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第三章

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「――正絹しょうけんの着物を着るのはやめたのか?」

 そう白蛇に問いかけられたのは、旭が自分で仕立てた綿の着物を着るようになってすぐのことだった。

「正絹のお着物は、汚してしまうのが心苦しくて……」

 反物を捧げたことで「払いすぎだ」とは言われてしまったが、旭にとって着物類は白蛇に貰ったものという意識が強く、普段から着用するのはやはり気が引けるものであった。

「綿の着物では、これからの季節冷えるだろう」
「絹の足元にも及びませんが、重ねて着ると意外と暖かいんですよ」
「……気に入らなかったのか?」

 そう言われて、旭は白蛇が少し拗ねたような口調なのに気づく。

(もしかして……おれが正絹の着物が気に食わなくて着なくなったと思ってる……?)

 まさかな、と思いつつ旭は首を横に振った。

「いえ、その逆です。白蛇さまからいただいたお着物はどれも良いものばかりで……。大事に、長く着たいからこそ、作業をするときには別の着物を着たいんです」
「そうか」

 旭がそう言うと、素っ気ない返事が返ってきたが、その声音から棘は消えている。
 少しだけ心の内が垣間見えた気がして、旭は口許を緩めた。

 今、旭は台所に立ち、調理の最中だ。仕込んだ糠漬けを取り出している。
 取り出した野菜をたらいで少し洗って糠を落とし、副菜として皿に盛りつけた。
 最近は、食事のたびに呼び出さなくても、旭が食事の準備をしていると板の間に白蛇が現れることが増えた。
 最初は振り向いて話していたが、作業の手を止めないでいいと言われてしまったので調理の手は止めずに話している。

「緑狸さまがいらっしゃる時には、正絹を着てお出迎えしようと思っています」
「……かなり少ない頻度だな」

(あれ、また声が低くなった)

 着る、と言ったのに少し不機嫌な声音が戻ったことを不思議に思い振り向こうとするが、運悪く鍋蓋が沸騰でぐつぐつと音を立てた。
 旭は慌てて鍋蓋を取り、中をかき混ぜる。

「……羽織なら、正絹でもかまわないか」
「え?ああ、そうですね……。羽織なら裾のことを気にしなくていいですし、台所に立つときは脱げばいいですし――。何より正絹の羽織は暖かいですもんね」
「そうか」

(――また声色が変わった)

 配膳のために振り向いたが、白蛇の顔からは何の機微もうかがえなかった。


 ***

 食後、旭は庭へ出て落ち葉を掃いていた。
 神の住まいなだけあり、基本的にというものとは無縁だが、旭が邸内を掃除することは、その行為自体が白蛇のためになるという。
 それを教えてくれたのは緑狸だった。

 白蛇は旭の仕事や手間が増えることはあまり積極的に教えたがらない。
 最初の頃の菜を増やせという話も、自身のためではなく旭のために言ったことだ。
 掃除のことは、たまたま旭が作業場や台所を片づけるために箒が欲しいと言った時に教えてもらった。
 てっきり白蛇から聞いていると思っていたらしい緑狸は白蛇に睨まれていた。
 少し罪悪感があったが、教えてもらったからにはやらずにはいられないのが旭だ。

 秋といってもまだ十月になったばかりだ。
 落ち葉もそこまで量は落ちていない。

(もう少し落ちてきたら、落ち葉でさつま芋を焼くのもいいかな)

 そんな風に思ってふと木を見上げた先、一羽の鳥が木に止まっていた。

(ん……? からす……?)

 濃い黒色に見えて、よく見ると光に当たったところは紫色が混じったような不思議な色をしている。
 ここに来てから、獣も鳥も見かけなかったので、旭は珍しいなと思った。
 瞳が合って、数秒。

 からすが突然、枝の上でひっくり返った。

「えっ」

 何かに引っ掛かったのか、悪いものでも食べたのか。
 ぴくぴくと体を痙攣させている烏に、旭はそっと近づく。

「大丈夫……?」

 足を踏み出し、手を伸ばそうとしたその時。

「――何をしている」
「あ、白蛇さま」

 ふいに呼び止められ、旭は足を止めて振り向いた。

「そこから先は社の敷地外だぞ」
「すみません。今そこに烏がいて――あれ?」

 烏がいたところを指差すが、そこには何もいない。
 旭は首を傾げた。確かにここに――。

「烏?この社の近くまでは来ないはずだが……」
「もしかしたら、別の何かと見間違えたのかもしれません。様子がおかしかったので近づいたのですが、大したことではなかったのかも」
「そうか。ならいいが……敷地の外に出る時は必ず声をかけろ」
「はい。気を付けます」

 敷地――というのは、白蛇が張った結界の範囲と同義である。
 今旭が住んでいる白蛇の屋敷は、結界に覆われている。
 結界の外へ一歩でも出ると神の世界になってしまい、旭一人でこの屋敷に戻ってくることはほぼ不可能なことだ。
 旭が暮らしていた人間の世界の山とは鳥居で繋がっているが、そこも同じく出ていくことはできても戻ってくることはできない。

(気を付けてたはずなのに、どうしてだろう)

 あの烏の瞳を見つめていると、何故か、という気にさせられた。

(そんなこと、あるわけないか)

 旭は落ち葉を片付けると、足早に屋敷の中へ入った。

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