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第3話
羽素未世の幸せな1日(の終わり)
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私と智也くんは『フラン・アンジェ』という雑貨屋に来ていた。
『フラン・アンジェ』は文房具やアクセサリー、生活用品、衣料品など様々な物が揃っている中高生向けの雑貨屋で、デートにもよく使われると評判のお店だった。ここならいろいろ見て楽しめるし、気に入ったものがあればプレゼントすることもできる。まさに一石二鳥だ。
好きなマスコットブランドのグッズも置いてあるので、私も昔よく行っていたお気に入りのお店だ。
久しぶりに店内に入った瞬間、昔、友だちと買い物をしたことを思い出す。たった一年前のことなのに、思い出せないくらい遠い昔のように感じていた。
「羽素さん?」
突然、智也くんに声を掛けられ、私ははっと気づく。
「え? どうかしたの?」
「どうかしたのは羽素さんだよ。いきなりぼんやりしてどうしたの?」
「ううん。なんでもない。ただちょっと懐かしいなって思って」
「昔きたことあるの?」
「うん。私のお気に入りのお店なんだ。ぜひ智也くんと一緒に行きたいって思ってて」
そう言ってから自分が何を言ったのか理解して頬が熱くなる。智也くんも照れたように頬を染めた。
「何から見よっか」
私はかぶりを振って一月以上先のクリスマスに向けた飾り付けがされている店内を智也くんと二人で歩く。
こういうところは初めてなのか、智也くんは周りをきょろきょろと見ていた。
「アクセサリーはどうかな?」
私の提案に智也くんはこくりと頷いた。それから二人でアクセサリーコーナーに向かう。そこにはピアスやブローチ、髪留めなどさまざまなものが並んでいた。
「これかわいい」
私は天使の羽型がついた髪留めを手に取った。私が好きなブランドのアクセサリーだった。試しにつけて見る。
「どう? 似合う?」
「うん。似合っているよ」
智也君にいざ面と向かってそう言われるとくすぐったいような気持ちになる。でも、嬉しかった。髪留めを外してもとの場所に戻して、他のものを探す。
こんな風にアクセサリーを物色して、自分でつけて、誰かに見せ合うのは久しぶりだった。ただそれだけのことなのに、とても楽しい。
「いろいろあるんだね」
智也くんは並べられているアクセサリーを見て感嘆の声を上げていた。
「智也くんはアクセサリーってつけないの?」
私はピアスやネックレスを指さす。そういえば、智也くんが何かをつけていたのを見たことはなかった。
「つけたことないなぁ。何をつけたらいいかわからないくて」
智也くんは物珍しげにピアスを見ている。
「自分が気に入ったものをつけたらいいんだよ」
試しにひし形の装飾がついたピアスを一つ手に取る。穴を欠けずにつけられるイヤリングタイプの物だ。
「こんな風に」
イヤリングを見せながら智也くんの方へ振り向く。
「どう」
「普段と違うから不思議な感じだけど、似合っているよ」
慣れない姿に照れているのか智也くんの顔は少し赤かった。
「ありがと。智也くんもつけてみる?」
ピアスを外して智也くんに渡そうと手を差し出す。
「じゃあ、つけてみようかな」
ピアスを受け取ると、耳にはめようとした。しかし、初めてなのかなかなかうまくはまらない。
「ちょっと貸して」
私は智也くんからピアスを受け取ると、耳たぶにつけるために彼の耳に触れる。
勢いで貸してって言っちゃったけど、智也くんが近い。
ピアスをつけながら私の心臓がドキドキしていた。きっと私も頬は赤くなっているだろう。智也くんの頬もかすかに頬が赤かった。緊張からかなかなか上手くつけられない。それでも、私はなんとか智也くんの耳にピアスをつけた。
「よし。鏡見てみて」
「ありがとう」
智也くんは鏡を見る。しかし、彼は微妙な顔をしていた。さっきつけた時も思ったが、なんというかあまり似合っていなかった。
「他の見よっか」
頷きながら智也くんはいそいそとピアスを外して戻していた。
二人で店内を見回る。もうすぐ冬になるのでマフラーや手袋のコーナーもできていた。
「マフラー見てもいい」
私が言うと智也くんは頷いた。二人でさまざまなマフラーを手に取り、見てみる。
「そういえば智也くんってマフラーとかしないけど寒くないの?」
「寒いけど、マフラーってどうまいたらいいかわからなくて」
「簡単だよ。じゃあ、巻いてあげよっか」
「え、じゃあ、お願い」
「どのマフラーする?」
「よくわからないから羽素さんが選んで」
「私、そんなにセンスよくないけどいいの?」
「うん。お願い」
こくりと頷く智也くん。お願いされるのはなんだかくすぐったいが、嬉しかった。私は気合いをいれて、智也くんに似合うマフラーを探し始める。
「うーん」
「なんでもいいよ」
「よくないよ」
色々見定めた結果、茶色とクリーム色のマフラーを手に取った。これなら落ち着いた服装の智也くんに似合いそうだ。
智也くんの首にマフラーをかけ、巻いていく。そして、最後に結び目を作った。
「ありがとう」
「どうしたしまして」
それから、二人で鏡を見る。
「どう」
「いいね」
「うん、智也くんに似合っている」
智也くんは鏡を見ながらマフラーを触っていた。どうやら気に入ってくれたようだ。
外すのをもったいないと思っているのか、しばらくの間、智也くんはマフラーをつけたまま鏡を見ていた。
「買う?」
「うん」
智也くんはマフラーをつけたままうなずくと、名残惜しそうに外し始める。
「羽素さんは買わないの?」
「私も買おっかな」
マフラーを見る。
智也くんが茶色とクリームだから、私はブルーかグリーン系にしよっかな。
紺色のマフラーと、緑のストライプのマフラーを手に取る。そして、智也くんに二つを見せる。
「どっちがいいと思う?」
「え?」
智也くんは驚いたように声を上げたが、すぐに二つのマフラーをじっくり見た。悩んでいるのか表情は渋い。
「どちらも似合うよ」
返ってきた答えは期待外れだった。
「もう! そうじゃない」
口をとがらせて返す。
「ごめん」
「智也くんはどっちがいいと思う?」
特に智也くんを強調する。
「うーん……」
もう一度智也くんはマフラーをじっくり見ていた。そして、「うん」と頷く。
「緑の方かな」
私は緑のマフラーを見た。智也くんにそう言われると、こっちの方がより似合う気がする。
「うん。緑にする」
うきうきした気分で私は緑のマフラーを握りしめた。
「じゃあ、買おっか」
お会計を済ませて店の外に出るようとすると、智也くんが声を掛けてきた。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってきていい」
智也君は店の奥を指さす。
「うん。じゃあ、外で待っているね。荷物持っていようか?」
「お願い」
智也君からマフラーの入った袋を受け取り、私は店の外で待っていた。空はもう暗くなっていた。時計を見るともう六時半を回っている。
今日はすごく楽しかった。智也くんも楽しかったかな。そんな風に考えていると、携帯電話が震えた。私は慌てて着信を見る。そして、絶望的な気分になった。
「はい。未世です」
「はぁい」
電話の主はポニアードだった。私は心臓が暴れるのを抑えながら、彼女の言葉を慎重に聞く。
「今日は一日楽しかった?」
その言葉に私の身体はびくっと震えた。
見られてる。
周りをきょろきょろ見渡すが、ポニアードの姿はない。
「あははは。どこ見てるの?ここよ。ここ」
そう言われてもわからない。私は焦りながら周りを見渡した。
「わからないの? じゃあ、ヒント。目の前を見なさい」
「え?」
そう言われて私は目の前を見た。
「あっ」
