サンキゼロの涙

たね ありけ

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第四章 侵略の狼煙

第五十六話 消えた二人

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 揺らめく松明の光を受けながらも薄い光を放つ球体は、ただ穏やかにそこにあった。その球体から伸びた蜘蛛の影は、先程のフードとの戦いの時のように実体が無いように思えるのだ。だからジェロムはその元にある球体をどうにかすれば、この影も叩けると思った。敵が動き出す前に、彼は数歩駆けて球体を鋼の剣で弾き飛ばした。

「どうだ!?」

 だが、弾き飛ばしたと思った球体は相変わらず台座の上に鎮座している。蜘蛛の影は脚の一本を大きく振りかざし、振り下ろすような真似をした。するとジェロムの身体が唐突にその脚に切り裂かれたかのように傷が走った。

「がぁ!?」
「ジェロム!?」

 今度は幻覚などではない。ぼたぼたと地面に落ちた血が、生命を脅かす攻撃であると物語っていた。実体のない相手から斬りつけられるのでは、何をどう防げば良いのか。距離をとったジェロムを庇うよう、四人はじりじりと後退する。再び蜘蛛の影が腕を振り上げ、端にいたエマに向かって振り下ろした。

「きゃあ!」
「エマ!?」

 幸い、肩口を軽く斬られた程度で済んだ。相手は物理的に何か触れているわけではない。四人は確かに見ているのだが、何もない空間から確実に攻撃が届いているのだ。

「これも幻覚!?」
「違うわ! 消沈したから、これはもう幻覚じゃない!」
「どう防げば良い!?」

 俄かに混乱気味の四人が撤退を視野に入れたとき、蜘蛛の影は大きく飛び上がるように動いた。無音のその不気味な動きの後、突然大きな地鳴りがして上部の岩盤が大きく崩れ始めた。

「うお!?」
「危ない!」
「あああ!?」

 落下物から身を守るよう、各々が外套で頭を覆い身を守る。埋められてなるものか。気力だけでは如何ともしがたい状況だったが、皆、そのまま死んでしまうとは思っていなかった。





「はん、逃げ道を塞いだってわけね」

 崩落が落ち着き、ぱらぱらと砂粒と砂埃が舞う。彼らの上にはさほど大きなものは落ちて来なかったが、入ってきた通路が大きく塞がれ、僅かに入り口側の光が差し込む程度となっていた。

「倒すしか無さそうだな」

 あの僅かな隙間を掘り進めるには、目の前の敵をどうにかするしかない。否が応でも戦うしか無いのなら、そう覚悟を決めたジェロムの言葉に、ロジェもエマも迎え撃つために対峙した。もうもうと舞い上がる砂煙の中、敵の出方を伺い、ただ緊張感のみが時間を支配していた。

 しかし、ディアナだけは戦闘態勢を取らず目を閉じていた。彼女は幻覚の部屋があった時のよう、魔力マナの流れが見えるのではないかと集中していたからだ。実体が無いのなら魔力マナによる仕業。魔力マナを何処からか供給している筈だ。幻覚のときのよう、そこを叩くしかないと考えていた。

「行くぞ、ロジェ!」
「うん!」

 ジェロムとロジェが、砂煙が晴れる前に動き出した。剣撃で球体を動かせなかったが、あそこから影が伸びているので、何かあるに違いない。二人は左右に分かれて台座に向かって駆け出した。蜘蛛の影は、その動きに呼応するように脚を振り上げ、ロジェのいる方向に振り下ろした。

「危ない!」

 直感的に狙われていると感じたロジェが飛び退くと、フードと戦っていた時のように地面に斬撃の跡が残った。

「今度こそ!」

 その隙にジェロムが球体へ向かって再度、剣を振り下ろした。がきんと音がするばかりで球体には傷一つつかなかった。

「硬い!」

 ジェロムが二撃目を加えようとした時、蜘蛛の影が再び動いたため、バックステップを踏み攻撃らしきものを回避した。回避した場所には、また斬撃のような跡が生まれていた。

「さっきと同じだな」
「また幻覚なんじゃない?」
「だから違うって言ってるでしょ!」

 そう言いながらも、エマは幻覚の可能性を捨てきれずに、敵の仕掛けた何かを探していた。しかし容易に見つかるわけでもなく、走り回って敵の攻撃を避けることに専念することになる。

「相手が何処かから流している魔力マナを断つ・・・また魔力喰マナイーターね」

 その魔術はエマの独自のものだ。本来であれば、周辺の魔力マナを吸収しながら際限なく燃える炎を生み出す魔術である。ところが、その燃え方は中途半端で、一度にぼっと燃えて後には何も残らない術となってしまう、いわゆる失敗作であった。だから攻撃には使えないものだったのだが、幻覚を供給しているような魔力マナを断つには役に立てることができた。

