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【第二章】乙女の誘惑
【第三話】シナリオ通りには進ませない!(十六夜・談)
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新たな物語の中で目が覚めた時からずっと抱えていた違和感の正体。
それは、この体が男性だという点だった。
主人格となる私は男神であるハデス様の伴侶・番として創造された為か、魂は女性だ。だが、この体の中にある前世の記憶と肉体は男性のものである為、そのせいで違和感を覚えたに違いない。
何故女性である私がこの人物に成り代わったのかはわからないが、きっとハデス様には何かお考えがあるのだろう。私の考えの及ばぬ事まであのお方は配慮されているのだから。
銀色の少しごわついた短い髪と厳貌としたこの容姿は国王である父譲りのものだ。母によく似たルークスの細身の体とは対照的なこの巨体は筋肉の鎧に覆われており、戦闘向け過ぎて女性受けする風貌ではない。終戦の英雄であり、地位や財力のおかげで結婚話は今でもひっきりなしにきてはいるが、心から“私”自身を望む者などいないと自覚している。
“私”は一見すると百戦錬磨の戦馬鹿といった印象だ。
その為、賢王になりそうな要素も持ち合わせていなければ、終戦後すぐに辺境の地に左遷されていたんじゃないだろうか。だがそうはされずに今もまだ王太子として王城に居るのはヒロインがハーレムルートに入ったおかげなのか、それとも別ルートだろうが王国には居たのに、ただ登場シーンが無かっただけか。その真相を確かめる術はもうないだろう。何にせよ城に居るからには役割を果たすとするか。
その為にと、靴音を鳴らしながら足を前に進める。
「あ、兄上…… いくら兄上でも、今の言葉は…… 」
どうやら『茶番』と“私”に一蹴された事が気に入らない様だ。弟とて甘やかされて育ったわけではないが、考えに考えたこの行為を馬鹿にされた気がしたのだろう。『まぁ、実際その通りなんだけどな』と、前世の人格がぼそっと脳内で呟く。実に煩い人格だ。
「ルークス。お前の言い分はちゃんと聞いた、そう心配するな」
男気溢れる笑顔を返すと、何故か周囲の男性陣がぽっと顔を染める。どうやら“私”のこの英姿は同性にこそウケがいいみたいだ。
「兄上…… 」とこぼし、ほっとするルークスの後ろでフレサがニヤリと笑う。見逃していてもおかしくない程、ほんの一瞬の変化だった。すぐに、いかにも『守って下さい!王子様♡』と言いたげな、か弱い顔に表情がガラリと作り変わる。リボンとフリルを惜しげもなく使ったピンク色のドレスに身を包み、肩までと短い金髪をサラリと揺らしながら瑠璃にも似た青い瞳をうるうるとさせている姿を見れば、コロッと騙される者も多そうだ。
これは、“私”がフレサの本性を知っているとは思っていない感じだな…… 。
フレサとは敢えて視線を合わせぬようにして前に進むと、招待客達が頭を下げて道を開く。目的地がどこであるかを皆が察し、素早く移動してくれる為、スムーズに前へ進めた。
弟のルークス王子と、その婚約者であるエレオス公爵令嬢。
事の発端となっているフレサ子爵令嬢。
当事者であるこの三人の前に立ち、厳つい印象のある瞳をすっと細める。すると、エレオスだけが扇を閉じ、スカートの裾を掴んで頭を下げてきた。
「私めに発言をお許し頂けますでしょうか、王太子殿下」
冷静な響きを持つ声がホール内に響く。品もある透き通った美声な為か、否応なしに心臓がとくんと跳ねた。
「あぁ、許可しよう」
「センテリェオの太陽・アウローラ王太子殿下の優しきお言葉に深く感謝致します。皆が楽しむべき宴の席にこの様な形で水を差し、大変申し訳ございません。到底私めの謝罪程度で済む話では御座いませんが、謹んでお詫び申し上げます」
