売名恋愛(別ver)

江上蒼羽

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過酷なロケ2

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30分は断崖絶壁の上で震えていたと思う。

血の気が完全に引いて、喉が渇いて仕方がない。

飛ばない選択肢が絶対ない以上、腹を括って崖からジャンプしなければならないのに、それも出来なくて。

こんなんで笑いと視聴率が取れる訳ないじゃん……と、涙ながらに心の中で悪態をついた。


「そろそろ40分経過するけど、まだ飛ばないのかー?」


苛立ったように急かすディレクター。

アクティビティ運営陣もうんざりしたような表情をしている。

いつか「いい加減にしろよ!」と怒号が飛んで来そうだ。


「無理、やだ……」


別に時間を稼いでいる訳じゃない。

思い切って崖から飛び込んだら楽になれるのは分かっているけれど……

握った拳を睨み付けていると、何かがヘルメットを弾くような衝撃を感じた。


「雨だ……」


誰かが呟いたと同時に、大粒の滴が次々に降下してくる。


「嘘だろー?さっきまで晴れてたのに。こりゃ中止だな」


想定外の降水にディレクターが撤収を呼び掛ける。
カメラさんも水滴から守るように商売道具を片付ける。


「………森川、いつまで踞ってるつもり?撤収だそうよ」


いつの間にかハーネスが外されていた。

ヘルメットを外した私の頭に川瀬さんがタオルを乗せる。


「ホテルに帰るわよ」


全身の力が抜けて自力で立てない私を引き摺るようにしてヘリまで連れて行く川瀬さん。

その横顔は怒りに満ちていて、とても直視出来るものではなかった。






「…………どういうつもり?」


ホテルの部屋に戻ると、濡れた服を着替える間もなく、川瀬さんが詰め寄る。


「あんな無様に駄々捏ねて……ロケの関係者皆に迷惑掛けたのよ?」

「…………」


ベッドの縁に腰掛けて背中を丸める私を追い詰めるように、川瀬さんの口調は凍てついている。


「高いギャラ貰ってるんだから、ポンと飛びなさいよ」

「………無理です。怖いものは怖いんです」


折角止まった涙がここでまた復活。

幾筋も頬を伝っては、滴が落ちる。


「だ、大体、バンジージャンプに挑戦なんて私聞いてません」

「状況が変わる事はいくらでもあるわ。ロケってそういうもんでしょう?怖い怖いって、若いアイドルじゃあるまいし………ディレクターから求められたらやる、それがプロの芸人だと思うけど」


感情を露にする私とは対照的に川瀬さんは冷静さを失わない。


「最近のあんた、変よ?」


番組から求められたら、ギャラに見合った仕事をするのがプロ。

だからといって、命の危険に晒されるような事はやりたくない。


「新しい彼……確か、最上だったかしら?その彼と付き合うようになった辺りからおかしいわよ」

「…………」

「忍足さんと付き合ってた頃は溌剌としていて、どんな仕事にも前向きに取り組んでくれていたじゃない。こんな風に私に感情的になったり、歯向かったりしなかったじゃない」


川瀬さんは「どうしちゃったのよ」と言うけれど、どうにもこうにも、私の変化は川瀬さんと保科さん……そして、忍足さんの所為だ。


「あんたにあまり良い影響を与えないようなら、付き合いを考えて貰った方が良いのかしらね」


完全に最上さんを悪とする川瀬さんに私の中で限界が来た。


「………ます」

「何?聞こえない」


川瀬さんが怪訝そうに聞き返す。

思い切って顔を上げ、彼女を睨み付ける。


「私、もう芸人辞めます!!」


私の発言に川瀬さんの目が大きく見開かれた。


「森川………あんた自分が何を言ってるか分かってるの……?」


川瀬さんが明らかに動揺している。

彼女の冷静な態度を崩した事を若干嬉しく思いながら、これまで言うのを躊躇っていた事を口にする。


「間宮はピンの方が生きるんでしょう?そして、私は単なるお荷物……間宮の足を引っ張る存在でしかない私はもう辞めた方が良いと思うので、もう辞めます」

「森川………あんた、もしかして…」


川瀬さんの表情が強張る。

思い当たる節があったのだろう。


「川瀬さんの本音、私には辛過ぎました。それから、忍足さんとの事も……」

「………」


私を使えない認定している川瀬さんにとって、私の引退など大した問題じゃない筈だ。

事務所的にも売れっ子の七光りとイケメン俳優との報道でしか仕事も注目を集められない奴なんか要らないと思う。


「時には色恋での感情操作も必要って、あんまりじゃないですか。酷い話ですよ。人の気持ちを操作して………一種のドーピングですよね」

「…………」

「お陰で傷付いたり自分を殺してまで汚い世界にしがみついているのはみっともないだけだと気付かされました。だから辞めます。明日、さっさと日本に帰って契約の解除手続きします」


