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第四章 侵略の狼煙
第四十五話 来た道へ
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本格的な冬が訪れても、水の都は雪に埋もれることはない。ガルツ出身のジェロムにとって、冬とは雪との戦いだ。しかしこの街にいると、その感覚を忘れそうになる。たまに降る雪は軽く街を化粧する程度で、その獰猛さを見せることもないのだ。
北の都へ出立すると決めた二人は、明朝に出ることにして、一度、拠点にしている教会へ戻ることにした。水の都の街は広く、奥深い。それが二人の率直な感想だったが、それ故にまだまだ知らないことが沢山ある街だとも思った。何せ、到着してから散策などしている暇がなかったのだから。
旅路の食糧や使ってしまった道具などの補充を終えた二人は、教会の宿舎へと戻ってきた。
「久しぶりな感じ」
「うん、でもまだ三回しか泊まってない」
「そうなのよね・・・もう出発しなくちゃ」
部屋に戻った二人は、休む間もなく旅支度を始めた。食糧に魔術傷薬、光の棒など、互いのバックパックに確認をしながら詰めていく。明日の朝、この街を立つ。短い間だったが、出来る限りのことはしたという実感はあった。
黒ワームの件は、オルタンスとブレーズ、緑の爪の二人が後始末をしてくれるということになった。もちろん、弾正台からの正式な依頼として水のギルドが受けたものとして。あの人達なら、問題なく元通りにしてくれる。きっと、花咲の儀も無事に開催されるに違いない。ジェロムはいつか、その祭りを見てみたいとも思った。
「魔族って、何なのかしら」
唐突に、ディアナがぽつりと呟いた。洗礼を受けていない。そうガルムに言われたことが引っ掛かっていた。
「魔術回路がある、他は人間と同じ。それって、魔族の身体の特徴よね。でも習慣は? 洗礼って何なの」
冒険者となってから、依頼達成に向かって動いていたこともあり、彼女はそういった疑問を無意識に封印していた。記憶は未だ戻らないが、思い出せないことへの不安や苛立ちを感じないように。だが、自身の出自に関わることを突きつけられ、否が応でも意識せざるを得なくなったからだ。
「洗礼をすると魔族になる・・・そうすると他の種族と相容れなくなる・・」
手を止めて、告白するように口にする。自分が何者か。そして今とは別の何かになってしまうのか。今まで出会った人たちと自分が違う生命なのか。まるで足元が少しずつ消え去って落ちてしまうかのような感覚だった。思わず拳を握りしめていた彼女の手に、暖かい手が重ねられた。
「ディアナは、欅の孤児院の家族だよ。俺もそうだ」
拠って立つ処はある。手に伝わる温もりが、そう彼女に伝えていた。
「・・・うん、皆、家族よね」
彼女は笑みを浮かべた。ジェロムも出自がわからない、本当の家族がわからない、そういう意味では自分と同じだ。そして欅の孤児院で家族となれた。それが彼らの心の支えになっているし、数か月時間を共にした場所でもあるのだから。
「・・・この薬をクロエに届けたら、西の都まで行ってみよう」
「西の都へ?」
「うん。この国、キロの信仰はどこでも海竜神を祀ってる。俺は今までガルツで過ごしてきて、あの村がその本拠みたいに思っていたけれども、海に囲まれた西の都のほうが、関連することが見つかりそうな気がするんだ。宝珠に関しても何か掴めるかもしれない」
「・・・ええ、行ってみましょう」
「美味しい物もあるかもね」
「まぁ、ふふ」
楽しい話は、今目の前にある苦悩を忘れさせてくれる。少しでも前向きなことを意識して、二人の未来に光が差すようにしたい。そう願ったジェロムだった。
北の都の海竜の道が接続する北門は、重厚な石造りで海竜の意匠が街道を見下ろしている。ある者に言わせれば、それは街の外から邪な者が侵入しない魔除けであるということである。篝火で照らされたその竜の顔は、こちらを睨んでいるかのように見える。その恐怖感のぶんだけ、街に守護がもたらされるのかもしれない。
守衛に挨拶をし、早朝の街道に足を踏み出した二人は迷わず歩き始めた。少しでも先に進むために。日はまだ明けきっておらず、風も刺すように冷たい。来たばかりの道なのだ、地形など、野営が出来る場所は覚えている。暗い蒼空の下を歩む二人は、ただ静かに前を見据えていた。
