4 / 75
第1章
悪意と毒(※嘔吐表現有)
しおりを挟む自室のドアを閉めると、アルフォルトは床に崩れ落ちた。
「まったく、どこに行ってたんですか」
主人の帰還に、押し付けられた事務処理をしていたライノアが呆れた声を出した。
今朝離宮から戻ると、城を抜けていた間に溜まった書類が机に高く積まれていて、書類の山を見たアルフォルトは忽然と部屋から消えていたのだ。
いつもの事なので半ば諦めていたライノアは、返事がないのを不審に思い、書類から顔を上げ──アルフォルトの様子がおかしい事に気づいた。
「アルフォルト!?」
勢いよく立ち上がり、椅子が倒れた事もお構い無しにライノアは慌てて主人に駆け寄る。
「ルト!どうしました!?」
抱き起こすと、アルフォルトはぐったりしていた。声をだせないのか、震える指で喉元を差す。 紐を解いて仮面を外すと顔面蒼白で、滝のように汗を流しているのに身体は恐ろしいほど冷たかった。
異様な程速い脈拍に加え、震える唇。
状況を察したライノアは、アルフォルトを抱えバスルームへ連れていく。邪魔にならないようカツラも外して、冷たい身体をそっと床に下ろした。アルフォルトは自力で座って居るのがやっとのようで、力無く床に手を付きどうにか身体を支えている。
急いで盥と大量の水を用意し、アルフォルトの前に置くと、震える身体を支えた。
「······ぅ、ぉえっ」
どうにか吐き出そうとするアルフォルトだが、身体に力が入らないのか、上手く吐けないでいた。その間にも、アルフォルトの顔色はどんどん悪くなる。元々色白であるが、今は紙の様に白かった。
──毒は、時間との勝負だ。
ライノアは素早く手を洗うと、震えるアルフォルトの身体を背後から抱きしめて喉に手を添えた。
「我慢して下さいね」
空いているもう片方の手でアルフォルトの口を開くと、そのまま喉へ指を突き立てた。
「······ぐっ······ぅ」
喉を傷付けないように奥へと指をすすめると、苦しそうにアルフォルトの顔が歪む。目からは大粒の涙が零れて、ライノアの袖を濡らした。
アルフォルトは縋るように、ライノアの腕を掴む。
「ぅ、っ、ぐ······がはっ······」
喉の奥をかき回す指に、アルフォルトの身体がビクッと大きく跳ね、その後盛大に嘔吐いた。
途端、喉からほぼ原形のままの小さな焼き菓子が吐き出された。
ライノアはすかさずアルフォルトに水を飲ませる。
そして腹部を強く抱え、再び吐き出させた。
何度か繰り返していると、アルフォルトの顔色が少し良くなってきたのがわかり、ライノアは安堵した。
背後から抱き締めた身体も少しずつ体温を取り戻しているのがわかる。
「もう大丈夫······ゆっくり息を吐いて」
背中を擦り、呼吸が落ち着くのを待つ。
荒い呼吸ではあるが、危険な状態を脱した事を確認し、ライノアは声を張り上げた。
「メリアンヌ!着替えと寝台の用意をして下さい!」
「もう準備できてるわ」
二人の背後から、ぬっと侍女が現れた。
気配がまったくない侍女は、手に着替えと大量のタオルを抱えて待機していた。
メリアンヌはぐったりしたアルフォルトをライノアから預かる。アルフォルトの濡れた衣服を脱がせて、手際よく綺麗に身体を拭いていく。
その間にライノアも汚れた衣服を脱ぎ捨て、手を洗うとメリアンヌが用意していた服に袖を通した。
着替えを終えたライノアは、まだぐったりとしたアルフォルトを抱き上げる。
荒い呼吸に上下する薄い胸、薄く開かれた唇はまだ青いが、脈は正常に戻りつつあるようだ。
存在を確かめるように、少しだけ腕に力を込めて、アルフォルトの体温を感じた。
先回りしたメリアンヌが、寝室のドアを開けてくれる。
「······ライノア」
腕の中から、かすれて弱々しい声がライノアを呼ぶ。
「何です?」
「怒ってる······」
「何があったかちゃんと話して貰います。怒るのはそれからです」
アルフォルトはまだ少し震える指で、ライノアの胸にそっと触れた。 ライノアの心臓が、早鐘を打っている。
やり場のない怒りをぶつけるように、ライノアはベッドにアルフォルトを落とした。
「ぅっ」
ドサッと派手な音を立てて、アルフォルトがベッドに沈む。
「ちょっと!乱暴じやない?!」
「もう大丈夫でしょう」
王子のベッドというだけあって、衝撃自体はさほど無い。
落とされたせいで乱れた寝台を直し、メリアンヌが目を三角にしてライノアを睨んだ。
「そういえばメリアンヌ、いつの間に部屋に戻ったんです?」
メリアンヌの文句を無視して、ライノアは振り返った。
確かアルフォルトが倒れ込んだ時は居なかったはずだ。
赤い髪をひとつに束ねた長身の侍女は、頬に手を当てて答えた。
「えっと、ライノアが王子を背後から押さえ付けて、喉に指を咥えこませたあたりから?」
「言い方······」
間違えてはいないが誤解を招く表現に、ライノアは複雑な顔をする。
