サンキゼロの涙

たね ありけ

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第五章 目覚め

第五十九話 険しき青の街道

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 冬はまだ半ばを過ぎたくらいだ。雪の下から芽吹く生命たちも、まだ耐え忍ぶ時期であることを知っている。獣たちも鳥たちも、巣穴でじっと長い時間を眠り続けているのだ。壊れてしまったものをまた作り直す人間たちもまた、遠い春を想いながら過ごしていた。

 北の都ノヘの街も雪化粧が消えることはなく、先の戦いで荒れた場所を除けば、屋根も道も白く染められていた。明け方の刺すような冷気は、道行く者に容赦なく纏わりついてくる。早朝の十字路に差し込んだ陽光が、ジェロムとクロエの長い影を作り出す。人影も殆どない通りに二つの影が踊っていた。その影を見つけた女魔術師の顔に、僅かながらの笑みが浮かんで消えた。

「エマ、おはよう」
「おはよう。昨日よりマシな顔つきになったじゃない」

 背が低いながらも仁王立ちをするその姿は彼女の自信の現れでもある。濃紺の外套も、肩までかかる波打つ蒼い髪も、彼女らしさを強調し、その自信を裏付けるようだった。

「ああ、迷惑かけたな。お? パトラ、無事だったのか」

 ロジェとエマと、ずっと旅をしてきた栗毛色の馬は、変わらず主人の傍に付き添い、その荷物を載せていた。

「それで、その人は?」
「俺の先輩にあたる人。力を貸してくれることになった」
「おう、クロエってんだ。見ての通り『赤毛のハンター』って呼ばれてる。なに、足を引っ張りやしねぇよ」
「・・そう、よろしく。早速だけど、行き先を決めるわよ」

 十字路の真ん中に懐の楔を立て、エマが詠唱する。

「・・・清らかなるは風の精よ、願わくは我が導きを此処に・・・幸運の導き手フォーチュンリーダー

 青白い光が楔に宿り、その楔が影を左にして倒れる。

「真北、ね」
「それが占い?」
「そうよ、文句ある? 自分にとって最善の道を示す魔術よ。子供の遊びじゃないわ」
「ごめん、そういう意味じゃないんだ。不思議だなって」

 事実、エマの魔術はどれもジェロムが見たことがないものばかりだった。

「で、北に行けばいいのか?」
「ええ。北に」
「ガルツに戻んのか。最果てのあの村に何かあんのか?」
「そういえばあんた、ガルツの出身だったわね。オルドスっていう、隠居した冒険者を知らない?」
「え? 師父のことか。俺の親父だよ」
「は!? あんた息子なの!?」

 やけに興奮気味に話すなと思うジェロムに、エマは続けた。

「その人に会うために、魔術の教えを乞うために旅して来たんだから!」
「師父に、ねぇ」

 授業をサボタージュして叱られたり、当番を誤魔化して薪割りをさせられたり。そんな日常を思い出してしまうジェロムにとって、師父が憧れと言われてもピンと来なかった。

「おう、話は道中しようぜ。朝っぱらから道の真ん中で騒ぐ必要もねぇだろ」
「・・・ふぅ、そうね。時間はたっぷりありそうだし」

 澄まして答えるエマは、パトラに跨り、荒れている北地区へ向かって進み始めた。

「ジェロム、改めてよろしくな」
「クロエ。俺の方こそ」

 二人は握手をして進み始める。こうして、消えた二人を探し出すという三人のパーティーが結成されたのである。




 延々と広がる銀世界。陽光にもたらされる輝きは、己が心の淀みさえ白く染め上げてしまいそうだ。そんな荘厳さを感じさせる景色は行く手を阻む自然でもある。三人が歩みだしたガルツへと続く青の街道は、冬は深い雪に覆われ、行き来が難しくなる道だ。特に、北の都ノヘを出てすぐに立ちはだかる青の谷は、深い雪に閉ざされ、旅行く者を拒み続ける難所として知られていた。

「まさか、真冬に青の谷に来るとはな」

 白銀の坂道を雪駄で歩き、道無き道を作りながら進むクロエの後を、ジェロムが同じように踏み固める。その後ろをパトラが歩いているのだが、そのままでは雪に沈み込み動けなくなってしまうため、その脚に雪駄代りとなる魔具がつけられていた。