腰を深く折ってエレオスが謝罪を口にする。断罪された側の身にも関わらず、ルークスに代わってこの場を穏便に治めようとの配慮だろう。
「…… 貴女に非は無い。面を上げてくれないか?」
エレオスに対し手を差し出すと、そっとその手を取ってくれた。だが、この手の意味がわからないといった表情をし、こちらを遠慮がちに見上げてくる。
パーティー用にとアレンジした髪型のせいで左目はすっかり隠れてしまっているが、赤い色をした艶麗な右目と視線が合った。噂通りに気の強そうな印象のある女性だが、美姫と呼ばれるに相応しい容姿をしている。公爵夫妻が大事に育てただけあるなと思いながら見惚れていると、フレサの「…… は?なんでイベントが始まんないの?」と言う呟きが微かに聞こえた。
確かにその通りだ。
ゲームのシナリオ通りなら、そろそろエレオスが抱く負の感情全てが屈辱による怒りで爆発し、魔力の暴走のせいで魔物と化して狂奔し出す頃合いだ。でも多分今ならまだそれを回避出来るはず。
その為に“私”は彼女に声を掛けたのだから。
令嬢の手を摘んだまま、ルークスに対し「公爵令嬢との婚約を破棄するという事で間違い無いのだな?」と問い掛ける。
「…… はい。そうです」
息を呑み、ルークスがキッパリそう言い切ると、背後でフレサが『よしっ!』と小さくガッツポーズをとった。どうも彼女の行動を見ていると、自分も他者に見られているという認識が薄い気がする。『此処はただのゲーム世界でしかない』という思いが強過ぎるみたいな印象だ。周囲の者達は全員ちゃんと個々に意志を持った存在なのだとは認知せず、ヒロインである自分を中心に世界が動いていると思い込んでいそうな雰囲気すらある。
大雑把には間違っちゃいないが、その考えのままでは駄目だろうに。
フレサへの呆れを隠し、「わかった。婚約の破棄を許可しよう」とルークスに告げると、彼は「ありがとうございます!」と歓喜の声をあげた。当然周囲は再びざわついたが、『大丈夫だ』とエレオスに伝える為に握っている手に少しだけ力を入れる。
今か今かと期待に満ちた目になり、フレサはすぐにでも臨戦体制に入れる状態に移行し始めた。複数の巨大な光の防御壁を会場内に展開させ、魔物化のせいで破壊衝動に支配されて暴走するエレオスから皆を守るという最終章直前最大の決めシーンの為だろう。
だがシナリオ通りだと、いくらかヒロイン側の分が悪く、魔物化したエレオスがフレサの展開した防御壁の一部を破壊して逃げようと足掻く。そこで“私”が剣を携えて割って入り、ヒロインを守る予定なのだが——
そうはさせるか。
頼むから、今はまだ暴走だけはしないでくれ。
そう願い、彼女の小さな手を握ったままエレオスの前に跪くと、皆がどよめいた。何が起きたのかと驚き、口元に手を当てる者ばかりだ。王族が公爵家の者に膝をつくなどあってはならないから当然か。だがその理由を知ればきっと、この場は綺麗に収まる…… はずだ。
「エレオス・ディ・クラーツィア令嬢」
「…… はい」
「其方が今まで第二王子であるルークスの婚約者として様々な努力を積み重ねてきた事は周知の事実だ。学徒としても優秀な成績を収め、技術科目も全て上位だと聞いている。礼儀作法や所作の一つを取ってしても、美しくて見惚れてしまう程だ。——あぁ、でも其方はそれだけじゃない。学生の身でありながら既に父君を母君達と共に補佐し、領地管理や執務に関しても抜きん出た才能を発揮しているそうじゃないか。その様な女性をこのままにしておくのは、国家の損失と言えよう」
状況が理解出来ないのか、彼女の赤い瞳が困惑気味に震え、“私”を見下ろす。他の令嬢ならばとっくに視線を彷徨わせて両親に助けを求めている所だろう。