「ふふっ」
なんだかおかしくて、アルフォルトは堪らず笑いだした。
「笑い事じゃないんですよ!?貴方は死にかけたんですからね」
「······大丈夫だよ。あの程度の毒なら、僕は死なない」
どこか遠くを見つめる眼差しに、ライノアはぐっと何かを堪えるように唇を噛んだ。
アルフォルトは、一通りの毒に耐性がある。
毒で殺されないように、と幼少の頃に慣らされたため、対処法さえ間違わなければそう易易とは死なない。
でもそれは、あくまで毒だと事前にわかった時の話で、知らずに致死量を摂取し放置したら、普通に死ぬ。
「といはいえ丸呑みはまずかったな。消化されないように、と思ったんだけど、身体が痺れて自力で吐き出せなかった」
だいぶ楽になってきたのか、アルフォルトの声は少しづつ落ち着いてきた。
「ちなみに何の毒かわかりました?」
メリアンヌが、テノールの良く通る声で尋ねた。
「トリカブトじゃないかな。舌痺れたし」
「猛毒じゃねーか!」
途端、ドスの効いた声がメリアンヌの口から零れた。コホン、と咳払いをしてメリアンヌは「失礼」と、誤魔化した。
美少女顔の侍女だが、制服のロングワンピースに包まれた身体は軍人のように鍛え抜かれた長身だ。顔と身体が同一人物に見えない。勿論、毒のせいでおかしく見えている訳でもない。
メリアンヌは、アルフォルトの侍女を務める男性だ。性別は男性だが、心はどちらかといえば女性である、と本人が言っていた。
「その状態で平気なフリをして部屋まで歩いて来たとか、呆れるわ······。さっき第二王子の近衛が騒いでて、うちの王子がなんかやらかしたんだろうな~っては思ってましたけど」
「第二王子が口にする物に、また毒が盛られていたのですね?」
不穏な気配を感じ取ったのか、顔を顰めた二人にアルフォルトは頷いた。
「シャルワールを亡きものにしたい誰かが、城の中にいるみたいだね」
アルフォルトはベッドに横になったまま、窓に視線を向ける。
誰も食べないようにわざと紅茶をこぼした。
濡れたお菓子を敢えて食べる程、貴族は飢えていないはずだ。
明確な殺意から一刻も早くシャルワールを遠ざける為にお茶会を台無しにしたのだ。何も知らないローザンヌはきっと今頃怒り狂っている事だろう。
別の意味で身の危険を感じ、戸締りだけはしっかりしようとアルフォルトは思うのだった。
3
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(3/14)ストック更新終わりました!幕間を挟みます。また本筋練り終わりましたら再開します。待っててくださいね♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。

囚われた元王は逃げ出せない
スノウ
BL
異世界からひょっこり召喚されてまさか国王!?でも人柄が良く周りに助けられながら10年もの間、国王に準じていた
そうあの日までは
忠誠を誓ったはずの仲間に王位を剥奪され次々と手篭めに
なんで俺にこんな事を
「国王でないならもう俺のものだ」
「僕をあなたの側にずっといさせて」
「君のいない人生は生きられない」
「私の国の王妃にならないか」
いやいや、みんな何いってんの?
転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい
翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。
それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん?
「え、俺何か、犬になってない?」
豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。
※どんどん年齢は上がっていきます。
※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
博愛主義の成れの果て
135
BL
子宮持ちで子供が産める侯爵家嫡男の俺の婚約者は、博愛主義者だ。
俺と同じように子宮持ちの令息にだって優しくしてしまう男。
そんな婚約を白紙にしたところ、元婚約者がおかしくなりはじめた……。

騎士団長の転生
みたらし
BL
王国の騎士団長フェルデナントはある夜、親友の裏切りによって死んでしまった。
気がつくと同じ名前の子供に生まれ変わっていた。
何かを抱えた男たちを残して。
初めて小説書くくせに長編に挑戦しました。更新が遅れたりが多々あると思いますが、完結までなんとか頑張るのでよろしくお願いします🤲
お気に入り登録、♡ありがとうございます。励みになります。
お話を更新するごとに、過去の話を添削しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる