恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第四章】いやらしいのは隣のキミ一人

【第一話】後日談の世界(十六夜・談)

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 この『いやしは隣のキミ一人この物語』の世界に私は“休暇”で来ていたはずなのだが、もうすでに六年の歳月が流れた。

 六年、だ。

 六年という歳月は“神々”の眷属としては秒にも等しい年月でも、“人”として生きるには決して短い期間ではない。もう此処までくると、この歳月に対して『休暇』という言葉を当て嵌めるのは間違っているのでは?と思えてくる。前の世界で過ごした期間は王太子としての仕事のせいで過労によりで悲鳴をあげ、それが原因で『休暇…… とは?』と疑問を抱く事になったが、今回はこの物語の世界での滞在期間が長過ぎるせいで同じ疑問を感じている。

 他にも不思議に思っている事がある。この世界の主人公の一人である少女・“星”の意識を全く感じ取れない件についてだ。
 彼女がこれまで経験してきた様々な“記憶”と“設定”は確かに頭の中に存在しているのに、“グレーテル”や“アウローラ”の時みたいに騒がしく声を荒げる存在が、今回の私の中にはどうも居ないみたいなのだ。

 今の私はまるで、ただ『いやしは隣のキミ一人この物語』の“設定”などを借りているだけの存在

 ——みたいな感じがする。
 この物語の世界で生きていく為に必要な“設定”や経験の“記憶”に判断や決断基準が引っ張られる事は多々あるが、基本的には全て“私”自身が日々の選択を繰り返して生活している。
 そのうえとっくの昔に本の中で語られていた期間は終わっており、今後は一体何がどうなっていくのか全く見当が付かない。そもそもざっくりとした世界観しか知らないままに放り込まれた物語の世界だったし生死に関わる波瀾万丈なお話でもないので特に何も問題は無かったのだが、気が付いたらいつの間にか物語の期間が終わっていて、『あれ?』と拍子抜けしたもんだ。

 なのに帰還の目処は全く立っていない。“ハデス君”が“ハデス様”である可能性も無い事からして、私はもう、ハデス様に見捨てられたのかなと最近ちょっと思い始めている。

 もしかしたら、ハデス様は私に対してもう“番”としての存在意義を見出せなくなり、この世界に捨て、放置したのかもしれない。だとしても今の私ではなす術が何も無いので最後まで此処で“星十六夜”としての人生を走り抜いて、後は消え去るのみ——という状態なのかもな、と。

 幸い此処は、みんながみんな優しい世界だ。

 中身は空っぽだったけど、今まで永い刻を生きてきた。だから此処で生を終えるのならばそれも悪くないかなと思いつつも、一人になると、ふと泣きそうなくらいに悲しくなる。だが、何かの気まぐれでハデス様が私の姿を見た時に惨めな姿は晒すまいと、必死に堪えながら日々を生きている。廃棄処分品がどうなっていようが何とも思われないだろうが…… それでも。

 そんな日々の中。私は将来的に司書になろうと大学に通う事を選んだ。この“休暇”の終わりが見えない以上、将来設計を立てずには生きてはいけないと思い、どうせなら本に関わる仕事をしたいと考えたのだ。

 本来の私の生活には、天蓋付きのベッドと本しか無かった。

 正確には、大量にあったあれらの本を一度も読みすらしなかったので『本棚しか』と言うべきなのだが…… ——
 とにかく、だ。完全に自分と無関係なものに手出しをするよりはいいかなと、多少なりとも本体と関係のあった仕事を目指す事を選んだ。このまま希望通り司書になれるのかはまた別の話だが、本棚かベッドに関する仕事というざっくりとしたものに就こうとするよりは、何となく健全で現実的だろう。

 隣の部屋に住むハデス君との関係は今でも続いている。
 あれからもずっと仲の良いお隣さんという関係のままだ。…… 多分、そうだと、思う。
 まだ物語の影響が残っているのか、本で語られていた期間は終わってはいても、彼と私の距離感は相変わらずおかしなままだ。平日は朝一でウチに来て二人分の朝食と昼のお弁当を作り、夕方には私よりも先に帰宅して夕飯の用意や風呂の準備、洗濯や部屋の片付けまで終わらせてくれている。金曜日の夜には当然の様に泊まっていき、次に帰るのはいつも日曜日の夜だ。もう、ほぼこっちに住んでいると言ってもいいくらい家には彼の日用品が揃っていて、仕事で留守がちなままである叔母よりも長い時間を共に過ごしている。
 歳月が流れた事で、出会った頃はまだ小学六年生だった彼はもう、高校三年生になった。

 男子高校生が異性の部屋に泊まっちゃぁ、駄目じゃないか?流石に。

 六年もこの世界に居れば現実世界の事柄に無知だった私でも常識的な事が徐々に身についていく。現実世界と同じく、この世界にはインターネットという便利なものも存在し、今は高校生時代の頃とは違って気軽に話せる友人もいるので、彼女達との会話の中から“ハデス様”からでは得られなかった色々な知識を細々と学んでいった。