そこで気づく。夜になっても人通りの多い繁華街の道にポニアードは立っていた。
なんでこんなところにという疑問が浮かぶ。しかし、その理由を語らないままポニアードは、
「ついてきなさい」
と言って、歩き出した。私は電話を耳に当てたまま慌てて追いかける。ポニアードは人通りの多い表通りから路地裏へ入っていった。一気に人気が無くなる。無機質な建物の壁で囲まれた路地はジメジメして、どこかかび臭かった。
路地裏に入って少し歩くとポニアードは立ち止まった。
「驚いた? サプライズよ」
振り向いたポニアードは面白そうに笑っていた。
「あのっ」
ポニアードがなぜいきなり現れたのかわからず、私は尋ねようとする。しかし、ポニアードは自分の耳を指さした。
「まず、電話を切ったら」
「あ」
そう言われて私は電話を切った。
「あのっ、どうしてここに?」
今まで電話で呼び出されることはあってもポニアードが直接来たことはなかった。こんなことは初めてだ。それだけでこれが異常な事態であることがわかる。
「たまたま通りかかったら、二人で楽しそうにしているのを見つけちゃったから、つい後をつけちゃった」
後をつけていた。いつから。どこからつけられていたのと様々な疑問が浮かぶが、私は何も言えなかった。
「二人とも幸せそうで見ていて本当に楽しかったわ」
ポニアードは笑顔でそう言うと私の耳元に顔を近づけ、ぼそりとささやいた。
「これならもう十分でしょう」
「え?」
「佐坂智也を殺しなさい」
「まっ、待ってください。期限は一ヶ月じゃあ」
私は慌てて首を振る。しかし、ポニアードはあっさりと言い放つ。
「ああ、気が変わったの」
「えっ」
絶望的な一言に私は何も言えない。ポニアードの気まぐれは今に始まったことではなかった。いつかの女の人の言葉が脳裏に浮かぶ。
『楽しむためなら何だってする。そこに一貫性も主義も主張も正義も何もない』
まさにポニアードを表した一言だった。
「でも、準備が」
「大丈夫。大丈夫。見たところ油断してるし。このまま人気のないところに連れ込めば簡単に殺れるわ」
ポニアードはいともあっさりと述べる。私は何も言えなかった。
「なんなら最後の思い出にヤらせてあげたら。ヤっている最中は油断するからより簡単に殺せるわよ。あなたどちらも初めてでしょう。最高の思い出になるわよ」
ポニアードの下品な提案に私は何も言えなかった。私の身体はまるで壊れたおもちゃのようにカタカタ震えるだけだ。
「さて、それじゃあ覚悟は決まったかしら?」
そう言ってポニアードはにっこりと笑う。そう簡単に決められる者ではない。しかし、そんなこと言えるはずもなかった。
「……はい」
「ナイフは持っている?」
持って行きたくはなかったが、ポニアードに言われていた通りいつも鞄の中に入れていた。
「……はい」
「じゃあ、頑張って。ちゃんと見守っているからね」
絶望的な一言を残して、ポニアードは去って行いった。
ポニアードがいなくなってからも、私はぼう然と立ち尽くしていた。
どれくらい経っただろうか、不意に携帯電話が鳴った。私はビクッと震える。それから、糸のきれた人形のようにのろのろと携帯電話を取り出した。
携帯電話の画面には佐坂智也と出ている。さっきまでは幸せを感じられる名前だった。しかし、今はこれから殺さないといけない絶望的な名前でしかない。このまま電話に出なければ殺さずにすむのではないかと考えたが、すぐにそんな甘いことをポニアードが許すはずもないと、かぶりを振る。
どうすることもできないまま私は震える手で恐る恐るボタンを押した。
「羽素さんどこにいるの?」
智也くんの声が携帯電話から響く。
「あっ、ごめん。すぐに戻るね」
できるかぎり平静を装って答える。油断したら声が震えそうだった。
「どこにいるの。大丈夫?何かあったの」
電話の向こうの智也くんの声はひどく心配そうだった。
「ううん、大丈夫だから。すぐに行くね」