「残念ながらルークスとの縁は無かったが、その代わりと言っては、其方に失礼だろうが…… 」とまで言って一度言葉を切り、一呼吸置く。この場を収める為とはいえ、戦闘時よりも緊張して今にも心臓が口から飛び出しそうだ。
「私の…… 婚約者となっては、くれないだろうか?」
相手はまだ十八歳のうら若き乙女だ。いくら着飾ろうがどうしたって武骨者にしか見えぬ容姿の者にこんな事を言われても迷惑極まりないかもしれない。だが公衆の面前で婚約を破棄されるという処刑スタイルから彼女を救い出すにはやはり、より高位の者からの求婚で塗り替えるしかあるまい。喜ばしい事に母が在命なので父王には無理な役割だ。他国からの来賓者も居ない為、その役を演じられるのは今この場に“私”しか居ない。こうする他咄嗟には思い浮かばなかったので、今はぐっと堪えてもらおう。
今はひとまずこれで事を済ませ、令嬢に相応しい相手が他に見付かったらすぐに潔く身を引けばいい。
その時“私”は『やはり武者修行に行くから婚約は破棄だ!』とでも言えば、彼女が他の者と結婚しようが、『馬鹿な男と結婚せずに済んで良かったな』と自然に受け入れられるだろう。自分のこの容姿ならば疑う者もおるまい。
王位継承に関しの問題が発生はするが弟が居る。今回の件で彼が案外馬鹿だった事が判明はしたが、きっと父母がどうにか再教育するだろう。
「——はぁぁ⁉︎何それ!ちょ、オカシイんですけど!」
突如、絹を裂いたような声が室内に響き、声の主が一斉に皆の注目を集めた。
「あの女、何で暴走しないの?早く魔物になってくんないと話が進まないんだけど!それに、アウローラも何な訳?エレオスと婚約?ハァァァァ?もう意味わかんないわ!」
可愛さの欠片も無い酷い形相でフレサが喚く。女性とは思えぬ力強さで地団駄を踏み、まるで駄々っ子みたいな姿だ。
その行動に驚き、ルークスが「…… フレサ?」と困惑気味に名前を呼んだ。こんな姿の彼女を見るのは初めてなのだろう、親衛隊と化していた他の攻略対象者達も右往左往するばかりである。
本性を晒せば好感度なんか一気に下がるだろうに…… 。
呆然としている警護担当の騎士者達に「不敬だな。あの女を連れて行け!」と指示を出す。突然騎士達に両腕を強い力で掴まれ、慌てだすフレサが「な⁉︎離してよ!今にもヤバイのは私じゃなくって、あっちの女よ!捕まえるべきはエレオスの方でしょう⁉︎間違ってるってば!ちーがーうってぇーのぉ!」と叫んでいるが、意味がわからないと周りは首を傾げる一方だ。
このままではフレサこそが魔物と化す可能性があるかもしれない。その事を考慮し、彼女の額に手を近づけて、魔力回路に鍵を掛けて使えなくする魔法を強力に施す。これでいくらこの女がこの世界のヒロインだろうが魔力を使えなければ鍵の解除も出来ないはずだ。
「何で?何でなのよ!今は、イケメンは全員私のもんになるルートでしょぉ!ふぅざぁけぇんなぁぁぁぁ!」
鬼の形相で必死に暴れるが、“私”に魔力回路を封じられてか弱い存在となった今のフレサでは筋骨隆々な騎士達の拘束から逃げる事など到底不可能である。ならば言葉で説得をと直様考えたのか、フレサは急に愛らしい表情になってルークスに助けを求め始めた。だが、彼はたじろぐばかりで何も出来ない。
「信じらんない!アンタ、私の婚約者でしょうが!」
余程戸惑うばかりのルーカスの態度が気に入らなかったのか、フレサは怒り心頭といった感じだ。
「…… いいからもう、地下牢にでも入れておけ。流石に不愉快だ」
なりふり構わず不敬罪を重ねる彼女の姿は見るに耐えない。片手であしらうと、貴族令嬢とは思えぬ罵詈雑言がホールの中に凄まじい声量で響いた。
冷静なままのエレオスと、暴言を吐き散らすフレサ。
「んなん、納得出来るかぁぁぁ!」と連行されながらもまだ騒いでいるが、こうなったのは“私”の選択がシナリオとは違った事だけが原因なのではなく、彼女の行動が生んだ当然の結果だと言えよう。
