仮面の王子と優雅な従者

emanon

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第2章

元侍女と対峙

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 メリアンヌは、焦っていた。
 今朝からアルフォルトの姿が見当たらない。
 それとなく周りに聞いて回ったが、誰も見ていないと言う。「やっぱり消えたわね」と苦笑いするメイド達に、笑い事じゃないだろと言いたくなるのをぐっと堪えた。
 どうもここの屋敷の人間は、人が消える事に無頓着すぎる。それが日常茶飯事だから、と言われればそれまでだが、感覚がおかしくなっているのだろう。
 先程見たアルフォルトの部屋には争った形跡などもなく、部屋を出る時はいつも通りだった事が伺える。
(部屋を出た後に何かあったのか?)
 逃げたんじゃないか?とも言われたが、アルフォルトに限ってそれは無い。メリアンヌに何も言わずに出ていく事はしないだろうし、そもそも、今日はちょっとした騒動を起こしてエルトンの自室に忍び込む予定だった。
 そして、証拠が見つかっても見つからなくても、正午前には屋敷から撤退するつもりだった。
 それなのに──。
(良くない事態だ)
 完全にアルフォルトの痕跡が途絶えている。
 何か理由があって身を隠している事も考えたが、それならアルフォルトは必ずメリアンヌにわかるように何かしらのサインを残す筈だ。朝のほんの数分で姿を消すとは思わず、自分の甘さに腹が立った。
 メリアンヌは焦る気持ちを抑えて、呼吸を整える。
 こうなったら、長居は無用だ。
 アルフォルトを探して、屋敷を出る。
 エルトンの人身売買の証拠よりも、アルフォルトの命の方が大事だ。何物にも代えがたい。
 一度引いてしまえば、その後の捜査は難しくなるだろうが、そんなの知った事では無い。別の人間にやらせればいい。そもそも一国の王子が体を張ってまで潜入する必要などないのだ。
 王城で自由気ままに、安全な中でだけ生きていていいのに、アルフォルトはそれを良しとしない。
 本来なら全力で危険から遠ざけるべきだが、一度やると決めたら絶対に譲らない。それがアルフォルトだ。それならこちらは命がけで守るしかない。
(うちの王子は、自分を大事にしない節があるからなぁ)
 アルフォルトに体術を仕込んだのは、メリアンヌだ。メリアンヌとしては護身用の意味合いが強かったのだが、アルフォルトは主に実戦で使う。本来なら守られる立場の人間なのに、前線で戦う事をやめない。お陰でアルフォルトの体は、王子とは思えない程傷だらけだった。
(──あと探して無い所は、エルトンの部屋と地下室か)
 今いる場所だと、エルトンの自室が近い。順番に見てまわろうと廊下を進むと、なにやら使用人が騒がしかった。
「何かあったのか?」
 メリアンヌが従者の一人に声を掛けると、年若い男はため息を吐いた。
「お前と一緒に入ったメイドが消えたから、旦那様が探せとの事だ。お前も探せ」
 仕事が増えたな、とメリアンヌの肩を叩き、従者は消えたというを探しに行った。
(エルトンが隠したんじゃないのか?)
 エルトンの指示で探しているという事は、他の誰かがアルフォルトを攫ったのだろうか。
 考えられるのは──。
(メイド長か、例の元侍女、か)
 メイド長はともかく、後者なら非常に厄介だ。目的もわからなければ、敵か味方かもわからない。
 背中を嫌な汗が伝う。
 アルフォルトの事だ、簡単にやられはしないだろうが、それでも心配な事に変わりは無い。 
 今の騒動で、エルトンの自室の前にいた見張りも居なくなっていた。
 強行突破する予定だったメリアンヌは、これ幸いと、部屋のドアを開ける。
 部屋の中は、成金感溢れる悪趣味な調度品に囲まれていた。
 人の気配は無く、隣の寝室も無人だった。
 隠し扉や隠し部屋もなさそうで、アルフォルトはここにはいないと見ていい。
 長居は無用だ、と部屋を出ようとし──窓際の机の上、散らばったままの書類と小切手が視界に入り、メリアンヌは足を止めた。
「これは······」
 手に取った書類は、売買した子供達のリストだった。
 この間のヴィラで保護された子供の特徴と一致する物もある。
「誰かと思えば──······もしかして何かお探しですか?」
 入口のドアの方角から声がし、メリアンヌが顔を上げると、老齢の執事か佇んでいた。
「なんの事ですか?」
 とぼけてみせたが、メリアンヌの手に握られた人身売買のリストや小切手をみれば、誤魔化すのは苦しい。
 それにしても人の気配が全く無かった。油断していた事に気づき、メリアンヌは心の中で毒づいた。
 ロンはゆっくりとした足取りでメリアンヌに近づいて来る。
 とても戦えるようには見えない執事だが、もしかしたら武器の類を持っているかもしれない、と咄嗟に身構える。
 そんなメリアンヌの様子に構う事無く、ロンは机の引き出しの鍵を開ける。
中から小切手と束になった書類を取り出すと、メリアンヌに手渡した。
「今までの取引の履歴です。全てではないですが······どうかお願いいたします」
 ロンは深々と頭を下げた。
「旦那様を止めて下さい」
「何故、俺に頼む?自分で密告でもなんでもすれば良かっただろ」
 メリアンヌは冷めた目で執事を見下ろす。罠の可能性も考慮して、油断は出来ない。
「前に密告しようとした者は、消されました······。それ以降も何度か手は打ったのですが無駄に終わりました。そもそも、黙認していた時点で私共も同罪です」
 メリアンヌは、ため息を吐いた。自分達でとうに諦めて、頼れる人が現れるまで待つその考えに、無性に腹が立った。
 しかし、今は悠長に構えている暇は無い。一刻も早くアルフォルトを探し出さなくてはいけないのだ。
 メリアンヌは受け取った書類を懐にしまうと、執事に問うた。
「アリアが今何処にいるかわかるか?」
 メリアンヌの問いかけに、ロンは顔を上げた。
「今朝から姿をみておりませんが、先程メイド長と旦那様がもみ合っているのを見かけました。メイド長が匿っているのであれば、東側の物置き部屋かもしれません」
 執事の口振りから察するに、メイド長はこれまでも子供達を匿ったり逃がしたりしていたのだろう。
 とりあえず証拠は手に入った。あとはアルフォルトを見つけて屋敷を出るだけだ。
 メリアンヌは部屋を後にすると、急いで物置き部屋を目指した。