安心させるために力強く言って、智也くんの返事を待たずに電話を切る。これ以上、この携帯電話で会話したくなかった。そして、急いで『フラン・アンジェ』に戻った。
お店に近づくと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「羽素さん」
智也くんは駆け寄ってきてくれる。
「よかった。どこに行ったのかと思って」
「あ……ごめんなさい」
「顔色が悪いけど、大丈夫?」
「うん。……大丈夫」
「待たせちゃってごめんね」
「そんなこと……ないよ」
私はマフラーを智也くんに渡す。その手はまだ震えていた。
「羽素さん、震えている?」
「あ、ちょっと寒いからかな。大丈夫だよ」
笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え。
そう呪文のように唱えながら、私は智也くんに微笑んだ。
そんな私をどう思ったのか智也くんは、マフラーを取り出すと私にかけてくれた。
「あ……私のあるからいいよ」
「うん。でも、二つ巻いた方が暖かいなって思って」
「それじゃあ、動きにくいよ」
「そうだね」
そう言って智也くんは笑っている。私は彼が巻いてくれたマフラーをぎゅっと握った。
ほのかに温かい。安心するような温もりだった。
「ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、行こうか」
歩き出す前に智也くんは私の手を握る。その手は温かかった。
「うん」
智也くんと私は手をつないで歩き出した。
握られた掌が温かい。智也くんの温かさが私の手に流れ込んでくるようだった。でも、それは心の奥までは届かない。私の胸の中は絶望的な気持ちで冷え切っていた。
楽しくて、幸せだった今日の思い出は、まるで夢だったように輪郭を失っていく。
並んで歩く智也くんをちらりとみる。彼は穏やかな顔をしていた。
今晩、私は智也くんを殺す。
決して揺るぎようがない現実を私は心の中でつぶやいた。
『フラン・アンジェ』は文房具やアクセサリー、生活用品、衣料品など様々な物が揃っている中高生向けの雑貨屋で、デートにもよく使われると評判のお店だった。ここならいろいろ見て楽しめるし、気に入ったものがあればプレゼントすることもできる。まさに一石二鳥だ。
好きなマスコットブランドのグッズも置いてあるので、私も昔よく行っていたお気に入りのお店だ。
久しぶりに店内に入った瞬間、昔、友だちと買い物をしたことを思い出す。たった一年前のことなのに、思い出せないくらい遠い昔のように感じていた。
「羽素さん?」
突然、智也くんに声を掛けられ、私ははっと気づく。
「え? どうかしたの?」
「どうかしたのは羽素さんだよ。いきなりぼんやりしてどうしたの?」
「ううん。なんでもない。ただちょっと懐かしいなって思って」
「昔きたことあるの?」
「うん。私のお気に入りのお店なんだ。ぜひ智也くんと一緒に行きたいって思ってて」
そう言ってから自分が何を言ったのか理解して頬が熱くなる。智也くんも照れたように頬を染めた。
「何から見よっか」
私はかぶりを振って一月以上先のクリスマスに向けた飾り付けがされている店内を智也くんと二人で歩く。
こういうところは初めてなのか、智也くんは周りをきょろきょろと見ていた。
「アクセサリーはどうかな?」
私の提案に智也くんはこくりと頷いた。それから二人でアクセサリーコーナーに向かう。そこにはピアスやブローチ、髪留めなどさまざまなものが並んでいた。
「これかわいい」
私は天使の羽型がついた髪留めを手に取った。私が好きなブランドのアクセサリーだった。試しにつけて見る。
「どう? 似合う?」
「うん。似合っているよ」
智也君にいざ面と向かってそう言われるとくすぐったいような気持ちになる。でも、嬉しかった。髪留めを外してもとの場所に戻して、他のものを探す。
