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【第四章】いやらしいのは隣のキミ一人
【第六話】誕生日プレゼント(十六夜・談)
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「あーん、して?」
そう言うハデス君の特徴的な深淵の瞳に窓から差し込む日光が当たり、キラキラと輝いている。彼の持つフォークの先端には一口分に切り分けたケーキ刺さっていて、それを私の目の前に差し出されている。
——までは、何とかかろうじて理解出来るのだが…… 膝の上に座る必要は何処に?
お、おかしいな。最初は確か、お昼ご飯のタイミングでダイニングテーブルに並んだ料理を二人で仲良く食べ、『締めのケーキはリビングで食べよう』って話になった。ここまではわかる。至って普通の流れだ。
そして、心の中でお願い事をしながら彼がローソクの火を吹き消し、四等分にして丁度良いくらいのサイズで焼いたホールケーキをナイフで切り分け、それをお皿にのせてハデス君に渡そうとすると、『じゃあ、そろそろプレゼント貰おうかな』と笑顔で言われた。
うん。
ここまで振り返っても、まあ一般的なやり取りだった。
だけど彼の曖昧な要求では、そんな事をこのタイミングで言われたって、こちらには彼に渡す様な物が無い。じゃあ、この場合はどうしたらいいんだろうかと不思議に思って首を傾げていると、彼は私の体を持ち上げ、何故かハデス君の膝の上にちょこんと座らせられた。そして彼は私にケーキを取り分けた皿を持たせたまま——冒頭に戻る。
「えっと…… 私が、食べるの?」
「そうだよ。はい、『あーん』は?」
「…… 一人で食べられるよ?」
「だけど十六夜さん。ボクの膝の上でケーキを食べるは“初めて”でしょう?」
急に何を?
まぁでも、確かにそうだけど…… 。
私が無言で頷くと、「じゃあ食べないと駄目だよね」と彼は謎の結論を押し付けてきた。
「えっと…… もしかしてコレが、今日のプレゼントになるの?ハデス君が誕生日にして欲しい事なの?」
「んー…… まぁ、導入部分程度にはなるかな?」
「私はてっきり、もっと違う事かと」
「ふーん。じゃあ、例えば?」
「…… わかんない。けど、一応二人でやれそうな新作のゲームを買ってはみた、かな。ハデス君、昔はゲーム好きだったし」
「受験生にゲーム?」と言って、ハデス君がクスクス笑う。
「ぃや!別にゲームはプレゼントって訳じゃないから!それにちゃんと、ちょっとの時間でやれそうなのを選んだし!もしすごく気に入っても持って帰れないようにダウンロード版にしたから、こっちに来ないとやれないから勉強の邪魔にもならないよ?」
真っ赤になりながら言い訳すると、「ありがと。それもまぁ嬉しいけど…… また今度ね。今日はもっと、他の事がしたいから」なんて、宥めるみたいな声で言われた。これではどっちが年上なのかと悲しくなる。本来の私の落ち着きはこの六年で何処に消えたんだ?って感じだ。
うぅぅ。
こんな動揺っぷりは、この主人公だった少女・“星”としての“設定”のせいだって思いたい…… 。
気恥ずかしさのせいでそんな事を考えていると、「ほら、早く食べないと生クリームが溶けて落ちちゃうよ?」と言って、ハデス君が私の口にケーキをぐっと押し付けてきた。そのせいで閉じていた口にべちゃりと生クリームが広がり、鼻から下が大惨事に。こうなってはまずケーキを食べてしまわないと顔を拭く事だって出来やしない。そう思って観念しながら口を開けると、ハデス君は嬉しそうにケーキをぐいっと口内へ押し込んできた。
弟妹がいないからなのか加減が下手で、奥までケーキが入ってくる。そのせいでちょっと苦しくって涙目になった。それに思ったよりもケーキのサイズが大きくって口の中がスポンジでいっぱいだ。
「子供みたいなことになってるよ、十六夜さん」
押し込まれたケーキが大き過ぎるせいで眦に涙を溜め、顔を生クリームで白く汚し、頬を膨らませながら食べている姿は確かにそれ以外に例えようがないだろう。
だがしかし。
耳まで赤くしながら楽しそうにクスクス笑っているが、やったのは君じゃないか。
頑張ってもぐもぐと咀嚼しながらジト目で彼を見上げると、嬉しそうにハデス君が微笑み、何故か舌をちょっと出しながら顔を近づけてきた。『何をするつもりなんだろう?』と考える間も無く、生温かい感触が口元を這う。そして徐々にさっきまで生クリームで汚れていた箇所が綺麗になっていく。顔についたケーキのせいで甘ったるいクリームやスポンジの香りばかりだったはずなのに、今私の鼻腔を擽っているのはハデス君の香りだけになった。
何をしてるの?あ、顔を舐めたのか。
汚れていたから?でも、だからって舐める?
