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第2章
二人と待ち人
しおりを挟むエルトンの屋敷は既に火が回っていた。
屋敷を出て物の数分で建物は炎に包まれた。
間一髪だった事に気づき、アルフォルトは自分の迂闊さに改めて嫌気が差す。
メイド長と元侍女が無事に屋敷から逃げ出せている事を切に願った。
アルフォルトはメリアンヌを危険に晒してしまった事を素直に詫びたが、メリアンヌは首を振った。
「むしろ、謝るのは私の方よ。それより、今はここを離れるのが先決ね」
硬い表情はずっと何かを堪えているようで、アルフォルトは心配になる。
そっと頬に触れれば、メリアンヌは困ったように微笑んだ。
燃え盛るエルトンの屋敷の周りには、人集りができている。
メリアンヌはアルフォルトを自分の上着でくるむと、歩きやすいように体を抱え直して、人目を忍んで屋敷の裏通りに入る。
アルフォルトは自分で歩ける、と主張したが降ろしてはくれなかった。
歩く事は諦めて、かわりにアルフォルトは朝から何があったかを話した。
メイド長が逃がそうとしてくれた事。エルトンに見つかって足を鞭打たれた事。今まで消えた子供達がどうなったか。それからローザンヌの元侍女が何故屋敷にいて、アルフォルトを助けたのか。
「元侍女の事は──どうする?」
二人だけの秘密にした方がいい、とはどういう事なのだろう。
「母様とお爺様の事を知ってるみたいだった」
「そうね。あの女の言う通りにするのは癪だけど──城には報告しない方がいいわ。マルドゥーク家が関わるなら尚更。そのかわり、アラン様には話しましょう。何か知ってるかもしれないわ」
少し考える素振りを見せ、メリアンヌは言った。
「ライノアにも言わない方がいいわ」
「······うん」
ライノアを信用していない訳ではない。しかし彼の立場上、知ってしまったら宰相に報告しない訳にはいかない。ライノアはアルフォルトの従者だが、身元の保証人は宰相であるオズワルドだ。メリアンヌのように完全にマルドゥーク家の人間、という訳では無い。勿論ライノアやオズワルドがマルドゥーク家の不利になるような事をするとは思っていないが、宰相という立場は中々に厄介だ。母方の実家が絡むなら迂闊な事は出来ないので、元侍女の件はアランの判断を仰ぐのが最適解だろう。
ライノアを除け者にしたみたいで内心複雑だが、何が火種になるかわからない。アルフォルトの王子という立場は、諸刃の剣だ。
(政治というものは、厄介だな······)
裏通りの中程、建物の影にひっそりと一台の馬車が停留しているのが見えた。メリアンヌは躊躇わずに乗り込む。
「──ご無事でしたか」
「えっ」
聞き慣れた声に顔を上げると、馬車の中にはライノアがいた。
「屋敷が燃えていると知り、生きた心地がしませんでしたよ」
ライノアはホッとした顔で二人を交互に見つめ、メリアンからアルフォルトを受け取った。ボロボロのメイド服に目を見張り──そのままライノアに優しく抱きしめられる。数日ぶりに感じる従者の体温に、酷く安堵した。
アルフォルトを丁寧に抱え直し、頬を撫でるライノアの手は温かかった。
節榑だった指、大きな掌。
思わず掌に頬を擦り寄せると、ライノアの目が優しく細められる。
「ただいま、ライノア」
「おかえりなさい、アルフォルト。それからメリアンヌも」
馬車の内装もよく見ればマルドゥーク家の物で、いつから待機していたのだろうとアルフォルトは思った。
「無事だけど無事じゃないわ。王子が足に怪我をしてるの──マルドゥーク家の病院へ向かって」
メリアンヌは馭者に指示を出すと、アルフォルト達の向かいに座った。
メリアンヌの言葉にライノアの表情が強ばる。アルフォルトは安心させようと手をヒラヒラとさせた。
「大丈夫。ちょっと痛いけど大した怪我じゃない」
「大丈夫じゃないわよ。あのバカ息子、王子の御御足を鞭打ったのよ!?親子揃ってどういう神経してるのかしら。本当、滅んで正解ね」
