その声は媚薬.2

江上蒼羽

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未来の為に②

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不意にバッグの中から着信音が聞こえてきた。

携帯を取り出すと画面には“久世 竜生”の文字が表示されている。

通話を選んで端末を耳に当てる。


「もしもし」

『もしもし、お疲れ様』


相変わらずの彼の美声は、今の弱っている私の心に沁みる。

萎れていた心が一気にひったひたにまでに潤った。


「ん、竜生もお疲れ様」

『はは、もうヘロヘロ……けど、あと2日耐えれば休みだから頑張る』


弱々しく言いつつも、彼はどこか嬉しそうだ。


『週末は瑞希と会えるからね』

「あ、そだね」


そういえば会う約束をしていたっけ。


『3週間ぶりかな?』

「だね」

『毎日電話で声聞いてるけど、やっぱり顔見ないとね』


弾んだ声から彼の表情を察してほんのり笑みを浮かべつつ、さりげない感じで切り出す。


「私、無職になってしまったよ」


竜生は『え?』と声を挙げた後、少しの間を置いて『………どういう事?』と聞き返してきた。


「派遣切り?っていうの?それ」

『派遣、切り……』


彼はきっとスマホを耳に当てたままポカンとしているだろう。


「だから次の仕事が決まるまで当面節約したいんだ。悪いけど竜生の部屋でお家デートでいいかな?」


本当は週末のデートを凄く楽しみにしていた。

竜生に会えるのは3週間ぶりだし、二人で行きたい所もあった。

ショッピングしたり、映画を観たり、美味しい物を食べたり……想像を膨らませてた。

だけど、無職の状況じゃ楽しめるか分からない。


「勝手で悪いけど」


竜生は暫く間を置いてから『あ、うん……そういう事情なら』と明るく言った。



通話を終えてから携帯の画面に表示された時計を見て少し驚いた。

いつの間にやら陽が落ちていて、辺りは暗い。

派遣会社の事務所を後にしたのはお昼過ぎだったから、かれこれ半日近くはこの公園に滞在している事になる。

下手したら不審者じゃん、と自虐的に思うと同時に笑みも零れた。


「そういえばお腹空いたな」


親に打ち明けるのは気が引けるな……なんて考えながら街灯が照らす歩道を重い足取りで歩く。

コンビニにでも寄ろうか、それとも吉牛でもテイクアウトして帰ろうかと少し悩んでから


「節約しなきゃだった」


金額は小さくとも、塵も積もれば何とやら。

今後の見通しが立つまでは倹約を意識して生きようと、空腹を訴える胃の辺りを撫でながら決意した。 

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