 メリアンヌが物置き部屋のドアを開けると、そこには誰もいなかった。
 小さな窓があり、テーブルには食べかけのパンとミルク。部屋の中央に古びた椅子が倒れていた。
 つい先程まで、誰かがいた名残りだけが残っている。
 よく見たら床には微かに血痕があり、まだ乾ききっていない。
 メリアンヌの心臓が早鐘を打つ。
 大量に出血した訳では無さそうなのがせめてもの救いだ。アルフォルトの物で無ければいい、とメリアンヌは切に願った。
 後手に回っている間に、アルフォルトの身がどんどん危険に晒されている。
 物置き部屋にいないのなら、後に残されているのは地下室だけだ。
「ん?」
 ──ふと、焦げ臭い匂いが鼻腔をくすぐった。
 何事かと廊下に出ると、従者が慌てた様子で駆けて来る。
「火事だ!早く逃げろ!!」
「なんだって?」
 どうしてまたこんなタイミングで、と内心毒づいたメリアンヌに、従者は息を切らせてまくし立てた。
「旦那様の部屋に、執事が火を付けたらしい!とうとう耄碌したか······お前も死にたくなきゃ早く逃げた方がいい」
 そう言って、従者は走り去って行った。
(はぁ!?あの執事馬鹿かよ!!)
 屋敷諸共終わらせるつもりなのだろう。  
 舌打ちをすると、メリアンヌも地下室を目指して駆け出した。



♢♢♢

 