勿体なかった…… にしても、あれ?
あぁ。“初めての事”がしたかったから、なのか、な?
動揺からか思考回路が上手く働かない。それに加え、懐かしさすら感じられる彼の香りが近過ぎて、段々頭の中がぼんやりとしてきた。
舌で肌を舐め、時には唇を甘噛みしながらケーキで汚れた私の顔をハデス君が綺麗にしていく。満足気な瞳で彼が私からちょっと離れた頃には、すっかり私の頬は高揚で朱に染まっていた。
「今年も美味しく作れたね、良かった。——じゃあ次は、ボクの番…… だよね?」
耳朶を指先で軽く握られ、おねだりをされる。
コレはやり過ぎでは?って頭の片隅ではちゃんと疑問に思っているのに手は勝手に動き、操り人形みたいに私は、ケーキを一口分に切り分けて彼の方に差し出した。
「口移しがいいなぁ」
ハデス君がニッと笑いながら甘える声で馬鹿な事を言ってくる。普段の状態で、もし彼が同じような発言をしたのなら額を軽く叩いて問答無用で断る所なのに、私は言われるままケーキを口に咥えてハデス君の方へ顔を近付けた。まるで『断る』という選択肢が始めからなかったみたいなのにしっくりくる。
「上手だね」と優しい声で褒めてくれ、泣きたくなるくらいに嬉しくなってしまった。
でも、どうして?
そんな疑問も、彼の匂いを感じ取っただけですぐに溶けて消える。
ぼぉとした状態のまま私が口に咥えているケーキにハデス君が噛みつき、少しづつ食べていく。ケーキは焦らすみたいにゆっくりと減っていき、最後にはお互いの唇が重なった。だが彼は食べ切っただけでは満足出来ないのか、熱い舌で私の唇を割り開く。ケーキよりも甘ったるい舌が口内を蹂躙し始め、私は慌ててハデス君の胸を押した。が、年下だろうが彼はもうすっかり大人の男性だ。細身なのに筋肉質なせいで体は微動だにしない。
少しざらっとした彼の舌が私のモノと絡み合っていく。そしてその舌は次第に歯をなぞったり、上顎まで舐め始めた。そのせいで腰が砕け、手に持っていたお皿を落としそうに。だが彼はすぐにそれを回収して近くのテーブルに置くと、そのまま私の体をソファーに押し倒す。覆いかぶさる彼の表情が完全に雄そのもので、純粋無垢な印象しか持っていなかった彼とは全くの別人だ。
「…… ハ、ハデス様…… 」
熱に浮かされた時みたいにボソッと呟いた言葉で我に返り、私は慌てて口元を両手で塞いだ。
「懐かしいなぁ、その呼び方。初めて会った時以来だね。…… 当時は何でボクに対してそんな呼び方をするんだろうって不思議に思うだけだったけど、もしかして——」まで言った所で言葉が途切れ、ハデス君が私の耳元に顔を近づける。
「十六夜さんは、ボクを通して誰を見ているの?」
二十歳にも満たない青年が発したとは思えぬ艶のある声で訊かれ、全身がゾクッと震えてしまった。一言一句どこを取っても完全に記憶の中の“ハデス様”と同じ声で、目の前に居る少年が誰なのか益々わからなくなってくる。
「もしかして、十六夜さんの好きな人…… とか?」
「わ、わかんない…… 好きとか、そういうのは…… 」
問い掛ける声は不思議と穏やかだ。私は躊躇なく声を出すことが出来たが…… 小説に登場する存在の一人でしかない彼に、“ハデス様”と私の事をどう説明していいのか思い浮かばず返答に困る。きっと私の“番”だったヒトだと話しても理解はされないだろう。
「もしかして、十六夜さんの大事な人なの?」
「…… うん。とても、大事なヒト」
