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【第一章】初めての経験
【第ニ話】ヘンゼルとグレーテル①(十六夜・談)
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…… ここは?
一瞬、自分が今何処に居て、誰なのかもわからなくなった。そのせいか不安で胸がいっぱいになる。だがすぐ脳内に“自分の生い立ち”や“家族構成”などといった情報が次々と流れ込んできた。立ちくらみ、そして激しい頭痛と共に。
自分の名前は“グレーテル”。
賢い兄の“ヘンゼル”、気の弱い父、私達兄妹を嫌う義母との四人家族だ。
実母はもういない。
家は極度に貧しく、父の収入だけでは正直四人で暮らしていくのは無理があった。そうなると、どうにか食い扶持を減らしたくなるのが貧しい暮らしをしている者の心情というものだろう。
標的は当然、何も生み出さない子供達——
あぁ、まるで今まで本当にそういう環境下で実際に経験をしてきたかの様なリアルさだ。ここまで鮮明だと、『自分は転生者だ』と思ってもおかしくないな、と何処か冷静な気分になっている自分が頭の隅に居る。きっとこれは私がこの世界は所詮は虚像であり、物語の一ページに過ぎないのだと知っているおかげだろう。
今までの記憶と、この世界でのリアルな記憶。
この二つから導き出されるのは『私は前世で死に、物語の世界に転生してしまったのか』という帰結。
それさえも作られた答えなのだが、きっと私じゃなければ気付かないだろう。ハデス様の加護のおかげで冷静になれる自分が辛うじて存在しているが、目の前に広がる光景は現実のものとしか思えない程の完成度である。ひやりとした風が頬を撫で、壊れかけのボロ靴のせいで獣道はすごく歩き難いし、空腹を訴えている腹が少し痛い。ここまで現実的だと大怪我をしたら本当に死んでしまいそうだ。
すごいわ…… 。
ハデス様はこんな世界をも創れるのね。
体のサイズに合っていない小汚い服を着ている自分を姿をじっと見下ろしていると、少し前を歩いていた一人の少年が振り返り、「大丈夫かい?グレーテル」と声を掛けてきた。
「うん。大丈夫だよ、お兄ちゃん」
返事をしながら自然と顔が笑顔になる。この“グレーテル”というこの少女は父に似て気が弱い一面があるが、兄思いの優しい子の様だ。胸の奥から『お兄ちゃんを心配させたくないわ』という気持ちが自然と湧き上がってくる。
「もうすぐ暗くなるかもね…… 。何処か、休める場所を早く探さないと」
そう言いながら、兄のヘンゼルが私の方に手を差し出してきた。手を繋ごう。きっとそういう意図なのだろうと察し、素直な気持ちで手を繋ぐ。
妹の手を引く兄の格好は私に負けず劣らず酷い物だ。元の色が不明に成る程にくすんだボロボロのシャツ、寒空なのに下は半ズボンで、履いている靴はもう先っぽの方がめくれていて役には立っていない。ヘンゼルの黒髪は綺麗には切りそろっていないし、頬は酷く汚れている。だが…… 顔立ちは驚くほどに美しく、宝石みたいな赤い瞳がきらりと光っている。
あれ?誰かに似ている気が…… 。
疑問が胸の奥で生じ、頭を振りかぶった。気のせいだ、だって“あのお方”はこんな少年ではないもの。何よりも暇な訳が無いし。
「怖くはない?」
努めて優しい声でヘンゼルが訊いてくれる。
夕日が沈みかけていて彼の頬を茜色をした光が染め始めたせいか、段々と不安な気持ちが頭をもたげ始めた。
「うん。でも…… お父さん、お迎えに来てくれないね。どうしたんだろう?」
「…… そう、だね」
返ってきたのは歯切れの悪い声だった。彼はもう、自分達がどういう状況下にあるのかわかっているのだろう。
当然自分も理解している。
だって自分は“転生者”という“設定”なのだから。
この状況から私達が生き残るには…… と少し考えたが、そもそも此処は順当にいけば生き残れる物語だったはずだ。自分達の名前から考えて、この物語のタイトルは多分『ヘンゼルとグレーテル』。森の中に捨てられ、お菓子の家に辿り着き、魔女の奴隷に落ちる。だが二人は機転を聴かせて魔女を殺し生き残るのだ。