「問題は、どこが供給元なのか、ね・・・はぁ、はぁ」

 息が切れてくる。再び走り回るとは思っていなかった彼女にとって、何度目かになる運動は足に負担をかけていた。いつもよりも言うことを聞かず、徐々に動きが鈍ってくる。その度に気力を振り絞って飛び回るのだ。

 一方、端で魔力マナを見ようと考えていたディアナは、どうやって見れば良いか分からずにいた。先程、流れが見えたのも偶然だったのだ。その程度の感覚で見える筈なのに、どうして今は暗闇ばかりが見えるのか。感覚を掴もうと何度か目を凝らしているうちに、ふと気付く。生物探知魔術サーチ魔力マナの波紋を見るものならば、波紋を出さずに見ればよい、と。

「はぁっ・・分かった、わ!・・・はぁっ、影で、避ける、のよ、はぁっ・・・」

 息も絶え絶えにエマが叫ぶ。ロジェとジェロムは、松明に照らされた敵の影と自分の影に目を向けた。

「つまりは・・・こうか!」

 自分の影を頼りに、ジェロムが蜘蛛の影を斬りつける。現実にはただ虚空を切り裂くだけの斬撃が、蜘蛛の脚にかかり、その脚を本体から分離させた。

「こう!?」

 続いてロジェも反対側から壁の影に向かって影で影を斬る。するとやはり、蜘蛛の脚が影から外れた。

《我が力は不変也》

 有効と思われた攻撃をするも、その言葉に呼応するかのように蜘蛛の脚は元通りに生えてくる。相手の魔力マナの供給を断たなければ、延々と戦い続けることになりそうだ。

 そのとき、ディアナの髪が薄い朱色バーミリオンに輝いた。ゆっくりと目を見開いた彼女には、輝く魔力マナが、仲間たちや壁に宿されてゆっくりと循環しているのが見える。無意識のうちに行っていた魔力探知魔術マナサーチを意図的に成功させたのだ。

「あそこ、あそこから魔力マナが溢れて来てる」

 ディアナが指し示したのは松明の炎だった。皆、只の明かりだと思い込んでいたそれが供給減だというのだ。

《・・・!? 貴様がオルデンブルクか!》

 しゃがれたその声に、意味を理解する必要がないと思ったエマは、呼吸を整えながら詠唱を始めた。

「はぁ、はぁ・・・魔の深淵に生まれる炎よ、願わくはその身を燃やし尽くせ・・・」

 その詠唱を完成させまいと、蜘蛛が二本の足を左右から覆い被せるように攻撃してくる。

「させるか!」
「エマ!」

 ジェロムとロジェが割って入るように、影でその斬撃を受ける。何もない空間から、巨大な熊がのしかかる様な重い衝撃が腕に脚に伝わる。

「重い!」
「ぐぅぅ!」

 二人がその重さに数秒持ちこたえると、その隙に詠唱が完成する。

「二人とも、よくやったわ! 魔力喰の炎マナ・イーター!」

 空中を滑るように、エマの掌から炎が滑り出し、松明へ向かって飛んでいく。ディアナには、その炎が通った後には魔力マナが消えているのが見えていた。炎が松明へ群がり、炎を侵食していく。

《く、術式を・・・貴様だけは逃がさん!》

 燃え盛る炎に映された蜘蛛の影が、炎とともに踊るように揺らめきはじめていた。その蜘蛛の口から糸のようなものが噴出され、ディアナの影、身体へと巻き付いた。

「ひぎ!? は、なしてぇ」
「ディアナ!」

 ジェロムが影の糸を斬ろうと振り下ろすが、糸は蜘蛛の身体以上に硬く、ディアナの身体は空中に拘束されたまま動かない。松明の炎が弱まり、蜘蛛の影が消えかかると、ディアナの身体も空中から消えかかった。

「くそう!!」

 ジェロムは何度もその糸へ斬撃を加えるが、びくともしない。ロジェがディアナを縛っている見えない糸に飛びついて力を込めるが、こちらも全く外れそうにない。

「ジェロ・・・」
「はなせぇ・・・」

 松明の炎が喰らい尽くされ消えるのと同時に、ディアナとロジェの身体も空中から霧散していた。

「ディアナー!?」
「ロジェ!?」

 残された二人が同時に叫ぶも、その声は洞窟内に虚しく反響するだけだった。
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