遅かれ早かれ切られるであろうクビを切られる前に自らの手で切り落としてやる。

この辺で涙と鼻水がMAX。

きっととんでもない顔になっている。


「私、知りませんでした。川瀬さんと保科さんが深い仲だった事。二人で考えて忍足さんに私に色仕掛けするよう指示したんですよね?」


事実を知らなければ幸せだった。

忍足さんの気持ちが嘘だと知らなければ、今日のバンジージャンプだって容易く飛べただろう。


「馬鹿みたい。演技の練習台にされてるだけなのに浮かれて舞い上がって……」

「……森川」


忍足さんから着信がある度にドキドキして、年甲斐もなくテンション上げて、声まで作ったりもして。

思えば、かなり女子してたなって思う。


「馬鹿な私を三人して陰で笑っていたんでしょう?!」

「森川、聞いて」

「私を利用して培った演技で、主演の恋愛映画は大ヒットするんじゃないですかね!」

「森川!!」


喚く私の両頬を挟み、顔ごと持ち上げる川瀬さん。

険しい顔をした彼女が私の至近距離に顔を近付ける。


「聞きなさい」


命令口調が癪に触って彼女の手を払い除けた。

再び頭を垂れてみせる私に、一度深い溜め息を吐いてから川瀬さんが口を開く。


「保科とは、別に深い仲だった訳じゃないの。単なる昔馴染みよ。お互いに役者を志した同志とも言えるわ。まぁ挫折して今はお互いに芸能事務所のマネジメント業務に勤しんでいるけれど」


初めて聞く川瀬さんの経歴に少なからず驚かされた。


「偶々出先で会った際、保科からどうしても売り出したい奴がいるって相談されたの。それで私はあんたを差し出した」

「…………どうして私だったんですか?」


黙って聞き流そうと思っていたのに好奇心が勝り、うっかり口を挟んでしまう。

川瀬さんが「ふっ……」と息を漏らす。


「いくらあんたの能力は低くても、マネジメントを任された以上は最後まで責任を持つつもりでいるわ。一度落ちる所まで落ちたあんたに復活の機会を与えれば頑張ってくれるんじゃないかって淡い期待もあったのかもしれないわね」


川瀬さんが拾い上げたバッグからポーチを取り出し、中に入っていた煙草を口に含む。

煙草の先端に火が着けられた瞬間、独特の香りが部屋に充満する。


「マネジメントを受け持った人間を自分の手でどうにかしてトップへと押し上げたい……お互いの目的が合致したから、保科と手を組んだのよ」


紫煙と共に吐き出される言葉は、マネジメント業務に携わる者の強い思いが込められているような気がした。


「始めこそ、忍足さんはあんたが相手で不満だったみたいでね」

「………そうでしょうね」


そりゃ可愛いアイドルや綺麗な女優が相手の方が良かっただろう。

こんな中途半端な十人並み程度の容姿の女芸人が熱愛の相手じゃ彼のプライドが許さなかったんじゃなかろうか。

初対面時の彼の若干上からの態度がそれを表している。


「ただ……どういう訳か、途中から状況を楽しみ始めて………偽装交際を延長したいと申し出て来たのよ」

「えっ……?」


意外な真相に声が裏返った。


「忍足さんの方から言い出したんですか?」


川瀬さんが頷く。


「えぇ、演技の勉強も兼ねてもう少し森川さんの名を利用したい……自分の演技が通用するか、本気になったフリで森川さんを落としてみたい………忍足さんは確かに私にそう言ってきたわ」

「わ、私てっきり、私をやる気にさせる為に川瀬さんが忍足さんに指示したんだとばかり……」

「どうして私が?忍足さんとの熱愛報道で再び脚光を浴びただけで十分よ。それ以上の指示を出す必要はないわ」


忍足さんは二人のマネージャーの指示に従っていたと思っていたのに、そうじゃなかった。

まさか、自らの意思で動いていたなんて……


「私が思うに……演技の練習なんて言いつつ、あんたに情が湧いたんじゃないかと思うの」

「そ、そんな訳……ある筈ないじゃないですか」


言いながら思いっ切り動揺。

以前彼が去り際に言っていた『演技じゃない』という言葉を思い出して赤面する。


「まぁ、こればっかりは本人に直接確認して貰うのが一番ね」


吸い終えた煙草を灰皿に押し付けた川瀬さんがカッと目を見開く。


「そ・ん・な事より!!辞めるって本気っ?!」


鬼の形相で詰め寄る川瀬さんに私は自ずと体が仰け反る。


「ほ、本気です。もう辛いばっかりなんで……」


辞めたい、逃げたい、楽になりたい。

芸能界を生きてきた人間が一般人として生きる事は中々大変な事らしい。

名が知られてしまっている以上は、世間から必要以上の注目を浴びて生きていかないといけない。

どこへ行っても“まんぼうライダーの森川”“間宮の元相方”等と後ろ指を差され続ける羽目になるのは承知している。

でも、私の心はもう限界を極めている。

壊れる寸前。

鬱病が他人事に感じられない状態になっている訳だから、早々にこの異質な世界から離脱したいと思っている。


「この仕事、私には向いてなかったんだと思います……」


溜め息と共に吐き出した想いをどう感じたのかは分からないけれど、川瀬さんがあっさりと「そう、分かったわ」と受け入れた。


「ただ、自分の口からきちんと間宮に説明しなさいね」

「それは勿論……分かってます」


言われなくてもちゃんと分かってる。

きちんとけじめをつけてから、私はお笑い芸人から卒業するつもりだ。

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