恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第五章】君は僕の可愛い獣

【第二十話】無自覚なままの勘違い(十六夜・談)

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「そうよ、ハデス。約束したじゃない、“成人の儀”を無事に終え、ワタシ達と結婚するって」

 寝室の扉越しに聞こえた、ハデスさんと話す複数の女性の声。マナー違反だってわかってはいるけど、つい気になって聞き耳を立てててしまう。すると、そんな言葉が私の耳に届いた。

 途端に頭の中が真っ白になり、視界は真っ黒に染まる。

 扉の向こうではまだ何やら話しているみたいだが、もう何も耳に入ってこない。
 でも、何で?私とハデスさんは“怪我をして保護されている者”と“そんな怪我人を偶然拾った人間”でしかないのに、まるで番に浮気でもされたみたいに胸の中が滅茶苦茶だ。手先は氷みたいに冷えてぶるぶると震え、どす黒い感情が心の中から溢れて毒みたいに全身へ広がっていく。ほんの少し前までは『ハデスさんって、優しくってお人好しで、過保護な人だな』くらいにしか彼の事を思っていなかったはずなのに、ハデスさんと『結婚する』と言う見知らぬ女性の声を聞いただけで、どうしてこんなふうに怒りを感じてしまっているんだろうか。

(しかも『ワタシ達』って事は…… 重婚、だよね。そうだ、そう言えば今の人間達って——)

 昔、人間達についての基礎知識を学んだ時に、教師が言っていた話を思い出した。
 戦争が起きる前までは、夫婦といえば一夫一婦制の国が多かったらしい。だが、人々の鳥獣人化が進むにつれて純血の人間達が絶滅危惧種と化した。それ以降、子孫繁栄の為にと一夫多妻制が一般的になったそうだ。しかも結婚・出産は全ての人間の義務であり、避ける事の出来ない一大イベントとなった。好きだ嫌いだ。そんな個々の感情はほとんど無視されて、子孫を残す事を暗に強要されているそうだ。複数との性行為に抵抗感のない様に育成しつつ、出産に伴うリスクや奇形児回避などの為に近親婚にはならないよう管理され、不要な諍いを産まぬ為に浮気や不倫は厳罰化されたと聞いている。

 ハデスさんだって、当然例外な訳が無い。
 幼い頃に許嫁を与えられ、その者達と結婚すると決まっていたんだ。

 自分と無関係な事だったとはいえ、初歩的な知識を今の今まで忘れていた自分に腹が立ってきた。彼が私に甘かったのも、扱いが丁寧だったのも、距離感が完全にバグっていたのも、許嫁達との関係で女性の扱いに慣れていたからなのか。なのに心のどこかで、自分はハデスさんに特別扱いされているのかもと勘違いしていた事に今更気が付き、恥ずかしさが込み上げてくる。

(そっか。…… 調子に乗っていたんだ、自分は)

 人間達と違って鳥獣人は、他者から過剰に優しくしてもらえた時は『君と番になりたい』とアプローチされている場合がほとんどだ。だからきっと私は無自覚なまま、彼が私の番になりたがっているのかもと頭のどこかで勝手に受け止めていたのだろう。昔とは違ってお互いに結ばれることなんか決して無い間柄なのに。

(あぁ、勘違いも甚だしい。人間を相手に何を考えていたんだ、私は)

 そう思った途端、ぼろっと大粒の涙が瞳から零れ、床にぼたりと落ちて小さなシミを作った。


       ◇


 ベッドの隅に腰掛け、呆然としたまま窓の外を見ていると、寝室の扉が開いて美味しそうな匂いが漂ってきた。生き物の本能なのか、こんな状況だろうが腹は減っていて、ぐぅと情けない音が鳴る。でもまぁ怪我の治りかけで栄養が必要な時期でもあるし、お昼ご飯をまだ食べていなかったから仕方がないのか。
「随分と待たせてしまったね。お詫びに多めに作ったから、許してもらえるかな」
 お昼ご飯を乗せたトレーを運びながらハデスさんが声を掛けてくれる。気遣う声音が耳に痛い。『許嫁がいるくせに優しくするな』と一方的に拗ねてしまう自分に腹が立つ。
「ベッドで食べる?それともテーブルで?」
「テーブルに置いてもらってもいいですか?ちゃんと座って食べます」
「腕は大丈夫かな。痛くはない?」
「大丈夫です」と答えながらベッドから腰を上げ、窓際に置かれている丸テーブルとセットになっている椅子に座る。
 野菜を煮込んだスープ、果物、分厚いベーコンとチーズの挟まったベーグル、大きな唐揚げやサーモンのサラダなどが目の前に並ぶ。ガラスのコップ注がれたオレンジジュースはちょっと濁っていていて手搾りみたいだ。
「ハデスさんはもうお昼を食べたんですか?」
 一人分しかない取り皿とカトラリーを確認しながらそう訊くと、気まずそうに視線だけを逸らし、「あ、うん。作りながら、ね」とハデスさんが言う。