この世界の登場人物はそれぞれに歩んで来た人生や意思があり、心も持った存在なのだとわからなかった者に勝ち目など端から無いのだから。
それは、この体が男性だという点だった。
主人格となる私は男神であるハデス様の伴侶・番として創造された為か、魂は女性だ。だが、この体の中にある前世の記憶と肉体は男性のものである為、そのせいで違和感を覚えたに違いない。
何故女性である私がこの人物に成り代わったのかはわからないが、きっとハデス様には何かお考えがあるのだろう。私の考えの及ばぬ事まであのお方は配慮されているのだから。
銀色の少しごわついた短い髪と厳貌としたこの容姿は国王である父譲りのものだ。母によく似たルークスの細身の体とは対照的なこの巨体は筋肉の鎧に覆われており、戦闘向け過ぎて女性受けする風貌ではない。終戦の英雄であり、地位や財力のおかげで結婚話は今でもひっきりなしにきてはいるが、心から“私”自身を望む者などいないと自覚している。
“私”は一見すると百戦錬磨の戦馬鹿といった印象だ。
その為、賢王になりそうな要素も持ち合わせていなければ、終戦後すぐに辺境の地に左遷されていたんじゃないだろうか。だがそうはされずに今もまだ王太子として王城に居るのはヒロインがハーレムルートに入ったおかげなのか、それとも別ルートだろうが王国には居たのに、ただ登場シーンが無かっただけか。その真相を確かめる術はもうないだろう。何にせよ城に居るからには役割を果たすとするか。
その為にと、靴音を鳴らしながら足を前に進める。
「あ、兄上…… いくら兄上でも、今の言葉は…… 」
どうやら『茶番』と“私”に一蹴された事が気に入らない様だ。弟とて甘やかされて育ったわけではないが、考えに考えたこの行為を馬鹿にされた気がしたのだろう。『まぁ、実際その通りなんだけどな』と、前世の人格がぼそっと脳内で呟く。実に煩い人格だ。
「ルークス。お前の言い分はちゃんと聞いた、そう心配するな」
男気溢れる笑顔を返すと、何故か周囲の男性陣がぽっと顔を染める。どうやら“私”のこの英姿は同性にこそウケがいいみたいだ。
「兄上…… 」とこぼし、ほっとするルークスの後ろでフレサがニヤリと笑う。見逃していてもおかしくない程、ほんの一瞬の変化だった。すぐに、いかにも『守って下さい!王子様♡』と言いたげな、か弱い顔に表情がガラリと作り変わる。リボンとフリルを惜しげもなく使ったピンク色のドレスに身を包み、肩までと短い金髪をサラリと揺らしながら瑠璃にも似た青い瞳をうるうるとさせている姿を見れば、コロッと騙される者も多そうだ。
これは、“私”がフレサの本性を知っているとは思っていない感じだな…… 。
フレサとは敢えて視線を合わせぬようにして前に進むと、招待客達が頭を下げて道を開く。目的地がどこであるかを皆が察し、素早く移動してくれる為、スムーズに前へ進めた。
弟のルークス王子と、その婚約者であるエレオス公爵令嬢。
事の発端となっているフレサ子爵令嬢。
当事者であるこの三人の前に立ち、厳つい印象のある瞳をすっと細める。すると、エレオスだけが扇を閉じ、スカートの裾を掴んで頭を下げてきた。
「私めに発言をお許し頂けますでしょうか、王太子殿下」
冷静な響きを持つ声がホール内に響く。品もある透き通った美声な為か、否応なしに心臓がとくんと跳ねた。
「あぁ、許可しよう」
「センテリェオの太陽・アウローラ王太子殿下の優しきお言葉に深く感謝致します。皆が楽しむべき宴の席にこの様な形で水を差し、大変申し訳ございません。到底私めの謝罪程度で済む話では御座いませんが、謹んでお詫び申し上げます」
腰を深く折ってエレオスが謝罪を口にする。断罪された側の身にも関わらず、ルークスに代わってこの場を穏便に治めようとの配慮だろう。
