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第1章
従者の心と秋の空
しおりを挟む『ライノアに触れられるのは、好き』
あの時、アルフォルトが言った事はどう捉えれば良いのだろう。
書類を片付ける手を止め、誰も見ていないのをいい事にライノアは大きく欠伸をした。
視線の先、窓の外は青空だった。
先週までの暑さが嘘のように、外は過ごしやすい秋晴れで、まばらに鱗雲が広がっている。
アルフォルトは寒がりなので、風邪をひかないようにと、今朝はメリアンヌが厚手の上着を用意していた。
ライデン王国にも四季はあるが、どちらかといえば温暖な気候だ。冬に雪が降っても、積もる事は稀で毎年「いつか雪だるまを作りたい」とアルフォルトは口にする。ドアが開かない程の雪を見たら、アルフォルトはおそらく寒さに耐えらず、外には出ないだろう。
ライノアの故郷も四季はあるが、ライデンとは比べ物にならない程雪が降る。雪だるまどころか雪像を造れるくらいには豪雪地帯だ。
(猫みたいな人だから、降り積もる雪を見たらベッドからも出ないかもしれない)
冬は、アルフォルトを起こすのに一苦労する。
ベッドから中々出たがらず、起きても動きが緩慢になる。あげく、離宮にいる時は同じく寒がりなレンとずっとくっついている。
年頃の男女、しかも王子と平民が、と普通なら思うだろうがアルフォルトとレンには間違えても間違いは起きない。
レンはアルフォルトの事を兄や友達のように思っているし、アルフォルトはトラウマの件も相まって、知識はあれど性的な事に食指が動かない。たとえ女性と一晩床を共にしたとしても、何も起きないだろう。
(そもそも、あの細腰で女性を抱く事が出来るのだろうか······)
アルフォルトは、決して食が細い訳ではないし寧ろ良く食べる方だ。鍛えているのでそれなりに引き締まった綺麗な身体だが、いかんせん細い。
マルドゥーク家の血筋なのか、祖父のアランも母のアリアもみんな華奢だ。
アルフォルトに至っては、身長も小柄で本人はかなり気にしている。平均的な身長よりやや低いくらいだが、ライノアをはじめとした周りの人間が高身長なため、アルフォルトの小ささがやたらと目立つ。
ライノアとしては運びやすいので全く問題ないのだが、本人はメリアンヌの体躯に憧れている。
(精神的な要因もある、と前にアラン様が仰っていたな)
成長途中でトラウマを植え付けられ、大人が恐怖の対象になった時から、無意識に大人になる事を拒否しているのかもしれない、と聞かされた。
精神的なものなら、トラウマを克服すれば自然と身体は成長するが、遺伝なら諦めて貰うしかない。
それに、とライノアは思う。
アルフォルトは中性的で綺麗すぎる為か、女性の恋愛対象からは外れがちで、圧倒的に男性受けする。
今まで誘拐しようとしたのも全て男で、お忍びで城下にいる時にアルフォルトに好意を寄せてくるのも全て男だ。
ただし、城下にいる時はライノアが目を光らせているのでアルフォルトは全く気づいていない。
(無自覚だからこそ、たちが悪い)
ライノアの苦労など、アルフォルトは知らないだろう。
ライノアが初めてアルフォルトに対する劣情を自覚したのは15歳の時だった。その時、ライノアは自分が単純に欲求不満なのだと思った。そもそも、顔が綺麗だとはいえ、相手は12歳の子供だ。一番近くにいたのがたまたまアルフォルトだったからと考え、娼館に一度だけ行った事がある。
しかし、女性を抱いた事で気づいてしまった。
欲求不満だからアルフォルトを抱きたいのではなく、アルフォルトだから抱きたいのだと。
気づいたと同時に、この感情に気づかれてはいけないと思った。
王子と従者という身分差に加え、アルフォルトはディーク伯爵に襲われた事で心に深い傷を負い、性的な物を嫌悪するようになっていた。
だから、ライノアは自分の感情を押し殺し、アルフォルトにとって良い従者であり続けた。