「──あら、だいぶ甚振いたぶられたわねぇ」
 崩れ落ちたエルトンの後ろから現れたのは、冴えないソバカス顔をした、赤い髪のメイドだった。
 床に倒れたエルトンの背中には、ナイフが深々と突き立てられていて、おそらく肺まで到達している。
 口からゴホゴホと血を吐いて蹲るエルトンなどお構い無しに、ローザンヌの元侍女はアルフォルトの足元に屈むと、メイド服のスカートを捲る。
 思わず蹴り上げかけたアルフォルトだが、女性とは思えない力で椅子に足を抑え込まれた。
「襲わないからじっとして」
 元侍女は傷の具合を確かめると、アルフォルトの破れたエプロンを細く割き、包帯のように傷口を覆って行く。 
 患部を圧迫され、アルフォルトは低く呻いた。
「傷は深くないけど出血が多いから我慢なさい」
 手際の良さに、アルフォルトは思わず関心したが、今はそれどころでは無かった事を思い出す。
「······貴女は何者なんですか?」
 痛みに顔を歪ませながら問うアルフォルトに、元侍女は顔を上げ──足元でのたうち回るエルトンを邪魔そうに見下ろし、背中に刺さったナイフを踏みつけた。
「がはっ······」
 更に深く刺さったナイフに、エルトンは白目を剥いて咳き込む。しかし、即死できる程の致命傷にはならず、痛みと呼吸できない苦しさに、石の床に爪を立てた。
 爪が剥がれるのもお構い無しにザリザリと床を引っ掻くエルトンをアルフォルトも無感動に見下ろす。
 正直、今まで子供達にしてきた事を考えたら同情の余地は無い。
(それにしても、手馴れてるな)
 元侍女の匙加減が絶妙で、恐ろしいと思った。死なないように、それでいて最大限苦しむように。いっそ殺してくれと懇願できたら楽だろうが、肺をやられて呼吸も儘ならないエルトンには無理だろう。意識は遠のいてきているが、まだ生きている。
 冷めた目でエルトンを一瞥し、元侍女は手当てのためにたくしあげたスカートの裾を、元に戻した。
「そうね、私は貴方の敵ではない、とだけ」
「何故ここに?」
 アルフォルトの問に、元侍女は皮肉げに笑った。
「それはこちらのセリフよ、?」
 思わず目を見開いたアルフォルトの頬を、元侍女はそっと撫でた。
「本当、大きくなったらお母様にそっくりね。······髪の色も」
 ドキリ、と心臓が跳ねた。
 髪の色は、身内以外に知られてはいけない。もしバレたら、様々な憶測を呼びかねないからだ。そもそも、何故自分が王子だと知っているのだろう。
(──彼女を、消す?)
「母を、知っているのですか?」
 会話を続けるふりをして、そっと、袖口に手を伸ばす。毒を仕込んだ護身用の針に指を伸ばし──その指ごと、握り込まれた。
「安心なさい、誰にも話さないから。全く、物騒な王子様ね」
 アルフォルトの考えなどお見通しとばかりに、元侍女はため息をついた。
「信じられるとでも?」
 アルフォルトの敵ではないとは言ったが、油断はできない。そもそも得体の知れない彼女を信じる根拠がない。
「言ったでしょう?私は貴方の敵ではないと。──私はね、貴方のお母様に恩義があるの。でなければ貴方を態々助けには来ないわ」
 確かに敵なら、リスクを侵してまで助けには来ないだろう。なにより、傷の手当てまでしてもらった。
 余程複雑な顔をしていたのだろう。元侍女は微かに笑った。初めて人間らしい表情をみた、とアルフォルトは思った。
「貴女の目的は何ですか?」
 回りくどい言い方をしても、おそらく答えてはくれないだろうと思い、アルフォルトは率直に聞いた。
 案の定、元侍女は愉快そうに口の端を上げてアルフォルトの瞳を覗き込んだ。
「そうね、答えられる事だけ。私はあるギルドに所属していて、人身売買に関わった人間を始末する依頼を受けていたのだけど──」
 ふと、何かに気づき、元侍女は言葉の途中で顔を上げた。
