恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

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【第三章】いやしは隣のキミ一人

【第一話】無垢との出会い(十六夜・談)

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 ——ピンポーン。
 定番とも言えるチャイムの音が耳に届き、私の意識が暗闇から浮上していく。と当時に、脳内に流れてくるのはいつもの“設定”だ。もう慣れたものなのか違和感も何もなく、全てが私の“記憶”として順調に刻まれる。

 自分の名前、家族構成、年齢、今までの経験など——

 必要最低限の情報と共に、此処が『いやしは隣のキミ一人』というタイトルの小説の世界である事を知った。この物語は思春期の入り口に立った少年とその真っ只中にある一人の少女との交流と心の成長を描いた内容だ。

 両親は共働き、姉は学業とバイト三昧の少年。
 両親は既に他界し、仕事で殆ど家に帰れない叔母と暮らす少女。
 そんな二人が少女の引っ越しを機に出会い、年齢的には接点の無いまま終えそうな二人が、お互いの寂しさを埋め合いながら成長していく。前の世界とは随分と毛色の違う世界だ。

 マンションの七階から現世に限りなく近いであろう街並みを横目で眺め、目の前の扉が開くのを待つ。すると「どちら様ですかー?」と明るい声が扉の奥から聞こえてきた。

「あ、えっと…… 突然すみません。昨日、隣に引っ越して来たほしといいます。引越しのご挨拶に伺いました」

「あぁ!今開けますねー」
 その声とほぼ同時に解錠音が聞こえ、ゆっくり扉が開いた。
「わざわざご丁寧にどーも!でも、別に挨拶なんかいらないのにー」
 すらっとした長身の女性がニコッと懐っこい笑顔を向けてくれる。改めて頭を下げながら手土産の入る袋を差し出すと、女性はそれを受け取り、「あら!ありがとー」とお礼を返してくれた。

星十六夜ほしいざよいといいます。隣の、角部屋の方に引っ越して来ました」

 この物語は終始、登場人物は全て苗字しか出てこない。だからか名前には本名が反映されてしまっているみたいだ。そのせいで随分と派手な字面になっている自分の名前に対し、ちょっと恥ずかしい気持ちになってきた。 
「『やっと人入ったんだねー』って昨日話してたんだー。改装だなんだと工事の音が煩かったから、ウチの部屋より綺麗なんだろうなぁ」

 大学生くらい、だろうか?

 気さくな感じで話し掛けてくれるが何と返していいのか分からず、「そうですね」とだけ言って、あとは笑顔で誤魔化す。
「星さんは、高校生ぐらいかな?」
「はい。一年になったばかりです」
「もしかして、近所の高校?」
「はい」
「此処からなら通いやすいよね!私も同じ学校の卒業生なの。だから、何かあったら遠慮なく相談してくれていいよー」
「あ、ありがとう、ございます」
 突如、『良い子だねー!』と言いたげに頭を撫でられ、体が固まった。どうやらこの“星十六夜”という少女は人見知りタイプの様だ。もしかしたらただ単に、この女性の距離感が近過ぎるせいかもしれないが。

「ねぇちゃん。お客さん誰ー?」

 不意に部屋の奥から少年の声が聞こえてきた。『もしかして、主役の少年だろうか?』と思い、そっと奥の方へ視線をやる。すると少年の姉であろう女性は部屋の方へ振り返り、「アンタもこっち来て挨拶しなよー。お隣さん、挨拶に来てくれてんだからさぁ」と声を掛けた。
「はーい」と同時に室内を走る音が聞こえる。わざわざ申し訳ないなと思いながら身を縮めていると、小柄な少年が一人、玄関先まで顔を出してくれたのだが——

「…… ハデス、さま?」

 彼の容姿を一眼見て、驚きで目を見開いた。そしてぽかんと口を開けたまま彼の姿に魅入ってしまう。
 短髪の黒髪はサラッとしていて美しく、褐色とまではいかないまでも日に焼けたような肌はとても健康的だ。左目の下には綺麗に横並ぶ黒子があり、彼はまだ子供なのに何だかちょっと色っぽい。将来絶対に美男子に成長するであろう事がありありとわかる程の端正な顔立ちはきっと、姉にとって自慢の弟だろう。

 ただ一つ気になったのは、彼の瞳の色。
 少年らしい瞳は大きめでとても愛らしいが、血の様に赤いハデス様のそれとは違い、彼の瞳は真っ黒だ。この世で最も黒いとされる塗料・ベンダブラック並みに黒い瞳の色は、見ているだけで吸い込まれそうな錯覚を覚える。