「・・・ディアナ、あの時、俺に魔力をくれたよね」
「うん、夢中だったからよく覚えてないのだけど。海竜神の魔術回路が反応して、方陣へ接続したようだったわ」
「そうなのか。痺れ電撃は起動して維持するだけで、方陣から出てくる力は俺のものじゃないんだ」
海竜神の方陣はディアナには扱えなかった。オルドスやジェロムが教えようとしてくれたのだが、信仰が無いせいなのか、魔力構築が悪いのか、一度も成功しなかった。もしかしたら、彼女にはその適性が無いのかもしれない。だからあの時にジェロムを通して方陣へ魔力を注げたのが不思議だったのだ。
「それに、オルタンスが、ただの電撃じゃなかったって言ってたよね」
「・・・結局、私は魔力欠乏で見てないの。ジェロムは見えたの?」
「俺もダメだった。光が強すぎて、何が起こったのかも見えなかった」
「もしオルタンスが見たものが海竜神だったとしたら・・・」
「もしかして方陣を大きく描けば、海竜神を呼び出せるの?」
「でも起動するだけで俺じゃ魔力欠乏だから。とても使えない」
「私の魔力を加えても、だものね」
実際、ディアナの魔力はジェロムのそれを遥かに凌駕していた。それは魔族特有の体質でもあったし、生まれついての特性だったかもしれない。ただ、これまでオルドス以外に魔術を扱う人と出会っていないので、これがどの程度の能力であるのか、二人には分からなかった。
「今まで通り、剣と弓を主体にしたほうがいいね」
「うん。私もできるだけ、援護できるように頑張るから」
戦っていれば強くなる、そうであれば簡単だ。ただひたすらに戦っていればいい。先の戦闘で二人が何かを得たかと言われれば、少しの経験と、治りきっていない傷と、とても使いこなせないような方陣を描くと扱えない、ということくらいだ。やはり訓練を繰り返して技巧を磨くことが力を得る手段なのだと、改めてジェロムは感じていた。
「訓練、か。また時間をかけないと」
「行きましょう」
海岸の道を二人が進む。波音がするたび、千里浜の悲しい詩がディアナの頭を過ぎった。必ず帰る、必ず会える。そう信じることが、どれだけ明日への糧になるか。長い浜もいずれは通り過ぎる。信じて進めば終わらせることができる。歩くたびに砂に沈む靴が、沈み続けずに次の歩みを生み出す。その繰り返しが二人の足を前に押し進めていた。
北の都へ出立すると決めた二人は、明朝に出ることにして、一度、拠点にしている教会へ戻ることにした。水の都の街は広く、奥深い。それが二人の率直な感想だったが、それ故にまだまだ知らないことが沢山ある街だとも思った。何せ、到着してから散策などしている暇がなかったのだから。
旅路の食糧や使ってしまった道具などの補充を終えた二人は、教会の宿舎へと戻ってきた。
「久しぶりな感じ」
「うん、でもまだ三回しか泊まってない」
「そうなのよね・・・もう出発しなくちゃ」
部屋に戻った二人は、休む間もなく旅支度を始めた。食糧に魔術傷薬、光の棒など、互いのバックパックに確認をしながら詰めていく。明日の朝、この街を立つ。短い間だったが、出来る限りのことはしたという実感はあった。
黒ワームの件は、オルタンスとブレーズ、緑の爪の二人が後始末をしてくれるということになった。もちろん、弾正台からの正式な依頼として水のギルドが受けたものとして。あの人達なら、問題なく元通りにしてくれる。きっと、花咲の儀も無事に開催されるに違いない。ジェロムはいつか、その祭りを見てみたいとも思った。
「魔族って、何なのかしら」
唐突に、ディアナがぽつりと呟いた。洗礼を受けていない。そうガルムに言われたことが引っ掛かっていた。
「魔術回路がある、他は人間と同じ。それって、魔族の身体の特徴よね。でも習慣は? 洗礼って何なの」
冒険者となってから、依頼達成に向かって動いていたこともあり、彼女はそういった疑問を無意識に封印していた。記憶は未だ戻らないが、思い出せないことへの不安や苛立ちを感じないように。だが、自身の出自に関わることを突きつけられ、否が応でも意識せざるを得なくなったからだ。
「洗礼をすると魔族になる・・・そうすると他の種族と相容れなくなる・・」