メリアンヌの言葉に、ライノアの瞳が細められる。蒼い瞳は色素が薄くなり、本気で怒ってるな、とアルフォルトは思った。
「ずっと待ってたの?」
まさか馬車が待機しているとは思わなかった。張り詰めた空気を誤魔化すように問いかければ、少し落ち着いたのかライノアの目はいつも通りの色に戻っていた。
「昨日の夜にメリアンヌから『昼前に迎えに来い』と連絡が来たので朝の業務を終えてすぐにこちらでお待ちしてました。流石に王家やマルドゥーク家の家紋が入った物は目立つので外装が地味な物をアラン様が手配してくれました」
今回、祖父であるアランが全面的にサポートしてくれているのだが、馬車まで用意しているとは思わず、アルフォルトは目を丸くした。
しかし、それよりも気になったのは──。
「お昼には撤退するって、知らなかったんだけど······」
いつの間に連絡してたんだ、とメリアンヌを凝視する。今日撤退する予定だったなんて、全く知らなかった。
思わず唇を尖らせると、メリアンヌは肩を竦めた。
「定期連絡しないと怒られるのよ。その点、ウチの鳩は優秀だから助かるわ──それと潜入は最初から、証拠が掴めなくても三日で切り上げる予定だったの」
「最初から言ってくれれば良かったのに」
不満げなアルフォルトの鼻を、ライノアは軽く摘んだ。
「三日という期限を聞いたら、貴方は絶対無茶してでも証拠を探すでしょう?それならいっそ話さない方がいいという事になったんです。──まぁ、結局怪我してるみたいなんですけど」
ライノアの深いため息に、アルフォルトは苦笑いして誤魔化した。
確かに、三日という期限を聞いていたら何がなんでも証拠を見つけようと躍起になって空回りしていたかもしれない。
しかし、アルフォルトが囚われていた上にエルトンの屋敷は燃えてしまった以上、証拠を探すのは難しいだろう。
(あの様子だとエルトンももう生きていないだろうし)
「ごめんね。潜入までしたのに、結局僕のせいで証拠を探せなかった」
アルフォルトが頭を下げると、メリアンヌは首を振った。それからおもむろに懐に手を伸ばした。
「証拠なら、ここに」
手渡された紙の束は小切手と、子供の特徴や誰にいくらで買われたかがご丁寧に記されている、人身売買のリストだった。
「えっいつの間に!?」
思わず目を見開いて、アルフォルトはメリアンヌを凝視した。
昨日の時点では証拠を見つけられなかったのだ。
「王子を探して、エルトンの自室に入ったら──執事から渡されたの。エルトンを止めてくれって。本当、自分達でどうにかしてくれれば、私達が来る必要なかったのにねぇ。火まで着けるし」
「でも、これで色々できる事がある。僕の侍女は本当に優秀だ。ありがとう、メリアンヌ」
思わず微笑むと、メリアンヌは胸に手を当てて頭を下げた。
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます」
誇らしい気持ちでメリアンヌを見つめていると、頭上から視線を感じる。顔を上げれば、ライノアと目が合う。
その顔が「自分は?」とあまりにも訴えているので、アルフォルトはたまらず吹き出した。
「ライノアも、不在の間色々とありがとう。まさか馬車で待ってると思わなかったから──顔が見れて嬉しいよ」
手を伸ばして頭を撫でると、メリアンヌがいるので表情こそ無だが、ライノアの目元が嬉しそうに細められた。
「貴方を見てると時々犬なんじゃないかと思うわ」
「なんとでも言って下さい」
アルフォルトしか見えていないライノアに苦笑いし、メリアンヌは前髪をかき上げると長い足を組み直した。
普段のメイド服の時は絶対にやらない男らしい仕草が新鮮だと、アルフォルトは思った。
(メリアンヌ、どうしたんだろう)
隠してはいるが、メリアンヌの表情は馬車に乗っている間、ずっと硬かった。
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