(あ、嘘だ)

 不自然な彼の態度でそうだとわかる。『三人で作って仲良く食べたのかな。じゃあこの料理は全部、残り物なのか』そう思うと、美味しそうだった料理が途端にくすんで見え始めた。

「…… いただきます」
 笑顔を作ったつもりではあるが、不自然だったかもしれない。でもそんな事を気にしている余裕もないくらいにお腹が空腹を訴えているので、取り繕うこともせずにお昼ご飯に手をつけた。
 いつも通り美味しい、んだと思う。だけど味なんかよくわからない。こんな事は生まれて初めてだ。文明がすっかり壊れてヒト化した姿ではまだ少し生きにくい世の中だ。なので普段は大鷲の姿で過ごすことが多いから温かい料理を食べ慣れていないせい、というだけではないだろう。


「ご馳走様でした」
 頭を軽く下げてから食器を片付けやすいようにまとめようとすると、対面に座っていたハデスさんが先に動き始め、中腰になって片付けだした。
「次はお薬を飲まないとだね。これをさげてきたら水と一緒に持って来るから、待っていてもらえるかな」
「それなら、私も一緒に台所まで行きましょうか?その方が手間が省けますよね」
「そこまで気にしなくていいよ、大丈夫」

「…… もしかして、まだお客様が居るから、とか?」

 結婚する予定の相手ならさぞ追い返しにくいだろう。
 確か“成人の儀”は秋の収穫時期に行なっていたはず。大鷲の鳥獣人である私とは違って妊娠期間が約十ヶ月程もある人間達にとって最適な出産時期を意識したものだったと思う。となると、そろそろ引っ越しの用意や衣装の準備と色々忙しいに違いない。ならばまだ帰らずに、奥で掃除や片付けをしていても不思議じゃない。

「彼女達なら帰ったよ。…… そんなに、あの子達が気になる?」

 小首を傾げながら訊かれたが、「いいえ。ただ、お邪魔しちゃったかなと思って」と口にする。今の心境のままではただの強がりでしかないが、本当にそう思う為にも、ちゃんと言葉にしたかった。

「あぁ、そうだ。もうすぐ結婚されるんですね、おめでとうございます。ハデスさんは“成人の儀”や結婚式の準備で忙しい身ですよね?こちらの事は気にせずに、そちらに時間を使って下さい。もう一人でも動けそうですし、台所や風呂場をお借り出来れば全て自分でやりますんで」

 どうせあと一週間しか此処には居られないんだ。当たり障りのない言葉ばかりを並べ、頃合いを見てさっさと消え去ってしまえばいいだけなのに、少しだけハデスさんの心を引っ掻いてやりたくなった。責任感が強くって、拾った相手の面倒をみたい彼の気持ちを完全に拒否したら、私でもちょっとくらいは彼の記憶に残れるかもしれない。

 ただそれだけの気持ちで発した言葉だった。

 何の気なしに顔を上げる。その時、無言のまま氷の様に冷たい表情をこちらに向けるハデスさんの顔を見た瞬間、もしかしたら自分は口にしちゃいけない一言を発してしまったかもしれないと気が付き、心臓がバクバクと騒ぎ出した。背中に汗が伝い、顔が青ざめる。

「…… やっぱり聞こえてたんだね。ありがとう、嬉しいよ。——さてと、君は薬を飲まないと。水と一緒にすぐに持って来るから部屋で待っていて」

 トレーに食器を片付けながらハデスさんが言う。
 彼の表情は普段通りとても柔らかいのに、真っ赤な瞳はちっとも笑っていなかった。
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