「…… 貴女に非は無い。面を上げてくれないか?」
エレオスに対し手を差し出すと、そっとその手を取ってくれた。だが、この手の意味がわからないといった表情をし、こちらを遠慮がちに見上げてくる。
パーティー用にとアレンジした髪型のせいで左目はすっかり隠れてしまっているが、赤い色をした艶麗な右目と視線が合った。噂通りに気の強そうな印象のある女性だが、美姫と呼ばれるに相応しい容姿をしている。公爵夫妻が大事に育てただけあるなと思いながら見惚れていると、フレサの「…… は?なんでイベントが始まんないの?」と言う呟きが微かに聞こえた。
確かにその通りだ。
ゲームのシナリオ通りなら、そろそろエレオスが抱く負の感情全てが屈辱による怒りで爆発し、魔力の暴走のせいで魔物と化して狂奔し出す頃合いだ。でも多分今ならまだそれを回避出来るはず。
その為に“私”は彼女に声を掛けたのだから。
令嬢の手を摘んだまま、ルークスに対し「公爵令嬢との婚約を破棄するという事で間違い無いのだな?」と問い掛ける。
「…… はい。そうです」
息を呑み、ルークスがキッパリそう言い切ると、背後でフレサが『よしっ!』と小さくガッツポーズをとった。どうも彼女の行動を見ていると、自分も他者に見られているという認識が薄い気がする。『此処はただのゲーム世界でしかない』という思いが強過ぎるみたいな印象だ。周囲の者達は全員ちゃんと個々に意志を持った存在なのだとは認知せず、ヒロインである自分を中心に世界が動いていると思い込んでいそうな雰囲気すらある。
大雑把には間違っちゃいないが、その考えのままでは駄目だろうに。
フレサへの呆れを隠し、「わかった。婚約の破棄を許可しよう」とルークスに告げると、彼は「ありがとうございます!」と歓喜の声をあげた。当然周囲は再びざわついたが、『大丈夫だ』とエレオスに伝える為に握っている手に少しだけ力を入れる。
今か今かと期待に満ちた目になり、フレサはすぐにでも臨戦体制に入れる状態に移行し始めた。複数の巨大な光の防御壁を会場内に展開させ、魔物化のせいで破壊衝動に支配されて暴走するエレオスから皆を守るという最終章直前最大の決めシーンの為だろう。
だがシナリオ通りだと、いくらかヒロイン側の分が悪く、魔物化したエレオスがフレサの展開した防御壁の一部を破壊して逃げようと足掻く。そこで“私”が剣を携えて割って入り、ヒロインを守る予定なのだが——
そうはさせるか。
頼むから、今はまだ暴走だけはしないでくれ。
そう願い、彼女の小さな手を握ったままエレオスの前に跪くと、皆がどよめいた。何が起きたのかと驚き、口元に手を当てる者ばかりだ。王族が公爵家の者に膝をつくなどあってはならないから当然か。だがその理由を知ればきっと、この場は綺麗に収まる…… はずだ。
「エレオス・ディ・クラーツィア令嬢」
「…… はい」
「其方が今まで第二王子であるルークスの婚約者として様々な努力を積み重ねてきた事は周知の事実だ。学徒としても優秀な成績を収め、技術科目も全て上位だと聞いている。礼儀作法や所作の一つを取ってしても、美しくて見惚れてしまう程だ。——あぁ、でも其方はそれだけじゃない。学生の身でありながら既に父君を母君達と共に補佐し、領地管理や執務に関しても抜きん出た才能を発揮しているそうじゃないか。その様な女性をこのままにしておくのは、国家の損失と言えよう」
状況が理解出来ないのか、彼女の赤い瞳が困惑気味に震え、“私”を見下ろす。他の令嬢ならばとっくに視線を彷徨わせて両親に助けを求めている所だろう。
「残念ながらルークスとの縁は無かったが、その代わりと言っては、其方に失礼だろうが…… 」とまで言って一度言葉を切り、一呼吸置く。この場を収める為とはいえ、戦闘時よりも緊張して今にも心臓が口から飛び出しそうだ。