素直に頷くと、このままではまたキスをしてしまいそうな距離に居るハデス君の顔色が少し曇った。
「ふーん。好きかはわからないけど、とても大事…… ねぇ。もしかして、その人の所に行く為に、司書の勉強を頑張っていたりするの?」
「それはないよ。…… もう、逢えないヒト、だから」
自分で言った言葉が胸の奥を容赦なく抉るのがはっきりとわかる。自然と涙が溢れ、今にも頬を伝って零れ落ちそうだ。
「じゃあ、十六夜さんを取られる心配はいらないんだね」と言い、ハデス君がほっと息を吐いた。
「…… ねぇ、十六夜さん」
「ん?」
「“ハデス様”とボクって、見た目は似てるの?」
「えっと…… 」
少しだけ正直に言うべきか迷ったが、結局「…… 似てる、かな」と素直に答えた。
「瞳の色と、肌の色は違うけど」
「そっか。じゃあ、声は容姿はそっくりなのかな?」
「…… う、うん」
「へぇ」と言った彼の表情が、完全に悪者にしか見えない。良い事を思い付いた時みたいな感情が雰囲気から読み取れるが、絶対に私にとっては『良い事』じゃないって本能的に感じた。
「その人には、何て呼ばれてたのかな?」
コレは絶対に言わない方がいいやつだ。
わかってる。わかってるのに、ふわりと彼の匂いをちょっと感じ取っただけで、口が勝手に動いてしまう。
「呼び捨てか…… “愛し子”と…… 」
「そう」と呟き、ハデス君が私の目元に手を置いて視界を塞いだ。そして耳にまた顔を寄せ、熱い吐息混じりにそっと囁く。
「…… ボクの『愛し子』…… 」と。
その瞬間、全身が歓喜に打ち震え、私は反射的に自分の体をぎゅっと抱き締めた。たった一言を囁かれただけだというのに、懐かしさも相まってか、トロ火で炙られるみたいにじわじわと体温が上がる。呼吸も段々と雑になっていき、下っ腹がぎゅっと苦しくなった。
あぁ、どうしよう——
心と体が『目の前に居るのは“ハデス様”だ』と勘違いしたがっている。
そう言うハデス君の特徴的な深淵の瞳に窓から差し込む日光が当たり、キラキラと輝いている。彼の持つフォークの先端には一口分に切り分けたケーキ刺さっていて、それを私の目の前に差し出されている。
——までは、何とかかろうじて理解出来るのだが…… 膝の上に座る必要は何処に?
お、おかしいな。最初は確か、お昼ご飯のタイミングでダイニングテーブルに並んだ料理を二人で仲良く食べ、『締めのケーキはリビングで食べよう』って話になった。ここまではわかる。至って普通の流れだ。
そして、心の中でお願い事をしながら彼がローソクの火を吹き消し、四等分にして丁度良いくらいのサイズで焼いたホールケーキをナイフで切り分け、それをお皿にのせてハデス君に渡そうとすると、『じゃあ、そろそろプレゼント貰おうかな』と笑顔で言われた。
うん。
ここまで振り返っても、まあ一般的なやり取りだった。
だけど彼の曖昧な要求では、そんな事をこのタイミングで言われたって、こちらには彼に渡す様な物が無い。じゃあ、この場合はどうしたらいいんだろうかと不思議に思って首を傾げていると、彼は私の体を持ち上げ、何故かハデス君の膝の上にちょこんと座らせられた。そして彼は私にケーキを取り分けた皿を持たせたまま——冒頭に戻る。
「えっと…… 私が、食べるの?」
「そうだよ。はい、『あーん』は?」
「…… 一人で食べられるよ?」
「だけど十六夜さん。ボクの膝の上でケーキを食べるは“初めて”でしょう?」
急に何を?
