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第1章
油断と過信
しおりを挟む会議が終わり、月に一度の王家揃っての晩餐も終え、アルフォルトは部屋に戻った。
食事中ずっとローザンヌの不躾な視線を感じていたが、気づかない振りをした。正直、料理の味がしなかったが仕方がない。
「ご飯、全然食べた気がしない」
「足りないなら何か作りますか?」
首を振り、脱いだ上着をライノアに渡す。
今日は思ったよりも気温が高かったのか、暑くて汗が額に滲んでいた。
いつも涼しい顔のライノアが羨ましいと思った。
「汗をかいたから、今日は早めにお風呂入るね」
アルフォルトは仮面とカツラをはずし、ライノアに預ける。
「若いと代謝が良いですね」
「ライノアも若いだろ」
ライノアとアルフォルトは三歳しか違わないのだが、ライノアは苦労性なせいか二十代後半に見える。本人は気にしているのか老け顔、と言えば頬を引っ張られるのでなるべく言わないようにしている。
「メリアンヌに下がっていいよって伝えておいて」
「承知しました」
手をヒラヒラ振って、アルフォルトはバスルームに向かった。
♢♢♢
「あれ、王子はまだお風呂?」
明日の準備を終えてメリアンヌが戻って来た。
手元の書類に集中していたライノアは、はっと顔を上げる。
時計に目をやると、かれこれ三十分は入っているだろうか。
普段あまり長風呂をしないアルフォルトだが、時々浴槽で寝てるので様子を確認しないといけない。すっかり失念していた。
「もうそんなに経っていたとは。すみません」
「かわりに見てくるわ。ライノアは座っていて」
ライノアの肩をポンポン、と軽く叩いてメリアンヌはバスルームへ向かった。
(いけない······注意力が散漫してるな)
目元を揉んでライノアはため息をついた。
アルフォルトの周りは敵だらけだ。自分がしっかりしていないと、いつ足元を救われるかわからない。
この間も少し目を離した隙に瀕死で帰って来た事を思い出す。
アルフォルトは確かに毒に耐性がある。でも限度はあるし対処法を間違えば普通に死ぬ。そんな当たり前の事をわからない訳ではない。
アルフォルトは母であるアリアが亡くなった頃から、全てを諦めた目をする様になった。
そのせいだろうか、自分の命を大切にしない。
(いつもの事だが······それに腹を立てて全てを疎かにしては本末転倒だ)
再び深くため息をつくと、メリアンヌがバタバタと戻ってきた。
「ライノア!ちょっと来て!」
慌てたように、メリアンヌがライノアの腕を引っ張った。
「どうしたんです?」
ただならぬ雰囲気のメリアンヌに、ライノアの背を嫌な汗が伝う。
「王子に声をかけたら様子が変なの。具合が悪いのかと思ったんだけど······ドアを開けてくれないのよ」
バスルームに着くとドアは閉じたままで、アルフォルトが出てくる気配もない。
「アルフォルト?どうしました?」
「······どうもしない。大丈夫だから放っておいて」
メリアンヌが言うように、声が上擦っている気がする。
「受け答えはできるから大丈夫だとは思うんだけど、入らないでの一点張りで」
メリアンヌは心配そうに手を胸の前で組む。鍵は掛かっていないようなので強行突破は簡単だが、なるべく王子の気持ちを尊重したいと考えているのだろう。
「何かあったの?また毒とかではないのよね?」
心配で落ち着かないメリアンヌの問に、ライノアは思い当たる節があった。
「まさか」
はっと顔を上げ、ライノアはバスルームのドアを叩いた。
「アルフォルト入りますよ」
「ダメだって言ってるだろ······!」
アルフォルトの声を聞いてライノアは確信した。
上着を脱ぎメリアンヌに渡す。かわりにタオルを手にする。
「メリアンヌ、暫くアルフォルトと二人っきりにして貰っても良いですか?」
「良いけど、王子は大丈夫なの?」
心配しすぎて顔色が悪くなっている侍女に苦笑いする。
「······昼頃に、ローザンヌ王妃がアルフォルトに香水をかけたんです。──媚薬入りの」
ライノアの答えに、メリアンヌは怪訝な顔をするが、構わず話を続けた。
「香水は念の為調べたら、毒性はありませんでした。成分も無害な物で、媚薬も速攻性と言ってましたが、全く効かなかった······と本人が言うので大丈夫だと思ってました」
ライノアは自分の頭をわしゃわしゃと掻き回した。ライノアらしくない粗野な行動にメリアンヌは目を見開く。
「本人が気づかなかっただけか、今頃効いてきたのか──兎に角私の落ち度です」
酷く後悔の滲む声で、ライノアは呟いた。項垂れていると言っても過言ではない。
「ライノア」
メリアンヌは、名前を呼んだがかける言葉がみあたらない。
「多分身体の火照りを沈めようと水風呂にでも入っているのではないかと。······風邪をひかれたら大変です」
アルフォルトは、性的なものを極端に避ける。過去のトラウマが原因で人と肉体的な接触が出来ないしパニックになる。
ライノアが過剰なスキンシップをしても大丈夫なのは、アルフォルトをそういう目で見ないと信頼されているからだ。
でも本当は、自分の物にしたい。触れたい。
ライノアがアルフォルトに劣情を抱きはじめたのはいつの頃だろう。アルフォルトも自分に従者以上の感情を持っている事はわかっていた。でもアルフォルトのそれに肉欲は伴わない。恋や愛といった感情を理解していないかもしれない。
だから、ライノアは絶対にこの感情を悟られないよう心の奥底に閉じ込めて、気づかれないように過ごしてきた。
良い従者として。
良き理解者として。
アルフォルトの唯一無二として傍に居続けるために。
「······もしアルフォルトがパニックになったら後の事を頼んでもいいですか?」
今からアルフォルトが一番嫌がる事をする。そうしたら避けられるかもしれないし、もう二度と傍に置いてくれないかもしれない。
「大丈夫よ、きっと」
あまりにも落ち込んでいるライノアの背中を、メリアンヌが思いっきり叩いた。背骨が軋んだ気がして、うめき声を上げる。
「いっその事、役得だと喜べばどう?」
ウインクしてみせるメリアンヌに、ライノアは目を点にして、それから渋い顔をした。
「あなたは本当······いえ、なんでもありません」
意を決してドアを開けるライノアの背中に、「でもまだ襲っちゃだめよ~」と声がかけられる。ライノアは振り向くとメリアンヌを睨んで、そっとドアを閉めた。
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