サンキゼロの涙

たね ありけ

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第五章 目覚め

第六十四話 竜の涙

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 雪深い最果ての村は、その住民が僅かになってしまったことにより、足により踏み固められることなく雪が積もり続けた。そこにやってきた三人の冒険者が、僅かながら道を作り、村の中の活動を再開させようとしていた。春にはまだ程遠いが、その遠さは乗り越えるべき壁の厚さに比べれば大したことのようにしか思えなかった。

 起き出してきたクロエと合流した二人は、疲れて冷え切った身体を暖炉で温めながら、簡単な朝食を採る。野営よりは幾分かましな野菜スープが、ガルツの干節で出汁を取るだけで見違える程に美味になる。

「美味しい!」
「ガルツの干節、ここの特産品だぜ。今だけだからよく味わっておきな」
「・・うん、この味は落ち着く」
「こんな美味しいもの、いつも食べていたなんて羨ましいわ」
水の都キョウだと干節は贅沢品だからよ。冒険者が手を出すには高すぎんだ」
「そうね、わたしが滞在していたときもこんなの出なかった」
「カバネみたいな貴族様だけだぜ、食べてんのは」
「ガルツから出て旅をしてみて、そのことが良くわかったよ」
「ジェロムも一つ経験したみてえだな」
「数か月。たった数か月だけど、遠い昔に感じる」
「それを言ったら、わたしが故郷に居た頃は前世になるじゃないの」
「あれ、エマは色々経験したお姉さまだから」
「あんた、わたしのこと幾つだと思ってんのよ!」

 賑やかになった会話が、澱んでいた空気を入れ替えていく。ジェロムはエマが気丈に振る舞う理由を少し理解していた。だからこの掛け合いは自分のためだけでなく、彼女への返礼のつもりでもあった。




 積雪で人を拒む青の街道を踏破した三人にとっても、竜の涙までの道程は厳しかった。目の前の丘の上に見えているというのに、背の高さもある雪をかき分けながら進む事になる。青の街道のときはその体を成していた道も、この辺境の丘の道は周囲の樹木と同様に姿を消し、白銀の津波となり目の前に立ち塞がるのだ。

「これだけ差があると登れないな」
「行くしかねえんだろ? あたしがやるぞ」

 クロエが先頭に立ち、雪の壁を慣らして坂道にする。徐々に登り、雪原を雪駄で歩こうというつもりなのだろう。しかし、その努力があってなお、壁は坂道に姿を変えるには時間を要した。

「人なら登って行けそうだ。エマ、パトラはここで待ってもらおう。少しの間だけだ」
「・・・そうね、仕方ないわ。ここでお待ち」

 ぶるる、と鼻息で答える栗毛色の聡明な馬は、雪壁の麓で三人を見届けた。

「行くぜ。上まで登ればあとは歩くだけだ」
「ええ、行きましょう」

 三人は羽毛のような雪原の中、雪駄を慎重に進めながら先を目指した。雪がなければひと駆けで到着する距離を、日が頭上に頂く前までかけて何とか湖の畔に辿り着いた。

「竜の涙・・・冬場も凍らない」
「不思議なんだよな。ここはいつもこう。魚がいるわけでもなく、動物や鳥も立ち寄るけど長居しない。誰もここには居ない」
「青銅湖は凍ってたもんな。これだけ寒ぃところが凍らねぇのは、湖が温けぇってことか?」
「・・本当だ、外より温かい」

 ジェロムが湖に手を晒すと、水は凍る温度よりも高く、周囲よりも暖かく感じた。ただそれは凍らない程度に温かいだけであって、手よりも冷たいことは変わりないのだが。

「その熱はどこから来ているのかしら」
「・・・下から湯が湧いてるとか?」
「んな話、聞いたことねぇな。キロで湯が湧くのは竜の頭の麓くらいだぜ」
「なら、他に理由があるわね」

 エマは周囲を見渡したが、特に何があるわけでもなく、ただ吸い込まれそうな蒼い空と、雪原が湖に迫り出している光景だけが目蓋に映った。

「外に理由がないなら、やっぱりこの湖の中だわ」
「・・ガルツの謝肉祭のとき、湖が淡い赤に光るんだ。師父は海竜神リヴァイアサンの力だって言ってた」
「それよ! この湖の中に海竜神リヴァイアサンの力に通じてる何かがあるんだわ」
「外より寒くないっても、この水の中調べ・・・!?」
「きゃ!?」
「危ねぇ!!」

 クロエがエマに飛びかかり、その身体を雪に埋れさせた。突然の出来事にエマは目を白黒させながら唸った。

「もうちょっと! 何!?」
「後ろ! 狙われてんぞ!!」

 ジェロムが二人の立ち位置に一閃の太刀が通り抜けたのを確認し、その切っ先を跳び避けたのも同時だった。真白な空間を捻じ曲げてその場に姿を現したのは、全身を黒い鎧で身を包んだ騎士だった。

