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第三章 水の都の大捜索
第四十四話 帰還
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ジェロムとディアナが水のギルドへ顔を出したのは、グレゴワールとの会談からちょうど7日が過ぎた日の午後だった。激戦の末、皆の傷を癒し何とか街まで帰り着くのに一両日かかったことになる。
戦闘後にオルタンス以外が気を失っており、ほかにはっきりと最後を見届けてた者はいなかった。オルタンスもガルムが吹き飛ばされた姿を半信半疑で見たこともあり、うまく皆に説明ができなかった。ただ、白い方陣から飛び出た光の鯨が敵を連れ去った、とだけ説明した。
こうして敵がこちらの攻撃で撤退したとマスターに説明することになった。巨鳥ロックの出現原因を解明し、その元凶を退けたのだから、ブレーズが受けた依頼は十分に達成できたことになる。尤も、その証拠となる物証が無かったため、オルタンスをはじめとする水のギルドの面々が証言をすることになったわけだ。
「・・・ともかく、お疲れ様でした。皆様をパーティーとして、金貨200枚をお支払いします」
「ほう、景気がいいじゃねぇかマスター。誰ぞから依頼でもあったのか」
「少なくとも、ブレーズが応援要請するほどの事態でしたからね。こちらでもそのくらいは把握していますので、弾正台へ報告して水のギルドへの正式な依頼としました」
「抜け目ねぇな」
「ははは。それもこれも、皆様の実力があるからこその話ですよ」
「あったりめぇだ。これだけ頭数揃えりゃ、敵なんていねぇよ」
「その頭数が一撃でやられていては、話になりませんね」
「ははは」
ブレーズはその報酬を均等に振り分けた。パーティー別に40枚ずつ渡された金貨を見て、ジェロムとディアナは多すぎると辞退しようとしたが、ブレーズの押しに負けて受け取ることになった。
「なぁジェロムよ。お前さんの勇敢な姿はよく見せてもらった。あの化け物に正面から斬りかかれる奴はそうはおらんからな。金はいくらあっても困らねぇ。将来への投資だと思って受け取ってくれ」
「・・・ありがとう。青の欅として、また皆と行動できると嬉しいよ」
「おう兄ちゃん。少ししか一緒できんかったけど、また会った時は手合わせしてくれ!」
「バルナール、皆が貴方みたいに戦いたいわけじゃないのですよ」
エルシャンの窘める姿にいつものことか、と皆から笑みが零れた。
「・・・またいずれ」
「ありがとう、ザール」
順に挨拶をして、最後にオルタンスが二人と話をした。
「二人とも、本当にありがとう。あのまま見つけられなかったらと思うと。命の恩人よ」
「そんな、大袈裟な」
「ううん。二人の強さを見せてもらったわ。私、今のままでも生活できると思っていたけども、これじゃダメね。もっともっと強くなるわ。このギルドで他の仕事もできるくらい」
「うん、オルタンスも頑張って。俺たちも頑張るよ」
それぞれと言葉を交わし、時間がないと告げ、二人は水のギルドを後にした。
月割の花はあの戦いの中でも何とか無事だった。ジェロムの荷物の中でもみくちゃにされて押し花にしまっていたが、花の蜜は取り出せる程度の湿り気は帯びていた。二人は先にこの花だけ渡そうと、夕刻が迫る中、ルー商会を訪れていた。
東地区にある巨大な敷地に建っている豪邸は何とも悪趣味に感じられた。サンノミヤ家は白を基調とした塗壁で作られており、清廉なイメージを抱くような館だった。それに比して、このルー商会の建物は至る所に金色に輝く飾りがあり、壁も薄黄色で、建物そのものが強欲な商人が住んでいると主張しているかのようだったからだ。