こんな風にアクセサリーを物色して、自分でつけて、誰かに見せ合うのは久しぶりだった。ただそれだけのことなのに、とても楽しい。
「いろいろあるんだね」
智也くんは並べられているアクセサリーを見て感嘆の声を上げていた。
「智也くんはアクセサリーってつけないの?」
私はピアスやネックレスを指さす。そういえば、智也くんが何かをつけていたのを見たことはなかった。
「つけたことないなぁ。何をつけたらいいかわからないくて」
智也くんは物珍しげにピアスを見ている。
「自分が気に入ったものをつけたらいいんだよ」
試しにひし形の装飾がついたピアスを一つ手に取る。穴を欠けずにつけられるイヤリングタイプの物だ。
「こんな風に」
イヤリングを見せながら智也くんの方へ振り向く。
「どう」
「普段と違うから不思議な感じだけど、似合っているよ」
慣れない姿に照れているのか智也くんの顔は少し赤かった。
「ありがと。智也くんもつけてみる?」
ピアスを外して智也くんに渡そうと手を差し出す。
「じゃあ、つけてみようかな」
ピアスを受け取ると、耳にはめようとした。しかし、初めてなのかなかなかうまくはまらない。
「ちょっと貸して」
私は智也くんからピアスを受け取ると、耳たぶにつけるために彼の耳に触れる。
勢いで貸してって言っちゃったけど、智也くんが近い。
ピアスをつけながら私の心臓がドキドキしていた。きっと私も頬は赤くなっているだろう。智也くんの頬もかすかに頬が赤かった。緊張からかなかなか上手くつけられない。それでも、私はなんとか智也くんの耳にピアスをつけた。
「よし。鏡見てみて」
「ありがとう」
智也くんは鏡を見る。しかし、彼は微妙な顔をしていた。さっきつけた時も思ったが、なんというかあまり似合っていなかった。
「他の見よっか」
頷きながら智也くんはいそいそとピアスを外して戻していた。
二人で店内を見回る。もうすぐ冬になるのでマフラーや手袋のコーナーもできていた。
「マフラー見てもいい」
私が言うと智也くんは頷いた。二人でさまざまなマフラーを手に取り、見てみる。
「そういえば智也くんってマフラーとかしないけど寒くないの?」
「寒いけど、マフラーってどうまいたらいいかわからなくて」
「簡単だよ。じゃあ、巻いてあげよっか」
「え、じゃあ、お願い」
「どのマフラーする?」
「よくわからないから羽素さんが選んで」
「私、そんなにセンスよくないけどいいの?」
「うん。お願い」
こくりと頷く智也くん。お願いされるのはなんだかくすぐったいが、嬉しかった。私は気合いをいれて、智也くんに似合うマフラーを探し始める。
「うーん」
「なんでもいいよ」
「よくないよ」
色々見定めた結果、茶色とクリーム色のマフラーを手に取った。これなら落ち着いた服装の智也くんに似合いそうだ。
智也くんの首にマフラーをかけ、巻いていく。そして、最後に結び目を作った。
「ありがとう」
「どうしたしまして」
それから、二人で鏡を見る。
「どう」
「いいね」
「うん、智也くんに似合っている」
智也くんは鏡を見ながらマフラーを触っていた。どうやら気に入ってくれたようだ。
外すのをもったいないと思っているのか、しばらくの間、智也くんはマフラーをつけたまま鏡を見ていた。
「買う?」
「うん」
智也くんはマフラーをつけたままうなずくと、名残惜しそうに外し始める。
「羽素さんは買わないの?」
「私も買おっかな」
マフラーを見る。
智也くんが茶色とクリームだから、私はブルーかグリーン系にしよっかな。
紺色のマフラーと、緑のストライプのマフラーを手に取る。そして、智也くんに二つを見せる。
「どっちがいいと思う?」
「え?」
智也くんは驚いたように声を上げたが、すぐに二つのマフラーをじっくり見た。悩んでいるのか表情は渋い。
「どちらも似合うよ」
返ってきた答えは期待外れだった。