 アルフォルトもつられて顔を上げる。
 焦げ臭い匂いと煙が、細い階段から流れてくる。
 思わず咳き込むアルフォルトに、元侍女はハンカチを手渡してくれた。
 有難く受け取り口元を抑えると、少し呼吸がしやすくなった。
「呆れた。屋敷の人間が火でも着けたのかしらね──歩けそう?」
「多分大丈夫」
 アルフォルトは椅子から立ち上がり──足の痛みにふらついた。
 すかさず元侍女が支えてくれたのと、地下室のドアが勢い良く開いたのはほぼ同時だった。
「アリア!!無事!?」
 メリアンヌが、息を切らせて階段を駆け下りて来る。
 アルフォルトを見つけ、ホッとした表情を浮かべかけたが、隣でアルフォルトの体を支える元侍女を目にし──胸元に手を伸ばしたのが見えてアルフォルトは叫んだ。
「攻撃しちゃダメ!!」
 途端、ピタリとメリアンヌの動きが止まる。
 胸元に伸ばした指の間には、細身の投擲用ナイフが三本挟まれていて、制止が間に合って良かったと安堵した。 
 そっとナイフを元に戻し、メリアンヌはアルフォルトの元へ駆け寄る。
途中、床に転がるエルトン(虫の息だがまだ辛うじて生きている)を一瞥し、アルフォルトを抱きしめた。
「無事で良かった」
 抱きしめる腕は思いのほか強い力で、アルフォルトは苦笑いする。
「心配かけてごめん。リアンも無事で良かった」
 広い背中をポンポンと叩いていると、元侍女が態とらしく咳払いをした。
「感動の再会の途中で悪いけど、時間がないわ。貴方、王子を抱えて早く屋敷から出なさい」
 警戒心むき出しのメリアンヌは、元侍女から庇うようにアルフォルトを抱き上げ──足の怪我に気づいて血相を変えた。
「この怪我は」
 咄嗟に元侍女を睨み、再び臨戦態勢になったメリアンヌに、アルフォルトは慌てて否定する。 
「これはエルトンにやられて······彼女は手当てをしてくれたんだ」
 正直、元侍女を今一信用出来ていないが、アルフォルトの敵ではないという言葉は信じて良いだろう。
 メリアンヌは訝しんでいたが、アルフォルトが窺うように見つめれば、ため息を吐いた。
 納得はしていないようだが、アルフォルトの手前妥協してくれたようだ。
「そうそう、一つ忠告よ。私の事はあなた達だけの秘密にした方がいいわ」
「何故?」
 不信感も顕に、メリアンヌは吐き捨てた。
 元侍女は不敵に微笑むだけで、答えはしなかった。
 足元から息も絶え絶えなうめき声が聞こえる。
 床に転がるエルトンは、まだ辛うじて生きてはいるが、後は時間の問題だ。 
 今まで甚振って来た子供達を考えたら、こんな苦痛でもまだぬるいのかもしれない。
 そんな事をぼんやり考えていると、煙が多くなり、地下室の温度もかなり高くなって来た。
「人が集まる前に行きなさい」
「言われなくても」
 シッシッと手を振る侍女の態度が気に食わないのだろう。
 メリアンヌは眉間に皺を寄せたまま、アルフォルトを抱えて階段の方へと向かう。
 アルフォルトは、メリアンヌの腕の中から顔を上げた。 
「助けてくれてありがとう」
 アルフォルトの言葉に、元侍女は目を見開いて微笑んだ。
「素直にお礼を言える子は好きよ。私もメイド長を連れて逃げるわ──また会いましょう、王子サマ。アラン様に宜しく」
「えっ」
 どういう事かと問いたかったが、元侍女はすでにアルフォルトに背を向けていた。部屋の隅で未だ目覚めないメイド長の頬を叩いているのが視界に入る。
 そっちの頬は先程エルトンに殴られた方なのでは、とは思ったがメリアンヌの足は早く、声をかける間もないまま地下室を後にした。
  




 
 
 

 
 


 
 
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