そんな建物に入ること自体、何かしらの嫌悪感を抱いてしまった二人だったが、意を決して入り口の戸を叩くと使用人と思しき、背の高い初老の男性が顔を出した。
「会長のグレゴワールに、この花を持ってくるよう約束をしていた者だ」
「少々お待ちください」
二人を値踏みするように見ていた使用人だが、要件を聞くとすぐに戸を閉じてしまった。徐々に朱に染まる空の下、先の決心が少し拍子抜けしたように萎んでいくのが分かった。このまま帰ってしまいたい、何故かそう思ってしまうくらいに。二人は互いに何か話をしようと思って顔を合わせたところで、再び戸が開いた。
「お待たせしました、お入りください」
使用人に続いて屋敷に入る。内部も金属と思われるしつらえが彼方此方にあり、貧乏人が来たら卒倒してしまいそうなくらい眩かった。応接間と思われる、赤い絨毯のある部屋に通され、二人は長く柔らかい椅子に並んで座った。しばらくすると、扉がノックされ、貴族のような華美な衣装をまとった、金髪の若者が部屋に入ってきた。あのヴィクシムという専務だった。
「お二人とも、ご無事で。月割の花を持ってきたとか」
「これがそうだ」
ジェロムが布で包んだ花を差し出した。少し押されて不格好だが、その花は確かにまだ咲いていて、薄暗い部屋で淡い輝きを放っていた。その数三十余。
「・・・確かに。会長に真偽を確認するよう言われましたが、これだけ短期で集めてくるとは想定外でした」
「まだ、竜の鱗も必要なんだろう」
「そのことですが・・・こちらをお持ちください」
ヴィクシムは小さな箱を二人の前に差し出した。何かと顔を見合わせ、ディアナがそれを手に取り、箱を開けてみた。そこには小さな瓶に入れられた透明な薄い黄色の液体があった。
「これは?」
「太陽の雫です」
「え?」
「会長から、月割の花があれば十分だ、とのお話でしたので」
ジェロムは耳を疑った。あの強欲そうな老人が、条件を緩和するということなどあるだろうか。だが、アデルの病状を考えると、早く手に入るに越したことはない。
「これをもらっても?」
「はい、お持ちください。正真正銘、太陽の雫です」
あの老人と対照的に理性的な表情をしたこの専務を、ジェロムは信用することにした。
「・・・ありがとう。会長に、この恩はまた別の形で返す、と伝えてほしい」
「承知しました。さぁ、お急ぎでしょう。ご出立ください」
-同日、午前中
商売敵を出し抜くには、取引で相手が提示する価値を見抜き、こちらにはそれ以上の価値があるかのように吹っかけて、これが正当だと思い込ませる。彼はその鉄則を熟知していたし、これまでそうして商会を大きくしてきた。そして、最も商売敵として認識している相手も同様の心得をしているものだと思っていた。
ところが今回、採算の取れない申し出があった。本当に鵜呑みにして受け入れてしまって良かったのだろうか。多少は吹っかけたが、それでも何か自分に不利な点があるのではないか。何か見落としているような気がして落ち着かない。
そうして堂々巡りをしながら部屋の中を歩き回るルー商会の会長は、部屋の窓から町並みを見下ろした。大陸から来た祖父の悲願は、この街で成功して富を掴むことだった。商売を始めて三十余年、もう一息で、というところまで来ていた。
部屋の戸がノックされる。あの青二才の冒険者の様子を探っていたヴィクシムが戻ったのだろうか。
「入れ」
「旦那様、失礼します」
顔を見せたのは使用人の一人だった。
「サンノミヤ家のマツ様がお見えです。お会いになりますか?」
「マツ婆やて?」
この街で唯一、世話になり頭が上がらない人物が自分を訪ねてきた。まさかの訪問客に驚きの表情を隠せないが、こちらに用がないからと拒否するわけにもいかない。