「パトラは寒くても平気なんだな」

 自ら歩かないため、余計に寒さを感じているエマを横目にジェロムが感心したように呟いた。

「わたしにも歩けって?」
「その方が遅くなりそうだからいい」
「何よ、雪国育ちだからって馬鹿にして!」

 以前と同じような調子で話すエマは、まるで何事もなかったかのように振舞っている。

「馬鹿にしてないよ。急げるなら急ぎたいから、そう思っただけ」
「わたしは大陸の生まれよ。こんなちっぽけな島国、オルドス様が居なければ来ないわ!」
「そうだ、それ。どうして師父に会おうとしてるんだ?」
「前にも言ったじゃない。オルドス様は魔術師の祖なのよ」
「魔術が使えるよう、人間に門戸を開いたのがオルドス様。そんなことも知らないの?」
「・・・聞いたことねぇな。オルドスって言やぁ、ガルツの守護神と呼ばれてるくらいだ。普段は教会と孤児院をやってるだけだしな」
「そう? 何か理由があってそこに住んでいるのだと思うわ。ジェロム、貴方はオルドス様から何か魔術を教わったりしていないの?」
「教わったよ」
「何を?」

 一瞬、口にしても良いものかどうか迷ったのだが、一緒に旅をして戦うことがあれば、いずれ見せることになるのだ。お互いに知っておいた方が良いこともあるだろう。

海竜神リヴァイアサンの方陣を。ガルツの守護神でもあるんだ」
「へぇ、海竜神リヴァイアサン・・・そんな召喚陣、素人みたいな貴方が使えるんだ」

 先の戦いでジェロムは魔術を見せていない。だから単なる剣士だと思われていたのだろう。

「方陣は描かないと使えないから」
「描く? まさか貴方、詠唱するときにいつも方陣を描いてるの?」
「ああ。だから競り合ってる時には使えない」
「・・・はぁ。本当に無茶苦茶ね。流石はオルドス様。ディアナみたいに、魔術回路でも埋め込んでいるのかと思ったわ」
「方陣って描くものじゃないのか?」
「だったら、わたしがどうして直ぐに魔術を詠唱できていると思うの?」
魔力構築マナコンストを全部できているからじゃ?」
「馬っ鹿じゃない? 本当にできてると思うの? さっきの幸運の導き手フォーチュンリーダーだって、千以上の工程が必要なのよ」
「え? それだけエマが凄いんだと思ってた」

 話が噛み合わない。それだけ、ジェロムの魔術への認識は人とずれている、ということだろう。

「いい? 魔術ってのは方陣を刻んだモノを使って発動するの。都度、正確な方陣を描くなんて、普通は無理よ。戦っている最中なんて特に」
「・・・そうなのか」
「そうよ。小さな方陣を組み合わせて、魔術回路のように使う。その組み合わせ方と、強さと大きさと。そこにどうやって魔力構築マナコンストした魔力マナを流し込むか。その研鑽がモノを言う技術の筈よ」

 これまで自分がやってきた常識と異なる相手は、その努力や存在を否定されるかのような感覚に陥る。エマの講釈は、その裏返しでもあった。

「俺は師父に、方陣の刻み方が構築の意味になるって教わった。海竜神リヴァイアサンの方陣も、その畏怖を刻んでいるって」
「畏怖を刻む・・・一体、どんな方陣なのよ。聞いたこともないわ」
「・・休む時にでも見せるよ」

 エマが知っている魔力構築マナコンストとは、材料の魔力マナを集める方法と、その組み合わせ方だ。畏怖などという感情的なものを方陣に使うなど、考えもしなかったし、出来ると思っていなかった。

 それだから、会いに行く。道中の目標がロジェとディアナを助けるということに変わってしまったが、オルドスに会いたいという気持ちはより強くなったのだった。




 北の都ノヘの市街地を見渡せる尾根を背に、徐々に青の谷へと下っていく。ただ白いだけのその道は、一歩間違えて滑り落ちれば命に関わる道でもある。それだけに、先頭を歩くクロエも慎重であったし、ジェロムも大袈裟なくらいに踏み固めを行なっていた。パトラも本能的に危険性を察知しているようで、歩幅を小さくして歩いてきていた。

「随分と急な坂道ね」
「落ちたら死ぬぜ」
「・・・怖いこと言わないで」

 魔獣との戦いよりも、こういった自然を相手にしたことのほうが、命を落とす可能性が高い。何故なら、自然に挑む人は必要があってやっているので、引き返すことが難しいからである。

「あの吊り橋を超えたら野営しようぜ」

 既に日は暮れかかっていた。谷間を吹く風は強くなり、暗く覚束なくなる足元が滑り落ちる危険性を増してくる。こういったあと一息、というところが危ない。そういった趣旨の話をしたのはクロエ自身だったな、とジェロムはこの道を初めて通ったときのことを思い出していた。

「クロエ、慎重に行こう」
「何だ、藪から棒に」
「冒険者は無理をしないってね」
「・・・そうだな」

 ペースを作る先導者にあった焦りが払拭される。ジェロムの成長をクロエは実感していた。それから日も届かなくなるほど暗くなってから、吊り橋を超え、小さな広場へと辿り着いたのだった。
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