自分の劣情で怖がらせないように。
嫌われないように。
ずっと、アルフォルトの隣に居るために。
(しかし最近、自分を抑えられていないな······)
自嘲気味にため息を吐いたライノアは、自分の心とは裏腹に相変わらず爽やかな秋空を、恨みがましい目で睨んだ。
その日の夕方、ライノアは宰相に呼ばれ執務室の前にいた。
一呼吸おいて、ドアをノックする。
誰何の声に「ライノアです」と答えドアを開けると、宰相と王が向かい合って話し込んでいた。
「ライノア、急に呼び出してすまない」
「いえ、お気になさらす」
まさか王がいるとは思わず、少し驚いたライノアだが表情を崩さないまま部屋へと足を踏み入れた。
ベラディオに着席を促され、オズワルドの隣に座る。
「アルフォルトは変わりないか?」
ベラディオの問に、ライノアは頷いた。
「肩の怪我はもうほぼ完治いたしました。熱もあれ以来、上がっておりませんので大丈夫かと」
ライノアの報告に耳を傾けベラディオはため息を吐いた。
「怪我はともかく、熱は精神的なものだと聞いた。アルフォルトはやはり、まだ駄目なのか」
何、とは言わないが、ベラディオが言わんとしている事はわかった。ヴィラで何があったか、ベラディオには逐一報告が行っている。アルフォルトが何をされて何をしたか、全て知っている。
ライノアは沈鬱な面持ちで頷く。
「前程酷くはありませんが、そういった行為を連想させる物がやはりまだ受け付けないようです。私をはじめとした側近、それからシャルワール様は大丈夫ですが、やはりまだ人に触れられるのは抵抗がありますね」
アルフォルトは、昔から大人の男性が苦手だった。小さい頃はアリアやライノアの後ろに隠れる事が多く、今でもあまり得意ではない。
ライノアの返答に、オズワルドは自分の顎を撫でて言った。
「じぁ、今度私がアルフォルト様に抱きついてみますか。······え、何で二人ともそんな顔なされるんです?」
名案、とばかりににこやかに発言する宰相に、ライノアとベラディオはどうやら同じ顔をしていたらしい。
「アルフォルト様に宰相殺しの罪を背負わせないでください」
「大丈夫だ、その場合は息子の罪は問わない」
深い溜息を吐く二人に「酷いですねぇ」とオズワルドはほがらかに笑った。
「私そこまで嫌われてないと思うんですけどねぇ」
眼鏡のフレームを押し上げるオズワルドの自信はどこから来るのか、ライノアは不思議でならない。
「······冗談はさておき、現状アルフォルト様には難しいですね」
冗談の自覚はあったのか、とライノアは目を見開いてオズワルドを見た。
「実は、アルフォルトに縁談が来ていてな」
縁談、という言葉に頭を殴られた気分だった。
確かに、年齢的にも縁談の一つ二つあってもおかしくは無い。弟のシャルワールも婚約者を選ぶ段階にあるのだ。兄であるアルフォルトにも話が来ないわけがない。
あまりにひどい顔をしていたのか、ベラディオは苦笑いする。
「ローザンヌが持って来たものばかりだから、はなから受けるつもりはないぞ?······そもそも、アルフォルトにだって選ぶ権利はある」
ローザンヌ、と聞いてライノアは眉間にシワが寄った。おそらく、ろくでもない縁談なのだろう。
ベラディオは、ローザンヌの事をどう思っているのかいまいちわからないが、アルフォルトの不利になる事はしない。
「選ぶ権利ですか、王子には破格の待遇ですね」
オズワルドがニヤニヤしながらベラディオを見つめた。王族は国の利益を優先して結婚する責務がある。国の存続のためにも、恋愛感情なんてものに左右されてはいけない。
アリアの件で身に覚えのあるベラディオは、咳払いをしてオズワルドを睨んだ。幼馴染の二人は、公式の場でなければ、王と宰相という立場よりも悪友という雰囲気の方が近い。
「アルフォルトには色々と辛い思いをさせてしまっているからな。せめて結婚だけは好きにさせてやりたい」