「通せ。丁重にな」
この時期に何の用事か。今は花咲の儀に関する商売で忙しい。そもそも、彼女はいつも屋敷に居て、出歩くことは滅多にないと聞く。サンノミヤ家の外で会うのは初めてかも知れない。
薬を主とするルー商会だが、花咲の儀が近づくと祭用品を仕入れる。これはこの街で業をするどの商会も同じことだが、今年は按配が異なる。花咲の儀が開催できないかもしれない、という情報が入ったからだ。
「入る」
ノックもそこそこに、季節を感じさせる白と桃色の花を織り込んだ着物を身に付けたマツがしずしずと入って来た。
「お婆、ご無沙汰しとるな」
「ああ、お主が来ぬから来てやったわ」
挨拶もそこそこに、マツは応接のためのソファーに腰掛ける。齢九十近いというのに老人らしい身体の衰えを感じさせないところが、グレゴワールに緊張感を生んだ。
「のう、ちょうど花咲の儀の商売が忙しく時期じゃろう」
「そうや、もうすぐ花傘や団子の材料を高う売るところや」
「ほんに、毎年ルーの商会は足元を見ると評判じゃからな」
皮肉なのか世間話なのか、グレゴワールには測りかねていた。このお婆に誤魔化しは通用しない。商売の基本である裏をかけないのだから、とてもやり辛いのだ。
「ほいで、いつも大量に仕入れとるその材料を、例年になく安う卸すとは見上げたもんじゃな」
「・・・!」
巨鳥が花咲の山に陣取っており花咲の儀の開催が難しい-その情報は懇意にしている山のギルドの者から仕入れていた。それが本当ならば、花咲の儀に纏わる商品はすべて不要物と化してしまう。その前に小売りの者たちに売り切ってしまう。それがルー商会の方針だった。
「お婆、何ぞ知っとるんか?」
「エホンエホン、喋ってばかりじゃ喉が渇くのう」
「おい誰か、茶を出せ」
グレゴワールは慌てて使用人を呼びつけた。このお婆には何でもお見通しだ。だからこそ、駆け出しの頃にあれこれと情報を得ようとお婆を訪ねた。その先読みの能力は商売には欠かせない情報を沢山もたらしたのだ。だから、グレゴワールの代でルー商会は大きく販路を拡大できた。
「なんじゃ、西の都の『青の新緑』じゃないんか」
「すまへん、今は切らしとるんや」
マツは茶を一口すするなり、茶の銘柄に大層な不満を口にする。彼がサンノミヤ家を訪ねて教えを乞う時はいつもこうだった。だからお婆を接待する術を身に着け、彼の商会で扱わないような茶や着物といった品物も取り扱うようになったのだ。
「グレゴワールよ、お主にわしが助言を授ける理由を覚えとるか」
「耳にタコができるほど聞かされとるんや。『世のため人のため』やろ」
「ほうじゃ。商いする者が世に貢献するんは、真に必要な物を売るからじゃ」
茶をもう一口すすると、マツは部屋の天井を見上げて言った。
「然るに、お主が今やっておる卸は何ぞ。己が損せねばええんか」
お婆の言わんとしていることは理解できた。そんな商人なら当然にするようなことを、今更指摘に来たのだろうか。グレゴワールが訝しんでいるとお婆は続けた。
「主がこれからやることは一つ。吹っ掛けておる若い冒険者二人が月割りの花を持って帰って来よう。それで満足し彼らの必要なもんを渡してやるんじゃ」
「そないなこと、儂が損するっちゅうねん」
「ほう? わしがお主に損になることをいつ言うた?」
その言葉にたじろいだのをマツは見逃さなかった。
「目先で図るでない。若者は大事を成す。投資と思え。シルフィ商会に水を空けられるぞ」
「・・・売価五十万やろ。そんだけの得があるんかいな・・・」
ぶつぶつと悩み始めたグレゴワールを横に、茶を飲み干してマツは席を立つ。
「主らもシルフィ商会も、支えてやらにゃいけんのじゃ。竜神様のお告げぞ」