「もう! そうじゃない」
口をとがらせて返す。
「ごめん」
「智也くんはどっちがいいと思う?」
特に智也くんを強調する。
「うーん……」
もう一度智也くんはマフラーをじっくり見ていた。そして、「うん」と頷く。
「緑の方かな」
私は緑のマフラーを見た。智也くんにそう言われると、こっちの方がより似合う気がする。
「うん。緑にする」
うきうきした気分で私は緑のマフラーを握りしめた。
「じゃあ、買おっか」
お会計を済ませて店の外に出るようとすると、智也くんが声を掛けてきた。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってきていい」
智也君は店の奥を指さす。
「うん。じゃあ、外で待っているね。荷物持っていようか?」
「お願い」
智也君からマフラーの入った袋を受け取り、私は店の外で待っていた。空はもう暗くなっていた。時計を見るともう六時半を回っている。
今日はすごく楽しかった。智也くんも楽しかったかな。そんな風に考えていると、携帯電話が震えた。私は慌てて着信を見る。そして、絶望的な気分になった。
「はい。未世です」
「はぁい」
電話の主はポニアードだった。私は心臓が暴れるのを抑えながら、彼女の言葉を慎重に聞く。
「今日は一日楽しかった?」
その言葉に私の身体はびくっと震えた。
見られてる。
周りをきょろきょろ見渡すが、ポニアードの姿はない。
「あははは。どこ見てるの?ここよ。ここ」
そう言われてもわからない。私は焦りながら周りを見渡した。
「わからないの? じゃあ、ヒント。目の前を見なさい」
「え?」
そう言われて私は目の前を見た。
「あっ」
そこで気づく。夜になっても人通りの多い繁華街の道にポニアードは立っていた。
なんでこんなところにという疑問が浮かぶ。しかし、その理由を語らないままポニアードは、
「ついてきなさい」
と言って、歩き出した。私は電話を耳に当てたまま慌てて追いかける。ポニアードは人通りの多い表通りから路地裏へ入っていった。一気に人気が無くなる。無機質な建物の壁で囲まれた路地はジメジメして、どこかかび臭かった。
路地裏に入って少し歩くとポニアードは立ち止まった。
「驚いた? サプライズよ」
振り向いたポニアードは面白そうに笑っていた。
「あのっ」
ポニアードがなぜいきなり現れたのかわからず、私は尋ねようとする。しかし、ポニアードは自分の耳を指さした。
「まず、電話を切ったら」
「あ」
そう言われて私は電話を切った。
「あのっ、どうしてここに?」
今まで電話で呼び出されることはあってもポニアードが直接来たことはなかった。こんなことは初めてだ。それだけでこれが異常な事態であることがわかる。
「たまたま通りかかったら、二人で楽しそうにしているのを見つけちゃったから、つい後をつけちゃった」
後をつけていた。いつから。どこからつけられていたのと様々な疑問が浮かぶが、私は何も言えなかった。
「二人とも幸せそうで見ていて本当に楽しかったわ」
ポニアードは笑顔でそう言うと私の耳元に顔を近づけ、ぼそりとささやいた。
「これならもう十分でしょう」
「え?」
「佐坂智也を殺しなさい」
「まっ、待ってください。期限は一ヶ月じゃあ」
私は慌てて首を振る。しかし、ポニアードはあっさりと言い放つ。
「ああ、気が変わったの」
「えっ」
絶望的な一言に私は何も言えない。ポニアードの気まぐれは今に始まったことではなかった。いつかの女の人の言葉が脳裏に浮かぶ。
『楽しむためなら何だってする。そこに一貫性も主義も主張も正義も何もない』
まさにポニアードを表した一言だった。
「でも、準備が」
「大丈夫。大丈夫。見たところ油断してるし。このまま人気のないところに連れ込めば簡単に殺れるわ」
ポニアードはいともあっさりと述べる。私は何も言えなかった。
