恋も知らぬ番に愛を注ぐ

月咲やまな

文字の大きさ
上 下
3 / 77
【第一章】初めての経験

【第ニ話】ヘンゼルとグレーテル①(十六夜・談)

しおりを挟む
 …… ここは?

 一瞬、自分が今何処に居て、誰なのかもわからなくなった。そのせいか不安で胸がいっぱいになる。だがすぐ脳内に“自分の生い立ち”や“家族構成”などといった情報が次々と流れ込んできた。立ちくらみ、そして激しい頭痛と共に。

 自分の名前は“グレーテル”。
 賢い兄の“ヘンゼル”、気の弱い父、私達兄妹を嫌う義母との四人家族だ。
 実母はもういない。
 家は極度に貧しく、父の収入だけでは正直四人で暮らしていくのは無理があった。そうなると、どうにか食い扶持を減らしたくなるのが貧しい暮らしをしている者の心情というものだろう。

 標的は当然、何も生み出さない子供達——

 あぁ、まるで今まで本当にそういう環境下で実際に経験をしてきたかの様なリアルさだ。ここまで鮮明だと、『自分は転生者だ』と思ってもおかしくないな、と何処か冷静な気分になっている自分が頭の隅に居る。きっとこれは私がこの世界は所詮は虚像であり、物語の一ページに過ぎないのだと知っているおかげだろう。

 今までの記憶と、この世界でのリアルな記憶。

 この二つから導き出されるのは『私は前世で死に、物語の世界に転生してしまったのか』という帰結。
 それさえも作られた答えなのだが、きっと私じゃなければ気付かないだろう。ハデス様の加護のおかげで冷静になれる自分が辛うじて存在しているが、目の前に広がる光景は現実のものとしか思えない程の完成度である。ひやりとした風が頬を撫で、壊れかけのボロ靴のせいで獣道はすごく歩き難いし、空腹を訴えている腹が少し痛い。ここまで現実的だと大怪我をしたら本当に死んでしまいそうだ。

 すごいわ…… 。
 ハデス様はこんな世界をも創れるのね。

 体のサイズに合っていない小汚い服を着ている自分を姿をじっと見下ろしていると、少し前を歩いていた一人の少年が振り返り、「大丈夫かい?グレーテル」と声を掛けてきた。
「うん。大丈夫だよ、お兄ちゃん」
 返事をしながら自然と顔が笑顔になる。この“グレーテル”というこの少女は父に似て気が弱い一面があるが、兄思いの優しい子の様だ。胸の奥から『お兄ちゃんを心配させたくないわ』という気持ちが自然と湧き上がってくる。

「もうすぐ暗くなるかもね…… 。何処か、休める場所を早く探さないと」

 そう言いながら、兄のヘンゼルが私の方に手を差し出してきた。手を繋ごう。きっとそういう意図なのだろうと察し、素直な気持ちで手を繋ぐ。
 妹の手を引く兄の格好は私に負けず劣らず酷い物だ。元の色が不明に成る程にくすんだボロボロのシャツ、寒空なのに下は半ズボンで、履いている靴はもう先っぽの方がめくれていて役には立っていない。ヘンゼルの黒髪は綺麗には切りそろっていないし、頬は酷く汚れている。だが…… 顔立ちは驚くほどに美しく、宝石みたいな赤い瞳がきらりと光っている。

 あれ?誰かに似ている気が…… 。

 疑問が胸の奥で生じ、頭を振りかぶった。気のせいだ、だって“あのお方”はこんな少年ではないもの。何よりも暇な訳が無いし。
「怖くはない?」
 努めて優しい声でヘンゼルが訊いてくれる。
 夕日が沈みかけていて彼の頬を茜色をした光が染め始めたせいか、段々と不安な気持ちが頭をもたげ始めた。
「うん。でも…… お父さん、お迎えに来てくれないね。どうしたんだろう?」
「…… そう、だね」
 返ってきたのは歯切れの悪い声だった。彼はもう、自分達がどういう状況下にあるのかわかっているのだろう。
 当然自分も理解している。

 だって自分は“転生者”という“設定”なのだから。

 この状況から私達が生き残るには…… と少し考えたが、そもそも此処は順当にいけば生き残れる物語だったはずだ。自分達の名前から考えて、この物語のタイトルは多分『ヘンゼルとグレーテル』。森の中に捨てられ、お菓子の家に辿り着き、魔女の奴隷に落ちる。だが二人は機転を聴かせて魔女を殺し生き残るのだ。

 じゃあ、このまま流れに任せればいいのか。

 安堵し、軽く息をつく。一人じゃないので好き勝手には出来ないが、上手く兄を誘導すれば問題は起きないだろう。
「お腹空いた…… お兄ちゃん」
 “グレーテル”っぽく、甘えた声で兄に縋る。こんな声を自分が出せるのかと少し驚いたが、これが物語の与えてくれる“設定”の効果なのだろう。
「だよね。そうだ、確か…… 」と言いながら、ヘンゼルがポケットの中に手を入れてゴソゴソと何かを探す。「あった!」と嬉しそうに宣言すると彼は、私の方へ小さなパンの欠片を差し出してくれた。数日前に貰ったパンの一部だろう。見るからに乾いていて固く、そしてとても不味そうだ。だけど食事という行為には興味がある。今まではハデス様のおかげで食べずとも平気な体だったから、生まれてこの方一度も食事の経験が無いのだ。
「いいの?」
 ちょっとドキドキしながら小首を傾げると、ヘンゼルが嬉しそうに笑った。
「もちろん!」
 あぁ、なんと優しい少年だろうか。この子も空腹で辛いだろうに、幼い妹の為にと、隠していたパンを差し出してくれたのだろう。礼を言い、小さなパンを受け取る。そして私はそれを半分に割ると、ヘンゼルに向けて「お兄ちゃんの」と差し出した。
「え?」
 驚いた顔をしたが、兄も空腹には勝てなかったみたいだ。ヘンゼルは返ってきたパンを受け取ると「ありがとう、グレーテル」と言って、パクリと一口で飲み込むみたいにそれを食べた。彼に倣って私も同じ様にしてパンを口の中に放り込む。初めての口にした食べ物は固くて、すごく不味くて、痛んでいる様な風味だった。だが、新鮮な気持ちになった。好奇心が少し満たされた感覚が不思議と心地いい。

 これが、経験…… 。

 腹は依然として空腹のままだが、嬉しさで胸の中がいっぱいになる。
 人様の人生を出歯亀みたいに『覗く』のが嫌で、自分が物語の中に送り出してきた少年少女達の生き様を一切見ない様にしてきた。だけど、少しくらい見てみたらよかったかも…… と、私は生まれて初めて己の選択を後悔した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

君は僕の番じゃないから

椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。 「君は僕の番じゃないから」 エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。 すると 「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる イケメンが登場してーーー!? ___________________________ 動機。 暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります なので明るい話になります← 深く考えて読む話ではありません ※マーク編:3話+エピローグ ※超絶短編です ※さくっと読めるはず ※番の設定はゆるゆるです ※世界観としては割と近代チック ※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい ※マーク編は明るいです

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...