誰に言うともなく、そう呟いて気品のある老婆はグレゴワールをまじまじと見つめた。その無言の圧力に、会長と呼ばれる男は、従うことがルー商会にとって最善と思うことにしたのだった。
戦闘後にオルタンス以外が気を失っており、ほかにはっきりと最後を見届けてた者はいなかった。オルタンスもガルムが吹き飛ばされた姿を半信半疑で見たこともあり、うまく皆に説明ができなかった。ただ、白い方陣から飛び出た光の鯨が敵を連れ去った、とだけ説明した。
こうして敵がこちらの攻撃で撤退したとマスターに説明することになった。巨鳥ロックの出現原因を解明し、その元凶を退けたのだから、ブレーズが受けた依頼は十分に達成できたことになる。尤も、その証拠となる物証が無かったため、オルタンスをはじめとする水のギルドの面々が証言をすることになったわけだ。
「・・・ともかく、お疲れ様でした。皆様をパーティーとして、金貨200枚をお支払いします」
「ほう、景気がいいじゃねぇかマスター。誰ぞから依頼でもあったのか」
「少なくとも、ブレーズが応援要請するほどの事態でしたからね。こちらでもそのくらいは把握していますので、弾正台へ報告して水のギルドへの正式な依頼としました」
「抜け目ねぇな」
「ははは。それもこれも、皆様の実力があるからこその話ですよ」
「あったりめぇだ。これだけ頭数揃えりゃ、敵なんていねぇよ」
「その頭数が一撃でやられていては、話になりませんね」
「ははは」
ブレーズはその報酬を均等に振り分けた。パーティー別に40枚ずつ渡された金貨を見て、ジェロムとディアナは多すぎると辞退しようとしたが、ブレーズの押しに負けて受け取ることになった。
「なぁジェロムよ。お前さんの勇敢な姿はよく見せてもらった。あの化け物に正面から斬りかかれる奴はそうはおらんからな。金はいくらあっても困らねぇ。将来への投資だと思って受け取ってくれ」
「・・・ありがとう。青の欅として、また皆と行動できると嬉しいよ」
「おう兄ちゃん。少ししか一緒できんかったけど、また会った時は手合わせしてくれ!」
「バルナール、皆が貴方みたいに戦いたいわけじゃないのですよ」
エルシャンの窘める姿にいつものことか、と皆から笑みが零れた。
「・・・またいずれ」
「ありがとう、ザール」
順に挨拶をして、最後にオルタンスが二人と話をした。
「二人とも、本当にありがとう。あのまま見つけられなかったらと思うと。命の恩人よ」
「そんな、大袈裟な」
「ううん。二人の強さを見せてもらったわ。私、今のままでも生活できると思っていたけども、これじゃダメね。もっともっと強くなるわ。このギルドで他の仕事もできるくらい」
「うん、オルタンスも頑張って。俺たちも頑張るよ」
それぞれと言葉を交わし、時間がないと告げ、二人は水のギルドを後にした。
月割の花はあの戦いの中でも何とか無事だった。ジェロムの荷物の中でもみくちゃにされて押し花にしまっていたが、花の蜜は取り出せる程度の湿り気は帯びていた。二人は先にこの花だけ渡そうと、夕刻が迫る中、ルー商会を訪れていた。
東地区にある巨大な敷地に建っている豪邸は何とも悪趣味に感じられた。サンノミヤ家は白を基調とした塗壁で作られており、清廉なイメージを抱くような館だった。それに比して、このルー商会の建物は至る所に金色に輝く飾りがあり、壁も薄黄色で、建物そのものが強欲な商人が住んでいると主張しているかのようだったからだ。
そんな建物に入ること自体、何かしらの嫌悪感を抱いてしまった二人だったが、意を決して入り口の戸を叩くと使用人と思しき、背の高い初老の男性が顔を出した。
「会長のグレゴワールに、この花を持ってくるよう約束をしていた者だ」
「少々お待ちください」