ベラディオは両手を組んで膝の上に乗せると、深く息を吐いた。
幼い時から命を狙われ、早くに母を亡くし、人並み外れた容姿のせいで何度も誘拐されかけた。
王族としての勤めを果たせないと自覚してからは、王位継承権を放棄して国のために暗躍するアルフォルトを、ベラディオは誰よりも心配している。
「つまり、アルフォルト様が『この人と結婚したい』って言ったら誰でも良いという事ですか?」
オズワルドの発言に、ベラディオは渋い表情を浮かべた。
「誰でも、という訳ではないがな。アルフォルトが不自由なく生活できる家柄で、かつ信頼できる人間なら認めよう」
「ですってよ?」
ニヤニヤとオズワルドに見つめられて、ライノアの眉毛がぴくりと動いた。
「アルフォルト様の仮面を外したお姿を一目見れば、引く手数多でしょうね」
不思議な程、ここにいる誰もアルフォルトが「女性」を結婚相手に選ぶと思っていない。
ここライデンも、ライノアの故郷の国も同性婚は珍しくない。身分が高い者は跡目争いを避けるため、側室に見目の良い男性を選ぶ場合もあるくらいだ。
ちなみに、ベラディオは側室を持っていない。
王位継承権を放棄しているアルフォルトなら、今後女性と婚姻を結ぶよりも、高位の貴族や他国の王族に嫁ぐ可能性の方が高い。
「とりあえず、今来ている縁談は全てお断りして······婚姻は今後のアルフォルト様次第ですね」
オズワルドは楽しそうにライノアを見つめる。
ずっとニヤニヤする宰相にイライラするが、顔には出さずに「そうですね」とだけ返した。
「ずっとニヤけてどうした、オズワルド」
ベラディオに指摘され、オズワルドは「何でもありませんよ」と手を振る。
「宰相は元々こういうお顔ですよね」
意趣返しのようにライノアがボソッと呟けば、ベラディオは一瞬目を丸くして、声を出して笑った。
「はははっ違いない!コイツはむかしからニヤけた顔だったわ」
「酷いですねぇ」
オズワルドも微笑むが、ライノアを見るめは笑っていなかった。
後で嫌味の一つや二つや三つは言われるかも知れない。
「お話が終わりましたようなので、私はこれにて失礼します」
長居は無用、とライノアは頭を下げて執務室を出ようとすると、オズワルドも立ち上がった。
「私も仕事が残ってるので失礼しますね」
「ライノア」
ベラディオに呼び止められ、ライノアは立ち止まった。振り返ると、優しい眼差しに見つめられる。
「今後もアルフォルトをよろしく頼むぞ」
ベラディオの言葉に、ライノアは胸に手を当ててお辞儀をした。
「仰せのままに」
「良かったですねぇ」
執務室を後にしたオズワルドは、まだニヤニヤした顔でライノアの背中を叩いた。
無表情のまま、宰相に答えもせずライノアは足早に廊下を歩く。
そんなライノアを気にした様子も無く、オズワルドは耳元で囁いた。
「アルフォルト様のお心を頂けたら、結婚できますよ?」
ビクッと肩が跳ねたライノアに満足して、オズワルドは「ではまた後日」と手を振って廊下の奥へと消えていった。
おそらくオズワルドは、ライノアの感情に気づいている。だからといって、わざわざ王の前であんな態度を取らなくても良いのに、と改めて腹立たしいとライノアは思った。
アルフォルトは自分の事を好いている、と思う。それは自惚れではなく、確証はある。
ただ、それが親愛の「好き」なのか恋人としての「好き」なのかは、理解できていないだろう。
それなら、ゆっくり時間をかけて自覚させれば、少しは希望があるかもしれない。
──誰かに盗られる前に。
逸る心に、ライノアはでも、と深く息を吐いた。
(──今の自分ではアルフォルトを守れない。寧ろ危険に晒してしまう)
アルフォルトに秘密にしているそれは、いつまでもライノアを深く悩ませるものだった。
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