「なんなら最後の思い出にヤらせてあげたら。ヤっている最中は油断するからより簡単に殺せるわよ。あなたどちらも初めてでしょう。最高の思い出になるわよ」
ポニアードの下品な提案に私は何も言えなかった。私の身体はまるで壊れたおもちゃのようにカタカタ震えるだけだ。
「さて、それじゃあ覚悟は決まったかしら?」
そう言ってポニアードはにっこりと笑う。そう簡単に決められる者ではない。しかし、そんなこと言えるはずもなかった。
「……はい」
「ナイフは持っている?」
持って行きたくはなかったが、ポニアードに言われていた通りいつも鞄の中に入れていた。
「……はい」
「じゃあ、頑張って。ちゃんと見守っているからね」
絶望的な一言を残して、ポニアードは去って行いった。
ポニアードがいなくなってからも、私はぼう然と立ち尽くしていた。
どれくらい経っただろうか、不意に携帯電話が鳴った。私はビクッと震える。それから、糸のきれた人形のようにのろのろと携帯電話を取り出した。
携帯電話の画面には佐坂智也と出ている。さっきまでは幸せを感じられる名前だった。しかし、今はこれから殺さないといけない絶望的な名前でしかない。このまま電話に出なければ殺さずにすむのではないかと考えたが、すぐにそんな甘いことをポニアードが許すはずもないと、かぶりを振る。
どうすることもできないまま私は震える手で恐る恐るボタンを押した。
「羽素さんどこにいるの?」
智也くんの声が携帯電話から響く。
「あっ、ごめん。すぐに戻るね」
できるかぎり平静を装って答える。油断したら声が震えそうだった。
「どこにいるの。大丈夫?何かあったの」
電話の向こうの智也くんの声はひどく心配そうだった。
「ううん、大丈夫だから。すぐに行くね」
安心させるために力強く言って、智也くんの返事を待たずに電話を切る。これ以上、この携帯電話で会話したくなかった。そして、急いで『フラン・アンジェ』に戻った。
お店に近づくと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「羽素さん」
智也くんは駆け寄ってきてくれる。
「よかった。どこに行ったのかと思って」
「あ……ごめんなさい」
「顔色が悪いけど、大丈夫?」
「うん。……大丈夫」
「待たせちゃってごめんね」
「そんなこと……ないよ」
私はマフラーを智也くんに渡す。その手はまだ震えていた。
「羽素さん、震えている?」
「あ、ちょっと寒いからかな。大丈夫だよ」
笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え、笑え。
そう呪文のように唱えながら、私は智也くんに微笑んだ。
そんな私をどう思ったのか智也くんは、マフラーを取り出すと私にかけてくれた。
「あ……私のあるからいいよ」
「うん。でも、二つ巻いた方が暖かいなって思って」
「それじゃあ、動きにくいよ」
「そうだね」
そう言って智也くんは笑っている。私は彼が巻いてくれたマフラーをぎゅっと握った。
ほのかに温かい。安心するような温もりだった。
「ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、行こうか」
歩き出す前に智也くんは私の手を握る。その手は温かかった。
「うん」
智也くんと私は手をつないで歩き出した。
握られた掌が温かい。智也くんの温かさが私の手に流れ込んでくるようだった。でも、それは心の奥までは届かない。私の胸の中は絶望的な気持ちで冷え切っていた。
楽しくて、幸せだった今日の思い出は、まるで夢だったように輪郭を失っていく。
並んで歩く智也くんをちらりとみる。彼は穏やかな顔をしていた。
今晩、私は智也くんを殺す。
決して揺るぎようがない現実を私は心の中でつぶやいた。
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