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第四章
最終話
しおりを挟む人間には見えぬよう術をかけ、旭と白蛇は村を訪れていた。
田起こしの季節だ。みんな泥だらけになりながら、田を耕している。
その中に見知った大きな体躯の男を見かけて、旭はぎゅっと心臓が痛くなった。
(泰治だ)
旭一人居なくなっても、人の営みは変わらない。
それを良しとして贄に選ばれたはずなのに、ほんの少しだけ寂しいような、切ないような、感傷的な気持ちになった。
白蛇が、旭の心情を気遣うように繋いだ手を擦るので、旭は微笑んだ。
「白蛇さま、おれは大丈夫です」
白蛇さまが、側にいるから。
寂しいけれど、孤独ではない。
旭は白蛇の手を引いて、自身の家まで案内した。
相変わらずのあばら家だったが、取り壊されていなくてほっとする。
「……人の手が、加えられているな」
白蛇の言葉に、旭は同意した。
蔦もなく、雪の重みでどこかが潰れている様子もない。
きっと、片付けてくれた人がいた。
そしてそれは、旭の思い浮かべる二人で間違いないのだろう。
中も、旭が贄としてここを出立した日から何も変わっていなかった。
ほこりは払われ、定期的に掃除されていることが窺える。
「ここに置いておけば、間違いなく受け取ってもらえると思います」
「ああ、そうだな」
旭は、白無垢を衣桁にかけた。
着物を仕立てるときに使っていたもので、元々旭の家にあったものだ。
屋敷にあるものとは質が違うが、それでも白無垢を掛けることはできた。
白無垢の側に、白蛇と共に書いた手紙を置く。
白無垢は百合と泰治のために誂えたものであること。
旭はその信仰心によって白蛇の伴侶となり、縁結びの神になったこと。
縁を断ち切る行為である贄の奉納や、五穀豊穣の力の妨げとなる口減らしは二度と行ってはならぬということ。
贄の儀の代わりに、白蛇の社を探し、年に一度でも清掃をすること。
そんなことをしたためた手紙だ。きっと、分かってもらえると思う。
旭は最後に、河原で摘んだ花と石ころを置いた。
白蛇の贄になると決めた日、百合を泣かせたあの河原の花だ。
二人なら、気付いてくれるだろう。
(百合、泰治……約束は、果たすよ)
がたん、と音がして、あばら家に人が入ってきた。
「……な、に、これ……、」
入ってきたのは、掃除道具を抱えた百合だった。
入ってすぐ白無垢に気付いた百合は、花と石に気付き、「あさひ、」と呟いた。
わなわなと震え、わっと泣き出した百合の手を、あの日のように握ろうとして、白蛇に止められる。
人間でなくなった旭と、人間である百合とのむやみな接触は、混乱を招くだけだ。
旭は頷いて、白蛇と共に家を後にした。
***
それから何週間か経って、旭は白蛇に誘われて人間界の方の社に赴いていた。
「き、綺麗に建て替えられてる……!」
「あの後すぐに村人総出で社が建て替えられたようだ。二人分の本殿を想定しているらしい」
こぢんまりとした社だが、二人が入っても余裕がある大きさのようだ。
神を祀ろうとする気持ちを感じることが出来た。
(これが、信仰や奉納の力なのかな……)
「お前も分かったか」
「はい」
「ここへ入るぞ」
「えっ」
格子戸を開け、白蛇が社の中に入った。
旭も続いて社に入る。
扉を閉めても、高い天井のおかげで閉塞感は感じない。
何が起きるのだろうと白蛇を窺うと、「座して待とう」と腰を下ろした。
「――来たな」
「……あ……」
正装した村人たちの一団が、社の前にやってきた。
「百合、泰治……!」
「おまえに、結婚式を見せてくれようとしたのだろう」
旭には、山の中に人間が入ってくることを察知することは出来ない。
この山は白蛇の管轄で、結界も白蛇のものだ。
白蛇は、村人たちの動向を把握していたのだろう。
旭を驚かせようとしてか、今日までそれを知らせてはくれなかった。
白無垢は、百合によく似合っていた。
本当に、百合の花のように美しい姿で、旭は万感の思いがこみ上げる。
泰治は、旭がいつか想像したようにガチガチに緊張しきった様子で、旭は微笑ましく思った。
長老が祝詞を読み上げ、二人が盃で酒を飲む。
文を取り出した泰治が、緊張した面持ちで誓詞を述べた。
それは、旭への手紙でもあった。
白無垢への礼と、結婚の報告と、神となった旭のことをいつまでも忘れないということ。
旭が幸せを祈ってくれるように、自分たちも旭の幸せを祈っていること。
泰治も百合も、涙を堪えている。
だが、贄の儀をしたあの日とは違って、晴れ晴れとした表情だった。
(おれも、二人の幸せをずっと祈ってるよ)
二人の未来に、幸多からんことを。
涙をこぼす旭の肩を、白蛇がそっと抱き寄せた。
――それから、村では結婚式は社で行われるのが通例となった。
百合と泰治の円満な家庭によって縁結びの御利益が評判となり、村中の娘は社で結婚式を挙げたがるようになったからだ。
社は年に一回と言わず、折に触れて清掃や奉納が行われ、参道は整備された。
そのうちそこを交代で管理するようになり、社務所ができあがる。
社は神社と名を変え、絶えず人が訪れる場所となった。
とんとん、かたんっ。とんとん、かたんっ。
旭は今日も、機を織る。
白蛇を思って織る布は、神となった今もその品質は変わらない。
否、縁結びの御利益がついたことで、評判はさらに上がったといえる。
「――旭」
「白蛇さま」
白蛇が、茶器を持ってやってきたので、旭は手を止めた。
縁側に出て、茶器の盆を挟んで座る。
すると白蛇が盆を後ろへ追いやり、旭の腰を引き寄せた。
白蛇の仕草に戸惑いながらも愛おしさが増して、旭は微笑む。
柔らかな春の日差しが、寄り添う二人を包んでいた。
完
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