 そうしているうちに、ハデス君と私の距離感が明らかにおかしい事に気が付いてしまった。

 “宵川ハデス”には“設定”として根底に“寂しい”という感情があるので、それ故の距離感なのだろう。だがそれを抜きにしても、彼はあまりにも私の傍に居過ぎだと思う。彼と私は交際相手とかではないし、家族でもない。そもそもハデス君のご両親がこの状況に異論を唱えないのも変だと思うのだが、口の上手い彼は上手い具合に両親を言いくるめているのだろう。弟に対して無遠慮な姉のイオは結婚してもう家を出ているので、現状への問題点を指摘する者が彼の周囲には一人も居ないのも問題だと思う。

 …… そうなると、私が自分で現状を変えていくしかない、よね。
 たかが隣人への依存は彼の為にもよろしくないし。

 私室にある勉強机に向かいながら苦悩に満ちた息を吐き出すと、「お疲れ様。そろそろ休憩したら?」と後ろから声を掛けられた。机の上にはノートパソコンと数十冊の資料や教科書、筆記具、メモ書きの束やらが乱雑に積み上がっていて、見るも無残な状態だ。それを簡単に整頓すると、声の主は温かなホットミルクの入るカップを机の上にそっと置いてくれた。
「ありがとう、ハデス君」
 軽く振り返り、初見の頃から比べて随分と背の高くなった彼を見上げながら礼を言う。
「どういたしまして」と返してきた声はもうすっかり声変わりを果たし、美声なまま低音ボイスの持ち主となった。百八十センチ越えらしい身長は細身だが筋肉があり、健康的に焼けた肌はすっかり白くなって、ちょっとだけ“ハデス様”っぽさが薄くなった。でも容姿の端麗さの方は一層磨きがかかり、同年代の追随を許さぬ程である。

「そう言えば、モデルの件ってどうなったの?」

 両手でカップを持ち、淹れてもらったホットミルクを飲みながらハデス君に問い掛ける。
「あぁ…… 」と返って来た声は心底どうでも良さそうな声色だ。
 彼は小学生時代から近所でも評判の美少年だったが、今はネット上でも噂の美男子として更に注目を集めてしまっているそうだ。そのせいかモデルのスカウトに声を掛けられたのだと噂で聞き、どうするつもりなのかと本人に訊いた次第である。

「もちろん断ったよ。そんな暇はないからね」

「…… 勿体無いなぁ」
「いやいや。ボクが居ないと、十六夜さんが困るでしょう?」
 私の衣食住を全て握っているも同然の状態だからか、ハデス君はちょっと勝ち誇った様に笑っている。
「家事は自分でやれるから全然平気だよ。それに君は今、受験生なんだよ?それを考えると、モデルの件を今回も断ったのは賢明な判断だなとは思うけど、それにしたってもっと勉強時間を増やした方がいいんじゃないかな」
「ちゃんとやってるよ、大丈夫。そのうえで遊びに来てるんだから、十六夜さんは何も心配しなくていいよ」
 話しながら背後に立ち、ぽんっと両肩に手を置いてハデス君が私の頭部に綺麗な顔を寄せてきた。頭にとはいえ、頬擦りするみたいに甘えてくるせいでちょっとくすぐったい。
「なら…… いいんだけど」
 また甘やかしてしまい、すぐ自己嫌悪に陥る。この異常な距離感をどうにかする為にも彼とは距離を置いた方が良いと思うのに、ハデス君が傍に居るとどうしても上手く出来ない。家事の出来るイケメンがイケボが甘えてくるという魅惑のコラボに勝てる人間なんかこの世に居るんだろうか。

「そういえば、大学は私と同じ学校を受験するって言ってたよね」
「うん。近いから引っ越す必要も無いし。何より、やっと十六夜さんと同じ学校に通えるかもって思ったら一択だったよ」
「一年間だけ、だけどね」
「十六夜さんは大学院に進む気はないの?」
「無い」
 キッパリ言い切ると、しゅんっと落ち込んだ事が雰囲気から伝わってくる。もう彼は小学生の子供じゃないっていうのに、不思議と可愛い一面を持ったままなのが妙に似合ってしまっているのは狡いなって思う。
「医学部受験の予定だったっけ」
「うん。法医学の道に進もうと思って」
「…… 法医学?それって、人体の解剖とか事件性のある遺体の検死、とかの?」
「なり手が少ないって話だろう?生きている人とあまり関わらず、就職先の選択肢が多くって、収入にも困らないなら丁度良いなって思って」
「丁度…… 良い?」
 きょとんとしていると、ハデス君がふっと柔らかな笑みを浮かべた。

「十六夜さんがこの先どんな街に就職したとしても、近くで働けるでしょう?」

「…… そ、そう、だね」
 もしかして私が距離を取ろうとしている事に気が付いているの?そしてそれが嫌だったのだろうか。
 彼から掛けられた言葉の中に私に対する依存どころか、執着心を垣間見た気がした。
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