二人を値踏みするように見ていた使用人だが、要件を聞くとすぐに戸を閉じてしまった。徐々に朱に染まる空の下、先の決心が少し拍子抜けしたように萎んでいくのが分かった。このまま帰ってしまいたい、何故かそう思ってしまうくらいに。二人は互いに何か話をしようと思って顔を合わせたところで、再び戸が開いた。
「お待たせしました、お入りください」
使用人に続いて屋敷に入る。内部も金属と思われるしつらえが彼方此方にあり、貧乏人が来たら卒倒してしまいそうなくらい眩かった。応接間と思われる、赤い絨毯のある部屋に通され、二人は長く柔らかい椅子に並んで座った。しばらくすると、扉がノックされ、貴族のような華美な衣装をまとった、金髪の若者が部屋に入ってきた。あのヴィクシムという専務だった。
「お二人とも、ご無事で。月割の花を持ってきたとか」
「これがそうだ」
ジェロムが布で包んだ花を差し出した。少し押されて不格好だが、その花は確かにまだ咲いていて、薄暗い部屋で淡い輝きを放っていた。その数三十余。
「・・・確かに。会長に真偽を確認するよう言われましたが、これだけ短期で集めてくるとは想定外でした」
「まだ、竜の鱗も必要なんだろう」
「そのことですが・・・こちらをお持ちください」
ヴィクシムは小さな箱を二人の前に差し出した。何かと顔を見合わせ、ディアナがそれを手に取り、箱を開けてみた。そこには小さな瓶に入れられた透明な薄い黄色の液体があった。
「これは?」
「太陽の雫です」
「え?」
「会長から、月割の花があれば十分だ、とのお話でしたので」
ジェロムは耳を疑った。あの強欲そうな老人が、条件を緩和するということなどあるだろうか。だが、アデルの病状を考えると、早く手に入るに越したことはない。
「これをもらっても?」
「はい、お持ちください。正真正銘、太陽の雫です」
あの老人と対照的に理性的な表情をしたこの専務を、ジェロムは信用することにした。
「・・・ありがとう。会長に、この恩はまた別の形で返す、と伝えてほしい」
「承知しました。さぁ、お急ぎでしょう。ご出立ください」
-同日、午前中
商売敵を出し抜くには、取引で相手が提示する価値を見抜き、こちらにはそれ以上の価値があるかのように吹っかけて、これが正当だと思い込ませる。彼はその鉄則を熟知していたし、これまでそうして商会を大きくしてきた。そして、最も商売敵として認識している相手も同様の心得をしているものだと思っていた。
ところが今回、採算の取れない申し出があった。本当に鵜呑みにして受け入れてしまって良かったのだろうか。多少は吹っかけたが、それでも何か自分に不利な点があるのではないか。何か見落としているような気がして落ち着かない。
そうして堂々巡りをしながら部屋の中を歩き回るルー商会の会長は、部屋の窓から町並みを見下ろした。大陸から来た祖父の悲願は、この街で成功して富を掴むことだった。商売を始めて三十余年、もう一息で、というところまで来ていた。
部屋の戸がノックされる。あの青二才の冒険者の様子を探っていたヴィクシムが戻ったのだろうか。
「入れ」
「旦那様、失礼します」
顔を見せたのは使用人の一人だった。
「サンノミヤ家のマツ様がお見えです。お会いになりますか?」
「マツ婆やて?」
この街で唯一、世話になり頭が上がらない人物が自分を訪ねてきた。まさかの訪問客に驚きの表情を隠せないが、こちらに用がないからと拒否するわけにもいかない。
「通せ。丁重にな」
この時期に何の用事か。今は花咲の儀に関する商売で忙しい。そもそも、彼女はいつも屋敷に居て、出歩くことは滅多にないと聞く。サンノミヤ家の外で会うのは初めてかも知れない。