「何でボクの名前知ってるの?」

 訝しげな顔で瞳を細め、少年は首を横に傾げた。
「…… 何でって、え?」
 彼の反応に対して困惑を隠せずにいると、意外にも姉であろう女性が助け舟を出してくれた。
「アンタの名前が変過ぎて有名なんじゃないのー?」
 揶揄う声でそう言いながら子供版のハデス様にしか見えぬ少年の頭をガシガシと強めに撫でる。「やめろって!」と怒る姿が可愛くって、胸の奥がぎゅっと鷲掴みされるのを感じた。

「ねえちゃんだって人の事言える名前じゃないじゃん!」

 怒った猫みたいに毛を逆立てているが、その姿が益々可愛い。彼の姉という立場がちょっと羨ましくなったのは、今の私がこの物語のヒロインだからに違いない。
「あ、こっちの名前言ってなかったねー。ワタシの名前は宵川よいかわイオ。んで、こっちの小さいのが——」
「小さくない!」とイオの言葉に被せ、少年は「宵川…… ハデス、です」と恥ずかしそうに自己紹介してくれた。

 あれ?…… やっぱり。
 ハデス様で、あってる。

「ごめんねー。ウチの両親考古学とか神話とか好きなオタクでさぁ、よりにもよって子供にこんな名前つけちゃったの。DQNネームまじでやめて欲しいわって感じだけど、私の方は、弟程じゃないからまぁ良いかーってねー」

「…… (納得しか出来ない)」
 現代社会では“ハデス”という名前はどうしたって違和感を覚える。物語の舞台が日本なので余計に。
 それに確か“イオ”はゼウスの恋人だった女神官の名前だったはず。色々あって牝牛に姿を変えられた不遇な女性の名前を…… 自分の娘の名前にとか。どうやら随分と個性豊かなご両親の様だ。
「どちらも素敵な名前ですね」
 当たり障りのない返答をしておく。『スゴイ名前ですね!』なんて本心は、この先もお付き合いのありそうなお隣さんに言えるはずがない。
「あら、ありがとー」
 ふふっと笑うイオの横で、ハデス様だとしか思えない少年は不貞腐れたままだ。いつものハデス様とは全然違う態度に対し、もやっとした得も言えぬ感情が心に影を作る。そっと腰をかがめて彼に近づくと、長い髪がぱらりと前に落ちた。邪魔だなと思いながら髪をかき上げ、ハデス様としか思えない少年と視線を合わせる。すると彼は真っ赤な顔で目を見開きながら硬直していた。

「…… どうか、されましたか?」

「ハデス様?」と困惑の色を含んだ声を掛けながら頬に触れようとすると、後ろに身を引かれてしまった。腕で真っ赤な顔を隠し、眉を寄せながら視線をぷいっと逸らしている。引き結んだ口元は震えていて今にも『触るな!』といった類の文句が一つ飛び出してきそうだ。

 …… き、嫌われた?

 何かそんな要素があっただろうかと動揺していると、私達の様子を見ていたイオが腹を抱えて笑い始めた。
「メイド喫茶みたーい!あはははは!『ハデス様ぁ』なんて連呼されたら、そりゃ恥ずかしいよぉー」
「そ、そうなんですか?」
 自分にとっては当然の呼称だったし、ハデス様自身からも止めるようにと言われてこなかった事なのでいまいちピンとこない。でも、この世界のハデス様が望むのなら、呼び方も改めておくべきなのだろうか。

「あ、え、えっと…… じゃあ、『ハデス君』と呼んでも?」

 頬には触れずに手を引っ込め、お伺いを立てる。すると彼は無言で頷いてくれたが、視線は合わせてもくれなかった。
 名前や特徴からいっても“ハデス君”はハデス様に間違いないはずなのに、私の存在に気が付いてくれている気配がまるで無い。姉のイオが居る手前、敢えて知らないふりをしているといった雰囲気でもない事が気になる。
 前回もギリギリまで知らんぷりされてはいたが、あれは私が気が付いていなかったからだった。今回はすぐに出逢ったうえに名前まで言い当てたというのに、何故…… ?

 まさか、この物語に入る時点で何かトラブルでもあったんだろうか?

 どう見てもハデス様としか思えない少年との初対面は、不安しか残らないまま五分程度で終わりを迎えたのだった。
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