「私の…… 婚約者となっては、くれないだろうか?」
相手はまだ十八歳のうら若き乙女だ。いくら着飾ろうがどうしたって武骨者にしか見えぬ容姿の者にこんな事を言われても迷惑極まりないかもしれない。だが公衆の面前で婚約を破棄されるという処刑スタイルから彼女を救い出すにはやはり、より高位の者からの求婚で塗り替えるしかあるまい。喜ばしい事に母が在命なので父王には無理な役割だ。他国からの来賓者も居ない為、その役を演じられるのは今この場に“私”しか居ない。こうする他咄嗟には思い浮かばなかったので、今はぐっと堪えてもらおう。
今はひとまずこれで事を済ませ、令嬢に相応しい相手が他に見付かったらすぐに潔く身を引けばいい。
その時“私”は『やはり武者修行に行くから婚約は破棄だ!』とでも言えば、彼女が他の者と結婚しようが、『馬鹿な男と結婚せずに済んで良かったな』と自然に受け入れられるだろう。自分のこの容姿ならば疑う者もおるまい。
王位継承に関しの問題が発生はするが弟が居る。今回の件で彼が案外馬鹿だった事が判明はしたが、きっと父母がどうにか再教育するだろう。
「——はぁぁ⁉︎何それ!ちょ、オカシイんですけど!」
突如、絹を裂いたような声が室内に響き、声の主が一斉に皆の注目を集めた。
「あの女、何で暴走しないの?早く魔物になってくんないと話が進まないんだけど!それに、アウローラも何な訳?エレオスと婚約?ハァァァァ?もう意味わかんないわ!」
可愛さの欠片も無い酷い形相でフレサが喚く。女性とは思えぬ力強さで地団駄を踏み、まるで駄々っ子みたいな姿だ。
その行動に驚き、ルークスが「…… フレサ?」と困惑気味に名前を呼んだ。こんな姿の彼女を見るのは初めてなのだろう、親衛隊と化していた他の攻略対象者達も右往左往するばかりである。
本性を晒せば好感度なんか一気に下がるだろうに…… 。
呆然としている警護担当の騎士者達に「不敬だな。あの女を連れて行け!」と指示を出す。突然騎士達に両腕を強い力で掴まれ、慌てだすフレサが「な⁉︎離してよ!今にもヤバイのは私じゃなくって、あっちの女よ!捕まえるべきはエレオスの方でしょう⁉︎間違ってるってば!ちーがーうってぇーのぉ!」と叫んでいるが、意味がわからないと周りは首を傾げる一方だ。
このままではフレサこそが魔物と化す可能性があるかもしれない。その事を考慮し、彼女の額に手を近づけて、魔力回路に鍵を掛けて使えなくする魔法を強力に施す。これでいくらこの女がこの世界のヒロインだろうが魔力を使えなければ鍵の解除も出来ないはずだ。
「何で?何でなのよ!今は、イケメンは全員私のもんになるルートでしょぉ!ふぅざぁけぇんなぁぁぁぁ!」
鬼の形相で必死に暴れるが、“私”に魔力回路を封じられてか弱い存在となった今のフレサでは筋骨隆々な騎士達の拘束から逃げる事など到底不可能である。ならば言葉で説得をと直様考えたのか、フレサは急に愛らしい表情になってルークスに助けを求め始めた。だが、彼はたじろぐばかりで何も出来ない。
「信じらんない!アンタ、私の婚約者でしょうが!」
余程戸惑うばかりのルーカスの態度が気に入らなかったのか、フレサは怒り心頭といった感じだ。
「…… いいからもう、地下牢にでも入れておけ。流石に不愉快だ」
なりふり構わず不敬罪を重ねる彼女の姿は見るに耐えない。片手であしらうと、貴族令嬢とは思えぬ罵詈雑言がホールの中に凄まじい声量で響いた。
冷静なままのエレオスと、暴言を吐き散らすフレサ。
「んなん、納得出来るかぁぁぁ!」と連行されながらもまだ騒いでいるが、こうなったのは“私”の選択がシナリオとは違った事だけが原因なのではなく、彼女の行動が生んだ当然の結果だと言えよう。
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