恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第三章】いやしは隣のキミ一人

【第五話】本当に“無垢”なのはどちらなのか(十六夜・談)

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 本日の授業も残す所あと一時限のみとなった。十分程度の小休憩のタイミングでスマホが振動し、何の通知だろうか?と確認する。すると送り主はハデス君で『こっちはもう終わったんだけど、今日も一緒に帰れる?』との内容だった。

 あー…… 。
 流石にこれは。

 もうすぐ始まる授業が終わるのは五十分後だ。授業が終わったからって直ぐに学校を出られるわけでもないし、小学生を高校の校門前で一時間以上待たせるのは忍びない。だがこのまま断ればがっかりさせてしまうのは確実だろう。ならばと私は『まだ授業があるから一緒に帰るのは無理だけど、終わったら急いで戻るから、お家で待っていてくれる?』と返してみた。
『うん!待ってるね。ならさ、今日は一緒に出掛けようよ。食材とかも買った方がいいから行き先はモールとかでどうかな』
『そうだね、そうしようか。もうすぐ次の授業始まるから、これ以降の返事は学校を出る時に送るね』
 チャットみたいなスピードで返事が来たので、こちらも直ぐに返してそう締め括る。

 難しい年頃の少年少女の交流を描いた物語なのだ、相方となる主人公が私に懐いてくれるのは当然の流れなのだが、それを抜きにしてもこういったお誘いはちょっと嬉しい。何故か記憶は無さそうだけど、多分彼の中身はハデス様で間違いないはずだし、浮気じゃないと安心も出来る。
 目覚めたその瞬間からハデス様を“番”として認識していた身だったからか、余計にこういう順序立てた積み重ねがとても新鮮に感じる。この世界は最終的に彼とどうこうなるお話でもないから気持ちも楽だし、こういう純朴なやりとりも悪くないなと思いながら私は、スマホを鞄の中に戻した。


       ◇


「はぁ、はぁ、はぁ——」
 走る気なんかこれっぽっちも無かった。この体は体力があまり無いって知っているし、小学生を校門前に待たせているわけじゃないんだから急ぐ必要だってない。だけど気が付いたら走っていた。歩いてもせいぜい十分程度の短い帰路は、どうせ走ったってそう大差ないくらいしか短縮出来ない。だけど気持ちだけが急いていて、自然と足は前に前にと進んで行った。

 七階に向かうエレベーターの中で呼吸を整えて、顎まで流れ落ちてきた汗を手の甲で拭う。ハデス君に会う前に一度シャワーを浴びないと『汗臭い!』と倦厭されそうだ。
 ぽんっという音と共に自動で扉が開いて、各部屋への入り口がずらりと並ぶ長い廊下が目の前に現れる。私が住んでいるのは角部屋なのでこの廊下の最奥なのだが、その付近に小さな人影があった。ランドセルを背負った姿ではなかったが、遠目に見てもそれがハデス君であるとすぐにわかる。

「自宅で待っててくれたら良かったのに」

 すぐに駆け寄り、声を掛ける。呼吸はちゃんと整えてから話したのに、ハデス君が「——もしかして、走って来たの?」と訊いてきた。慌てて腕を鼻に近づけて自分の臭いを嗅ぐ。最近流行りの柔軟剤のおかげで極端に汗臭くはなさそうだが、それでも子供の鼻では厳しいのかもしれない。
「あ…… 。臭かった、かな?ごめんね、すぐにシャワー浴びて来るから、お家で待っていてもらえる?」
「わかった!」
 元気に答えてくれる姿に安堵しつつ、鞄から鍵を取り出して解錠する。扉を開けて朝方振りに自宅に戻ったのだが…… 何故かハデス君が一緒に、当たり前に様にウチの玄関まで入って来た。

「えっと…… 部屋で待ってて、って…… 」
「え?うん。今さっき言われたから、覚えてるよ?」

 きょとん顔でこちらを見上げてくるハデス君は随分オシャレな服装をしている。上下共に七部丈のパーカーとズボン、お高そうな白いスニーカーはどう見ても学校に履いて行くには不向きな印象だ。もしかしたら私に会う為だけにわざわざ一度着替えたのかもしれない。そう思うと、『間違ってるよ。自分のお家で待っていてねって意味だったの』とはどうしても言えなかった。


 急いでシャワーを浴び、髪を乾かして居間に戻る。風呂場から出たばかりなせいか体の熱が引かず、キャミソール一枚と短めのパンツスタイルという軽装だ。でも待たせている相手は小学生だしと私は気にせず声を掛けた。
「お待たせしちゃってごめんね。すぐに着替えて来るから、テレビとか観ていてくれてもいいよ。ネットにも繋がっているから、投稿動画を観ていてもいいからね」
 大きめな三人掛けのソファーに腰掛けて待っていてくれたハデス君がこちらを向くなり、ギョッとした顔になった。そしてすぐさま視線を横に逸らし、真っ赤に染まる顔を片腕で隠す。

「——?(どうしたんだろう)」

 不思議には思ったが、「リモコン、此処においておくね」とだけ言って自室に向かう。部屋に入る直前にチラッと視線だけハデス君の方を見ると、テレビを観るような気配はまるで無く、何故か両手で顔を覆って俯いていた。


 着替えを終えて再び居間に戻るなり、ジト目をしているハデス君に見詰められた。「…… どうしたの?」と首を傾げると、彼が今朝みたいに盛大なため息をこぼす。
「…… 十六夜さんってさ」
「うん?」
「警戒心って言葉、知ってる?」
「もちろん知ってるよ」
 嘘だ!と言いたげな瞳を向けられ、言葉に詰まった。何かそんなに心配させてしまう様な行動をしてしまったのだろうか?
「そんなにオシャレな服を着て来る時点で、信用出来ないなぁ」
 淡い緑色をした膝丈のスカートに、袖は長いけど肩の辺りにカットが入っていて一部分だけ素肌が見えるデザインのブラウスを着ているだけなのだが、何故かそんな指摘をされてしまった。素足は極力出すまいとハイソックスを穿いているし、特別露出の多い服装をしてはいないはずなのだが、彼は何かが気に入らないみたいだ。
「変かな…… 。ハデス君がオシャレさんだったから、私も合わせてみたんだけど」
 もっとラフな格好の方が良かったのだろうか?それこそ、Tシャツ一枚にジーンズ生地のパンツとか。

「き、気付いてたの?」
「え?う、うん。とても似合ってるし、いつも以上にカッコイイなと思ったから」

 真っ赤な顔を嬉しそうに綻ばせ、「ボク、カッコイイ?」と訊いてくる。彼は微妙なお年頃の少年だ。きっと『カッコイイ』という言葉は特別なのだろう。『今の顔だと可愛いの方かな』という本心はぐっと胸の中に仕舞い込み、素直に「うん」と笑顔で返す。
「やった」と小声で言って、ハデス君が小さくガッツポーズを取る。きっと褒められて嬉しかったのだろう。彼なら褒められ慣れしていそうなものなのに、それでも喜んでもらえると私も嬉しくなった。

 髪を適当に整え、折り畳めるマイバックを普段使い用の鞄に入れる。部屋の施錠を済ませてマンションの共有スペースである廊下を二人で歩いていると、ニコニコと笑いながらハデス君が手を繋いできた。もうすっかり慣れたもので、こちらからも違和感なく握り返す。

「デートにでも行くみたいだね」

 小学生の無垢な笑みのままそう言われて、心がぎゅっと苦しくなった私は、色々とマズイ状態にあるかもしれない…… 。
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