その声は媚薬.2

江上蒼羽

文字の大きさ
上 下
28 / 81

上條さん⑤

しおりを挟む



これを機に、上條さんが何故か絡んでくるようになった。



「お疲れ様~」

「………お疲れ様です」


私が仕事中こっそり息抜きに抜け出すと、彼はどこからともなくひょっこり現れる。


「お茶なら喉渇かないと思うんだけど今日はどうかな?」


折角のお誘いだけれど、私には上條さんとお茶を飲む理由はない。


「今日はお茶の気分ではないので失礼します」


間髪入れずに答えて踵を返した。

後ろで上條さんが聞こえよがしに「つれないねぇ」と言っているのを無視して持ち場に戻る。




また別の日


「今日は何の気分かな?」

「…………」


また出た……と内心げんなりしつつ、笑顔を貼り付ける。


「トロピカルですかね」

「え………トロピカル……?あぁ、果物ジュースかな?」


首を傾げる上條さんを置いて、逃げるが勝ちだとばかりにその場を離れた。


上條さんからお誘いを受けるのは、決まって一人の時だ。

逆に島津さんが一緒にいる時は目が合っても近寄って来ない。

島津さんが同席しているならいくらでもお付き合いさせて頂くのだけれど、それだと都合が悪いのだろうか……

一体何の目的があるんだ?との疑問を抱えたものの、あと数日で居なくなる人だし……とすぐに頭を切り替えた。




週を折り返した木曜日。

製造ラインの調子がかなり良いらしく、いつもより稼働率が上がっていた。

次から次へと仕上がる製品を島津さんと必死に検品しているのだけれど、量が多く中々捌けない。

出来るだけ数をこなして次の日に持ち越さないよう、島津さんと時間差でお昼休憩を取る事にした。



「お先でした。今度は伊原さんが休憩行って下さい」

「うん、行ってきます」


力強く「あとは任せて下さい」と頼もしい事を言ってくれた島津さんに仕事を任せ、人気が疎らになりつつある食堂へと向かった。

本来なら決められた時間に昼食を摂るのが会社の決まりではあるけれど、忙しい時や食堂が混んでいてやむを得ずの場合は時間外でも多少見逃して貰える。

食堂の端っこで少し遅めのお昼を摂っていると、私の座る席を一つ挟んで隣のイスが動いた。


「今お昼?遅くない?」


顔を見ずとも声だけで誰かはすぐに分かった。


「ま、俺も今からなんだけどね。隣いい?」


私の返答を待たずに勝手に相席をかます上條さんに若干の苛立ちを覚えたけれど、相手にするつもりはないので、黙々と社食を食べ進める。

周囲に変に誤解されて妙な噂を立てられたら厄介だ。

さっさと食べ終えて退散するのが吉だと思う。


しおりを挟む

処理中です...