薬を主とするルー商会だが、花咲の儀が近づくと祭用品を仕入れる。これはこの街で業をするどの商会も同じことだが、今年は按配が異なる。花咲の儀が開催できないかもしれない、という情報が入ったからだ。
「入る」
ノックもそこそこに、季節を感じさせる白と桃色の花を織り込んだ着物を身に付けたマツがしずしずと入って来た。
「お婆、ご無沙汰しとるな」
「ああ、お主が来ぬから来てやったわ」
挨拶もそこそこに、マツは応接のためのソファーに腰掛ける。齢九十近いというのに老人らしい身体の衰えを感じさせないところが、グレゴワールに緊張感を生んだ。
「のう、ちょうど花咲の儀の商売が忙しく時期じゃろう」
「そうや、もうすぐ花傘や団子の材料を高う売るところや」
「ほんに、毎年ルーの商会は足元を見ると評判じゃからな」
皮肉なのか世間話なのか、グレゴワールには測りかねていた。このお婆に誤魔化しは通用しない。商売の基本である裏をかけないのだから、とてもやり辛いのだ。
「ほいで、いつも大量に仕入れとるその材料を、例年になく安う卸すとは見上げたもんじゃな」
「・・・!」
巨鳥が花咲の山に陣取っており花咲の儀の開催が難しい-その情報は懇意にしている山のギルドの者から仕入れていた。それが本当ならば、花咲の儀に纏わる商品はすべて不要物と化してしまう。その前に小売りの者たちに売り切ってしまう。それがルー商会の方針だった。
「お婆、何ぞ知っとるんか?」
「エホンエホン、喋ってばかりじゃ喉が渇くのう」
「おい誰か、茶を出せ」
グレゴワールは慌てて使用人を呼びつけた。このお婆には何でもお見通しだ。だからこそ、駆け出しの頃にあれこれと情報を得ようとお婆を訪ねた。その先読みの能力は商売には欠かせない情報を沢山もたらしたのだ。だから、グレゴワールの代でルー商会は大きく販路を拡大できた。
「なんじゃ、西の都の『青の新緑』じゃないんか」
「すまへん、今は切らしとるんや」
マツは茶を一口すするなり、茶の銘柄に大層な不満を口にする。彼がサンノミヤ家を訪ねて教えを乞う時はいつもこうだった。だからお婆を接待する術を身に着け、彼の商会で扱わないような茶や着物といった品物も取り扱うようになったのだ。
「グレゴワールよ、お主にわしが助言を授ける理由を覚えとるか」
「耳にタコができるほど聞かされとるんや。『世のため人のため』やろ」
「ほうじゃ。商いする者が世に貢献するんは、真に必要な物を売るからじゃ」
茶をもう一口すすると、マツは部屋の天井を見上げて言った。
「然るに、お主が今やっておる卸は何ぞ。己が損せねばええんか」
お婆の言わんとしていることは理解できた。そんな商人なら当然にするようなことを、今更指摘に来たのだろうか。グレゴワールが訝しんでいるとお婆は続けた。
「主がこれからやることは一つ。吹っ掛けておる若い冒険者二人が月割りの花を持って帰って来よう。それで満足し彼らの必要なもんを渡してやるんじゃ」
「そないなこと、儂が損するっちゅうねん」
「ほう? わしがお主に損になることをいつ言うた?」
その言葉にたじろいだのをマツは見逃さなかった。
「目先で図るでない。若者は大事を成す。投資と思え。シルフィ商会に水を空けられるぞ」
「・・・売価五十万やろ。そんだけの得があるんかいな・・・」
ぶつぶつと悩み始めたグレゴワールを横に、茶を飲み干してマツは席を立つ。
「主らもシルフィ商会も、支えてやらにゃいけんのじゃ。竜神様のお告げぞ」
誰に言うともなく、そう呟いて気品のある老婆はグレゴワールをまじまじと見つめた。その無言の圧力に、会長と呼ばれる男は、従うことがルー商会にとって最善と思うことにしたのだった。
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