結婚に拘るんですか?」
 訝しげな顔を隠さずに訊くと、窓の向こうでアイギナさんが首の後ろをそっと撫でる。
「んー…… こんな話までする気はなかったんだけどなぁ。でもまぁ、ハデスに閉じ込められている貴女じゃ他に言う機会もないだろうし、別にいいか」と言い、アイギナさんはふぅと小さく息をついた。

「私達が欲しいのは、この結婚によって得られる時間なの」

「時間、ですか?」
「そう、時間よ。結婚をしたら実家を出られるでしょう?そうしたら、私達みたいな人の考えを理解してくれない人達の目があまり届かない状態になれるわ。好都合な事に私達三人は目標が同じだから、協力者同士ってわけ。ハデスはこっちに無関心だし、一年。もしくは二年もあれば…… 多分、実行に移せるだけのベースは作れるはず、なのよ」
「目標?」
 そういえばさっき、ニケという人は外の世界への憧れが強く、アイギナさんは古代遺跡や都市の廃墟に興味があるって話していた。その事と関連がありそうな気がする。

「私達はね、三人でこの村を出て、貴女みたいな流民になりたいの」

「る、流民に?でもそれは…… 」
「わかってる。『無理だ』って言いたいのよね。そんな事、改めて言われなくても私達だってちゃんとわかってるわよ。…… でもね、夢ってそういうものでしょう?『駄目だ』って言われて『んじゃやめます』って捨てられる程度の願いなら、叶えようとする努力も苦労も一切していないわ」
 この星を支配していた人間が組み上げた文明の全てが崩壊し、今の形に落ち着いてからは人が就ける仕事は全て世襲制となった。針子や調理師の様に外の世界とは関わらない仕事を人間達が、外界と関わらねばならない仕事は全て人間のフリをしている鳥獣人達が取り仕切っている。

 なので、当然流民達は全員が鳥獣人だ。

 だが“流民”になるのは鳥獣人であろうが条件が厳しく困難で、ましてや人間である彼女達が流民になりたいなんて夢を叶えるのは不可能であると断言してもいい。
「ニケは、もっと多くの物を外で見付けて来て、この村をもっと豊かにしたいそうよ。どこの村も常に色々と足りていないし、気持ちはわかるわ。私は私で、過去の知識を数多く掘り起こしたいと思っているの。その為にも色々な遺跡や廃墟、蔵書が多いらしい図書館って場所も見て回りたいわ。——ねぇ知ってる?ずーっと昔には、人間が月に行った事まであるそうよ。“たんさき”って物を空に飛ばして、火星の様子を沢山撮ったりもしたんですって。海底には“けーぶる”を引いて世界中を繋ぐ“ねっとわーく”って物もあったの。あとね、“くるま”とか“ひこうき”なんて呼ばれる大きな乗り物を使って、自由に旅も出来たらしいわ。そういった物を現代に復元出来たら、この世界はもっと広がっていくと思わない?」
 そう話し、アイギナさんの眠そうだった瞳が無邪気な色に染まる。
 今の人間達はまだ繁殖が主だった課題である為、最低限の知識しか与えていないはずだ。だから彼女は自力で古書店に置かれた本の中から過去についての知識を得ていったに違いない。古書の中にはフィクションだって相当混じっているから、実際にあった物・無かった物を判断していくのは相当苦労しただろう。昔みたいに、『世界には無限に読み物がある』と言っても過言ではなかった時代ではないにしても、目標が無ければやれない行為だ。
 ゴホンッと咳払いをし、アイギナさんが気まずそうな顔をした。
「…… 流石に話し過ぎたわね。まぁとにかくそんな訳だから、私達は独立していく為にも結婚をしないといけないの。ハデスには『嫁達に逃げられた男』という不名誉を着せる事にはなるけど、アイツなら気にしないだろうしね」

 ハデスさんと結婚はしたいけど、いずれは彼からも逃げる。

 何て勝手な、とは思うが四人の結婚に恋愛感情が絡んでいない事だけは嬉しく思う。
「貴女も早く村に戻らないといけないでしょう?いつまでも違う村に居続ける訳にもいかないだろうし、ましてや許嫁でもない別の男と一つ屋根の下にいつまでも同居なんて外聞も悪いわ。早く自分の村に帰たっ方がいいわよ、貴女の許嫁に誤解をされたくもないでしょうしね」
「私に許嫁はいないので、別に約束を違えたりはしていませんよ」と伝え、首をゆるゆると横に振る。
「…… っ」
 アイギナさんが大きく目を見開き、驚いた顔になった。
 彼らは鳥獣人の存在を知らない。だから私が人間ではないとまで気が付くのは到底無理だろうが、少なくとも、今の言葉で私がどの村にも属していない事くらいは察したはずだ。

「あ、貴女…… もしかして、“流民”なの?」

 無遠慮に私を指差し、そう問い掛ける声は震えている。
「えぇ、流民です。もっともまだまだ駆け出しで、何も取引を出来る様な品は持参出来ていませんけどね」
 悪びれも無く嘘ハ百を並べると、アイギナさんはひどく真剣な顔をしながら二人の間にある窓ガラスにバンッと両手をついた。

「貴女にあげるわ、ハデスを。助けてくれた彼の事が好きなんでしょう?表情でわかる。だから貴女は私達に協力して!悪い様にはしないから!」

 家の中に居るハデスさん達には気が付かれない様にと小声ではあるが、話す語気が強い。
 鳥獣人達が意図せず人間と遭遇してしまった時に言えと言われている嘘を聞いた途端、アイギナさんの態度が一転した。『早く出て行ってくれ』『逃げ出す為には時間が欲しいからハデスとは絶対に結婚する』と断言していたのに、それをいとも簡単に覆すなんて…… 。
 予想外の流れを前にして、私はどう答えるべきなのかわからなくなった。
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