恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第三章】いやしは隣のキミ一人

【第九話】初めてのお泊まり・前編(十六夜・談)

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 晩御飯を一緒に食べた日以降。
 彼は朝早く私の家に来てお弁当と朝食を私と一緒に作ってから学校へ行き、放課後はまたこちらの家に来て共に晩御飯を作り、親の帰宅時間に合わせて帰るという事を数日繰り返した。
 ご両親にはちゃんと隣のお宅で留守番をしている旨を伝えているらしく、金曜日の夕方には両親が菓子折り持参で家にやって来た。最初はほぼ一人暮らし状態にある高校生のお宅で世話になっている事を懸念していたらしいが、彼のであるイオさんが太鼓判を押してくれて、今ではむしろありがたいと喜んでいるそうだ。一体、彼のお姉さんは私の何を見て『預かってくれるのがあの子なら大丈夫だよー』と言ったのか不思議でならない。だから、弟の面倒を押し付けただけという可能性も十分あり得るかもしれないと正直思っている。

「じゃあ、これはご飯の後にでも一緒に食べようか」

 菓子折り持ちながらそう言うと、ハデス君が柔らかな笑顔を向けてくれる。瞳が闇そのものなのに何故こうも素敵に微笑むことが出来るのだろうか。世界の七不思議に加えてもいいと思う程の疑問だ。


 食事を済ませ一緒にソファーに腰掛けてテレビを観ていると、ハデス君が眠たそうに体を揺らし始めた。疲れているのだろうなと察し、「そろそろ帰らないとね」と声を掛ける。すると彼は急にクワッと覚醒し、「——あ!」と叫んだ。
「ど、どうしたの?」
「今日、泊まっていっても…… いい?」
「…… え」

 ——い、いやいやいや、待って。もちろん駄目に決まっている。
 そもそも、そこまで“宵川”君と“星”さんは交流があったのか?

 ものすごく大雑把なストーリーしか頭に入っていないせいで、どう返答するべきなのか悩んでしまう。“星”さんならばどう答えるのだろうか?いっそ“星”さんの記憶や人格と相談したいくらいなのに、彼女はうんともすんとも言ってくれない。どうやらこれは自分で返事を決めねばならないみたいだ。

「…… ダメ?今日、誰も帰って来ないから、一人は寂しくって…… 」

「——うっ!」
 彼も来年には中学生だ。年齢的には確かに一人でも留守番は可能だろう。もし中身が“ハデス様”であるなら尚更に。だが、だが…… 切なそうに瞳を潤ませ、私の服の裾をキュッと震える手で掴まれてしまい、言葉が喉に絡んで出てこない。『ダメ』だとか『無理だ』なんて言おうものなら今にも泣き出してしまいそうな雰囲気だ。それならそれで見てみたい気もちょっとするが…… いや、ダメだろう子供を泣かせるのは。

 待って。
 そもそも何を心配しているんだ?私は。

 ハデス君は“ハデス様”とは違ってまだ子供だ。小学六年生だ。寂しいから親戚の家にちょっと泊まりたいとかそんなレベルの懇願なのだ。クラスメイトの恋心にすら気が付けない程にお子様な彼が、ウチに泊まったからってなんの問題が?
 むしろ得体の知れぬ不安を抱く私の方が卑猥で汚い存在の様な気すらしてきた。

 うるうると瞳を震わせ、悲しそうにしている犬の幻覚までハデス君と重なって見えてくる。
 やばい。相当私は重症だ。

「お仕置きの回数、一回分減らしてもいいから…… ねぇ、ダメ?」

 そう言えば、そんなものもありましたねと思い出し、すんっと真顔になる。
 最初は“敬語を使ったら罰ゲーム”だったはずが、いつの間にか“お仕置き”にすり替わり、今回はソレを“お願いチケット”みたいにしてくるとは。子供ながらに考えたなと感心したくなってきた。

 コレは、早々に減らしておいた方がいいのでは?

 私が叶えられる範囲のうちに消費してしまった方が気がする。じゃないと今度はどんな条件の時に持ち出されるのやらと、段々不安になってきた。
「い…… いい、よ」
 迷いながらも了承すると、彼は表情を一転させ、「本当?ありがとう!」と声を弾ませながらハデス君が私の体に抱きついてきた。そのせいで豊かな胸の中に彼の顔が埋まる。ふっかふかな枕の中に沈み込んだみたいな状態に。こんなん、呼吸は苦しくないのだろうか?と思っていたら、ゆっくりと顔を上げ、今度は「お風呂借りてもいい?」と訊いてきた。

 や、あの…… 君のお家はすぐ隣なのだ。流石にそれは自宅で入って来ては?
 ——あ、いやいやいや。だから、私は何を警戒しているんだ、子供相手に。

「う、うん」
「じゃあ、お風呂入れて来るね!」
 勝手知ったるといった感じでハデス君が風呂場に向かう。綺麗に反転しているだけの間取りなので任せても大丈夫だろう。
 今のうちに寝具の用意でも…… と思った所で、はたっと足が止まる。泊まる程に仲の良い友人はおらず、親戚はもう叔母だけの状態なので、来客用の寝具なんかウチには無いと今更気が付いたのだ。
 叔母の布団を…… と一瞬考えたが、買ってからまだ一度も持ち主が寝ていない物を、別の人が先に使うなんて論外だろう。例え使用後であったとしても、個人所有の寝具を見知らぬ他人が使うのは気分の良いものでは無いはずだ。
 次は、ハデス君には私のベッドを使ってもらって自分はソファーで——と考えたが、そもそも『一人は寂しい』という理由で泊まりたいと懇願している子供を一人で寝かせるとか、鬼か?悪魔か?鬼畜の所業では?と思い始めてきた。

 ハデス君は純粋無垢な少年だ。

 ここ数日一緒に居たが変な事は何もせず、ただ笑顔で側に寄り添ってくるくらいなものだった。隙を見ては抱きついてきて、その度に私の胸が変形するというトラブルはあるものの、それは互いの身長差のせいだろうから他意はないだろう。彼は決して中身が“ハデス様”だった童話の“ヘンゼル”でもなければ、乙女ゲームの悪役令嬢“アウローラ”でもないのだ。一緒のベッドで寝たからってなんだというのだ。

「お風呂にお湯入れてきたよ。準備が終わったら、十六夜さんも入る?」

「あ、ありがとう。そうだね、ハデス君の後に入ろうかな」
「じゃあボク、ちょっと着替えだけ取って来るね!すぐに戻るから」
「うん。いってらっしゃい」と答えて手を振る。そそくさと軽い足取りで自宅に戻って行くハデス君の姿を見送って、正直な所『本当にコレで良かったのだろうか?』と不安が拭えなかったのだが、その感情は精神安定の為にも無いものとして扱った。
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