「くそっ!」

 ジェロはが抜刀し、雪駄を曲げながらその騎士を力ずくで後退させようと切り掛かった。金属がぶつかり合う甲高い音がして火花が散る。その騎士は全く動じることなくジェロムを文字通り弾き飛ばし、地に伏したエマとクロエに再度、重剣を振り上げた。

「逃げろ!」
「えっ!?・・・きゃあぁぁ!」

 エマは再度クロエに突き動かされ、意図せず湖の中に落ちた。ざばんと飛び上がる水飛沫は、細かい氷の結晶となって空中に光彩を撒き散らす。

「エマ! クロエ!!」

 三人分くらい飛ばされたジェロムが受け身をとり、着地ざまに騎士へと体当たりする。地面に剣を突き立てるような姿勢の騎士は、ただ体重をかけて突進してくる青年を支えきれず、今度はその鎧ごと数歩後退することになった。

「助かったぜ!」

 クロエが飛び起き、ジェロムの隣まで下がる。突き立てられた重剣を短剣で何とか受け止めていた彼女だが、防ぎきれず右肩に傷を負っていた。二人が体勢を整えて対峙すると、その騎士は剣を上段に構えて殺気を放った。

「・・・こいつ、例の黒騎士だ!」
「村を襲ったやつか!」

 ジェロムが睨み合っている間に、クロエは一歩下がり大弓を構えた。相手は『守り神』師父を屠ったのだ、おそらく三人でも敵うものではない。最初に吹き飛ばされたときに力量の差も分かっていた。相手にとっては雑魚に過ぎない。このまま戦うのは自殺行為だ。一瞬でそう思案するジェロムの耳に、水中へ戦線離脱したエマの声が届く。

「ジェロム! クロエ! 無事!?」
「逃がしてくれそうにねぇけどな! そっから出るんじゃねぇぞ!」
「ねぇ! この湖の底に何かあるわ!」
「今はそれどころじゃねぇ!」

 再度、黒騎士の斬撃がジェロムを狙って振り下ろされる。その剣先を辿るように、ジェロムが合わせた刃が黒騎士の腕へと叩き込まれた。黒い小手が甲高い金属音を立ててそれを拒絶する。むき出しであれば剣を落とすほどの効果はあっただろうが、動きに多少の遅れがあった程度でさほど効果がなかった。

「くそっ!」
「あたしも忘れちゃ困るね!」

 クロエが至近距離から弓を放った。狙いは兜と鎧の間だ。騎士の纏う全身鎧の唯一の弱点でもある。ひゅう、と鏃が黒騎士に迫る。当たった、とクロエが見込んだ瞬間、その矢はばちんと見えない何かに弾かれて中空へと放り出された。

「・・・!? ガルムと同じ! 魔族だ!」
「なに!?」

 その強さから予想だにしなかったが、魔族であれば話は別だ。つまりその敵は魔術を使うのであり、圧倒的な剣技に加えて別の手段で二人を攻撃することができる。そして矢を弾いたように、身を守ることもできるのだ。その事実に気付いた二人に、漆黒の剣を後ろに構えた黒騎士の姿が目に入った。その不穏な動きに、ジェロムもクロエも言葉を交わすこともなく自分の直感に従い地に伏せた。雪の抱擁は存外に甘く、視界を黒く染めた。直後、黒騎士が剣を中空に振り抜くと同時に、一閃、二人が居た空間に黒い鎌鼬が走った。二人の髪が数本犠牲になったあたり、文字通り間一髪であった。

「ちょっと! 大丈夫!?」
「・・・! クロエ、湖へ飛び込むぞ!」
「・・なるほどね。よしジェロム、お前が先に行け!」

 距離がある今ならば、その隙を作ることができる。クロエが再び弓を構え、牽制のために矢を放つ。その鏃が再び騎士の喉元へと向かい、ばちんと弾かれる。その一連の間に、ジェロムが飛び込んだ。ざばんという音がその成功をクロエに伝える。

「クロエ! 早く!」
「良いから早く用事を済ませちまえ! どうせ上がったところでこいつが待ち構えてんだろ!」
「!? クロエ一人じゃ無理だ!」
「おいおい、馬鹿にすんなよ? 『北守』のクロエ様の実力、忘れたとは言わせねぇぞ」

 クロエが最初からそのつもりだったことにジェロムは後悔した。だが今から畔に上がり、彼女の立つ雪上まで戻るには、あの斬撃の的になってしまうだけだ。

「ジェロム! 早く!」
「・・・クロエ、頼んだぞ!!」
「任せな!」

 後ろ髪を引かれる思いで、ジェロムは湖の中へと潜った。

「さてと。胸を借りさせてもらおうかね」

 無言で構える騎士と相対したまま再び大弓を番えると、クロエはその狙いにだけ集中した。
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