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無名俳優
しおりを挟む「まずは簡単に自己紹介させて下さい」
「へ……」
突然の申し出に瞬きを増やしたものの、すぐに「ど、どうぞ…」と返事をした。
「改めまして、忍足 慧史と申します。歳は29。主にモデルと俳優をしてます」
強張った表情から、忍足さんの緊張が伝わってくる。
それにつられて私まで謎の緊張を味わう羽目に。
「出身は東京都で、18の時に渋谷でスカウトされてデビューしました。、初めの内はモデルの仕事をさせて頂いていたのですが、演技の仕事にも興味を持ち、俳優を志すようになり、今に至ります」
いきなり経歴を聞かされても、どう返答したら良いのか困る。
気の利いた返しが出来ない私は、取り敢えず頷いてみた。
「つい先日も森川さんの相方の間宮さんとドラマで共演させて頂いたんですよ」
そこで「あっ!」と声が出た。
先週最終回が放送された月9に出演していた間宮。
そこそこ出番のある役で、その役の人物が入り浸るカフェの店員役が確か忍足さんだった。
時間にして僅か数秒、喋っても台詞は一言だったから、忍足さんが演じた役に名前があったかどうか分からない。
「かなりのチョイ役でしたけど」
苦笑する忍足さんにこちらも苦笑するしかない。
うっかり「そうですね」と言ってしまったら、きっと気を悪くするだろうから。
「自己紹介はこれくらいにして……今日は森川さんにお願いがあってやって来ました」
忍足さんが背筋を伸ばす。
「お、お願い……ですか?」
「単刀直入に言います」
ゴクッと喉が鳴る。
「貴女の名前を俺に貸して下さい。悪いようにはしませんので」
突拍子もない申し出に、私は当然「…………は?」と、なる訳で。
「……名前を貸す?」
意味が分からない。
「えーっと………それって、どういう意味ですか?」
理解し難い申し出に、頭は軽く混乱中。
「名前を貸すというのは、つまり………何かの保証人になれという事ですか?だとしたら無理です。お金ないんで。サインはしませんよ」
今度は忍足さんの方が困惑の表情を浮かべた。
それから少し考える素振りを見せてから「そういう事ではないです」と笑う。
「すみません、もう少し分かり易く言うべきでしたね」
「あ、いや………理解力なくてすみません…」
忍足さんがグラスを手にした。
その中身で喉を潤してから、気をとり直して……とばかりに言う。
「言葉を変えて言わせて頂くと………売名の為に貴女の名前をお借りしたいんですよ」
「ば、売名……?」
【売名】とは、利益や名誉の為に自分の名を世間に広めようとする事。
凄く嫌悪を感じる言葉だ。
「モデルの仕事で表現力を身に付け、舞台やミュージカルで経験を積みました。演技力には自信があります」
忍足さんが急に前のめりの姿勢を取り出した。
「演技に自信がついた所為か、少しずつ俳優としての俺の力が認められつつありまして……ここ1、2年でちょいちょい地上波のドラマに出させて貰えるようになったのですが……」
ここで忍足さんが困ったように眉を下げる。
「貰えるのは、まだまだ小さな役ばかり…」
忍足さんが苦悩する人みたく額に手を置く。
「そして何より、俺の世間的な認知度はかなり低い」
「え………そうでしょうか?」
「………あの人俳優の人だよね?でも名前何だっけ?………ドラマで見掛けるけど名前までは知らない……等、街中を歩いていて良く言われます」
深い溜め息を吐いた彼に、私は努めて明るい声を出す。
「きっと思い過ごしですよ」
とは言ってみたものの、実際私も彼の顔を知っていても名前までは知らなかったという事実を抱えている。
忍足さんは、私の気休め程度の励ましを聞き流して言う。
「……嫌なんですよ。顔は分かるけど名前までは知らないと言われるのが」
忍足さんが再び憂いの籠った深い溜め息を吐いた。
「……更に欲を言えば………知名度だけでなく、主演も欲しい」
「主演も、ですか……?」
「はい」
大胆な言葉に驚きを隠せない私 に忍足さんが「あまりこういった事を言うのは良くないのですが……」と前置く。
「昨今のドラマのキャスティングは、話題性重視で実力は二の次………勿論、事務所のゴリ押し等で決められる事もあります」
それに思わず頷く。
「確かに。主役を張る人って、大体いつも同じような人ばかりですね」
テレビをつければ大体主役は決まった人間だ。
話題の俳優女優、人気アイドル……等々。
脇を固めるキャストも同じような顔触れのドラマばかり。
それが終わったと思えば、また同じようなキャストが集められたドラマが始まる。
だから、全く違うジャンルのドラマでも新鮮味が一切感じられないと思っていた。
「……腑に落ちないんですよ。大した実力もない癖にって。俺ならもっと上手く演じられるのに……って」
芸能界は悲しい事に実力より人気と話題性が最重要視される世界だ。
「………けれど、これがこの世界の常識とならば、俺もそれに乗ずるしかない……」
「…………」
「とにかく、話題が欲しい」
忍足さんの怖いくらい真剣な眼差し。
「森川さん」
彼の強い視線は、真っ直ぐに私を捉えて離さない。
緊張から膝の上で握った拳に汗が滲む。
「きっと、貴女の今後の為にもなる筈です」
「わ、私の今後?」
突然話題の矛先を向けられ、焦る私に忍足さんが静かに問う。
「一般人と変わらないような今の生活を変えようと思いませんか?」
「え………」
その問いに、私の胸が鈍く痛んだと同時に恥ずかしさが込み上げてくる。
あぁ………私の現状をちゃんと把握してるんだ……と。
「売名が成功して話題になれば、貴女にも仕事が舞い込んで来る筈です」
「っ、」
汗を拭いながらぎゅっとニットの裾を掴む私に、忍足さんが再度申し出る。
「お互いの為に、協力し合いませんか?」
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