手を止めて、告白するように口にする。自分が何者か。そして今とは別の何かになってしまうのか。今まで出会った人たちと自分が違う生命なのか。まるで足元が少しずつ消え去って落ちてしまうかのような感覚だった。思わず拳を握りしめていた彼女の手に、暖かい手が重ねられた。
「ディアナは、欅の孤児院の家族だよ。俺もそうだ」
拠って立つ処はある。手に伝わる温もりが、そう彼女に伝えていた。
「・・・うん、皆、家族よね」
彼女は笑みを浮かべた。ジェロムも出自がわからない、本当の家族がわからない、そういう意味では自分と同じだ。そして欅の孤児院で家族となれた。それが彼らの心の支えになっているし、数か月時間を共にした場所でもあるのだから。
「・・・この薬をクロエに届けたら、西の都まで行ってみよう」
「西の都へ?」
「うん。この国、キロの信仰はどこでも海竜神を祀ってる。俺は今までガルツで過ごしてきて、あの村がその本拠みたいに思っていたけれども、海に囲まれた西の都のほうが、関連することが見つかりそうな気がするんだ。宝珠に関しても何か掴めるかもしれない」
「・・・ええ、行ってみましょう」
「美味しい物もあるかもね」
「まぁ、ふふ」
楽しい話は、今目の前にある苦悩を忘れさせてくれる。少しでも前向きなことを意識して、二人の未来に光が差すようにしたい。そう願ったジェロムだった。
北の都の海竜の道が接続する北門は、重厚な石造りで海竜の意匠が街道を見下ろしている。ある者に言わせれば、それは街の外から邪な者が侵入しない魔除けであるということである。篝火で照らされたその竜の顔は、こちらを睨んでいるかのように見える。その恐怖感のぶんだけ、街に守護がもたらされるのかもしれない。
守衛に挨拶をし、早朝の街道に足を踏み出した二人は迷わず歩き始めた。少しでも先に進むために。日はまだ明けきっておらず、風も刺すように冷たい。来たばかりの道なのだ、地形など、野営が出来る場所は覚えている。暗い蒼空の下を歩む二人は、ただ静かに前を見据えていた。
「・・・ディアナ、あの時、俺に魔力をくれたよね」
「うん、夢中だったからよく覚えてないのだけど。海竜神の魔術回路が反応して、方陣へ接続したようだったわ」
「そうなのか。痺れ電撃は起動して維持するだけで、方陣から出てくる力は俺のものじゃないんだ」
海竜神の方陣はディアナには扱えなかった。オルドスやジェロムが教えようとしてくれたのだが、信仰が無いせいなのか、魔力構築が悪いのか、一度も成功しなかった。もしかしたら、彼女にはその適性が無いのかもしれない。だからあの時にジェロムを通して方陣へ魔力を注げたのが不思議だったのだ。
「それに、オルタンスが、ただの電撃じゃなかったって言ってたよね」
「・・・結局、私は魔力欠乏で見てないの。ジェロムは見えたの?」
「俺もダメだった。光が強すぎて、何が起こったのかも見えなかった」
「もしオルタンスが見たものが海竜神だったとしたら・・・」
「もしかして方陣を大きく描けば、海竜神を呼び出せるの?」
「でも起動するだけで俺じゃ魔力欠乏だから。とても使えない」
「私の魔力を加えても、だものね」
実際、ディアナの魔力はジェロムのそれを遥かに凌駕していた。それは魔族特有の体質でもあったし、生まれついての特性だったかもしれない。ただ、これまでオルドス以外に魔術を扱う人と出会っていないので、これがどの程度の能力であるのか、二人には分からなかった。
「今まで通り、剣と弓を主体にしたほうがいいね」
「うん。私もできるだけ、援護できるように頑張るから」
戦っていれば強くなる、そうであれば簡単だ。ただひたすらに戦っていればいい。先の戦闘で二人が何かを得たかと言われれば、少しの経験と、治りきっていない傷と、とても使いこなせないような方陣を描くと扱えない、ということくらいだ。やはり訓練を繰り返して技巧を磨くことが力を得る手段なのだと、改めてジェロムは感じていた。
「訓練、か。また時間をかけないと」
「行きましょう」
海岸の道を二人が進む。波音がするたび、千里浜の悲しい詩がディアナの頭を過ぎった。必ず帰る、必ず会える。そう信じることが、どれだけ明日への糧になるか。長い浜もいずれは通り過ぎる。信じて進めば終わらせることができる。歩くたびに砂に沈む靴が、沈み続けずに次の歩みを生み出す。その繰り返しが二人の足を前に押し進めていた。
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