まぁでも、確かにそうだけど…… 。
私が無言で頷くと、「じゃあ食べないと駄目だよね」と彼は謎の結論を押し付けてきた。
「えっと…… もしかしてコレが、今日のプレゼントになるの?ハデス君が誕生日にして欲しい事なの?」
「んー…… まぁ、導入部分程度にはなるかな?」
「私はてっきり、もっと違う事かと」
「ふーん。じゃあ、例えば?」
「…… わかんない。けど、一応二人でやれそうな新作のゲームを買ってはみた、かな。ハデス君、昔はゲーム好きだったし」
「受験生にゲーム?」と言って、ハデス君がクスクス笑う。
「ぃや!別にゲームはプレゼントって訳じゃないから!それにちゃんと、ちょっとの時間でやれそうなのを選んだし!もしすごく気に入っても持って帰れないようにダウンロード版にしたから、こっちに来ないとやれないから勉強の邪魔にもならないよ?」
真っ赤になりながら言い訳すると、「ありがと。それもまぁ嬉しいけど…… また今度ね。今日はもっと、他の事がしたいから」なんて、宥めるみたいな声で言われた。これではどっちが年上なのかと悲しくなる。本来の私の落ち着きはこの六年で何処に消えたんだ?って感じだ。
うぅぅ。
こんな動揺っぷりは、この主人公だった少女・“星”としての“設定”のせいだって思いたい…… 。
気恥ずかしさのせいでそんな事を考えていると、「ほら、早く食べないと生クリームが溶けて落ちちゃうよ?」と言って、ハデス君が私の口にケーキをぐっと押し付けてきた。そのせいで閉じていた口にべちゃりと生クリームが広がり、鼻から下が大惨事に。こうなってはまずケーキを食べてしまわないと顔を拭く事だって出来やしない。そう思って観念しながら口を開けると、ハデス君は嬉しそうにケーキをぐいっと口内へ押し込んできた。
弟妹がいないからなのか加減が下手で、奥までケーキが入ってくる。そのせいでちょっと苦しくって涙目になった。それに思ったよりもケーキのサイズが大きくって口の中がスポンジでいっぱいだ。
「子供みたいなことになってるよ、十六夜さん」
押し込まれたケーキが大き過ぎるせいで眦に涙を溜め、顔を生クリームで白く汚し、頬を膨らませながら食べている姿は確かにそれ以外に例えようがないだろう。
だがしかし。
耳まで赤くしながら楽しそうにクスクス笑っているが、やったのは君じゃないか。
頑張ってもぐもぐと咀嚼しながらジト目で彼を見上げると、嬉しそうにハデス君が微笑み、何故か舌をちょっと出しながら顔を近づけてきた。『何をするつもりなんだろう?』と考える間も無く、生温かい感触が口元を這う。そして徐々にさっきまで生クリームで汚れていた箇所が綺麗になっていく。顔についたケーキのせいで甘ったるいクリームやスポンジの香りばかりだったはずなのに、今私の鼻腔を擽っているのはハデス君の香りだけになった。
何をしてるの?あ、顔を舐めたのか。
汚れていたから?でも、だからって舐める?
勿体なかった…… にしても、あれ?
あぁ。“初めての事”がしたかったから、なのか、な?
動揺からか思考回路が上手く働かない。それに加え、懐かしさすら感じられる彼の香りが近過ぎて、段々頭の中がぼんやりとしてきた。
舌で肌を舐め、時には唇を甘噛みしながらケーキで汚れた私の顔をハデス君が綺麗にしていく。満足気な瞳で彼が私からちょっと離れた頃には、すっかり私の頬は高揚で朱に染まっていた。
「今年も美味しく作れたね、良かった。——じゃあ次は、ボクの番…… だよね?」
耳朶を指先で軽く握られ、おねだりをされる。
コレはやり過ぎでは?って頭の片隅ではちゃんと疑問に思っているのに手は勝手に動き、操り人形みたいに私は、ケーキを一口分に切り分けて彼の方に差し出した。
「口移しがいいなぁ」
ハデス君がニッと笑いながら甘える声で馬鹿な事を言ってくる。普段の状態で、もし彼が同じような発言をしたのなら額を軽く叩いて問答無用で断る所なのに、私は言われるままケーキを口に咥えてハデス君の方へ顔を近付けた。まるで『断る』という選択肢が始めからなかったみたいなのにしっくりくる。
「上手だね」と優しい声で褒めてくれ、泣きたくなるくらいに嬉しくなってしまった。
でも、どうして?
