儚い花―くらいばな―

江上蒼羽

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第二夜:指編みのマフラー【4】

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「お母さんの言い付けは尤もだ」


「でもな……」と、男は続ける。


「これは、世にも珍しい花の種。お嬢さんに奇跡をもたらす種なんだ」

「………奇跡…?」

「是非とも持って帰って欲しいね」


男はゆっくりと立ち上がり、数歩前へ歩み出た。


「お嬢さん、手を出してごらん」


唯は、男の言葉に恐る恐る手を出した。

男は唯の小さな手に、そっと種を乗せる。


「……大きな種…ひまわりの種みたい」


繁々と種を眺める唯に、男は問う。


「お嬢さん、もう一度会いたい人はいるかい?」


唯は男の問いに、直ぐ様ある人物の顔が浮かんだ。

その人がこの世を去ってから、ずっと会いたいと思っていた。

もう一度、優しい笑顔に会いたいと願っていた唯は、手のひらの中の種を大事に握り締める。


「死んだ晴子おばあちゃんに会えますか?」


男を見上げる二つの瞳は、期待に満ちていた。

唯の頭を撫でながら、男は優しく言う。


「その種を家の庭に埋めてごらん。花が咲く頃、きっと願いは叶うよ」


嬉しさの余り、駆け出した唯。

途中で何かを思い出し振り返ると、既に男はいなかった。

黒猫の姿もない。

今の今までそこに居た筈なのに。

路地は突き当たりで、奥に道はない。

不思議に思いながらも、唯はさっきまで男が居た筈の空間に向かって叫ぶ。


「お、おじさん、ありがとうございました!」


深々と頭を下げてから、種を大事そうに握り締め、来た道を戻る。





家の前では、母の歩美が莉子と一緒に唯の帰宅を待っていた。


「遅かったじゃない。どこで道草くってたの!」

「ごめんなさ~い」


唯は、怒る歩美の脇をすり抜けて庭へと急いだ。

物置からシャベルをほじくり出し、プランターの端の土を抉る。


「おねえちゃんなにしてるの?」


莉子が唯の手元を覗き込む。

唯は莉子に男から貰った種を見せた。


「お花の種を埋めるんだ」

「おはなぁ?」


そこへ歩美もやってくる。


「その種……どうしたの?」


唯は母親から隠すように種を土の中へ。


「うん、貰ったの。猫のおじさんに」


シャベルで土を被せながら言う唯に、歩美は首を傾げる。


「猫のおじさん?」

「うん、黒い猫を飼ってる人」


唯はシャベルをその場に置き、今度は象の形をしたジョウロに水を入れる。


「お母さんが知らない人から物をもらっちゃダメって言うからいらないって言ったんだけどね、くれたの」


唯は、ジョウロで種を埋めた辺りに水をかけた。


「お約束守らなくてごめんなさい。でも、すごく珍しいお花なんだって」


プランターの底の受け皿から水が溢れる程たっぷりと水をやった唯は満足そうに笑った。


「どんなお花が咲くのかな?楽しみ~!」


唯の笑顔を前に、歩美は口に出そうとしていた小言を飲み込む。


「ちゃんとお礼言ったの?」

「うーん……大きな声で言ったからたぶん聞こえたと思うよ」


プランターを眺めながら「早く咲かないかな~」と嬉しそうな唯。


「ちゃんと言ったんなら良いけど……お母さん、ご飯の支度するから。早くお家に入って手を洗いなさいよ」


プランターの前で屈み込む二つの小さな背中に向かって言いながら、歩美は家の中へ入っていく。


「……この辺に黒い猫を飼ってる人なんて居たっけ?」


不思議がる母が家の中に入ったのを見計らって、唯が莉子に言う。



「あのね、莉子ちゃん」

「なぁに?」


円らな瞳を瞬かせる妹の耳に口を近付けながら、唯は声をひそめる。


「このお花が咲くとね、おばあちゃんに会えるんだって」

「おばあちゃん?」

「莉子ちゃんが赤ちゃんの時におばあちゃん死んじゃったでしょ?お花が咲くと会えるんだって」


キョトンとする莉子に構わず唯は続ける。


「おばあちゃん、すっごく優しかったんだよ。お姉ちゃん、大好きだったんだぁ」


唯の言葉に、莉子がポツリと言う。


「りこ、おばあちゃんしらないもん……」


唯は、俯く莉子のそっと頭を撫でた。


「莉子ちゃんもおばあちゃんに会えば大好きになるよ」

「………うん」

「莉子ちゃんも会いたいでしょ?」

「……うん」

「早く会いたいね」

「うん!」


プランターの中の湿った土。

その中には、名も知らずに受け取った花の種が眠っている。

いつ芽を出すのか、いつ蕾を膨らませるのか……

幼い唯と莉子には分からないが、二人の期待は大きく膨らむばかりだった。

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