じゃあ、このまま流れに任せればいいのか。
安堵し、軽く息をつく。一人じゃないので好き勝手には出来ないが、上手く兄を誘導すれば問題は起きないだろう。
「お腹空いた…… お兄ちゃん」
“グレーテル”っぽく、甘えた声で兄に縋る。こんな声を自分が出せるのかと少し驚いたが、これが物語の与えてくれる“設定”の効果なのだろう。
「だよね。そうだ、確か…… 」と言いながら、ヘンゼルがポケットの中に手を入れてゴソゴソと何かを探す。「あった!」と嬉しそうに宣言すると彼は、私の方へ小さなパンの欠片を差し出してくれた。数日前に貰ったパンの一部だろう。見るからに乾いていて固く、そしてとても不味そうだ。だけど食事という行為には興味がある。今まではハデス様のおかげで食べずとも平気な体だったから、生まれてこの方一度も食事の経験が無いのだ。
「いいの?」
ちょっとドキドキしながら小首を傾げると、ヘンゼルが嬉しそうに笑った。
「もちろん!」
あぁ、なんと優しい少年だろうか。この子も空腹で辛いだろうに、幼い妹の為にと、隠していたパンを差し出してくれたのだろう。礼を言い、小さなパンを受け取る。そして私はそれを半分に割ると、ヘンゼルに向けて「お兄ちゃんの」と差し出した。
「え?」
驚いた顔をしたが、兄も空腹には勝てなかったみたいだ。ヘンゼルは返ってきたパンを受け取ると「ありがとう、グレーテル」と言って、パクリと一口で飲み込むみたいにそれを食べた。彼に倣って私も同じ様にしてパンを口の中に放り込む。初めての口にした食べ物は固くて、すごく不味くて、痛んでいる様な風味だった。だが、新鮮な気持ちになった。好奇心が少し満たされた感覚が不思議と心地いい。
これが、経験…… 。
腹は依然として空腹のままだが、嬉しさで胸の中がいっぱいになる。
人様の人生を出歯亀みたいに『覗く』のが嫌で、自分が物語の中に送り出してきた少年少女達の生き様を一切見ない様にしてきた。だけど、少しくらい見てみたらよかったかも…… と、私は生まれて初めて己の選択を後悔した。
一瞬、自分が今何処に居て、誰なのかもわからなくなった。そのせいか不安で胸がいっぱいになる。だがすぐ脳内に“自分の生い立ち”や“家族構成”などといった情報が次々と流れ込んできた。立ちくらみ、そして激しい頭痛と共に。
自分の名前は“グレーテル”。
賢い兄の“ヘンゼル”、気の弱い父、私達兄妹を嫌う義母との四人家族だ。
実母はもういない。
家は極度に貧しく、父の収入だけでは正直四人で暮らしていくのは無理があった。そうなると、どうにか食い扶持を減らしたくなるのが貧しい暮らしをしている者の心情というものだろう。
標的は当然、何も生み出さない子供達——
あぁ、まるで今まで本当にそういう環境下で実際に経験をしてきたかの様なリアルさだ。ここまで鮮明だと、『自分は転生者だ』と思ってもおかしくないな、と何処か冷静な気分になっている自分が頭の隅に居る。きっとこれは私がこの世界は所詮は虚像であり、物語の一ページに過ぎないのだと知っているおかげだろう。
今までの記憶と、この世界でのリアルな記憶。
この二つから導き出されるのは『私は前世で死に、物語の世界に転生してしまったのか』という帰結。
それさえも作られた答えなのだが、きっと私じゃなければ気付かないだろう。ハデス様の加護のおかげで冷静になれる自分が辛うじて存在しているが、目の前に広がる光景は現実のものとしか思えない程の完成度である。ひやりとした風が頬を撫で、壊れかけのボロ靴のせいで獣道はすごく歩き難いし、空腹を訴えている腹が少し痛い。ここまで現実的だと大怪我をしたら本当に死んでしまいそうだ。
すごいわ…… 。
ハデス様はこんな世界をも創れるのね。
体のサイズに合っていない小汚い服を着ている自分を姿をじっと見下ろしていると、少し前を歩いていた一人の少年が振り返り、「大丈夫かい?グレーテル」と声を掛けてきた。
「うん。大丈夫だよ、お兄ちゃん」