そんな疑問も、彼の匂いを感じ取っただけですぐに溶けて消える。
ぼぉとした状態のまま私が口に咥えているケーキにハデス君が噛みつき、少しづつ食べていく。ケーキは焦らすみたいにゆっくりと減っていき、最後にはお互いの唇が重なった。だが彼は食べ切っただけでは満足出来ないのか、熱い舌で私の唇を割り開く。ケーキよりも甘ったるい舌が口内を蹂躙し始め、私は慌ててハデス君の胸を押した。が、年下だろうが彼はもうすっかり大人の男性だ。細身なのに筋肉質なせいで体は微動だにしない。
少しざらっとした彼の舌が私のモノと絡み合っていく。そしてその舌は次第に歯をなぞったり、上顎まで舐め始めた。そのせいで腰が砕け、手に持っていたお皿を落としそうに。だが彼はすぐにそれを回収して近くのテーブルに置くと、そのまま私の体をソファーに押し倒す。覆いかぶさる彼の表情が完全に雄そのもので、純粋無垢な印象しか持っていなかった彼とは全くの別人だ。
「…… ハ、ハデス様…… 」
熱に浮かされた時みたいにボソッと呟いた言葉で我に返り、私は慌てて口元を両手で塞いだ。
「懐かしいなぁ、その呼び方。初めて会った時以来だね。…… 当時は何でボクに対してそんな呼び方をするんだろうって不思議に思うだけだったけど、もしかして——」まで言った所で言葉が途切れ、ハデス君が私の耳元に顔を近づける。
「十六夜さんは、ボクを通して誰を見ているの?」
二十歳にも満たない青年が発したとは思えぬ艶のある声で訊かれ、全身がゾクッと震えてしまった。一言一句どこを取っても完全に記憶の中の“ハデス様”と同じ声で、目の前に居る少年が誰なのか益々わからなくなってくる。
「もしかして、十六夜さんの好きな人…… とか?」
「わ、わかんない…… 好きとか、そういうのは…… 」
問い掛ける声は不思議と穏やかだ。私は躊躇なく声を出すことが出来たが…… 小説に登場する存在の一人でしかない彼に、“ハデス様”と私の事をどう説明していいのか思い浮かばず返答に困る。きっと私の“番”だったヒトだと話しても理解はされないだろう。
「もしかして、十六夜さんの大事な人なの?」
「…… うん。とても、大事なヒト」
素直に頷くと、このままではまたキスをしてしまいそうな距離に居るハデス君の顔色が少し曇った。
「ふーん。好きかはわからないけど、とても大事…… ねぇ。もしかして、その人の所に行く為に、司書の勉強を頑張っていたりするの?」
「それはないよ。…… もう、逢えないヒト、だから」
自分で言った言葉が胸の奥を容赦なく抉るのがはっきりとわかる。自然と涙が溢れ、今にも頬を伝って零れ落ちそうだ。
「じゃあ、十六夜さんを取られる心配はいらないんだね」と言い、ハデス君がほっと息を吐いた。
「…… ねぇ、十六夜さん」
「ん?」
「“ハデス様”とボクって、見た目は似てるの?」
「えっと…… 」
少しだけ正直に言うべきか迷ったが、結局「…… 似てる、かな」と素直に答えた。
「瞳の色と、肌の色は違うけど」
「そっか。じゃあ、声は容姿はそっくりなのかな?」
「…… う、うん」
「へぇ」と言った彼の表情が、完全に悪者にしか見えない。良い事を思い付いた時みたいな感情が雰囲気から読み取れるが、絶対に私にとっては『良い事』じゃないって本能的に感じた。
「その人には、何て呼ばれてたのかな?」
コレは絶対に言わない方がいいやつだ。
わかってる。わかってるのに、ふわりと彼の匂いをちょっと感じ取っただけで、口が勝手に動いてしまう。
「呼び捨てか…… “愛し子”と…… 」
「そう」と呟き、ハデス君が私の目元に手を置いて視界を塞いだ。そして耳にまた顔を寄せ、熱い吐息混じりにそっと囁く。
「…… ボクの『愛し子』…… 」と。
その瞬間、全身が歓喜に打ち震え、私は反射的に自分の体をぎゅっと抱き締めた。たった一言を囁かれただけだというのに、懐かしさも相まってか、トロ火で炙られるみたいにじわじわと体温が上がる。呼吸も段々と雑になっていき、下っ腹がぎゅっと苦しくなった。
あぁ、どうしよう——
心と体が『目の前に居るのは“ハデス様”だ』と勘違いしたがっている。
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