返事をしながら自然と顔が笑顔になる。この“グレーテル”というこの少女は父に似て気が弱い一面があるが、兄思いの優しい子の様だ。胸の奥から『お兄ちゃんを心配させたくないわ』という気持ちが自然と湧き上がってくる。
「もうすぐ暗くなるかもね…… 。何処か、休める場所を早く探さないと」
そう言いながら、兄のヘンゼルが私の方に手を差し出してきた。手を繋ごう。きっとそういう意図なのだろうと察し、素直な気持ちで手を繋ぐ。
妹の手を引く兄の格好は私に負けず劣らず酷い物だ。元の色が不明に成る程にくすんだボロボロのシャツ、寒空なのに下は半ズボンで、履いている靴はもう先っぽの方がめくれていて役には立っていない。ヘンゼルの黒髪は綺麗には切りそろっていないし、頬は酷く汚れている。だが…… 顔立ちは驚くほどに美しく、宝石みたいな赤い瞳がきらりと光っている。
あれ?誰かに似ている気が…… 。
疑問が胸の奥で生じ、頭を振りかぶった。気のせいだ、だって“あのお方”はこんな少年ではないもの。何よりも暇な訳が無いし。
「怖くはない?」
努めて優しい声でヘンゼルが訊いてくれる。
夕日が沈みかけていて彼の頬を茜色をした光が染め始めたせいか、段々と不安な気持ちが頭をもたげ始めた。
「うん。でも…… お父さん、お迎えに来てくれないね。どうしたんだろう?」
「…… そう、だね」
返ってきたのは歯切れの悪い声だった。彼はもう、自分達がどういう状況下にあるのかわかっているのだろう。
当然自分も理解している。
だって自分は“転生者”という“設定”なのだから。
この状況から私達が生き残るには…… と少し考えたが、そもそも此処は順当にいけば生き残れる物語だったはずだ。自分達の名前から考えて、この物語のタイトルは多分『ヘンゼルとグレーテル』。森の中に捨てられ、お菓子の家に辿り着き、魔女の奴隷に落ちる。だが二人は機転を聴かせて魔女を殺し生き残るのだ。
じゃあ、このまま流れに任せればいいのか。
安堵し、軽く息をつく。一人じゃないので好き勝手には出来ないが、上手く兄を誘導すれば問題は起きないだろう。
「お腹空いた…… お兄ちゃん」
“グレーテル”っぽく、甘えた声で兄に縋る。こんな声を自分が出せるのかと少し驚いたが、これが物語の与えてくれる“設定”の効果なのだろう。
「だよね。そうだ、確か…… 」と言いながら、ヘンゼルがポケットの中に手を入れてゴソゴソと何かを探す。「あった!」と嬉しそうに宣言すると彼は、私の方へ小さなパンの欠片を差し出してくれた。数日前に貰ったパンの一部だろう。見るからに乾いていて固く、そしてとても不味そうだ。だけど食事という行為には興味がある。今まではハデス様のおかげで食べずとも平気な体だったから、生まれてこの方一度も食事の経験が無いのだ。
「いいの?」
ちょっとドキドキしながら小首を傾げると、ヘンゼルが嬉しそうに笑った。
「もちろん!」
あぁ、なんと優しい少年だろうか。この子も空腹で辛いだろうに、幼い妹の為にと、隠していたパンを差し出してくれたのだろう。礼を言い、小さなパンを受け取る。そして私はそれを半分に割ると、ヘンゼルに向けて「お兄ちゃんの」と差し出した。
「え?」
驚いた顔をしたが、兄も空腹には勝てなかったみたいだ。ヘンゼルは返ってきたパンを受け取ると「ありがとう、グレーテル」と言って、パクリと一口で飲み込むみたいにそれを食べた。彼に倣って私も同じ様にしてパンを口の中に放り込む。初めての口にした食べ物は固くて、すごく不味くて、痛んでいる様な風味だった。だが、新鮮な気持ちになった。好奇心が少し満たされた感覚が不思議と心地いい。
これが、経験…… 。
腹は依然として空腹のままだが、嬉しさで胸の中がいっぱいになる。
人様の人生を出歯亀みたいに『覗く』のが嫌で、自分が物語の中に送り出してきた少年少女達の生き様を一切見ない様にしてきた。だけど、少しくらい見てみたらよかったかも…… と、私は生まれて初めて己の選択を後悔した。
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